第52話 分割した魂と誓約の代償


「その誓約の魔法とやらもアリス様とシャーロット様なら障害にもならないのでは?」


 意識を失っているファザード卿を見つめながら、アルディウスが思った疑問をそのまま呟く。

 魔法を扱うことに特別長けたアリス達ならば、なにも大きな問題はないだろうと。

 しかし彼の疑問に、アリスは首を小さく横に振っていた。


「誓約の魔法は特殊なのよ」

「……特殊?」


 アリスから告げられた話に、アルディウスが思わず訊き返す。

 そんな彼に、アリスは面倒そうにしながらも答えていた。


「この手の魔法にはいくつか種類があるの。約束を反故にしない為に使われる契約の魔法ぐらいならアンタでも知ってるでしょ?」

「えぇ……私もそれぐらいの魔法でしたら」


 アルディウスも、その魔法は知識として当然知っていた。実際、その魔法が使われる場面も何度か見たこともあった。


 契約の魔法は、約束を交わした当人同士で使われる魔法である。これは魔法使いが重要な約束を交わす際、多くの場面で使われる魔法でもある。


 互いの魔力を対価として払い、精霊達を立会人として設けることで約束を必ず守る為に使われる魔法として扱われている。


 この魔法から生み出される効果は交わした約束が反故にされた時、立会人となった精霊達がその事実を当人同士に知らせる魔法として魔法使い達の中で広く知られていた。


「その契約の魔法を更に危険にした魔法が誓約の魔法よ」

「……契約と誓約?」

「この二つの言葉の違いくらい、アンタでも分かるでしょ?」


 アリスの言う通り、この二つは似ているが実際の意味は全く違う。

 アルディウスが頷くと、アリスは二本の指を立てていた。


「契約は互いの合意の上で成立する約束。誓約は自身に課す誓いの約束。約束を果たすために使われる魔法でも、かなり効果が変わるのよ」


 アリスが立てている指を一本にする。


「まず知ってると思うけど契約の魔法自体に全く危険はないの。この魔法で交わした約束が反故にされたか、それを精霊を介して魔法の使用者達に知らせることだけがこの魔法がもたらす効果」


 そしてアリスが二本目の指を立てた。


「だけど誓約の魔法は使用者自身だけに使う魔法なの。これは必ず約束を守る意思を相手に示す魔法ね。その自身に課した内容と魔力が大きいほど、この魔法の効果は大きくなるのよ」

「それをファザード卿が使ってると?」

「そういうこと」


 アルディウスに頷いたアリスが、倒れているファザード卿を足で小突く。

 いまだにファザード卿は意識を失ったまま起きる様子もない。

 そんな彼の頭をしゃがみ込んだアリスが掴むと、彼女の手に白い光が灯った。


「だからこうして私とシャーロットが魔法でこのジジイの記憶を見ようとしても――」


 その瞬間、ファザード卿の頭を掴んでいたアリスの手が火花と共に弾かれた。

 アリスの手の皮膚が赤く爛れる。その変化にアルディウスの目が見開かれた。


「アリス様ッ⁉ 手がッ‼」

「別にすぐ治すから気にしなくて良いわよ。すっごく痛かったけど」


 驚くアルディウスだったが、気にする素振りもなくアリスは魔法を使って負傷した手を治していた。


「強引に記憶を見ようとしたから拒絶されたのよ。本当ならこうなる前に気づくわ。アンタに分かりやすく見せる為にやっただけだから気にするまでもないわ」


 まるで時間が巻き戻るように負傷していたアリスの手が治っていく。

 そして大した時間も掛からず、アリスの手は元に戻っていた。

 恐ろしい速度で治癒していくアリスの魔法にアルディウスが言葉を失っていると、彼女は治った手を適当に動かしながら話を続けていた。


「わざわざ自分の記憶を魔法で守る人間なんて本当に稀よ。記憶を見る魔法の術式を知ってる人間も大していないのに……それを危惧して守ってる。余程、このジジイが約束を交わした人間は用心深そうね。誓約の魔法を使わせたのが良い証拠よ」


 ここまで用意周到な人間も非常に稀である。本来なら他者に見られることのない記憶を守る。それをするということは、その魔法が使われることを初めから想定していたということになる。


「アリス様の魔法を拒めるほど強力な魔法……一体、彼はどんな誓約を自分に課したのでしょうか?」

「私とアリスの魔法を拒絶できるともなれば考えられることも限られるわ」

「……と言うと?」


 何気なく呟かれたアルディウスに、シャーロットが肩を竦める。

 その反応にアルディウスが首を傾げると、


「自分の命でしょうね。自身に課す誓約の中で最も重い誓いを立てられれば、私達の魔法を拒絶できても不思議じゃないわ」


 シャーロットの口から出た言葉に、彼は息を飲んだ。


「ならもし強引に彼の記憶を見れば――」

「多分、死ぬわね。このジジイ」


 呆れたとアリスの肩が落ちる。

 その姿に、アルバルトが恐る恐ると声を掛けていた。


「なら今回の件はファザード卿だけの犯行ではないと?」

「そう考えるのが妥当そうね。この狸寝入りのクソジジイがこの国を滅ぼしたら、どんな対価を得られるのか……流石に気になるわ」


 倒れているファザード卿にアリスが強めの蹴りを放つと、彼から呻き声が漏れた。

 そして再度振られたアリスの足先がファザード卿の鳩尾に突き刺さると、身体を丸めて彼の口から苦悶の声が響いた。


「ずっと黙ってるってことは、大体合ってると思って良いのかしら?」

「……私は、なに知らぬ」

「そう言うしかないのはもう分かってんのよ。多分、そのことに関連することも少しでも言ったら駄目なのね。相当厳しい誓約じゃない。その覚悟だけは立派だわ」


 頑なに口を閉ざすファザード卿の頭をアリスが掴む。

 そして強引にファザード卿の顔をアリスが自分に向けさせると、彼女の冷たい視線が怯える彼の顔を見つめていた。


「でもその覚悟、今は邪魔。だから今からアンタは死ぬ覚悟を持ちなさい」

「なっ……⁉︎ 小娘、貴様ッ⁉︎」


 これからのアリスの行動を予想したファザード卿が声を荒げた。


「強引に魔法を使ったところで意味がないことだと知れたこと! 今の私から何か得ようとしたところで無駄だと分からぬのか⁉︎」

「やっぱりその反応を見る限り、死にたくはないのね。死にたくないくせに随分な誓約を立てるじゃない。できると確信してないと無理な誓約だわ。仮に失敗しても、絶対私達に吐かせられないと確信してるあたり余計に癪に触るわね」


 眉を吊り上げたアリスが、持っていた小瓶をファザードに見せつける。

 その瓶を怪訝にファザード卿が見つめていると、アリスは小さな笑みを浮かべていた。


「言わないし、言えない。その誓約の魔法で自分の命を代償にした場合、考えられる即死の条件は二つね。身体に即死の致命傷を与えるか、魂を壊されるか……多分だけど私なら魂を壊すと思うのよ。で、ご丁寧にここにはアンタの分割した魂がある。つまり私が何をしたいか、アンタなら分かるんじゃない?」


 アリスの説明に、ファザード卿が困惑の表情を浮かべた。


「小娘はなにを言って……」

「分割した魂が無くなっても本体が生きてるなら死にはしないはずだわ。どうなるか私でも分からないけど、試す価値はありそう」


 アリスが小瓶を手のひらで遊ばせる。

 その話に、シャーロットは意外そうに頷いていた。


「なるほど。確かにできなくもないけど……アリス、できるの?」

「さぁ? でも試す価値はあるんじゃない?」

「……アリス殿、一体なにをするつもりで?」


 アリスの話に、アルバルトが怪訝に問う。


「このジジイの反故にした誓約の魔法、その代償をコレに請け負ってもらうわ。もし失敗したらジジイは死ぬけどね」


 その質問に、アリスは手に持った小瓶を見つめながら答えていた。

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