1.6 白銀は染まらない

 雨は嫌いだ。

 否応にも、を捨てた大人と、拾った大人を思い出すから。



 けど、地下ここに来てからは少しだけ、この嫌悪感も多少マシになった。


 外の天候すらはっきりしない地下なら、雨でも晴れでも関係ない。

 そして今日みたいに、雨に濡れなきゃいけない時は、いつも命をやりとりをしてる。暇がなければ意識は晴れる。大人を忘れて、命に没頭できる。



 雨露に霞んだ火薬の香りは、煙としては上らず、湿気に巻き取られて地に伏せる。此処だけで吸える銘柄の煙は、鬱屈とした感情を鉄の匂いと共に浄化する。



 血生臭さが身体に染み付くたび、私は雨に鈍くなっていた。



「ンだぁてめェら。メスガキ二人が何しに来た」



 これ見よがしにバズーカ砲を肩に抱えた男は、刀を抜いて迫るイヅモに近づき、メンチを切る。


 いつものことながら、こういう奴らは示しを合わせたように、同じことしかしてこない。性別から罵り、扱えもしない武器で威圧し、平たい顔の筋肉を必死に引っ張って、眉を上げて睨みつける。


 自動学習プログラムが生まれ、腕時計だって多機能になったご時世だというのに、チンピラの威嚇だけは変わらない。もはや伝統芸能と同等と思えてくる。



「そらぁこっちのセリフだ。アンタらこそ、そんな物騒なモンバズーカ担いで何しに来た。ココは軍事施設でも射撃場でもねぇぞ」



 一切怯むことなく、イヅモは冷めた目と乾いた声で男を見上げる。



「あァ? 馬鹿かてめェは。ンなこととっくに知ってんだよ。ぶっ殺されてェのか!」


「そうか、そりゃ失敬。あまりにも学がある連中に見えなかったもんでさ」


「──っメス如きが舐めやがって…!」



 男は額に青筋を浮かばせバズーカを放り投げると、贅肉でピチピチになたジャケットの内ポケットから拳銃を取り出し、イヅモの眉間に押し付ける。



 ほんと、これだから上の防衛は嫌いなんだ。



 侵攻だったら、とりあえず根城ごと壊せばいいのに。防衛だと殲滅優先と言われつつも、結局は校舎を壊されないような立ち回りをしないとならない。


 別に自分が通ってるわけでもないし、一生関わることがないだろう坊々ボンボンの来る所を、なんでわざわざ地下から上って守護らなければいけないんだ。


 壁の一つや二つ壊されたところで、直す金は幾らでもあるだろうに。バカ高い学費とってんだから。



「てめェは知らねェだろうが、俺らにとって人殺しはメシ食うのと変わんねェんだ。お前がまだ生きてんのは、俺らの慈悲だってことを理解したほうがいいぞ」


「奇遇だな。私も業務でなけりゃ、こんな雨の中で臭い男と見合ったりしないよ。アングラのアンタがこんな若い女の子と話せてんのは、私の優しさってわけだ」


「殺スっ!!!」



 指が引き金を引いたと同時に、骨を振動させる銃声が、木々を揺らして夜に響く。数秒の間が空いた後、背後の男たちが、山彦やまびこのように騒めきはじめた。


 違和感に、イヅモは振り上げた長刀を見る。男の右腕を切ったはずなのだが、手ごたえが一切なく、刃先には血の一滴さえ付いていない。



 切り損ねたのか。疑問の答えは、足元に転がっていた。



 心臓を上に、回復体位で倒れている死体は、治らない命に匙を投げたかのように、瞬く間にその血液を水溜まりに広げていく。

 源泉は、頭蓋を横から撃ち抜かれた為に出来た風穴。切ったと思った右腕は、死体になっても男の身体に付いたままだった。



「何でこのタイミングで撃った一条。も少し引っ張れば、コイツら激昂させられたのに」


「──るい……」


「あ? 何て言った?」


「ずるい! その人だけイヅモちゃんと向かい合ってお話してずるい! ワタシも向かい合っておしゃべりしたい!」



 ピアノ線のように空気の張り詰めた戦場に、突然放り込まれた乱反射するゴムボール。見慣れない物体に、慣れた者達の思考は一切に止まり、ボールの持ち主だけが平然と動き、跳ねる球を回収に来る。



「いいや、それだけじゃ足りない! どさくさに紛れてちゅーもしたい。さらに理想を言うならイヅモちゃんからアッ………ツイのをされたい!!」


「さっきから何言ってんだお前は!」



 やはり思考回路が理解できない。いま此処は命のやり取りをする場所であって、火薬もない不満を爆発させる場じゃない。



 死が次の瞬間に、絶え間なく連続して在る時間。


 だからこの男が殺されたのも、一条が殺したのも、この環境下では至極当然のこと。

 そういった意味では、入陽コイツは此処の性質を理解している。なら、どうして関係のない嫉妬話を挟み込んでくるのか、余計に理解できない。



「なにって、ラブコールだよ! ワタシからイヅモちゃんへの弾丸よりも速い熱烈な愛だよ!」



 入陽の告白を追うように、男たちはコンサート会場が如く野太い叫び声をあげる。互いの手にハンドマイクでも握っていれば最高潮だったろうが、夜天に雨では身体は冷えていく一方。


 そして男たちの叫声も、別に盛り上がってきたからのモノじゃない。目の前で味方が殺されたのに、平然と会話してるクソガキにムカついたからだ。



「その"こーる"のせいで、コイツの脳天ぶち抜かれてんだけど?」



 足元でずぶ濡れになった男の死体に、イヅモは長刀の刃先を向ける。



「それはぁ、あれだよ。え~と~、その~……」



 言葉に迷い思案する中、怒声を上げる男たちが、バチャバチャと水溜まりを踏み越え迫る。イヅモは薄氷の張った水面を削るような一閃を描き、刃に滴る雨粒を振り払う。


 そして、宙を舞う露と空を切る音に、頭を澄ませた入陽は表情を明るくし、硝煙零れる銃口を掲げた。



「分かったよイヅモちゃん! 『愛は狂気」ってやつだよ!」


「愛じゃなくてもお前は十分狂気だし、いま持ってんのは武器だろうが!」


「イヅモちゃん凄い! 冴え渡ってるよ!」



 展開の早いキャッチボール。その球を打ち飛ばすかのように、敵の一人が声を荒げた。



「シカとこいてんじゃねェぞガキどもがぁ! 両方ともブッ殺せェ!」



 重々しい足跡を鳴らす男達の行進に、タイル張りの地面が僅かに振動する。雨粒の隙間に散る罵声。熱で蒸発した水蒸気をも、自身の速度で揺らす弾丸。


 入陽はそれを、人混みを抜けるようにスルリと躱すと、両手の銃を軽快に回しながら、舞うようにして撃ち抜く。

 対するイヅモはその場を一歩も動かず、曲線をなぞるように刃を振るって、迫る弾丸を縦横に斬り裂いた。



「おぉイヅモちゃんカッコいい!」


「無駄口叩いてんなよ。こっちは死ななくても壊された時点で負けなんだ」


「あいあいさー! 最愛のパートナーの為にも、入陽は頑張ります!」



 薬莢やっきょうの跳ねる銃を額にあてがい敬礼しながら、空いているもう片方の銃で、爛漫に敵の血潮を飛び散らす。イヅモはその姿を冷めた目で掠めつつ、向かってくる敵の身体を音もなく斬り裂く。



 雨に混ざった鮮血を浴びて、真っ黒な装束は赤黒く変色していく。

 弾丸を斬るのに集中したせいか。滾った血潮が感覚を鋭く研ぎ澄ます。



 うずくまる男たちの呻き声が騒々しい。



 舌の上で擦れる鉄の味。鼻の奥に滞留する血生臭さ。

 宙に舞う雨粒の形さえはっきり見える。

 そのせいで余計なノイズが増えて邪魔くさい。


 何もかも煩い。うざったい。頭が痛くなる。

 銃声も、安い怒号も、がぼたぼた落ちるのだって苛立たしい。

 唯一、肉を斬った感覚だけが鈍いのが救い。だが、それは当然のこと。



 だってそれは、自分がそう思えるようになるまで。

 その為だけに、刀も技も磨き、研ぎ続けてきたのだから。

 腕が、足が、指が。廻って落ちて、飛沫を上げて。

 空気の抜けたボールのように、少しだけ跳ねる。



 ただ業務を遂行するために動く身体は、脳に余計な情報を送らなくなる。いまイヅモの頭にあるのは、人間の生死を判断することと、生きた人間を最短で斬る方法。



 自身の身の丈ほどある白銀の、最適の振り方。

 殺すほど音が減って、霞んでいた雨音が息を吹き返す。

 このまま全員殺せば、音の少ない、静か場所に戻るだろうか。



 顔も知らない、当たり前のように恵まれた坊々ボンボンが、無邪気に平和を堪能する。クソくらえの日常を、クソくらえと思いながら、守れるだろうか。



 毛先から垂れる水滴には赤が混じり、首筋を流れる汗は鎖骨に落ちて、小さな水溜まりを作る。



 悪夢を振り払うように、イヅモは長刀を翻した。



 やがて集中が切れはじめ、霧がかかったように、意識がぼんやりし始めた頃。先ほどまで男達で隠れていたバンが、いつの間にか目の前まで近づいていた。



 何事かと考えるが、頭が答えを出すよりも先に後ろを振り返る。

 そこには、バラされた多くの肢体と、斬り痕と銃痕に塗れた死体が、タイルが見えなくなるほど積もっていた。



 手元の時計を確認する。時刻は零時を少し回ったところ。どうやら、二時間も斬り続けていたらしい。



 いつもならしっかり記憶があるはずなのだが、今回はどうにも朧気だ。斬った覚えは確かにあるのに、戦っていた記憶が無い。


 蟀谷こめかみ鵐目しとどめで叩き刺激するも、思い出される映像は、夢のように粗雑で乱れている。順番の疎らになった記憶を必死に洗い出そうとするが、脳は膿が溜まったみたいに重く動かない。



 イヅモが自身のスペックの低さに苛立っていると、ゴミのように重なった死体の山から、震えながら立ち上がる姿が見えた。

 肩で息をし、今にも崩れ落ちそうになりながらも、男は手近の鞘を杖代わりに、寄り掛かるようにして立ち上がる。


 男は、血で塗れた前髪の奥から、殺意の籠もった視線をイヅモに向ける。


 あれだけ斬っても、刃毀れの一つもない白銀。

 瞳のハイライトを消したイヅモは再び、その怪しく冷徹に耀かがよう長刀を構える。



 だが、イヅモが振るうよりも先に響いた発砲音が、男の身体を弾き飛ばした。



「イヅモちゃーん。多分これで全員みたいだよー!」



 返り血にワイシャツを染めた入陽が、飼い主を見つけた子犬のような明るい表情で、イヅモに向かって、銃を持った手を振る。


 両者ともに無傷。校舎にも一切の破損無し。胸を張って完全勝利と言える結果。


 しかしイヅモの目には、得体の知れない感情が影を落としていた。



(やっぱりコイツは、何かが欠けてる)



 銃を握ってから、最後の一人の頭を打ちぬくまで。入陽の表情は曇るどころか、緊張の色さえ見せなかった。



 生きていく為と割り切り、何回も経験したイヅモでさえ、未だに最初の一太刀は、無意識に避けてくれと願ってしまう。


 それを、編入初日でいきなりの業務のはずのコイツは平然と。当然のことのように、引き金を引いた。そして、ただの一発も外さなかった。



 それもほとんどが即死の急所。他も手足を中心とした、的確に敵の機能を奪う部位ばかり。



 硬い緩い以前の問題。恐らく、いや、ここまで来たらもう確定だ。



 入陽コイツには、傷つけるという行為に対してのリミッターが存在しない。



 敵であれ人間。その人間を殺すことをも日常的で、一切の抵抗が無い。


 そう思えてしまうほど、残酷で、残忍で。正確無比な無邪気な銃創が、入陽の撃ちぬいた死体には溢れている。



 死体の山に立ちながら無垢に笑うパートナーに、イヅモは疑問以上、不安未満の感覚を心に抱える。


(しかも、あの壊れ方は、まるで……)


 頭の中で、いつか見た大魔女の姿が、血みどろで笑う入陽の姿と重なった。


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