第55話 更に強い拒絶反応


 下手になにも説明もせずに始めて、彼等に近くで色々と喚かれるなど堪ったものではない。


 魔法で黙らせる手もあるが、今からすることはアリス自身でもかなりの神経を使う。余計な手間を掛けるのは控えたい。邪魔をされるくらいなら説明するべきだろう。


 そう判断して、アリスは気怠そうに話していた。


「私がやることなんて言ってしまえば単純よ。今からコイツの記憶を強引に覗いて誓約の魔法を無理矢理にでも反故にさせる。おそらくコイツの中にある術式が即座に発動して魂を壊そうと動くから……それから一時的に私が本体の魂を守りながら、私の持ってる瓶に保管してるもうひとつの魂を身体に戻すだけよ」

「分けた魂を同じ身体に入れればひとつになるのでは?」

「その可能性もあるし、分割された魂の意思同士が反発して交じり合わない可能性も十分あり得るでしょうけど私が魔法で誤魔化すから大丈夫よ」

「……誤魔化す?」


 無駄に色々と訊きたがるアルディウスに、アリスの中に僅かな苛立ちが募っていく。

 しかし説明しておく方が楽だと自分に言い聞かせて、アリスは頬を引き攣らせながら答えていた。


「……私が魔法で一時的にコイツの本来の魂を守るのよ。魔法で隔離してしまえば分けた魂を入れても交じり合うこともないはずだわ。あとはコイツの身体にある術式が魂を破壊する目的を果たせるように別の魂を標的にしてもらうだけよ」

「その話ですと……二つとも魂が破壊される可能性ありませんか?」

「その可能性がないとは言い切れない。けど術式の構成を理解していれば、それも要らない心配でしょうね。誓約の魔法の術式でコイツが代償に指定してるのは自身の魂を破壊すること。魔法の術式は指定した目的を果たせば消えるの。だから単純に魂を破壊させてしまえば術式も役目を終えて消えるわ」


 魔法の術式は、その術式によって指定した役目を終えれば、その効力を無くす。


 それは魔法使いなら誰もが知っている魔法を構成する術式の基礎だった。


 炎を出す魔法なら火を生み出せば、その役目を終えて術式は消える。

 それと同じように誓約の術式は約束を果たせば役目を終えて消えるが、もし約束が反故になれば魔法の使用者が代償の支払いを済ませれば術式は効力を失う。


 その術式の基礎は、当然魔法使いであるアルディウスも理解していることだった。


「確かにアリス様の言う通り、魔法は術式で指定したことを行えば効力も消えますが……」

「まだ文句言いたいの? いい加減始めたいんだけど?」


 うんざりとして、アリスが溜息交じりに舌打ちを鳴らしていた。

 ファザード卿の頭を掴んで、発動する魔法も考えてある。あとは術式を発動させるだけで良い。

 それを今だに邪魔してくるアルディウスに、更なる苛立ちがアリスの中に増していた。


「アリス様の持つ小瓶に分割した魂があるなら、そちらを残しておけば良いのでは? そうすればアリス様も余計な危険を負う必要もないと思いますが?」


 この場にファザード卿の魂が二つあるのだから、本体ではなくアリスの持つ魂を残す方を選ぶべきだろうとアルディウスは思っていた。


 ファザード卿が誓約の魔法で守っている記憶を覗く危険は必ずあるが、分割した魂があるのだから本体の魂を守る手間をアリスが掛ける必要はないはずである。

 反故にした誓約の魔法が本体の魂を破壊した後、分割した魂を戻せば良い。そうすれば問題もないはずだった。


「はぁ……少しは賢いかもって思ったけど、やっぱりアンタって馬鹿ね」


 しかしアリスがアルディウスに向けたのは、深い溜息だった。

 不満そうに顔を顰めるアルディウスに、アリスは呆れながら答えた。


「分割した魂の大きさを少しは考えてみなさい。本来の身体に入ってる魂と一時的に使った服従の魔法に割り当てた魂の割合、どっちが大きいかなんて考えなくても分かるでしょ?」


 そうアリスに言われて、アルディウスは小さく唸るしかなかった。

 彼女の言う通り、考えるでもなく本体の身体にある魂の方が大きいと考える。一時的にしか使わない魔法に分割した魂を大きく割り当てる必要もないだろう。

 本来の魂が小さくなればなるほど、早く壊れる可能性がある。

 その点を踏まえれば、本体にある魂を残すのも当然の話だった。


「もう満足した? これ以上色々と訊かれるの、流石に鬱陶しくなってきたんだけど?」

「いえ……もう何も言いません。ですが最後に、失敗だけはしないようにとだけ」

「そんなの分かってるわよ。だから私が失敗しないように邪魔しないで黙ってること、わかった?」


 その言葉にアルディウスが無言で頷くと、アリスはようやく集中できると小さく肩を落とした。

 これでもう邪魔する人間はいない。そう思ってアリスはファザード卿に向くと、すぐに術式を発動させていた。


「アリス? お母さんの手伝いは必要かしら?」

「要らないわ。でも、もし私の治癒魔法が間に合ってなかったら……その時はお願い」

「素直じゃないわねぇ、じゃあ本当に危ないと思ったら手伝うわ」


 苦笑するシャーロットがそう言っても、アリスから返事が返ってくることはなかった。

 ただ怯えるファザード卿の頭に白く光る手を乗せたまま、無言でアリスが目を閉じる。


 もうアリスの意識が魔法に向けられていると察して、自然とシャーロットは肩を竦めていた。


「シャーロット様、今の話……どういうことですか?」

「見てれば分かるわ。アルディウス君も良い勉強になると思うわよ」

「勉強……ですか?」

「えぇ、いかに誓約の魔法が強力な魔法か知れる機会なんて中々ないもの」


 そう告げて、シャーロットが笑った時だった。

 ファザード卿の頭に乗せたアリスの手が更に光を増した瞬間――


 突如、彼女の手から全ての皮膚が弾け飛んだ。


 肉が剥き出しになったアリスの手から火花が飛び散り、今度は手から腕に向かって皮膚が弾ける。


 そして火花と小さな炸裂音が鳴る度に、アリスの手が激しく震える。


 気づくと、表情を歪めていたアリスがファザード卿の頭を掴んでいる手を押し付けるように逆の手を添えていた。


 それはまるで今にも弾かれようとしている手を強引に押さえつけているようにも見えた。


 しかしアリスが両手を使った瞬間、無事だった手の皮膚も弾け飛んでしまう。


 その光景に、アルディウスは反応すらできなかった。


「は……?」


 アリスの皮膚と血が飛び散る光景に、アルディウスから遅れて声が漏れる。


 しかし彼の驚きは次の光景を見た途端、更に大きくなった。


 肉が剥き出しになったアリスの手と腕に、瞬く間に皮膚が戻っていた。

 まるで時間が巻き戻るように、アリスの傷ついたに皮膚が再生していく。


 だがその皮膚も戻った瞬間、すぐに弾け飛んでいた。


 傷ついては治り、治っては傷ついてを何度もアリスの手が繰り返す。それは見ているだけで気分の悪くなる光景だった。


 その光景にアルディウスが目を見張っていると、アリスを見守っていたシャーロットは小さな溜息を漏らしていた。


「流石に重い代償を課しただけあるわね……術式の発動に反応しただけでこれとは呆れるわ」

「……だけ、とは?」


 意味深な発言をしたシャーロットに、アルディウスが震えた声で問う。

 その問いに、シャーロットは平然とした声色で答えていた。


「まだアリスは彼の記憶を覗いてないのよ。ただ今から記憶を見ようとしてあの子が術式を動かしただけで、あんなに魔法が拒絶してるのよ」

「は……? ではもし記憶を覗けば――」

「アレより更に強い拒絶反応が出てくるわ」


 見るだけで目を背けたくなる傷と再生を繰り返すアリスの手と腕。


 あの酷い状態よりも、更に酷いことになる。


 その事実が到底信じられず、唖然としてアルディウスはアリスを見つめるしかできなかった。

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