第4話

 寮室のお片付けと掃除を始めてから一時間と少し立ち、大分綺麗になった。

 そこまで時間が掛からなかったのは、書類整理をまとめて段ボールへ入れることで後回しにしたのと、細かい箇所の掃除は道具を買ってきてからという事になったからである。


「どうです? 綺麗になったでしょう」

「うん、そうね」


 素直に頷く先輩。結局、私が言うままに整理整頓をさせてしまったけど、学校から怒られたりしないよね? いや、望月のご令嬢がダメ人間になってたら学校だって困るだろうしないない。


「いいですか? ルームメイトは協力して生活するものなのです!」


 そういうわけで、厳しくいこうと思う。


「音羽先輩はあたし達新入生にとっては、『お姉様』にあたる自覚ありますか?」

「私、妹はいない」


 知らないけど、あたしに対する態度から何となくそれは察していた。これでもあたしのお姉ちゃんレベルは高いので、わかってしまうのです。


「そういう意味ではなく、親しみを込めてそう呼ばれるんです!」

「そういえば、朱美もそう呼ばれてた」


 そう言う彼女は朱美先輩のことを呼び捨てらしい。まあ雰囲気からして音羽先輩は三年生と間違われてもおかしくないくらい大人びているから、違和感はないけど。


「朱美が三年生になっても残ってたら……そう呼んでみたかったな」


 ポロリと零れた台詞に、ハッと気付く。

 そっか。てっきり朱美先輩という人は三年生になっていたと勘違いしていたけど、あたしが入学する前に退学しているのだから、そうじゃない。


「学年は関係ないですから、音羽先輩は自分が立派になってあたしに『お姉様』と呼ばせてください」

「……? 呼んでいいよ」


 わかってないにゃ〜……。


「親しみと尊敬が必要なんです、音羽先輩。今の先輩にあたしは尊敬の『そ』の字も感じていないので」

「私、ディスられてる?」


 今更気付いたのか、しょんぼりした顔になる音羽先輩。今まで軽蔑の眼差しなんて浴びたことがなさそうだし、当然か。


「ディスられたくないのでしたら、しっかりしてください。これ、出会って一日の後輩に言われる事じゃないんですからね」

「わかった。よくわからないけど、『お姉様』って呼ばれるように頑張る」

「その意気ですっ! では、頑張った先輩の為に夕食はあたしが振る舞ってあげます」


 胸を張って宣言すると、音羽先輩は目を見開いた。

 鞭ばかりだけでは成長しないだろうし、ここは飴をあげることにする。

 あたしは朱美先輩という方がどれだけ料理できたのか知らない。だけどあたしだって、妹達の為に真心込めて数年料理をしてきた。腕に自信はあるのだ。



 ***



「ご馳走様。朱美と同じくらい美味しかった」


 音羽先輩からの評価は期待通りだった。

 客観的には微妙かもしれないけど、先輩の頬は緩んでいるのであたしは成功だと誇りたい。

 先輩の美麗な肌なども、きちんと栄養を考えて料理しなければ……そしていずれは先輩にも料理を学んでもらうつもりだ。


「お粗末様です。先輩、手料理の方がカップラーメンよりも美味しかったでしょう?」

「うん」


 どうやら先輩はわかってくれたらしい。

 頑固というより、何処か投げやりなところを感じていたので、水を得た植物のように晴れた先輩の顔が見れて良かった。


「――それに 朱美が居なくなってから誰かと食事するのは久しぶり」


 カップラーメンばかりの食生活が知られていれば、誰かが噂を立てていただろうし、何となくそんな気はしていた。


「――ありがとう、紅葉」

「……あっ」


 しかし、先輩の口から感謝の言葉を頂けるとは思ってもいなかった。

 それにあたしの名前、初めて先輩から呼ばれてしまった。その澄んだ美声で呼ばれると、スッと落ち着く。


「もっと朱美にこうしてお礼を言いたかった。私は朱美の料理が当然毎日食べられるものだと思っていたけど……違ったから」


 そういう事か……。先輩から感謝の言葉を述べられ驚いたのは、先輩がそんな事言いそうな上品さを欠いていたからだけじゃない。どうにも言い慣れていない感――一種の恥じらいのような赤面を目の当たりにしたからである。


 しかし、次には何かを思い出したかのように俯く音羽先輩。


「もし私がちゃんとお礼言えてたら、朱美は今年も一緒にいてくれたかもしれない……」


 朱美先輩という人が彼女の中で大きな存在なのはわかってきたけど、流石に未練がましい気がする。

 もしかしてあたし、嫉妬している? ま、まっさかー……。

 というか、話を聞いている限りじゃ朱美先輩が自分に愛想尽かしたから退学したのだと嘆いているように聞こえる。でも、あれ? それは違くない?


「あの……朱美先輩は実家のレストランに人手が足りなくて自主退学したんですよね?」

「……えっ?」


 事実確認を行ったつもりが、先輩の口から間抜けな声が零れた。


「もしかして――知らなかったんですか?」


 そういえば先輩を食堂で見た時、彼女は一人で周囲に誰一人座らなかった。

 先程「誰かと食事をしたのは久しぶり」と言っていた通りだとすると、もしかして彼女には朱美先輩以外の友達がいなかったように思える。

 気持ちはわかる……音羽先輩は友達にしたいというより、羨望の眼差しを向ける相手で近付きづらい。

 孤高の花として、周囲からも眺められる立場にいるように感じた。

 それ故に、噂の一つも知らなかったのだろう。


「そうなの……?」

「いえ、あくまで噂なので事実かはわかりません。けど少なくとも先輩の憶測よりは現実的な話だと思いますよ」


 あたしの言葉に動揺しながらも、若干震えた手でスマホを操作する。

 誰かに確認を取っているんだろう。


「……話の通じる先生に聞いたら、本当だって。そんな……私、ずっと知らなかった」

「朱美先輩は、音羽先輩に心配をかけたくなかったんだと思いますよ」


 正直、あたしは朱美先輩の事をそこまで良い人だと言い切りたくない。

 散々先輩を甘やかして置いていなくなるなんて、育児放棄か! ……と文句を言いたくなる。

 だけど過保護だからこそ、心配をかけたくない気持ちはわかる気がした。あたしだって妹達に何も言わずしてこの女学院に進学した方が、何倍も楽だったと思う。まあその分、後から心配になったんだろうけど。


「まあ安心してください。これから二年間はあたしと一緒です! あたしが音羽先輩を真人間に戻してあげますから」


 胸を張って宣言すると、先輩は無邪気に笑い出した。


「……ふふっ、そう。これからよろしくね、紅葉」


 そう言って先輩はあたしに近付くと、指であたしの前髪をそっと触り――次には額に軽いキスをくれた。

 また子供っぽい可愛らしい笑い方だと内心で思っていた束の間の出来事に、あたしは心臓が止まりそうになる。

 急いであたしは平静を装った。


「こっ、こうやって褒めてあげるのは大切ですね……他の同級生や後輩にもしてあげると良いと思います」

「他の子になんてしない」

「なんで!? きっと『お姉様』って呼ばれるようになりますよっ?」


 みんなからそう呼ばれるように頑張るって言っていたのに……あれ? 『みんなから』とは言っていたっけ。いや、多分言っていたに違いない!

 うん。やっぱり音羽先輩の意思が矛盾している。


「……もしかして紅葉――ううん、何でもない」


 何やら意味ありげにそう呟いた先輩を問い詰めるも、結局教えてくれなかった。


「もーっ、教えてくださいよー! 気になって眠れなくなっちゃいますからぁ」

「同じベッドで寝るのはまだ……早い」

「そんなこと一言も言ってませんけど!?」


 嫌じゃないし、確かにまだ早いと思うけど、その綺麗な顔で反応に困る冗談を言うのはやめてほしい。


「もーっ」

「ふふっ……紅葉面白い。牛さんみたい」


 するとまた揶揄うように笑いだす先輩の顔。

 先輩には意地悪なところもあるのだと知った。

 どうやら、あたしがビッグになる為の道は遠そうである。

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【短編】高嶺の百合の咲かせかた 佳奈星 @natuki_akino

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