1.5 赤らんで不穏

 便宜上の地上階を基準に考えると、加々宮の部屋は地下七階にあり、その間の階層にもそれぞれ部屋がある。それに対して、上りは一階分しか存在しない。


[up]の表記に沿って階段を上った先。明滅を繰り返す蛍光灯の下に佇むのは、蛇腹扉の手動エレベーター。この薄暗い地下から唯一、地上へと繋がる移動手段。



「……この学堂って、教室とかにはお金かけてるのに、こういうのは旧いデザインのまま使ってるよね。物を大事にの精神なのかな」


 古臭いエレベーターに毒されたのか、随分と中年じみたことを言う入陽。血で汚れた喧嘩後のヤンキーのような制服から、ワイシャツと黒のパンツスーツとシンプルなスタイルに着替え、両の脹脛すねにホルダーを装備している。


 下ろしていた長い髪は、巫女のように白布を二か所にあてがい丁寧にまとめていた。



 その隣で、共にエレベーターが来るのを待つイヅモ。


 身体と服の隙間を失くすような、ピッチリとしたタートルネックに、同じくピッチりとした七分丈のスキニージーンズ。

 その下のコンプレッションインナーに、被せるように履いた厚底ブーツの紐はきつく縛られ、薄暗い踊場の陰に紛れるように、全身を黒で固めている。


 顎先まで伸びたセミロングの髪を後ろで一つに結び、腰には三十センチほどの短刀と、その三倍ほどの長刀を、柄を互い違いにして構えている。


「大事だから使ってんじゃねぇ。こっちの方が都合がいいから使い続けてんだよ」


「都合って?」



 入陽の疑問に対し、何かを言いかけたイヅモ。しかしその声は間もなく降りてきた籠の騒音に掻き消される。

 降りてきた箱は左右に大きく揺れて停止すると、呼び鈴の音を鳴らすと共に、目が眩む暖色の光を灯した。



「…別に知らなくても困らねぇだろうが、いい機会だし教えといてやる」

 イヅモは慣れた手つきで蛇腹の扉を開けながら、途切れた言葉を続けた。



 エレベーターの中は外見に反して洒落ていたが、地下ここらしく物騒な傷跡で満ちていた。


 昭和レトロを思わせるデザインの木壁のそこかしこに焦げ跡があり、刃物で削られたような傷跡が、喋らない機械の歴史を物語る。塗装が剥がれ落ちて相当時間が経っているのだろう。汚れとは別に、素材のくすみも目立って見える。


 チェス盤のようなモノクロの足元には、シミになった血痕が点在している。新しいものではないらしく、すっかり渇き切っており、靴裏で擦っても落ちそうになかった。



「自分で扉を開け閉めしないとなんだね。ちゃんと使えるようになるまで時間かかりそう……」



 見たことのないタイプの機械に、入陽は若干戸惑いつつも、先に入ったイヅモの腰に据わる刀を追うように、意を決して箱の中に飛び込んだ



「うわッ…なんか今、ちょっとフワッてしたよイヅモちゃん!」


「型が古いからな。乗った重量分沈むようになってんだよ」


 思いがけない仕掛けに、子どものようにはしゃぐ入陽。イヅモはそれを箱の隅に追いやって蛇腹扉を閉めると、真横に設置された、正三角形の絵の描かれたボタンを押した。


 タイプライターのように出っ張ったボタンが、ガシャンと音を鳴らす。十秒ほどの沈黙を置いて箱は左右に大きく揺れると、今度は意外にも静かに上昇していった。



 打ちっぱなしのコンクリートが目の前を流れる中、包帯を止め直しながら入陽が呟く。



「ねぇ、イヅモちゃん。さっき言ってたのって……」


「あ? あぁ、エレベーターこいつふるいままの理由か」



 入陽が頷くと、イヅモは腰の刀に肘を置き、静かに口を開いた。



「このエレベーター、ただ動かすにも手順が多かったろ?」


「うん。自分で扉の開け閉めしないとだ、ボタンを押してから動くのも遅かった」


「それがまず一つ。コソ泥の理屈と一緒で、時間が掛かるって分かった時点でコイツはもう選択肢として省かれる。そうやって、あたかも自然に侵入経路を誘導する」


 まぁ使おうとした時点で馬鹿だけどなと、イヅモは渇いた声で付け足す。


「で、二つ目がこっちの出方を悟らせないため。不思議だろこのエレベーター。下りてくる音はバカでかいくせに、上る時はほとんど音がしない」



 入陽もそこには気づいていた。降りてくる時は骨の上から叩かれるような騒音だったのに、上っている今は空気の流れが聞こえるくらい静かだ。



「万が一これを使って侵入されても、あんだけ音がすれば嫌でも気づく。逆に上る時は耳を澄ましたところで常人には聞こえない。そのおかげで、迎撃でも不意打ちしやすくなる」


「へー、そんな理由が…。でもこのエレベーターって古く見せてるだけで、中身は結構新しいんでしょ?」



 不意の入陽の発言に、イヅモは肩越しに背後の入陽を振り返る。



「どういう意味だ」


「え、だってこのエレベーターって、これが付いてないと動かないんでしょ?」



 入陽はワイシャツの右袖に付けられたボタンをぎこちなく外すと、先刻加々宮から受け取ったデジタル時計を指差した。



「これで誰が乗ってるかを検知して、その人がちゃんと業務に行ってるかを確認してるんだって」


 当然のように語る入陽だが、イヅモはそんな話をこれまで一度も聞いたことがない。



 加々宮からは、この時計型デバイスは業務効率化を図る為の道具だと聞いていた。


 どんな仕事にも言えることだが、業務はただ終わらせればいいわけでない。地下では業務の際は基本的に、今回のように夜から朝までなどの時間制限の設けらたものか、活動可能時間以内の遂行の二種類である。



 そういった緊張感のある状況で、いつものように自分の頭で時間を計測しながら動くのは、脳の処理の手間と負担を増やし、業務の精度低下に繋がる。


 それらを解消するための手段として、学徒には業務時に限り、時間を確認できるデバイスの使用が認められる。一応、時間表示以外にも、バイタルチェックと緊急時の通報機能が備わっていることは知っていたが……。



「お前、それ加々宮さんが言ってたのか?」



 イヅモの問いに対し、入陽は首を横に振った。



「ううん、違うよ。加々宮先生からは『業務中は必ず身に付けてください』とは言われたけど……」



 なら、いったい誰から? 輪郭の定まらない疑問が、イヅモの脳内に霧のように充満する。


 このデバイスだが、学徒への受け渡し、使い方の説明は、担当指導官しか行うことが出来ない。そして、指導員は共通で、他の指導員が担当する学徒との講座以外での接触が認められていない。


 万が一、業務等で接触が必要な場合は、その学徒の担当指導員からの申請がなければ行えない。


 つまり、学徒に業務の話ができるのは担当指導員のみ。他の学徒と業務関係で接触できるのは、本来の指導員が申請を出した時だけという事だ。



 イヅモも、これまで何度か加々宮以外の指導員と業務の話をしたことはあった。だが、時刻表示以外の機能について知ったのもここ数年の出来事であり、永らくの間、時計としてしか使ってこなかった。



 それを、なぜ今日が初日のはずのコイツが知っているのか。



 頭の霧は濃くなっていく一方。蒸れる頭では思考は攪拌していくばかりでまとまらない。


「お前、それ誰から聞いた?」


 遂には推測と納得が動く事を諦め、当たり障りない疑問を吐きだした。

 業務の前という事もあり、出来れば綺麗に解消しておきたかったが、脳がこうなってしまっては、独力では上手くまとまめられそうになかった。



「お母さんから聞いたよ。ここに来る前に」



 視界を奪う霧の中に、無造作に狼が放たれる。危機感を覚えた頭は、何とか理屈を通そうと、身体中から酸素を集める。しかし、どれだけ血と脳を回したところで、熱がこもるばかりで答えは一向に出力されない。


 母親がいる。孤児が集められる地下ココに、コイツは孤児でもないのに来たのか?



 あからさまに入陽を睨む。入陽本人も、さすがにそれが疑念の目であると気付き、両手を振って、すぐに訂正を挟み込む。



「あっ! でも本当のお母さんじゃないよ! 産みのお母さんは、産んで早々にワタシを捨てちゃったみたいで。教えてくれたのは拾ってくれた方のお母さんだよ」



 産みの親についての記憶が人伝てのものしかないところから、どうやら孤児ではあったらしい。


 だが、それにしたって異例だ。



 この地下で。殺伐が空気よりも馴染んだこの地下で、親と呼べるほど親密な存在がいたことを口にした人物など、これまで見たことがない。


 ここで生活する学徒は、みな少なからず親という存在に対して嫌悪感を抱いている。それは孤児であるが故の当然の感情であり、記憶から消したいほど辛い過去だから。



 そのせいか、比較的多くの時間を共有する担当指導員とも、そう呼べるまでの親密な関係になることは、絶対と断言していいほど有り得ない。


 親という概念への不信感が、そのまま大人という存在への不信感になっていると考えられるが、最たる原因は恐らく、それだけ仲良くなる前に、どちらかが先に死ぬことにある。


 この地下では、他人との信頼を覚える時間は充分にない。なら尚のこと、入陽が親と呼ぶ人物は一体どんな奴なのか。


 フォルミーカ学堂への編入に留まらず、この一条入陽という人物には謎が多すぎる。

 謎がまた謎を呼び、その二つが抱き合って、また新たな謎を無尽蔵に産みだしてくる。



「あ、そうだ思い出した!」



 一向に晴れる兆しのない頭を抱えるイヅモを余所に、入陽は明朗に閃く。



「お母さんこの学堂に勤めてる人でね。自分の役職を“大魔女”って言ってたよ!」


「……は?」



 本能が、入陽に短刀の柄を握らせる。


 眉をひそめ、訝し気に入陽の眼を観察するイヅモ。勘の悪い入陽は、その視線を静かで熱いラブコールだと勘違いしているのか。顔をにやつかせ、頬を赤らめた。



(……嘘を言っているようには見えない。でも、あの大魔女が母親だと…?)



 事実じゃないと信じたい自分がいる。しかし、全てに大魔女が関わっているとするなら、ここまでの話全てに辻褄が通る。



 高等部ビヨンドからの編入。講座の初めに見せた軽快に動く肉体。

 デバイスとエレベーターの関連。色盲を突かれた時の手札の少なさ。

 そして、理性と感情の分離した行動形態。何もかもが、自分の知っているアイツと繋がる。



(どういうつもりだ。あの黒ミノムシ……)



 速度を落とした箱は微塵も揺れることなく停止し、呼び鈴を鳴らす。どうやら考え込んでいる内に、本当の地上に着いたらしい。



「到着したみたいだね。さて、初のお仕事頑張るぞぉ!」



 入陽の話の、何一つとて解決には至っていないが、今はそれを考えている時間じゃない。今やるべきは、目の前の仕事に集中すること。


 自身を落ち着かせようと、胸に手を置き大きく息を一つ吐いてから蛇腹扉を開ける。



 背後の眩い光を頼りに、暗闇を真っすぐ進むと、目の前に地下に合ったものと同じ鉄扉が現れる。

 重たく、動きの鈍い扉を押し開いた先。二人が出てきたのは、地下の真上に佇む、聖エラルメリア学園の学徒用昇降口。



「ほへー、なるほど。こっちでは防火扉ってことにして、その裏に隠してるんだぁ」



 感心する入陽を余所に、イヅモは正面出入り口のガラス越しに、外を見つめる。正門までの約150メートルの間に人の気配はなく、左右に均等に設置された外灯は小雨に当てられ、白色に若干の青みを帯びている。



 日中はエラルメリアの学徒が行き交う場所だが、夜になると、埃の一つも落ちていない為に物悲しく、やるせない気持ちになるのだが、どうやら今夜はそうならずに済みそうだ。



「来たぞ、一条。とっとと準備しろ」



 正門前に、いかにもなバンが複数台停車する。雨だというのに傘もささず、ぞろぞろと出てきた男たち。その手には銃から鈍器に至るまで、ありとあらゆるタイプの武器が握られていた。


 壁面に飾られた賞状を眺めていてた入陽は、敵の姿を確認すると、太もものホルダーから銃を抜き、ポケットから弾丸を込める。


「そういえば、イヅモちゃん腰に短刀と長刀しかないけど、銃は使わないの?」


「分解した状態だが、持ってはいる。けど反動がウザイから使わない」


「なるほどー。それよりイヅモちゃん! ワタシもイヅモちゃんに下の名前で呼んで欲しい!」


「やだ」


「冷たい! 冷たいよイヅモちゃん! 外の雨との相乗効果で風邪ひいちゃうよ!」



 短くぶっきらぼうな返答に、入陽は小さく地団駄踏んで反抗の意思を示す。そんな入陽に目もくれず、イヅモは正門からやってくる敵を見据え、短刀と互い違いに構えた長刀の柄に手を掛ける。



「言っとくけど、自分の命は自分で守れ。左手の傷も自分で考えて何とかしろ。雨で火薬湿気っても助けねからな」


「ふふぅん、そういう優しい事言ってくれるから、イヅモちゃんのコトもっと好きになっちゃうなぁ!」


「寝言いてぇならぴったりの時間だ。自称寝かしつけのプロもご来訪したとこだ」



 地面と平行に並ぶ鞘から、独特の冷気を纏った刃を抜く。



 正面の扉の施錠を外し、イヅモは来客を出迎えるかのように、雨降り頻る正門に向かう。入陽はその隣に遠足に行くかのような足取りで並ぶと、水鉄砲を構えるが如く、両手の銃を手のひらで回した。



 手首のデバイスで時間を確認する。時刻は丁度22時。いつ来るか分からなかった敵は、気の狂った謎多きパートナーと共に、大所帯でやってきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る