2.3 探偵も棒に振る

 体内時刻で14時7分。三コマ目の講座が中盤に差し掛かかったころ。


 工房での用事の後、一度自室を経由して刀と制服を置いて行ったイヅモは、腰ひもを結びながら、薄暗い階段を静かに一段ずつ下っていた。


 業務の時と同じ黒のタートルネックに、裾絞りのついた白のバルーンパンツ。


 無機質なコンクリート壁に反響した足音が身体を通る度、少しずつ体温が奪われていくようで、端々から感じる微かな冷えが、心臓の形を縁取っていく。



 ただ身体が冷えていって、それに耐え続けるのはストレスがかかる。


 冷気がゆっくりと芯まで侵略していく感覚は、どれだけ命を遠のかせても忘れられない、捨てられた日を思い出させるから。



 地下一階の踊場。イヅモは腰ひもをきつく結び終え、見慣れた鉄扉に手をかける。



 必要以上に重たい扉を開けて中に入ると、そこにはラバーケースと同じ、濃紺の絨毯を挟むように、ひと三人が横に並んでも、まだ余裕のありそ

 うな横広な廊下が現れた。



 イヅモはその真ん中を歩きながら、最奥にある目的の教室に向かう。



 フォルミーカ学堂は、便宜上の地上階。その上のエレベーターホールのある二階。


 それと合わせて、地下一階から七階までの全九層で構成されている。



 地上階は座学用教室、食堂、学徒寮。B1からB3は実技・実践の教室をそれぞれ備えており、業務で必須となる戦闘スキルをここで学ぶ。



 銃の扱い方や対人格闘。刃物に振り方から化学物質の利用まで。学堂ではあらゆる側面で、あらゆる場面で、殺す為の戦闘スキルを叩き込まれる。



 濃紺を基調とするB1の専門は徒手空拳。言葉の意味のまま、素手のみで敵を殺す技を身体に叩き込む。



 廊下の突き当り。『第一室』と書かれた扉の端末に電子キーをあてると、緑色のランプが点灯すると同時に、扉が横にスライドして開く。



 中に入って、すぐ真横のホルダーに電子キーを差し込む。すると、天井の照明が手前から順々に点灯していき、教室の様子を露わになる。



 憎悪のような、生黒く粘つく空気が充満する、四方を木製の壁が囲まれた無臭の空間には窓が無く、中央に十字の引かれた床面には、過去の学徒達が残した数多の傷跡と血痕が、至る所に散らばっている。



 イヅモ含め、多くの学徒にとってこのB1第一室は、学堂の中で最も多くの血反吐を吐いた場所だろう。



 血溜まりの上に血を吐くのはいつものこと。授業中に意識を失って、吐瀉物の上に頭を落っことしたこともあった。



 苦しんだ思い出しかない所だが、イヅモはこの場所が嫌いではなかった。肌にべたつく憎悪は煩わしいけれど、血とゲロを吐く時間が減っていく度に、地獄を歩けるようになった気がしたから。



(さてと、人来る前に、とっとと済ませるか……)



 中履きを脱いで裸足になったイヅモは教室に上がると、壁面に手を沿えて、円を描くよう歩きながら、状態を観察していく。



 床面に負けず劣らずの傷の数に加え、落書きのようであったり、はたまた殺人事件のような血痕が、こちらも至る所に散らばっているが、気になるのはそこじゃない。


 しばらく観察していると、何処を見ても、何かしらが付着している壁面の中で一か所だけ、で傷をつけられた痕があることに気付いた。



(学堂的には可笑しくないけど、ここがB1ってことを踏まえると……)



 B1は徒手空拳が専門。武器の持ち込みは本来無い場所のはず。




 違和感のある壁に顔を近づけ、イヅモは注意深く観察する。



 木目の裂け方と大きさからして、傷はペティナイフ以下の刃渡りの短いもので付けられている。もしかしたら、折り畳み式くらいコンパクトなモノかもしれない。



 深さや角度を細かく変えながら、不均等に傷をつけることで違和感が生まれないように工夫されているが、そもそもB1に使う素材に刃物を使っている時点で仕事が雑だ。



 そしてそれは血痕も同様。


 戦闘に於ける血痕というのは、一つとて同じ形をしない。



 花火みたくはじけるような形だったり、水滴みたいに落としたよう形だったり。不規則な形が、ランダムに付着するものなのだが、この壁には、それらを全て網羅するように多彩な血痕が付けられている。



 血を見慣れた側としては、それだけでもかなり違和感なのだが、一番は、それらが全て重ならないように付いていること。



 血の付け方、傷の残し方。その両方に人間の理性的な拘りが見て取れる。



(代理業務、理由は失踪って言ってたけど……)




 前々から、気になっていたことではあった。



 学堂からに出るには、二階にあるエレベーターを使う他ない。

 そのエレベーターを使うには、支給のデバイスと、業務という許可が必要になる。


 しかし、学堂ここで業務が与えられるのは私達学徒だけ。指導員に業務が与えられることは絶対に無い。



 これは過去、加々宮が私の上司になった最初に言っていた。



 他人の話を聞かない男ではあるが、自分の言葉に嘘を混ぜる人間じゃない。欠けはあっても、信頼できる。



 つまりは、指導員は失踪する機会チャンスはおろか、外に出る手段さえ奪われているということ。



 業務は受けられない。木の根のように土の下に身体を埋め、光の外で栄養を吸い上げなければ生きていない。そんな状況下で、どうやって失踪を謀ったのか。



 考えられる可能性は二つ。



 一つはイヅモの知らない方法を使って外に出た。


 協力者を募って不正に許可とデバイスを得るほか、指導員のみ使える通用口があって、それを使って外に出た一瞬の隙に逃げ出したなど。


 有り得ないことではないが、疑問なのはそこまでして逃げるメリットが思い当たらないこと。


 本当に外へ逃げ出せたとして、当人は今まさに学徒に行方を追われている。指導員一人捕まえるのであれば、手掛かりゼロでも12時間かからない。


 学院の子どもが鬼ごっこしてるのとはわけが違う。もしかしたら、三コマ目の講座が終わる頃には掴まって戻ってくることすら有り得る。



 自分で言うのも何だが、私達に追われるというのは恐怖でしかない。なんせ、"死ぬか・殺されるか"の場面で、"殺して戻る"為の訓練をしてる連中だ。



 一方的な蹂躙が着実に迫ってくる感覚。逃亡は、殺害を嘆願書にして出すようなもの。



 そして捕まった後どうなるかというと、お察しの通りだろう。色んな意味で、今までと同じ生活は送れなくなる。



 死の淵から生き地獄へ引きずられる。その恐怖よりも強い思い入れのあるナニカがあるのか。いや、それもそれで考えにくい。此処はそもそも死なない言い訳で出来た場所だ。地上に恨みはあっても未練はない。



 するとやはり、現実的且つ可能性が高いのは二つ目。



 失踪という扱いにして、実際は地下の何処かで消された。



 これなら、消えた理由も説明できるし、逃げられない環境とも矛盾しない。現状、もっとも整合性の取れた理論だといえる。



(となると、今までのもやっぱり……)



 イヅモは壁から離れ、教室中央の十字の上に立つと、眼を閉じて深く長く息を吸う。



 失踪による代理には、これで6度目。その度単独で行方を調べていたが、どれも共通していたのは、失踪した指導員が使う予定だった教室に、大なり小なりの変化があったこと。




 ほぼ確信に近い疑念だったが、これで漸くハッキリした。




 指導員の失踪は逃亡ではなく、使われるはずだった教室で消されている。



 しかしそうなると、また新しい疑問が浮かび上がる。



 誰が何の理由で指導員を消したのか。そして、どうして使われるはずだった教室を使うのか。


 前者は消した張本人、もしくは消すのを指示した奴に話を聞ければ手っ取り早いが、どちらにしても無理だろう。

 まぁ、地下ここで消されるとくれば、言わずもがな。



 それより、気になるのは後者。



 教室を使えば、その前後を含めた監視カメラの映像や、カードの使用といった足跡ログが残る。

 加えて失踪後教室を閉じず、通常通り講座を続けるとなれば、現場を多くの学徒や指導員に眼に触れさせることになる。


 その為の隠蔽も、ど素人がやったみたいで些か雑だ。実際、いち学徒であるイヅモにすら、此処が実行現場であることを見抜かれている。



 考えるほどリスクばかりでリターンが思いつかない。

 堂々巡り。理由ワケが分からなくなってくる。



 まるで、までを前提としているようかのよう。



 失踪は前座。気付かれるまでが序章。何者かが描いたシナリオが、着々と進んでいる。



 何処をエンディングに定めて動いているのか。興味がないわけじゃないけど……



(それを突き止めるのも、妨害するのも、私の仕事じゃない)



 誰が犯人だろうが、どんな理由だろうが、勝手にシナリオの登場人物にされようが。

 それがイヅモの生きる理由を害するものでないなら、どうだっていい。



 イヅモのバットエンドをもたらさないなら、どうだっていい。

 やりたい奴だけ好きにやれ。こっちから干渉はしないし、噛みついてこなきゃ、こっちも噛みつかない。



 そもそもが個人の調査だ。放っておいた結果、学堂が滅んだところで私には関係ない。



 自分の命を賭して、自分の命より大事な者の為に動く。

 その邪魔にならないなら、てめぇらの好きにやってろ。




 陰も呼吸もないシナリオ奏者のいる会場で、イヅモは一人、背負った命に向けて心臓を鳴らす。




『こっちはこっちで、勝手に独尊ご都合様でやるだけだから』



 そう吐き捨てるように、イヅモは踵を上げて軽くステップを踏むと、何物もない空に向かって、拳を振るった。

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