1.7 光の無い地下の種
特休明けの講座後。薄暗い階段に、冷徹な足音と制服の擦れる音が反響する。静かに地下へ向かうイヅモの顔は、悶々とした表情を隠すように無機質だった。
つい先日。降って湧いたパートナーとの初業務で感じた違和感。
一条入陽には、自身を人間たらしめる何かが欠けている。この二日、イヅモはその正体をずっと探っていた。
だが探せば探すほど。正体の輪郭は眩み、血みどろあの姿が、いつまでも記憶の中に、絵画のように残っている。
服の前後を間違えて着ていた。最初はその程度で収まっていた違和感は、もう過去のこと。いまは、まるで異星人とでも接しているように、理解が遠のいている。
単純な平和ボケしたお花畑とは訳が違う。恐らくアイツの花畑には、血染めの薔薇さえ、自然の産物として植えてある。
生まれ持っての特性じゃない。育つ過程で誰かがそうなるように、意図的に仕組んだとしか思えない。
そして本人の話に嘘が無ければ、その誰かは──……
(黒ミノムシの野郎ってことになる……)
あの雨の日。煙を吹かしながら、路地裏に捨てられた自分達を地下に誘った、黒コートのあの女。
蹟フォルミーカ学堂長及び総指揮。
この地下に広がる巣の嬢王蟻。『大魔女』
本名から生い立ちに至るまで、自分にまつわるあらゆる情報をそのコートに内に隠し、身内である地下の人間にも、その影さえ踏ませない謎の人物。
もし本当に、その大魔女が、入陽の育ての母なのだとしたら。
(いや、仮にそうだとしても。その結果アレだってんなら……)
あまりにも出来過ぎてる。
自分の育てた娘を現場で実験するために送り込んだのだとしたら。
私をパートナーに選んだのは、事情で言い返せない都合のいい学徒だからではなく、絶対に実験その物を中断させたくないから。
この学堂にいる学徒は、全員捨て子だったり売られた子だったりと、壮絶な幼少期を送ってきた人物ばかりだが、何も異常者の集まりじゃない。
学徒には心があり、互いに繋がり、よく笑いあって、兄弟のように想い、失った時は故人以上に後悔する。こんな場所でも、優しさを育む環境は充足している。
二度と地上で普通の生活は送れない。けれど此処の学徒はみんな、ちゃんと、真面で生きてる。故に殺しは意識的であって、ちゃんとストレスになる。
だから、入陽は真面な学徒とは組ませられなかった。
あんな殺しの様、ただ見てるだけでも耐えがたい苦痛だ。必ず喪失者が出る。しかし、それでは実験はままならない。だから大魔女は、娘のパートナーに私を選んだ。
明日一緒にお昼を食べよう。そんな約束さえ叶わないこの地下で、絶対に破ることの許されない契約を個人的に交わしたイヅモなら、実験を滞りなく進められる。
自分が死のうが、生きたまま心が死のうが。決して折れることを許さないバックボーンを持つ存在。それが九重出雲だった。
あの日からずっと。私は魔女に使われ続けている。
決していい気持ちはしない。けど、いまのイヅモには、自分の感情より優先すべきものがある。
だから──
(やってやるよ。お前の娘とのパートナー)
階段を下り終え、見慣れた鉄扉を開けて中に入る。
そこには水槽の面影はなく、スタジオのような広い一部屋に変わっていた。
打ちっぱなしのコンクリートの床に、四方全てに掛かる遮光カーテン。部屋の中央には箱馬が平たく積まれており、真上に構える照明が煌々と舞台を照らしていた。
「お疲れ様です九重さん。体調は如何ですか?」
舞台上に一人立っていた加々宮は、イヅモに気付くと小さく手を振って出迎えた。
「風邪も引いてないんで、別に健康ですよ。てか、なんで
「
加々宮の素直な返しに、イヅモは一瞬面食らう。
「なんか、意外ですね」
「意外ですか?」
「小さい電気もそうですけど、加々宮さんが寝てるとか、あんま想像できないです」
「たしかに、余り長くは寝ませんね。でも、それはお互いさまでは?」
「…そうですね、
最後に寝ぼけたのも何時だったか。イヅモも振り返ってみるが、向こう数年には、思い当たる節が無い。
そも、眠りたいという気持ち自体、ここでの生活が長くなるに連れて薄らいでいっている。特休日だった昨日も、結局合計で一時間も眠らなかった。
確かめるように涙袋を撫でると、そういえば、と思い出す。
鏡に映る自分の顔に、長らく隈を見ていないことを。
人のことを散々言っておきながら、自分だって十分人間離れしてきているのだと実感していると、背後の鉄扉が再び開く音が聞こえた。
「お、ちょうど一条さんもいらっしゃいましたね。おはようございます」
「うんにゃあ、加々宮先生、おはやぁう、ございますぅ…」
ぼさぼさの頭に、左右で色の違う靴下。肩のズレた制服姿の入陽は一つ大きな欠伸をすると、瞼を擦りながらステージに上がってきた。
「随分と眠そうですが、夜更しでもされていたのですか?」
「いんやぁ、そんなことはしてないんですけどぉ。ただ、想像してた以上に緊張してたみたいで。業務後ずっと興奮しちゃってて、今朝になってようやく寝れたんですよねぇ」
なるほど。だから今日は講座で姿を見なかったのか。やかましいのが続いてたから、久しぶりに静かに過ごせたのは、偶然にもラッキーだった。
「あら、それは大変でしたね。でもご安心ください。お二人の業務は前回で完了しましたので」
「ふぇ!? でも今回のって殲滅するまで続くんじゃ……」
「だから、その殲滅が終わったって言ってんだよ」
「……つまり、どういうこと?」
理解の悪いパートナーに、イヅモは視線を逸らして。わざと大きい溜息を吐いた。
「つまり、今回の業務は我々が殲滅する側だった、ということです」
加々宮はどこからか印刷された資料を取り出し、入陽に見せる。寝ぼけ眼の入陽は細かく瞬きを繰り返しながら、紙面に顔を近づけた。
「今回の業務は元から二組に分類があったのです。一つはお二人のように、上の防衛をする防衛組。もう一つは、敵基地を攻める殲滅組です」
鳩が豆鉄砲を食らったよう、とはよく例えたものだ。加々宮をじっと見る今の入陽の顔は、まさに言葉の通りの鳩の顔だった。
「今業務は依頼主も敵もかなり大きかったので、殲滅に多く人員を投入しました。作戦自体に失敗はないと思っていましたが、不安だったのは、人数を使った為に手薄になった本陣を攻め込まれること」
「
二人の冷静な説明に、入陽は頭を抱える。どうやら寝起きの頭にはキャパオーバーだったらしい。
もう説明すんのめんどくさい。イヅモは呆れの感情を込めて、無言で加々宮と目を合わせる。
イヅモの意思を掬った加々宮は小さく頷くと、資料と自分達とで視線を飛び回す入陽に身体を向けた。
「一条さん。今回一条さんが接敵したのは、どこに所属されている方々か、分かりますか?」
加々宮の問いに、入陽は大きく首を横に振る。
「分からないです。ケツ持ちも、ナントカ組みたいなのも名乗ってもなかったですし……」
名前で威嚇する文化は、昔こそ礼儀のようなものだったかもしれないが、今時は自ら所属を明かすのは、無暗に情報を漏洩させる行為としてタブーとされている。
戦いは常に情報戦。技術の進化した現代で、その価値は比べ物にならないほど高くなっている。名前一つからでも、組織の繋がりや人員の特徴までを掴まれかねない。
時を重ね、沈黙は黄金よりも遥かに高価に物質に生まれ変わっている。伝統芸能も、時代に合わせて形を変えるというわけだ。
というかケツ持ちって、いつ時代のアングラ自由業を想像してんだ。
「それに! もしあの人たちが一緒のグループなら、戦い方も癖もバラつきすぎてます!」
あの殺伐の場で、そこまで察せられるほど冴えてるくせに、なんでこういう話になると鈍いんだ。こみあげる疑問をイヅモは寸でのところで飲み込む。
「さすが一条さんは敵をよく見ています。つまり、その通りです」
「……合ってるってことですか?」
「はい。今業務で一条さんが接敵したのは、殲滅対象の人員ではなく、学堂が手薄になったのを聞きつけた第三者の寄せ集めです。冷蔵庫にあるもので作った、急拵えの寄せ鍋みたいなものです」
「なるほど分かりやすい! さすがは加々宮先生!」
何だか合点がいっているようだが、本当に今の説明で理解できているのだろうか。
「だから戦闘にまとまりがなかったんですね! ある物ばっかり入れたせいで鍋の味がまとまってないみたいに!」
(なんで今ので理解できたんだよ……)
イヅモは無意識に額を抑える。
「えぇ。そして出払っていた殲滅組も、業務を終えて無事帰還。運も味方して死傷者ゼロの大成でした」
これ以上ない朗報に、感じていた頭痛の気配が微かに弱まる。ただでさえ頭数が減り気味な中での死傷者ゼロはかなりありがたい。これで半分にでもされてた物なら、皺寄せが決壊したダムの如く押し寄せていたところだ。
「ということなので、お二人は明日から通常通り講座に戻ってください。また、今後は指示が無い限り、業務は二人で行うのが基本となるので、是非ともこの間に親睦を深めていただければ」
加々宮の提案に、入陽の重たかった瞼が軽快に持ち上がり、恒星のように瞳を輝かせる。
「そうだよイヅモちゃん! ワタシ達もっと仲良くなろ! 三日三晩を三連続で過ごせるくらいには仲良くなろ!」
「じゃ、お疲れ様です。私は寮に戻ります」
「はい、お疲れさまでした。ゆっくり休んでください」
「二人揃って無視しないで! 心が痛いです!」
鬱憤を吐きだしながら、入陽は一足早く舞台を下りたイヅモの背中を追いかける。
「そうだ。お二人に言い忘れたことがありました」
舞台に残っていた加々宮が、二人に向けて声を上げる。鉄扉に手を掛けたイヅモは静かに振り返ると、ぼさぼさの頭を手櫛で梳かしながら近づく入陽も、それに倣うように加々宮の方を向いた。
「分化させる為に、全組共通で色による組名を付けることになりました。お二人はヴィオラとマゼンタ。指定は特にないので、お好きな方を選んでください」
見分けやすくするだけなら、別に色じゃなくて数字とかでもいいのではとも思うが、加々宮に言ったところで無意味だし、今日はもうこれ以上頭痛に悩まされたくない。
「ヴィオラって花ですよね? 色の種類けっこうあったはずですけど、どれですか?」
「紫と聞いています」
「じゃあそっちで」
「え、なんで!? イヅモちゃんは絶対マゼンタの方が似合うのに!」
「マゼンタはお前の方が似合うと思うから譲ってやるよ」
「ホントに!? 本当にそう思う!?」
「あーホントホント。神に誓ってホント」
明らかに棒読みだったが、当の入陽が手足をばたつかせて喜んでいるのなら、これ以上何も言う必要はあるまい。
神様如きに誓ったところで、この場所では何の意味もなさないことも。
舞台上で微笑みながらやりとりを見守る加々宮を一瞥し、隣で妄想を広げる顔までマゼンタ色のパートナーを置きっぱなしのまま、スタジオを後にする。
どうにも、こいつと絡むと調子が狂う。大魔女のこともハッキリさせたい所だが、それは時間をかけての方が良い。
あまりズケズケと入り込んで、本人にまで話が届いたら困る。ただでさえアイツは、こっちをいいように扱ってくるのだから。
「ぐふぅぅぅえへへへへへっへ。イヅモちゃんったら褒め上手なんだから~もうっ!……っていない!」
「もう階段を上って行かれましたよ」
「ありがとうございます加々宮先生! 今度菓子折り持ってきます!」
勢いよく扉を開けて、イヅモの後を追いかけていった入陽。鉄扉が閉まる数秒の間、先に行ったパートナーを呼び止める声が、階段中に木霊していた。
「なんだかんだ、良いコンビになれそうですね」
何処からともなくタブレットを取り出し、二人の資料に認可印を押しながら、加々宮は嬉しそうに、そう零した。
ヴィオラ≒マゼンタ
第一章 建前と本音 終
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