2.5 仲はもう治らない

 講座というのは本来、知識や技術を教える場のことを指すのであって、決して気が狂って殺しに来る人間を制圧する闘技場ではない。


 しかしそんなことを言っていてはままならない。特にこんな、みんなせーので気が狂って、いつ隣に噛みつくか分からない状況なら尚更。


 偉そうに御高説垂れる前に、雁首揃えて負かして眠らせる。それが、指導側として施せる唯一の優しさだと思うから。



 鐘を突く撞木のように、握った拳の底を、迫る学徒の眉間に叩き込む。


 電気を食らったように膠着すると、上半身は足を残しながらゆっくりと傾き、やがて受け身も取らず勢いよく倒れる。



 これでやっと二人目。無理な戦闘ではないが、さすがに呼吸が乱れてくる。


 というか、先に眠らせた奴、加減間違えてなかったか?

 さっきから泡拭き続けてるんだけど、平気かコレ。



「そ、それよりイヅモちゃん! この子たち想像以上に強いんですけど!?」



 ウルフカットの学徒の攻撃をいなしながら、入陽が救済を求め声をあげる。



「リミッターバグってんだから当たり前だろ。かなぐり捨てりゃあ、どんなのでも強くなんだよ」


「リミッターってなに!? 捨てたってなに!? このタイミングでの新情報どうやって反応すればいいのワタシ!」


「そんなの、自分で考えろッ!」



 荒れた爪を立て、首を掴もうと学徒が飛びかかって来る。イヅモは素早く真下に入り込むと、鳩尾を貫く勢いで叩く。


 空中で息が止まり動けなくなった学徒は、そのまま重力に引かれ落下を始める。


 イヅモはそこに呼吸を合わせ、顔のど真ん中に膝を思いっきり差し込んだ。



 身体が180度回って、仰向けに落下した学徒の胸が三度跳ねる。



 鼻筋を辿って垂れる血が床に伝っては、血だまりを大きくしていった。代理でもらう給与も、このくらいの勢いで増えてくれるとありがたいんだけど。



(……我ながら気ぃ狂った発想、結構引っ張られてるな)



 アドレナリンなど化学物質に侵され始めた脳を気にしつつ、イヅモは気絶した学徒達を端に寄せると、最後に残しておいた四人目を見る。



 最後に取っておいたのは、襲ってくる気配がなかったからだが、本音を言うなら、得体が知れな過ぎてあんまり近づきたくなかった。



 華奢な骨格に、無理矢理付けられたよう分厚い筋肉。


 対して頬は枯れ木のように薄くなり、左右の指は、太さも長さもバラバラ。

 焦点の合わない瞳は左右で異なった動きを取り、周囲の様子をただ映すだけで、こちらを認識している様子はない。


 姿を観察すればするほど、『ひとつの肉体で出来た人間』という認識が、疑わしくなる。


 まるで、有る物をとりあえず組み合わせただけの、継ぎ接ぎの人形。



(何にせよ、トんじまってるなら、眠らせるだけ)



 ほんの一瞬。瞬きの時間にも満たない、ほんの僅か時間。イヅモの意識が四人目から外れる。一人は、苦戦しているが一条が抑えている。なら、あとはこっちに集中できる。



 ケダモノは、その隙を見逃さなかった。



「ガァッ」


 足音も立てず、分厚い肉体からは想像もできない俊敏な動きでイヅモに接近したケダモノは、咄嗟に構えた両腕のガード上から一直線に拳を押し込む。



「……ッ! 重すぎんだろっ、コレっ!」



 踏ん張っていては両腕とも持って行かれる。素早くそう判断したイヅモは、後方に飛び上がって力を逃がす。


 しかしケダモノは逃がさない。イヅモの着地点を素早く見極めると、再び音もなく接近し、イヅモを空中から蹴り落とそうと構える。


「ほっんと、割に合わねぇな!」



 見た目に合わない速度に、筋肉の見た目通りのパワー。



 シンプルな能力というのは、それだけでも十分に強く、特殊な使い方が出来ない分、汎用性が高い。


 コイツのはまさにその典型。速度で詰めて、力で落とす。何処でも使えて、癖がないから、どの動きにもマッチする。



 だが弱点は、非常に読まれやすく、対策を立てられやすいこと。シンプルな能力だからこそ、こちらもシンプルなやり方でカウンターを打てる。



 イヅモは敢えて防御の構えを取らず、脚が自分の頭めがけて弧を描き始めるのを待った。

 空を割く轟音。屈辱だが、アップの時のイヅモより全然強いと音だけで分かる。


 だけど、悪いがそう簡単に倒されはしない。



「長い地下暮らしを舐めんなっ!」



 イヅモは空中で振り落とされる獣の脚を掴むと、身体を捻ってハリセンをひっぱたくのと同じ要領で、獣の身体を叩きつけた。



 獣は「グヘゥ」という鈍い声を上げ、打ち上げられた魚のような痙攣を繰り返す。



「悪いな、瞬時に手加減できるほど器用じゃねぇんだ」



 うつ伏せとはいえ、頭を強打したことに変わりはない。必要があればすぐに医局に運ばないと。


 倒れた獣に近づき、起き上がらせようと肩を掴む。その瞬間、獣の痙攣が止まる。イヅモがその変化に気付くよりも早く、ケダモノは自身の肩を掴むイヅモの手を掴み返すと、文字通り牙を立てて噛みついた。



「……ッギ、なんで噛みついて来てんだコイツ…!!」



 咄嗟に振り払おうとするも、握られた腕はミヂミヂと音を立て、しっかりと刺さった犬歯は動かそうとすると余計深く入り込んでくる。



 最初は滴る程度だった出血も、一秒ごとに量が増えていく。次第に、内側から肉を裂かれる痛みが襲ってくる。



 額に汗が浮かぶ。急かしてくる鼓動が鬱陶しい。


 痛いなんて、そんなの分かってんだよ。

 とっとと引き剥がさないといけないのに、全然剥がれる気配が無い。



 まずい、このまんまだと、マジで腕無くなる。



「ふっ……ざけんなよクソがっ!!」



 ともかく、力づくでも何でもひっぺ返して腕をどうにか守らねぇと──



「駄目だよ、イヅモちゃん。こういう時こそ、冷徹でないと」



 一瞬、誰がイヅモの名前を呼んだのか分からなかった。



 我に返って顔を上げる。



 そこには、いつものにやけ顔ではない、まるで慈母のように、穏やかに、静かに微笑む、一条入陽がいた。



「一度噛みついたら絶対に離さない。この子は、あの人にそれだけを教えられた。最初にイヅモちゃんに飛びついた時も、本当は噛みつこうとしてた。足を振り上げたように見えたのは、多分尻尾のつもりだったんだと思う」



「お前、コイツの事知ってんのか。ていうか何の話だ! 噛みつくとか尻尾とか」



 叫びにも近い声色で問うが、入陽は目を合わせようとしない。代わりに、丁寧に手を合わせると、うつ伏せのままのケダモノの首に片膝を立てた。



「この子は、私の家族になるはずだった子。でも、上手くいかなかった。結局最後まで、自慢の妹になる夢は、叶わなかったな……」



 どれだけ愛してあげたくても。どれだけ申し訳ないと思っていても。

 涙を流せない自分を、入陽は希望の擦れた目をしながら、嘲笑う。



「初めて会えたのに、最後になってごめんなさい。お別れの言葉が、『ごめんなさい』で、ごめんなさい」


「一条、お前、何言って……」


「さようなら。おやすみなさい、お姉ちゃん」



 イヅモの腕を噛んだままの頭を床に押し付け固定すると、入陽はそのまま、槍を突き立てるかのように、躊躇なく膝を押し込む。



 ゴギッという鈍く太い音がなると同時に、イヅモに噛みついていた歯が、するすると抜けていった。


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