3.1 命すれ違う三叉路

「アイツに頼らなくていいくらい強かったら。そんな風に思わない日は未だある。けど、あの時弟達あいつらを守るにはしかなかった」




 冷めたコーヒーの入ったカップを握りながら、イヅモは過去を振り返る。



 ある日突然、自分達は母親に捨てられた。



 余所に男が出来た。ただそれだけの理由で、私たちは食い物も住処も失った。



 もし、それで孤独になれたら。もっとやり方はあったと思う。

 でも、捨てられた時には、イヅモは"おねえちゃん"だった。

 弟を、繕と万を捨てていく選択肢は、何処にもなかった。

 その覚悟だけはどうしてもできなかった。




 その代わり、地下で死ぬことは覚悟できた。

 命を差し出すことも。自由を差し出すことも。

 権利を、意思を差し出すことも。




 私が、あの子達の為が立つための、一番の下の屍になることも。




「あの子達は、こんな地下ところに居ちゃいけない。今年でセンは15、ヨロズは6つだ。タイミングとしては申し分ない」



 地上うえの基準で行けば、繕は義務教育を終えて高校に進学し、万はこれから義務教育を始める。



 かといって、公立に入ったら"育ちの違い"で馴染めないだろうから、多少変わってた方が、あの子らもきっと馴染みやすい。

 それにそういう所は、頭の良し悪しがどっちにも振り切れてるから万みたいな、環境の被害者も受け入れくれる奴がきっといる。




「それが、エラルメリア学院だったと……」



「苦労したよ。願書出すのも、試験受けさせるのも。面接が無かったのが唯一の救いだったな」



「学校の試験って、面接ってやるものなの?」



「ほとんどはそうらしい。けど学院は金がかかる分、学ぶってことへの力の入れ方が段違いだから、家柄とか人柄よりも、ソイツの持ってる能力を重視すんだと」



「じゃあ、繕くんたちも……?」



 何の変哲もない会話の流れだったが、イヅモは知らぬ間に、口角を上げていた。自慢の弟達の話が出来るのが、相当に嬉しいのだと、初見の入陽にも分かった。



「繕は基本何でも器用にやるけど、勉強だったら理数系でダントツ。入試も試験内容を一言一句暗記するくらいには余裕だった。万はあの年で6か国語喋れる。そのせいか、日本語は若干下手になってるけどな」



 自嘲気味に笑う入陽だったが、その顔はとても柔らかく、何より嬉しそうだった。




「けどそれは、イヅモちゃんの教え方が上手かったんじゃない?」



「基礎は私が教えたけど、それはねぇな。全部二人の才能と努力だよ」




 謙遜。そう呼ぶには刺々しくて、家族のことにしては他人すぎている。



 イヅモがぶっきらぼうな性格なのは、入陽がよく知っている。その言葉が、熟考と相違のない素直な感情によって生まれていることも。





 けれど、今のイヅモはとても戸惑っている。

 少なくとも、入陽にはそう見えた。





 錆びて刃毀れした鉈で、蜘蛛の糸より細い線を、断ち切るのを躊躇っている。



 イヅモの人生は、捨てられたあの日から繕と万のためにあった。その為に時間を費やし、本来であれば持ち得ていた物。そしてそれと同等以上の多くのモノ。



 九重出雲ココノエイヅモの全てと言っても過言ではない物を、彼女はかなぐり捨てて生きてきた。捨て去って広くなった空間に、ずっと弟達ふたりを置いていた。





 それが、ぽっかりといなくなるのだ。自分が、一生手の届かない所まで。




「寂しいんだね、イヅモちゃん」




 ちょっとだけ、イジワルにに言ってみた。




「……あぁ、寂しくなるよ」



 その眼に涙はない。その代わり、口角は、何処か誇らしげに上がった。





「安心して! 繕くんと万くんが地上うえで頑張ってる間は、私がイヅモちゃんと糖質4500%くらいイチャイチャするからね!!」



「やらないし、させない。じゃ、私は風呂入ってくるから。寝たきゃ勝手に寝てくれ」




 イヅモは冷めきったコーヒーを一気に飲み干し、台所でマグに水を張ってから、部屋を出る。




 風呂場に向かうのを見送ってから、残された入陽は、書類の入った茶封筒を眺めながら、イヅモの表情を脳内で逡巡させていた。




 普段は見れない、旦那パートナーの姉の面。それだけに限らず、朗らかだったり、緋想だったり、ドヤ顔だったりと、普段は見せない顔がいっぱい。



 出来る事なら記憶から画像データを取り出して、写真にしてラミネートしてアルバムにまとめて永遠に保存したいけど、学堂の技術でそういうの出来たりしないかな……




「一条さん、そこにいますか……?」



「ヒッ! い、いいいますけども!!?」





 正座のまま飛び上がってしまったせいで、机の裏に膝が激突する。摩りながら、空気に忍ばせるような声をした方を見る。繕と万の眠っている部屋。その境にある襖が、細く開いていた。




「えぇ…と、この声は、繕さん、ですか……?」



「はい、すみません。急に声をかけてしまって。お膝、大丈夫ですか?」



「だ、大丈夫ですよ! 痛いですけど慣れてますから!」



「痛いのに慣れてしまうのは如何なものかと思いますが、大丈夫ならいいのです。そのまま聞いてください。こちらに背中を向けて、話していないテイを装って」



「わ、分かりました。でも、別に聞かれたからって、どういうことにも……」



 何気なく振り返りそうになった入陽。瞬間、寝間着を持ったイヅモがリビングの扉を開けた。入陽は驚いて、再び正座のまま飛び跳ねる。




 異常が起きていないか、注意深く部屋全体を確認するイヅモ。



「結構な音がしたけど、お前か?」



 この短い時間で二回も膝をぶつけてしまった入陽は、これ見よがしに両膝をさすってイヅモの視線を誘った。




「うん、立ち上がろうとしたら膝ぶつけちゃって。入陽ちゃんは思ったより足長のナイスバディなもので!」



「そう、じゃあ繕にそれ見せてやれ。年頃だし女の一人や二人興味あるだろ」



「そんな……! イヅモちゃんも繕くんも、私の身体にしか興味ないっていうのね!!」



 顔を伏せ、肩を震わせ。何処かで見たことあるような、ヒロインに扮する。



「男はだいたいそんなもんだろ」



「そんな不埒で淫ら代表みたいなのに繕くんを出すのは良くないと思いますけど!?」



 入陽がそう言い切る前に、イヅモは扉を閉めて廊下の電気を付ける。風呂に入るため、扉が開き、廊下の電気が落ちたのを確認してから、入陽は繕に声をかけた。



「もう大丈夫。イヅモちゃん、お風呂に入りました」



「ありがとうございます、咄嗟に誤魔化してくれて。姉は耳が良いので、日によってはさっきみたいな会話も聞いている時があるんです」



「そんなに……。あ、だからこの間食堂を探してもいなかったんだ」



「恐らく、そういう人が集まるところは嫌いなんだと思います。音が多すぎてムカつくって、前は結構怒ってましたから」



 繕の話を聞いて、イヅモが聴覚過敏傾向であることを、入陽はこの時初めて知った。



(私の自己紹介に怒ってたのも、同じ理由だろうな。だとすると銃を使わないのは、反動より、発砲音がストレスになるから……)




 学徒が業務の赴く際の基本装備は、言わずもがな銃である。



 その種類に細かな違いはあれど、イヅモのように、背丈以上ある長刀をメインとする者は皆無と言っていい。




 日中に加々宮に会っカツアゲた際、イヅモの装備についても少し話題になったのだが、イヅモ以外にあの装備をしている学徒は、彼も見たことないという。



 そういう意味では、イヅモは現代の戦闘に向いていないとも言える。

 それでも戦ってきたのは、大きな弱点を武器にするまで努力し続けたのは。




 それだけ、繕と万かれらが大事であることの証明なのだろう。



「っと、そんなことを話したいわけではなくて。一条さん、頼みがあります」



「頼み? 私に、ですか?」



 背中越しの問いに、しばし沈黙が流れる。暗闇が、その影を延ばすように。



「姉の、姉の記憶から、僕たちを消してください」




 振り向かずにはいられなかった。姉でイヅモにとっての生きる希望である、弟自身が、姉から消えることを、望んでいるのだから。




「なっ…何を言って……」



「内通者を通じて地下ここでも実験し、手法は確立させてあります。機材も。一条さんには、姉をそこまで連れて行って欲しいんです」




 嘘を言っているようには聞こえない。だが、俄かには信じがたい。

 人間の脳に意図的に干渉して操作する技術。その為の機材を、軟禁状態のいち少年が用意したとは、到底考えにくい。

 幾ら賢いといえど、それだけで納得するには無理がありすぎる。それに加えて……



「内通者って、いったい誰を……」



「それは言えません。姉含め、誰にも言わない条件でリスクを負って貰っているので。あと必要なのは姉の身体だけ。足りないのは、それだけなんです。」



 どう聞いても可笑しい。突拍子が無さすぎる。最愛イヅモの弟だとしても掌握できない。

 技術の理論への疑問じゃない。家族という繋がりを断ち切ろうとする繕の案に、入陽の感情は、怒りと悲しみが混ざり合って、グヂャグヂャになった。




 初めて感じたこの感情は、とても気持ち悪くて、喉がつまって。

 あるべきはず、出すべきはずの言葉を出せない自分が、より一層大嫌いになった。



「そんなこと、イヅモちゃんが望むわけない! それに繕さん達だって、お姉ちゃんに忘れられたら、そんな……!」




 そんな苦痛、耐えられない。まだ出会って数ヶ月もしないワタシでさえ、そう思うのだから、産まれた時からいる繕と万かれらに至っては、そんなの比にならないくらい、苦しいはず。




 影から聞こえてくる、歯ぎしりの音。暴れそうになるあらゆる感情を、繕は必死になって、噛み潰していた。




「姉は、僕らが真っ当に生きれることを願ってます。でも、そこに姉はいない。、姉は消えようとしている」



「それは…! それがイヅモちゃんの、たった一つの願いだから……」



「でも、それは、僕は、嫌なんです……」




 声を震わせ、鼻を啜り、ぽたぽたと、大粒の雫が布団に落ちていく。





 姉弟ぼくらが捨てられたのは、決して姉のせいじゃない。

 悪いのは捨てた母親であって、姉は何も悪くない。

 けれど姉は僕らを背負ってしまった。

 心のどこか、大事な部分を断ち切って。




 地下の暮らしは確かに不便です。

 家から出ることはできないし、窓もないから青空も見れない。

 けどもし、あの日あのまま雨空の下に居たとしても。僕らは幸福にはなれなかったと思う。




 地下に来たから、今日も生きて、勉強して、赤ん坊だった万が大きくなっていく姿を見ることが出来た。





 僕たちは確かに不自由だった。でも、決して不幸ではなかった。





 それも全て、あの日、姉が僕らを連れてくれたからです。

 連れてきてくれたから、僕たちは不幸に塗れなかった。




「なのに、姉はずっと僕らを抱える気でいる。地下ココに来てしまったことを、糧ではなく、罪と思っている。僕たちに、永遠に償おうとしてる」




 イヅモは、僕らにここにいてはいけないと、口酸っぱく言っていた。




 幼い頃は、夢を持ってはばたけ、みたいな明るい意味だと思ってた。

 けど違った。姉は常に謝っていた。自分のした行為は過ちであり、誤りであったと。そんな場所に、僕らを巻き込んでしまったと。




 僕らが地上へ行く。それは旅立ちじゃない。罪人の住処からの解放である。




「何とかして、姉を一緒に地上に連れて行く方法も考えました。けど姉は何があっても付いてこない。罪が重なってしまうから。だから、せめて姉も開放したい。罪なんて、最初からない所まで、引き戻して……」





 想いすぎて、思われ過ぎて、重たすぎる。





 呼吸が止まっていることにも気付かず、殴りつけてくる拍動に、入陽は肋骨を抑える。




 イヅモにとって、弟達を送り出すのは本能に近い。

 そうするべき理由も、しなければならない理屈も、イヅモはきっと説明できない。





『あの子達の、お姉ちゃんだから』





 それ以外の言葉は見つからない。

 責任とか義務とか、罰とか悪とかじゃない。





 きっと、それには名も体も意味も影もない。



 そうであるべきという前提。それ以外は間違いであるという常識。





 只ならぬ想いが、九重出雲を動かしている。



 繕は、その姿に受刑者の様を見たのだろう。





 何かを得て、享受するためではなく、自分の中にある罪を償うための日々。




 普通から外れ、地下に拘束への拘束を強いられる生活。

 そんな場所に、守るためとはいえ繕と万ふたりを巻き込んでしまった。




 イヅモの姿なきナニカは、繕の眼には怪物のような錘として映った。




「ごめんなさい、お返事は、すぐには出来ません……」




 入陽は両頬を引っ張って、必死に涙を堪える。

 踏み込み過ぎてしまう私は、それでも足らず。

 目の前の水溜まりに飛び込んで、潜ってしまう。

 水圧は潜るほど強くなる。

 だから苦しくなるのに、知らぬ間に潜りすぎて、息が出来なくなる。




 もし色が分かったら。私が頭に入れる情報の量が増えたら。

 私は、阿呆として踊れただろうか。

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