1.3 輪廻の不具合
「それで、そのコブはどうしたのですか?」
「運命の人からの初めての贈り物です!」
屈託も邪念もない。太陽にように輝く笑顔で、入陽は加々宮の問いに答える
「そうですか、それは良かったですね。ところで、その運命の人というのは?」
一瞬の間も空くことなく、加々宮は会話を続ける。この人は他人の話をどこまで聞いているのか。不気味に思う反面、適当でもいいという安心感は、
「もちろん! 今まさに私の隣に座っているイヅモちゃんです!」
運命の人に向けて両手手でぱたぱたと揺らし、輝きを表現する入陽。そんな絵に描いたような満面の浮かべるのに対し、あからさまに距離を開けて座るイヅモの表情は、これまた絵に描いたような不機嫌顔だった。
「"ちゃん"付けで呼ぶな。下の名前で呼ぶな。それから、私は運命の相手でもねェ。とっとと医局行ってその脳みそ取り替えてこい」
「イヤだよ! 取り替えちゃったらイヅモちゃんのこと忘れちゃうもん!」
間に挟まる見えない壁を無視して、ずいっと身を乗り出し、イヅモの肩を掴む入陽。今にも押し倒さんとするその手の感触に、並々ならぬ気持ち悪さを感じたイヅモは、反射的に身を引く。
が、片時も離れたくないのか。入陽は隅に追い込むように、さらに身を乗り出して間合いを詰めてきた。
「寄ってくんな! わざと距離とってんだから察して離れろ!」
「だって離れたらイヅモちゃんの匂いが遠くなっちゃうじゃんか! 私は使える感覚全部使ってイヅモちゃんを感じてたいの!」
目を見開き、細かく鼻をひくつかせ、入陽はイヅモのいた空間を舐めるように舌を出す。やっていることは犬と同じだが、それが人間の形をするだけで気持ち悪さが何倍にも膨れ上がる。
汚物に絶対に手で触れたくないという強い意志の元。イヅモは中履きを入陽の顔面に押し付けた。
これで少しは大人しくなるはず。そう思ったが、あろうことか入陽は顔面を潰されたまま、イズモの足首を掴むと、そのまま上っていくように足の匂いを嗅ぎ始めた。
「おまッ……何処まで気色悪いことすれば、気が済むんだっ!」
引き剥がそうと入陽の腕を掴むが、骨でも折る気かと思うほどの握力がそれを許さない。呼吸を荒げながら、ストッキング越しに
ソファの肘置きに置いた手に力が籠もる。
いち生物として危険なコイツを、を早く吹き飛ばせと本能が叫んでいる。カチッと、スイッチを押したような音が聞こえると同時に、イヅモは全身を極限まで小さく縮める。
そして次の瞬間。
はるか後方に吹き飛んだ入陽は、床に弾かれるように転がり、水槽が見切れる手前でようやく停止した。敵を排除したことを脳が認識した途端、急に全身に汗が吹き出し、呼吸が荒くなる。
そんなイヅモを余所に、一連のやり取りを素知らぬ顔で眺めていた加々宮は、静かに冷めたコーヒーを啜り、二人の関係を喜んだ。
「とりあえず、無事にお二人の顔合わせが出来て良かったです。少し不安はありましたが、こんなに仲良くなってくれたなら、僕も一安心です」
『一ミリも仲良くねェだろ!』『はい! とっても仲良しです!』
相反する感想が、青紫の照明の下で同時に響く。顔を上げた入陽の顔には、そこかしこにカーペットに擦れた痕が付いている。
小さな鼻からはポタポタと血が垂れており、違和感に気付いた入陽は、制服の袖で乱暴に人中を拭い、その正体を確認する。
さすがに少しはキレるか。そう思いつつも、イヅモは何も言わず様子を窺う。
だが時間が経つに連れ、イヅモの予測とは裏腹に、入陽の瞳はクリスマスに心躍らす子どものように輝き始めた
「イヅモちゃん! 今被ったよね! それってきっと運命だよね!」
「んなわけねェだろうが! お花畑も大概にしろ!」
予想通りに動かない入陽に、分かりやすく舌打ちするイヅモ。そんな事では屈しない入陽はマイペースにイヅモに語りかける。
「ねぇ、イヅモちゃん」
「─っだから、ちゃん付けすんなって言ってん……」
「お花畑なんて、白黒ばっかりで綺麗じゃないよ?」
「あーそーかよ、そりゃ残念ねこと……で……」
ソファから勢いよく立ち上がり、イヅモは自身が蹴り飛ばした者の軌道の先を見る。
「お前、いま何て言った」
ありがた迷惑なほど敏感に音を拾う聴覚に対し、生まれて初めて聞き間違いを疑う。これまで、言葉の意味を聞かれることは数度あった。その度に自分で調べろと罵るか雑に嘘を教えるかしてきたが、花の色そのものについて言われたのは初めてだった。
「あー、ごめんね! 実は私、お花は見たことあるんだけど、お花の色は見たことないんだよね!」
頭を掻いて、自嘲する入陽。その笑みが気を遣ってのものであることは、出会いの浅いイズモにも分かった。
加々宮と目を見合わせる。目尻を下げて顔を伏せたところを見ると、どうやら既に知っていたようだ。
鏡を見ずとも、自分が険しい表情になっているのが分かる。
面倒を吹っ掛けられたと、不快と不満を感じているからじゃない。
形だけでもあるべきの信用。その橋を架ける為の土地そのものに、大きすぎる欠陥が見つかったからだ。
目元に陰のかかったイヅモは、足音をわざと大きく鳴らし、横座りの入陽に歩み寄る。
「わーい! イヅモちゃんが来てくれたぁ! なになに? お姫様抱っこしてくれるの~?」
両手を上げて喜ぶ入陽。それを、正面に立ってそれを見下ろすイズモの瞳は、暗闇よりも冷たかった。
「お前、その鼻から出てるものが何か分かるか?」
「え? それくらいは知ってるよ。鼻血でしょ?」
「じゃあ、その色は」
「赤! ふふーん、私を甘く見過ぎだよイヅモちゃん。血が赤いってことくらい知ってるよ?」
「なら……」
イヅモは身体を九十度回し、入陽に背中を向けると、先ほどまで自分たちが居た空間を指差しながら聞いた。
「なら、あの部屋からお前の血と同じ色の物を選べ」
「え、なんで急に、そんな……」
顔を見なくとも、入陽の表情が険しくなるのが分かった。
「出来たらパートナーになってやる。出来なきゃ二度と私と関わらせない。いいな」
「ちょ、そんないきなり……!」
一方的な条件を押し付けたイヅモはそれ以上何も言わず、蔑むような眼で入陽を睨むと、再び背を向けて奥の空間へ戻って行った
困惑し、座り込んだまま動けない入陽。イヅモが自分を助ける気が無いのは分かった。ならばとイヅモの向かいにあるソファを見るが、加々宮はいつの間にか姿を消していた。
「私がアンタの視界を遮ってる間に、加々宮さんには退席してもらった。もうこの空間にアンタを助ける奴はいない。自分一人で何とかしてみろ」
頭蓋の中で脳みそがグルグル回る。しかし回っているだけで、この状況を打開する策は一向に浮かばない。
どうしようもない無力感と焦りが、入陽の心象を埋め尽くす。
いつも思う。どうして、こんな大事な時に限って、私の眼球使い物にならないのか。
近くと遠くが良く見えるだけで、白と黒のたった二色でしか世界を見れないこの相貌は、ようやく手が届いた運命の糸さえ、すぐに見失わせてしまう。
いっそのこと、抉り取って踏みつぶしてしまいたい。
憧れた彗星が良く見える。それが遠く彼方に消えていくのもよく見える。空の無い地下で、
青い水槽に挟まれた、見たことのない、赤という色の血を流す少女。妙な塩梅で反射する光によって、入陽の目には薄暗い影が掛かっていた。
「私は、アンタが動くまでじっと待っていられるほど暇じゃない。アンタがそこで死のうが座ってようが、二分経ったら此処を出て行く」
「二分って、そんな……。別に! 色が見えなくても私はちゃんと……!」
「口だけの証明しか言えない奴に、私は自分の背中を預けない」
イヅモの低い声に、入陽は背中に錨を置かれたような重みを感じる。
「ここは、命のやりとりをしなきゃ生きられない奴の集まる所だ。明日も生きてるなんて保証は誰も持っていない」
「で、でも…イヅモちゃんは今もこうして──」
「昨日の夜。170いたはずの同級が、今日の朝には135に減った。35人は全員業務に出てた。内、5人は拉致。6人は行方不明。残りの24人は全て死亡。その内2人は強姦の末に頭を撃ち抜かれ、四肢をバラバラにされた状態で現場に放置されてた」
「う、そ……そんな……」
鼓膜がイヅモの声を知覚すると、脳は勝手にそれを処理し、勝手に想像上の映像を作り出す。イヅモの言葉に嘘が無いのは直感で分かった。分かるせいで、頭の中の映像は、スクリーンに投射された映画のように鮮明に再生される。
自身の作った幻想に、イヅモの身体は従順に反応する。胃の底から食道を伝って流れこんだ液体が、酸性の匂いを伴って喉奥から溢れ出た。
「上がどういうつもりでパートナーを組ませたいのかは知らないが、指示書通り生存率の向上を目指しているなら、その率を大きく下げる欠陥を持ったアンタと組む理由はない。足りないモンが増えるだけのパートナーなら、今ここで死なせた方がいい」
運命は、逃れられない現実を盾に、入陽を突き飛ばす。
(こんな素直に嫌われちゃったら、もう諦めるしか無いのかな)
入陽の頭が、逃避の算段を組み始める。確かに、イヅモの言う通り。私の持ってる欠陥は、いつか彼女の足と手に纏わりつく鎖になってしまう。
普通さえ欠けてるくせに、想いは通じると思ってしまう。
そんなの、最初から無理だったんだ。どうしたって、どうにもならない私は、諦めて殻に籠っておくべきなんだ。
自らを包む陰りに、入陽はどうしてか安堵を覚えた。
しかし不意に、沸き立つ。
冷徹に思考を巡らす頭に、邪魔を意思があった。
──この心は、まだ
「まだ、諦めたくないって言ってる」
渇いた鼻血を両袖で拭い、入陽はゆっくりと立ち上がる。床にまいた吐瀉物を踏みつけ、汚らしい足跡を、空間に向けて真っすぐに残す。
空間に入った入陽を、イヅモはなにも言わず、腕を組んで様子を窺う。
「ねぇ、イヅモちゃん。一個だけ質問」
「チャンスは一回だけ。後日のやり直しはない。答えはこれで十分か?」
先を読み、聞かれる前に甘えを切り刻んだイヅモ。その返答に対し、入陽は「ううん」と小さく首を振ると、微かに微笑んで続ける。
「私は、この空間で私の血と同じ色の物を探さないといけないんだよね?」
「あぁ、そうだけど」
「じゃあ、その色を探すのに、この部屋の物を使うのはアリかな?」
質問の意図が分からず、イヅモは内心首を傾げるが、悟られぬよう顔には出さず、間髪開けずに答える。
「それは構わないが、この色とこの色を組み合わて赤色~なんてのはナシだ。一点で一色。それが条件だ」
「そっか、それなら良かった」
深く息を吐いた入陽は、机に残された加々宮のマグカップを取り上げる。
底の方にまだ黒い液体が残っている。どうする気だと伺っていると、入陽はカップを逆さにして中身を捨てると、そのまま腕を強く振りぬき、カップを机に叩きつけた。
砕ける音と共に破片が辺り一面に飛び散り、僅かに後ろに飛んだ破片が、水槽に傷をつける。
今度はイヅモが困惑する番。茫然と立ち尽くしていると、入陽は破片の中から、握るのに手頃な大きさのものと、比較的形の綺麗に残った底の部分を見つけ、拾い上げる。
「イヅモちゃんの言う通りだね」
静かに呟く入陽の立ち姿に、イヅモは不覚にも目を奪われる。互いに切迫したこの局面で、教室で見た、あの気品引き出したのは、紛れもない、入陽自身の度胸だった。
「自己紹介に追加しとかないと。私、一条入陽は……」
血のついた袖を捲り、露わになった左の手首を、底の破片の上に
「好きになった人には、輪廻ぶっ壊すほどしつこいぞって!」
右手に持ったもう一つの破片が、入陽の清廉な手首を抉り裂いた。
「な…! お前、何やってんだ!」
「えへへへ……これしか思い浮かばなくってさ……でも、これで私の勝ちだよ」
鮮血が流れ出る。見るだけで太ももが震える痛みに、入陽は顔を歪ませる。だが、それさえも打ち破るように。入陽はその口角は高く上がり、堂々たる笑顔で、グラスの底に溜まった血を差し出した。
「さ、これが私と血と同じ赤色だ……! 約束通り、パートナーになってもらうよ!!」
血潮を溢し、それでもなお微笑む入陽。イヅモは返事を返す代わりに、急いで制服を脱いで、入陽の腕を縛る。
「……私は大概の人間が嫌いだけど、お前みたいに頭のイかれた奴は特段に嫌いだよ!」
目を見ず、傷を見ながら罵声を吐いたイヅモは、減速した出血にとどめを刺すように、素手でその傷を握り込んだ。
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