第一章:建前と本音

1.1 馬の骨は歩かない

「ねぇ、あれってさ…」


「そうそうあの子だよ…中等級セミクラスの時に傷害起こしたっていう…」



 ただ廊下を歩くだけで、同級は私に蔑みの視線をぶつけ、聞こえるように陰口を言う。


 初めは聞こえた傍から黙らせてきたけど、いくらやっても収まる気配が無かったから、ここ最近は頑として無視を決め込むことにした。



 一方的に我慢しなければいけないのはストレスだが、喉元過ぎれば熱さを忘れる。常にノイズを気にしているよりかは、遥かに楽だった。



 食堂に向かう同級を避けるように進み、廊下の突き当りを右折する。

 正面に現れた重厚な鉄扉を踏ん張って開けると、うすぼんやりとした蛍光灯が照らす踊り場に出た。



 足元に階数の表示は無く、壁には上昇を表す[up]と、下降を表す[down]の表示が、矢印と共にあるのみ。



 ひんやりとしたステンレスの円柱に手を添えて、イヅモは足早に階段を下っていく。



「やっぱ、ここだとノイズが少なくていいなっ!」



 自身の足音だけが反響する空間に感動しつつ、最後の四段を飛び降りる。膝を使って柔らかく着地することで硬直を失くし、タイムラグなく次の階段へ足を進められる。



 運動神経の良し悪しを考えたことはなかった。何分なにぶん、小学校の体育すら受けたことがないからだ。


 そして何より。ここで生活を続けるには、この程度のことは呼吸と同等に出来なければいけない。



 中でも特別な事情を抱えるイヅモは、より自分の有用性を示さなければならない。でなければ、一生をこの地の底の掃き溜めで過ごすことになる。



 そんなことは決してあってはならない。


 全ては、自分の命より大切なモノのため。



 止まることなく階段を下りて行き、数分で最下層に到達する。階数が分からない為に本当に最下層かは定かでないが、階段が途切れたとなれば、ここがそうだと思うほかない。



 入り口のと同じ扉を開け、中に入る。



 青紫の不気味な照明に、ブルーグラデーションのカーペットが敷かれた通路。踊場との照明の差に、イヅモは反射的に目を伏せる。

 左右を水槽に囲まれた薄気味悪い空間。擦って眼を慣らしたイヅモは、その奥にある手広な空間に目標を定める。



(今日は水槽の日か。前回は確か、火山地帯だったっけ)



 もう飽きるほどこの部屋には来ているが、一度とて同じ装飾を見たことがなかった。来るたびに此処の景色は変化する。


 今回は金持ちの豪邸にありそうなアクアリウム。前回は火山地帯。その前はジャングル。さらにその前は月面だった。


 毎度毎度、一体だれが改修しているのか。気にならないことはないが、知らなくても支障はないだろうと思って、部屋の主に聞いたことは無い。



 じっと此方を見つめるストライプ柄の魚を横目に、イヅモは水槽の間を通り抜ける。



 10畳ほどの正方形の空間の中央には、ローテーブルを挟むようにソファが置かれている。


 その奥のデスクでは、イヅモを呼び出した張本人である加々宮カガミヤは、パソコンの画面に向かって眉をひそめていた。



「おや、まだ昼休みは始まったばかりだというのに。九重ココノエさんはいつも早いですね」


 イヅモの来訪に気付いた加々宮は、ぶかぶかの白衣の袖を掲げて出迎える。


「感心は勝手にしとけって思いますけど。私は別に真面目ちゃんじゃないんで。長引くのが嫌なだけです」


「奇遇ですね。私も仕事が長引くのは好きじゃないんです」



 白髪のポニーテールに、片眼鏡の奥で常に右下を向く瞳。


 立ち上がった男の上背は、バレーボール選手だと呼称しても誰も疑わないほどには大きい。

 モデルもやれそうなくらい顔立ちも良いと思うのだが、60度まで傾いた猫背とコーヒーカップを持つだけでも震えるか細い四肢のせいで、全体像は人間の顔を奪った妖怪のようである。



 ここに来てから付き合いのある唯一の異性だが、拭いたら飛びそうという理由で、イヅモは彼を心の中で、‟ケセランパサラン”と呼称し、適度に親しみを踏みにじるようにしている。



「なら早く説明してくださいよ。その方が互いにいいでしょ」


「う~ん、そうしたいのは山々なんですがぁ…ねぇ…」



 ポリポリと頭を掻き、バツが悪そうにイヅモを見る加々宮。見た限りでは二十代前半だと思われる加々宮だが、その話し方や一つ一つの動作のせいで、見た目より何倍もよりも年老いて見える。



 もしくは見た目の方が若すぎるのかもしれないが、本人に年齢を聞く気にはならない。


 聞いたところで、分からないと言われて終わりだろう。此処はイヅモを含め、そういう人間ばかりが集まるトコロなのだから。



「そうですね、の話は追々するとして、先に説明しておきたいことがあるので、まずはそこからにしましょう」


「待ってください。なんで業務の話が後回しなんですか? 業務に行くのは私なんですから、先送りする意味が分かりません」


「えぇ。九重さんの言う通り、業務に関するのが十分に役者は揃っています。ですが今回に限ってはそうもいかないのですよ」


 加々宮はソファに腰を下ろすと、湯気の立たないコーヒーをみすぼらしく啜る。向かいに座ったイヅモは、微弱に漂ってくるコーヒーの匂いに違和感を覚え、咄嗟に鼻元の空気を払った。

 物が古くなっているのか。いつもの豆であれば有り得ない、酸味の強い匂いがした。



「実は、今回の業務からしばらくの間、九重さんにはパートナーを付けることになりました」


「パートナー? なんで今更そんなのを……」


「詳しくは私も分かりませんが、上からの指示書によれば、より効率的かつ正確に業務を行うためとのことです」


 加々宮の返答に、イヅモは‟吹き飛べパサラン”と鬱憤を込めた溜息を吐く。


「椅子に座ってるだけのお偉いさん方は、そんなに私が気に入らないんですかね」



 頬杖をつき、足を組む。分かりやすく反抗心を出したつもりだが、加々宮は無反応だった。



「そうではありませんよ。これは学徒の皆さん全員への指示です。九重さん以外も、みーんな二人一組で行動をするようになります」


「そりゃあ、ピクニック気分が盛り上がっていいでしょうね」


「あまり乗り気になれませんか?」



 乗り気になれるわけがない。これまで個人で熟してきたことを二人でやるなんて、そっちのほうが非効率だとイヅモは思う。


 効率など言いながら、人員を増やすことは余計な手間が増やすリスクを伴う。万が一、相手が凄腕の敏腕なら効果的だろうが、ここにそんなデキる奴はいない。そういう奴らは須らく。残り続けるのは中の上程度の替えの効く有能か、イヅモのような問題児だけ。



「別に、そんなんじゃないですよ。こんな明確にハブられてるやつと組まされる同級が不憫だなと思って」


 自嘲の笑みに、自分でも馬鹿馬鹿しいという感想が湧いてくる。卑屈を言ったところで心は晴れない。この組織に属する限りは、身分も心も、陰の中に住むしかないんだ。

 今更何に文句を言うのだと、自嘲する自分を嘲笑う自分がいた。


「ま、百歩譲っても譲らなくても、どうせ組まされるんでしょうし。で、私は誰と組まされるんですか?」


 イヅモの質問に、加々宮は何処からか取り出したタブレットを開いて確認する。


「それがですね……僕も驚きなのですが、少し特殊なんです。何でも、この学院史上初の編入生だそうで」


「……は!? それのことじゃないんですか!?」


 加々宮の説明に、イヅモは驚きを隠せずソファから飛び上がる。


「僕もそう思って何度も確認してのですが、間違いなくこっちなんです。本当に、この地下に編入生してくるみたいで」


 話を飲み込めず、イヅモは自身の耳を疑って何度もつねるが、ちゃんと痛みが伝わってきた。どうやら聞き間違いではないらしい。

 だが、間違い無かったところで、俄かには信じがたいことであるのは変わらない。


 世間一般に余るほどある公立小学校なら、転校も編入も普通の事だ。けれど、地下ここはそうじゃない。

 此処は、全国有数の偏差値を誇り、それに比例するようにバカ高い学費を要求する、ボンボンとお姫様の通う、全寮制の中高一貫校『聖エラルメリア学院』。


 その地下で、誘拐された孤児によって組織される非合法の秘密組織『蹟フォルミーカ学堂』



 外界との関りを最低限まで排除し、閉鎖された地下空間で、戸籍のない傭兵を育てる組織機関。かつてこの環境に、編入という方式で加わった人物は一人としていない。


「んな、何処の馬の骨ともかんない奴と組まされるなんて、絶対に生存率下がるから嫌ですよ!!」


「そこは僕も懸念しているところです、実際、これから君のパートナーになる子は一度とて実務経験がないのですが……」


「ないけど、何なんですか」


「編入を認めたのが、大魔女様なんですよね……」



 イヅモの脳裏に、自分をこの地下に連れてきた女の顔が思い浮かぶ。

 血の気のない白い肌。目尻の上がった、この世の全てを見下すような目つき。陶器のように儚げに白脆そうな肉体を、真っ黒なロングコートで蛹のように覆ったあの女。


 小さかった時の私を誘拐させたあの魔女が、私のパートナーに編入生を持ち出してきた。



 つくづく嫌になる。アイツは、こっちが言い返せないのを分かってて、全容の見えないリスクを押し付けてきた。



「あのクソババァ、随分と私に殺されテェみたいだな……いい度胸じゃねぇか」


「駄目ですよ、大魔女様に逆らったら。それこそいつ殺されるか分かりません」


「別に、自分の命に未練なんてないんで」


「でも、その命がないと、あなたの野望も希望もままならないでしょう?」


「……分かってますよ、そんなん、言われなくても」



 萎れた草花のように、見た目だけは大人しくなったイヅモだが、心中に流れる怒りは、奥歯を強く喰いしばらせる。



「ですが、九重さんの意見もごもっともです。なので、少しでもデータ不足を補えればと、顔合わせを用意したのですが……」


 そうだ。元はと言えば、加々宮は編入生とイヅモを合わせる為に召集をかけた。しかし、話の主役である編入生は一向に現れる様子がない。


 午後にはまた講座がある。その前にエネルギー補給をしておきたかったのに、顔の知らない編入生のせいでそれも憚られる。


(馬の骨じゃ、腹ごしらえにならねぇんだよ……!)


 込みあがる怒りを必死に抑えるせいで膝が揺れる。時間が経つごとに膝の動きは早くなり、それでは追い付かず頭蓋を指で突き始めた頃。加々宮にタブレットから通知が届く。


 音に反応するように、不機嫌なイヅモの目つきがさらに鋭くなる。


 画面を操作し、内容を確認した加々宮。しばらく顎に手を当てて険しい表情で思案すると、今度は大きく目尻を下げ、申し訳なさそうな顔でイヅモと目を合わせた。



「あーと、九重さん。上の人から連絡です」



 加々宮の表情はどれもこれも、そう表現される顔をしているだけで、感情が伴っていないことがほとんどだ。故に思考がとても読みにくく、吉報を伝えるような雰囲気で、生死に関わるような悪報をいう事も少なくない。


 しかし、この顔の時だけは違う。目尻の下がったこの顔は、大層な面倒事に巻き込む時の合図だ。


「どうやら、編入生さんは次の講座で一緒みたいです」


「はぁ、だから何ですか?」


「別の指導員が本人にそれを伝えたところ、脱兎の如く走り出したそうです。指導員が、この召集の件を伝える前に」


「つまり……?」


「どうやらここには来ないみたいなので、講座の時に顔合わせをしておいてください」



 加々宮が言い終わると、天井のスピーカーから、鳥のさえずりがごく微小な音量で聞こえてきた。



「さあさ! 早く戻らないと次の講座に遅刻してしまいますよ! 訓練の成果の見せどころです!」



 小さくガッツポーズする加々宮を余所に、イヅモは弾かれるようにソファから飛び上がり、大急ぎで水槽の間を走り抜ける。

 蹴り開けられない扉に怒りを覚えながら、真冬の布団をひっぺがえすように乱暴に開け放つ。


(走って上ってたら、ロスばっかで足んなくなる…!)


 イヅモは上を見上げ、階段の手すりの間にある僅かな隙間に照準を合わす。


 これだけ幅があれば問題ない。頭の中でシミュレーションし、後を追うように身体をなぞらえる。


 腕を後ろに引き、膝を大きく曲げる。母指球に力を込めて床を蹴ると、身体は勢いよく飛び上がり、二階先の手すりまで到達した。

 焦りながらも正確に。順々に上の階の手すりへ飛び移っていくイヅモ。軽快に上っていく最中、血の行き渡った頭で一つ決意した。



 クソ馬の骨の編入野郎が。絶対に一発殺す、と。

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