第58話 嘘かもしれないけど、あるらしい


 ファザード卿によって仕組まれた今回の一件だったが……実際のところ、王都が受けた被害は少ないものだった。


 二度に渡って行われた魔物による王都の襲撃も混沌の魔女“アリス・フラルエヴァン”によって、その被害は最小限に抑えられた。


 今回の一件で王都が受けた被害は二つだった。


 アリスが原初の魔法を使用したことで王都周辺の草木が焼き尽くされたことと王都を守る魔法障壁が破壊されたことだけ。


 王都を襲った今回の騒動を振り返れば、人命の被害や王都自体の被害も極めて少ないことを考えれば十分過ぎる結果となるだろう。


 この二つの被害も、アリスとシャーロットの二人によって修復されるのだから実質被害は皆無となる。この点に関しては国を管理するアルバルト達も二人に感謝するばかりだった。


 とは言っても、後処理は残されていた。


 王城に避難していた民の中には避難時に怪我を負った人間も大勢いる。大勢の人間が一斉に動いたことで王都内にも建造物の破損など少しばかりの被害があった。


 怪我人の治癒、破損した王都内の修繕。そして残存しているかもしれない魔物達が魔法障壁を失った王都にまた来るかもしれないと考えれば、その警備も怠ってはならない。


 それらの対応に国王のアルバルトや王族のアルディウス達、そして騎士団達が総出で忙しなく走り回っていると、いつの間にか登っていた太陽も沈みかけていた。


 夕暮れから夜になり、それでも王都内は多くの人が行き交う騒ぎのなか――アリスは王都内の薄暗い路地で跪きながら、仄かに光る人差し指を地面に走らせていた。


「あの働きたがらなかった愛娘が働く後姿は見てるだけで感動ものだわ……お母さん、泣いちゃいそう」

「馬鹿なこと言ってんじゃないわよ」


 作業を終えたアリスが立ち上がるなり、嬉しそうに笑いシャーロットに舌打ちを鳴らす。


「次、うるさくしたら置いてくわよ」

「置いてかれてもちゃんと追いつくから安心しなさい」

「……なにを安心するのか全く分からないんだけど」


 歩き出したアリスの後姿をシャーロットがゆっくりと追い掛ける。

 アリスの足取りは早く。後ろを歩くシャーロットに合わせるつもりもないらしい。

 薄暗い路地から騒がしい大通りに出ると、二人は足を止めることなく歩き続けていた。


 忙しなく走る騎士団の人間や民達にぶつかることもなく、二人が大通りを歩く。

 黒いドレスと灰色のドレスを着たひと際人目を引く姿のアリス達が歩いていても、周囲の人間は気にする素振りもなく走り回っていた。


「相変わらず便利な魔法ねぇ……流石は私の可愛い愛娘」

「アンタもやろうと思えばできるでしょ」


 満面な笑みを見せるシャーロットに、アリスが失笑する。

 振り返ることもしない彼女の後姿を見ながら、シャーロットは少し考える素振りを見せていた。


「できなくもないけど、私でもアリスほど効率良くできないわ。ここまで周りの人間達に接近されてるのにも関わらず認識阻害と人払いの術式を成立させるのって割と難しいのよ」

「割と、って言ってる時点でそれはできると同じよ」

「ふふっ……それもそうね」


 周囲を見渡しながら歩くシャーロットがクスクスと笑う。

 忙しなく行き交う人々がアリスを中心に離れていく光景は、明らかに異様だった。

 彼等の視線が一度たりともアリスに向けられていない。それはまるでそこに彼女の存在が初めから居ないものだと思われているようだった。


 認識阻害の魔法。それは対象者を周囲に認知させない魔法。

 更に加えて、アリスは人を寄せない人払いの魔法を行使していた。


 この二つの魔法を使用して、アリスは我が物顔で誰にも邪魔されることなく王都の大通りを歩いていた。


 その後、しばらく二人が大通りを歩くと、アリスは薄暗い路地に入っていた。

 入り組む路地を悩む様子もなくアリスが歩き、ふと足を止めると、その場で跪いていた。


「次はここなの?」

「えぇ、ここで合ってるわ。地脈も良いのが通ってる」


 シャーロットの問いにアリスが答えると、すぐに彼女は指を動かした。

 茶色の光を人差し指に灯らせて、そっと地面をアリスが撫でる。

 そうすると、彼女の人差し指が撫でた地面の一部が本のページを捲るように捲れ上がっていた。


 その捲れた地面に、今度はアリスの人差し指が白い光を灯らせながら動く。


 円を書き、更にその中に円を五つ描く。そしてその細部に至るまでアリスが文字を書き込んでいく。


 その作業をぼんやりと眺めながら、シャーロットは肩を落としていた。


「確か、あと何個だったかしら?」

「四十個よ。まだ六箇所しか設置してないから……多分、今日は徹夜ね」


 アリスから残りの数を聞いて、思わずシャーロットは頬を引き攣らせた。


「全部で四十六個、かなり頑丈にするのね」

「当然でしょ、二度と私の手を余計な煩わせないように丹念に手間掛けて絶対に魔物が入らないようにしてやるわ」


 アリスからこれから王都に新しく展開する魔法障壁の大まかな概要を事前に聞いていたシャーロットでも、その手間には呆れるばかりだった。


 魔法障壁を展開する術式を強化し、保護する術式を地脈の魔力を用いて四十六個も使えば、嫌でも頑丈な魔法障壁が出来上がる。


 王都内の各地に隠して術式を設置し、アリスとシャーロットしか設置している位置が分からないようにして魔法障壁が破壊される可能性も少なくしている。

 その為に誰にも作業が認知されるのことがないようアリスは認識阻害と人払いの魔法を使いながら移動も徒歩で行い、術式の設置を行なっていた。


「今日は疲れることばかりだったから早く終わらせて寝たいわ」

「あの後、大変だったものね。ファザード卿が魔物を生み出していた術式の破壊に、付近に残ってた魔物殲滅と……随分と働いてたから疲れるのも無理ないわ」

「アンタが手伝わなかったこと、根に持ってるから」

「私が手伝ったら誰がファザード卿を幽閉するの? 一応、あの人の実力って王都でもかなり高い方のよ? 下手に目を離して逃げられでもすれば面倒じゃない?」

「なら私があのクソジジイの面倒見てアンタが行けば良かったでしょ?」

「アリスはこの国の守護者なんだから、あなたが責任持ってやりなさい」

「それ言えば誤魔化せると思ってんじゃないわよ……ふぁぁぁ、眠い」


 大きな欠伸をしても、アリスの人差し指は止まることなく動く。

 その時、ふとシャーロットはアリスに声を掛けていた。


「アリス」

「……なによ?」

「そう言えば、あなたに訊きたかったことがあったのよ」

「だからなによ?」

「あの時――アルバルト君達になにを隠したの?」


 動いていたアリスの指が、ピタリと止まった。

 アリスが僅かに振り返ると、自分を見つめているシャーロットと目が合った。


「……よく気づいたわね。私、あれでもちゃんと話したつもりだったのに、あの王様達も納得してたからアンタも気づいてないと思ってたわ」

「確かに大事なことは話してたわ。でも話してないこともあったでしょう?」


 それはアリスがファザード卿の記憶を見た後のことだった。


 彼の記憶を見たアリスが今回の事件を起こしたファザード卿の動機などを語ってはいたが、シャーロットは見抜いていた。


 アリスがアルバルト達に語っていないことがあると。


「それって私にも言えないこと?」

「……言えないわけじゃないわ。あの時は言えなかっただけよ」


 そう言って、またアリスの人差し指がゆっくりと動き出していた。


「ファザード卿の記憶の中で、アリスはなにを見たの?」

「あのクソジジイ、とんでもない対価を貰おうとしてたのよ」

「……とんでもない対価?」


 シャーロットが首を傾げる。

 疑問を向ける彼女に、アリスは作業を進めながら答えた。


「不死の魔法よ。嘘かもしれないけど、あるらしいわ」

「え……?」


 そう告げたアリスの言葉に、シャーロットの目は大きく見開かれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る