第56話 激しい炸裂音が鳴った
アリスの手の皮膚が血を撒き散らしながら弾け、時間が経つにつれて剥き出しになった肉が焼け焦げていく。
ファザード卿の頭を掴む彼女の手から火花が飛び散るたびに、その手が外へと弾かれそうになる。弾こうとする勢いを抑え込むように、力を込めている両手が震えている。
そんな痛々しいアリスの姿を、アルディウスは心配そうに見つめていた。
「シャーロット様……本当にアリス様は大丈夫なのですか?」
「今のところは大丈夫よ。当然だけどあの子も魔法をいくつか使ってるから」
シャーロットの返答に、アルディウスはアリスの持つ類稀な才能を思い出してした。
「確かにアリス様は複数の魔法が同時に使える珍しい方だと知っていますが……」
「同時に複数の術式を発動させるってかなり難しいのよ。でもアリスってすごく器用だから普通にできるのよね。ちなみに言うと今の時点であの子、四つ術式を使ってるわ」
「……四つも?」
シャーロットの言う通り、すでにアリスは複数の魔法を使用していた。
手の皮膚が剥げた時点で集中の邪魔となる痛覚を魔法で遮断し、吹き飛びそうになる手を強引に押さえつけるために筋力を強化しながら、負傷している身体を治癒していく。
これに記憶を見る魔法に加えて、もう四つの魔法を使っている。まだファザード卿の記憶を覗いてすらもいないのに。
ここまでしても吹き飛びそうになる自身の震えている手に、アリスは苛立ちのあまり表情を歪めていた。
“記憶を見る前でここまでの拒絶反応……面倒過ぎて腹が立ってくるわ”
このまま続けてファザード卿の記憶に触れれば、更に拒絶反応も強くなるだろう。
ある程度はアリスも想定していたが、やはり自身の命を代償にした誓約の魔法がもたらす効力は尋常ではないらしい。
しかし発動した術式を止めるつもりなどアリスには始めからなかった。知りたい情報を得る為には、どちらにせよ、この男の記憶を覗くしかない。
そう思って、アリスはファザード卿の記憶を覗くことにした。
だがアリスの意識がファザード卿の記憶に触れそうとしても、誓約の魔法で守られている所為で簡単に覗けない。
しかしこの手の魔法を強引に突破する方法は幾つかある。その中で一番単純な方法をアリスは選んで実行していた。
精神に干渉する魔法同士が打ち合った時、その勝敗は単純に魔法の押し合いで決まる。
今回の場合ならアリスの記憶を見る魔法を攻撃とし、ファザード卿の記憶を守る魔法は防御となる。
だからこそ、アリスが彼の魔法を突破する為には純粋な魔法の効力を上げるだけで良かった。
自身の命を代償とした記憶を堅固に守る誓約の魔法よりも、魔法の効果を底上げする。本来なら必要のない術式の書き換えと、それに伴う過剰な魔力を消費すれば、必然的に魔法の性能は勝手に大きくなる。
この手順を踏めば、アリスの予想通り、ファザード卿の記憶を守る魔法が壊れると――
その瞬間、アリスの腕から血と肉が飛び散っていた。
アリスの周囲におびただしい量の血が撒き散らされる。
先程よりも明らかに酷い怪我を負い始めたアリスに、アルディウスとアルバルトの二人が言葉を失う。
そんな二人を他所に、シャーロットは静かに腕をアリスに向けていた。
「流石に私も準備だけはしておかないと不味そうね」
「シャーロット様、やはりあなた様でも今の状態は良くないと?」
「まだ大丈夫。だけど、あの子の身体の回復と負傷の比率が変わって来てるわ。負傷の進行が速すぎて少しずつあの子の回復が間に合ってない」
シャーロットの視線の先で、ファザード卿の頭を掴んでいるアリスの手が激しく揺れ動く。
皮膚が剥げ、肉が見えたと思えば、そこから更に血が噴き出していく。
しかし酷くなっていくアリスの怪我も、同時に治癒していた。
負傷した彼女の手と腕が治っていくが、やはりすぐに酷い傷を負う。その繰り返しだったが、次第に起きたアリスの変化にアルディウスは気づいた。
「……皮膚が戻ってない?」
「今さっきアリスが効果の強い治癒魔法に切り替えたみたいだけど、それでも間に合ってないわね」
皮膚が戻らなくなったアリスの手と腕が更に負傷し、肉が傷ついていく。そして僅かに彼女の腕から白い何かが見えた瞬間、アルディウスは思わず口を手で押さえていた。
酷い負傷を負っているのにも関わらず、それでもいまだにファザード卿に頭からアリスの手が離れていない。
もう機能を失いかけているアリスの手と腕が、まだ動いている。
その光景は、とてもではないが見ていられないものだった。
「あんなに酷く傷ついているのに……まだ動いてる」
「魔法で無理矢理動かしてるのよ。あの子も強引ねぇ……もうあの子が使ってる魔法の数、とんでもないことになってるわよ」
記憶を見る魔法。更に反故になった誓約の魔法が壊そうとする本体の魂を複数の魔法で守りながら、その対象を違う魔法で分割した魂に向けさせている。
その間、身体の治癒と強化、痛覚の遮断に加えて、損傷して動かせなくなった身体を強引に魔法で動かしている。
もはや片手で数えることもできない数の術式を全て同時にアリスは発動していた。
「これだけ術式を使えば、当たり前だけど治癒も間に合わなくなるわよね。少しだけ私も手伝うわ」
そう告げて、シャーロットがアリスに治癒魔法を使った瞬間――
突如、彼女の手が上に向けて弾かれていた。
起きたことに反応できず、シャーロットが瞬きを繰り返す。そして少しの間を空けると、彼女は小さく首を傾げていた。
「あら? まだ良いの?」
その言葉がアリスに向けられてたのに、当の本人から返答はない。
シャーロットの手が弾かれたことに、アルディウスは怪訝に眉を寄せていた。
「今のは……?」
「アリスに拒否されちゃったわ。邪魔するなって」
「なんですって?」
あの状態でシャーロットからの手助けをアリスが拒んだ。どう見ても酷い負傷をしているはずなのに。
その行動にアルディウスが困惑していると、シャーロットは苦笑していた。
「多分だけど、あの子が今も治癒魔法を使ったままだからでしょうね。ひとりの人間に別々の治癒魔法を使ったら互いの術式が乱れて機能しないこともあるから……でも不思議ね、私とアリスなら術式なんて乱れないで使えるのに」
不思議そうにシャーロットが顎に指を添えて首を傾げる。
「……ん?」
しかしシャーロットが顎に指を添えた時、ふと彼女は自身の指を見るなり眉を顰めた。
「どうしたんですか?」
「……指が切れてる」
シャーロットの指に小さな切傷ができていた。
それを見たシャーロットは目を大きくすると、ゆっくりとアルディウスとアルバルトの服を引っ張りながら数歩後ろに下がっていた。
「シャーロット様?」
「私ならともかく、君は近づかない方が良いわ。あと間違ってもあの子の近くで魔力は出さない方が良いわ」
「はい……?」
「私の魔力がアリスに触れた瞬間、彼が使ってる魔法の拒絶反応が私にまで飛んできた。魔力を伝って来るなんて……そういうこと」
呟くシャーロットが納得して頷く。
その言葉にアルディウスが困惑していると、シャーロットは怪訝に眉を寄せて呟いていた。
「あの拒絶反応……誓約の魔法だけじゃないわ」
「シャーロット殿? それはどういうことだ? あの拒絶反応はファザード卿が使う誓約の魔法がもたらしたものだろう?」
疑問を持ったアルバルトがシャーロットに問う。
その問いに、シャーロットは小さく首を横に振っていた。
「この私でも発動してる魔法の術式を見てないから分からないわ。でも、アリスが私に魔法を使わせなかったのは、単純に私が使うと余計面倒なことになるからってあの子が思ったからでしょうね」
「……余計面倒に」
「私も触れば分かるけど、それをあの子が拒んでる以上できないわ。だから私も魔法は使えない」
「ではアリス様は――」
「時間が経てば腕が吹き飛ぶ。治癒魔法で治せるけど、あれだけ血を流せば流石に危ないわ」
アリスの周囲を見れば、明らかに先程よりも血の量が増えている。その手と腕も、歪に形を保っているだけ。
そんな状態になってまで魔法を使い続けているアリスをシャーロット達が見守っていると、遂にそれは起こった。
激しい炸裂音が鳴った途端、アリスの身体が後方に吹き飛ばされていた。
吹き飛ぶアリスをアルディウスとアルバルトの視線だけが追う。咄嗟にシャーロットが魔法を使おうと手を魔力を込める。
しかし吹き飛んだアリスが空中で体制を整えると、思い切り眉間に皺を寄せていた。
「痛ったいわねぇ! 痛覚遮断してるのになんで貫通してくるのよ! 信じられないっ!」
思っていたよりも無事の様子だった。
「あの変な魔法、私が見終わるまで抵抗して来やがって……!」
体制を整えて着地したアリスが表情を歪めて自身の腕に視線を向けると、すぐに彼女の腕は青い光に包まれていた。
「アリスー? 大丈夫だったの?」
「この腕見て大丈夫とかアンタ正気?」
呆気に取られたシャーロットに、アリスは怒りを露わにしていた。
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