2.4 フッてワく事項


「さて時間だ。講座を始める」



 訓練着に着替え、各々準備に入っていた学徒達に、イヅモは静謐に令をかける。



「担当指導員及び補填指導員不在の為、代理を務めることになった九重だ。五分経ったら全員順番に私と組んでもらう。それまで各自で準備」



 偉そうに指示を出す見慣れない指導員に、学徒達は一瞥を向けるも、すぐに興味を失った子どものように、各々の準備に戻る。



 総勢5名。須らく、イヅモより年下。それなのに、まだ初々しさが残るはずの彼女らの姿は、まるで門の屋根裏にいた老婆のよう。



 爪は嚙み潰したようで汚く荒れ、髪は枯れ枝のように乱れたまま。

 酸味の混ざったような匂いが辺りに香り、涙袋には色の濃い隈が溜まっている。



 おまけに、全員目が据わっているときた。今までの業務の内容に、自覚的になっているのは明らかだった。



 業務で自分がやったこと。つまり、殺しの意味を自覚すると、身体はまず、眠ることを拒絶するようになる。

 正確には、休むことを極端に恐れるようになる。理由は、意味を否定するための復習の時間を逃してしまうから。



 殺しを自覚した日。それは同時に、殺してきた日々の否定が始まる日になる。



 自分は殺していない。命を奪ってなどいない。


 じゃあ、あの血はなんだ?


 転がっていたのは人間か? 


 そうだ、それは間違いなかった。


 なんで死んでいる? あの人は直前まで何をしていた。


 撃って死んだ。そこまでは覚えている。


 誰が撃った? まさか、──が銃で撃ったのか?


 本当に撃ったのか?


 ちがう、銃で撃った覚えがある。


 いや、自分は撃ってなどいない。


 そんなはずはない。ちゃんと照準を定めて当たるようにした。


 でも、殺す気なんてなかった


 狙いの定めていたのに?


 それだって気のせいだ。きっと偶然だ。


 脳天と心臓は偶然で狙える?


 狙えるとも。だって心臓は肺と繋がっていて撃つと良く死ぬ


 そうやって教わった。


 教わった通りにやった


 それが、殺しだったのか…


 違う、殺しなんかじゃない。殺してなんかいない。


 撃っただけだ!


 それが殺しだ


 命が消えていっただけだ


 奪ったという自覚はないのか。


 いずれくる寿命だったんだ


 お前が踏みにじったんだろ。


 違う


 間違ってない



 ──どれが、間違っていないのだろう




 最も古い殺しの記憶まで遡って、学徒は自らの行動を殺しから引き剥がそうとする。それには、眠っている時間は無駄でしかない。


 悪夢から逃れるために、悪夢に魘されるまでトラウマを見直す。だがその時間こそが、自覚をより確かなものに変容させる。


 初めて武器を握り、言われるがままの空虚だった行動。それがある時を境に、唐突に質量を持った実感として、全身に圧し掛かる。



 指には薬莢の跳ねる振動が。

 手には肉を割いた重みが。

 足には死体を踏んだ感触が。

 顔には浴びた鮮血の温度が。



 瞬きをすれば、瞼に今にも動き出しそうな死体の顔が。



 繰り返すほど、目の前に、鮮明に。まるでやり直したように、感触を伴って襲い掛かる。


 心臓は、とっくにボロ雑巾みたいに捻じ曲がってる。それでも記憶からは目を離せない。



 強制的に吊り上げられるように、意識を飛ばすことを、無意識的に拒む。

 覚醒から覚めることが出来ず、何処かに見落としがないか。何処かにラグがあってズレているのではと疑い続ける。

 確か不確かがあったはず、そんな不確かなことにのめり込む。



 疲労は解消できないまま。新たな疲弊はどんどん上から積み重なっていく。



 意思の力では抗えず、理性で休息を取ろうものなら、悪夢はこれ見よがしに現れ、トラウマとなって埋め込まれる。



 そんな極限状態にいる彼女らは、いま一番、自我の輪郭が不明瞭になっている。



 そしてそれは、戦闘になった際のストッパーをぶっ壊してバグを引き起こす。


 大抵の場合は、動こうとする意識と、動かさんとする精神。そして動けない体が衝突してフリーズする途絶タイプ。


 このタイプなら対処は楽だ。顎でも打って眠らせればいい。



 しかし偶にあるのが、先の三つが混濁して、自壊するまで殺しに来るタイプ。


 眼に映った人間全員を敵と見なし、内臓が潰れようが脳が半分飛ぼうが、相手が死んでも自分が死ぬまで殺し続ける自壊タイプ。



 経験則だと、途絶と自壊の比率は9:1くらい。ただ今回は何となく、全員自壊タイプの感じがする。



(そうだとしたら、殴って済まないからしんどいんだよなぁ……)



 殺されないよう立ち回りながら、自壊する前にという付き。面倒くさい事この上ない。



 偶然だけど、身体を温める時間があってよかった。

 指を伸ばしつつ、両の手首の動きを確認する。



 いつも仕事をしない私の幸運ラックだが、今日は珍しく動いてくれたらしい。あとは、いつもよく働く不運の方が、偶のサボりを謳歌していることを願うばかりだ。



 そういや、最近はずっと刀を持っていたから、素手でやるのは久しぶりだ。加減を誤らないように注意しないと──……



「イヅモちゃん! 来たよ! ワタシが来たよ!!」


 ベコンッという鈍い音と共に、聞き覚えのある、鼓膜をぶち抜かんとする大声が教室に響き渡る。


「……チッ」



 前髪で目を隠しながら入り口を見ると、平らだった自動ドアにはコブが出来ていた。そのせいで半分も開かなくなってしまっている。


 不運を出し抜いてやってきた天災は、その隙間を無理矢理通り抜けると、飼い主に駆け寄る子犬のように、イヅモの元に小走りで近づいて来た。



「加々宮先生から聞いたよ! 急に代理を任されることになったって!」


 その現場にいなかったけど分かる。お前加々宮あの人から聞いてねぇだろ。私の居場所知らないかって問い詰めただろ。尋問っつうんだよそれは。


「そういう時はちゃんと言ってよ! ワタシはイヅモちゃんのパートナーお嫁さんなんだから、困った時は頼ってよ!」



 親友と出掛けていても、恋人と初めて手を繋いで照れていても。白いドレスを纏い、愛を誓いあっていても。


 その他、今にも自我がぶっ壊れて、殺しに来そうな人間達に睨まれていても。

 そんなことは気にも留めず、天災イリヒ飼い主イヅモの両手を握り込み、付いていない尻尾をブンブン振り回すだろう。



 一条入陽はそういうタイプの人間だから。異常が日常でいるタイプの人間だから。



 やめろ。手を放せ。被害を被らせるだけのお前と一緒くたにされたくない。恨みはお前だけ受けろ。巻き添えにするな。


 というかさっき、面倒な当て字が振られていた気がする。私がいま一番のはお前だというのに。



「困ってないし急でもねぇ。それに業務じゃなかったから、お前の手を煩わせたくなかったんだよ」



 これ以上の大事になる前に手を引かせようと、イヅモはアマガエルのような精いっぱいの作り笑いで入陽の想いに応える。


 分かっていたことだが、私は好きでもない相手に気を遣うのは滅法苦手らしい。嘘でも相手を慮ると、一秒経つごとに消化に十秒かかる怒りが湧いてくる。



 道理で煽りや文句はよく言えるわけだ。



「な……な………」



 素早く一歩後ろの下がった入陽は、両手で口元を隠し眉を上げた。



「なんてハンサムなことを言ってくれるのイヅモちゃん! イケメンすぎるよぉお! ワタシ煙出そうなくらい火照っちゃうよ! 興奮しすぎて全身から液という液が溢れてきちゃいそうだよ!!」



 じゃあ今すぐ脱水になって干からびちまえ。日光が無い地下だと干物にはなれないが、鶏皮くらいにはなるだろ。喰われてうんこになって流れてろ。



「だ、ダメだよこんなじゃあ////// これからもずっと一緒なんだから、イヅモちゃんのハンサムにも慣れないと……うううへへへへへへへえへへうへへ」



(よし、もういい。ぶっ飛ばす)



 口から涎を垂らし、腰をくねらせて妄想に溺れる天災を蹴り飛ばそうと、イヅモは床を握り込むように、足先に力を込める。



 次の瞬間、まるで真空を作るように振り抜かれた左足に、身体が引っ張られる。脚を着いた時にはイヅモの身体は真後ろを向いていた。


 目の前には、白目を剥いて、酒乱のように左右に揺れる学徒。しばらくして、糸が切れたよう無造作に倒れると、後ろにいる学徒達の瞳が、じわじわと血走っていく。


 どうやら今の一連の流れが、引き金となってしまったようだ。



「あーあ、めんどくせぇな」


「そのセリフ言ったってことは、次のセリフは『うるせぇ口だな、塞ぐぜ』だよね?! そっからのイケメンハンサム不整脈心臓発作血圧爆上がりの二枚目キッスだよね!?」



 喉奥に腕突っ込んで声帯ごともぎ取ってやろうかコイツ。



 けど、今はそれは後回し。まずは息巻いてる学徒達イカレ素人を眠らす。



 二酸化炭素の濃い空気を静かに吐き出し、ストレスでよく回る血液を太い血管に集める。



「不本意でクソムカつくけど、来たんだったら手伝え、一条」


「あいあいあさー! ご褒美には何くれる?」


「お前のハートイチゲキで射止めてやるよ」


「なんだか違う意味が含まれてる気がするけどぉイヅモちゃん!!?」


 噛み合わない漫談を繰り広げる二人。その間を引き剥がすように、狂った学徒が飛び込んだ。

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