第46話 少しくらい我慢しなさいよ
空から見れば、王都も随分と小さく見える。
空も青く澄み広がり、日差しも強い。意外と魔女の正装となる大きなとんがり帽子が役に立ってくれている。
風で吹き飛びそうになるとんがり帽子を魔法で固定させながら、王都の上空にアリスはいた。
彼女の足元に現れている紋様が描かれた丸い床。今では時代遅れとして扱われている魔法陣型の術式を使用して、アリスは空の上に立っていた。
「本当にかなりの数ね……一体どこからこんな馬鹿みたいな数が出てきたのよ」
事前に聞いていた通り、その場でアリスが周囲を見渡せば……確かに全方位から黒い集団のような塊の数々がこちらに向かっているのが見える。
何気なくアリスが左手の人差し指と親指で円を作って覗き込むと、白い光が彼女の左手に仄かに灯る。
そうすると、彼女の左手で作られた円の中に遠くの景色が映し出されていた。
「ゴブリンにダークウルフ、それにゴーレムとオーク。小型から大型まで勢揃い……随分と色んな魔物がいるわね」
一通り左手で作った円で周囲を見渡したアリスが呆れた声で呟く。
彼女の気のせいかもしれないが、昨日の早朝に一掃した魔物達と種類が随分と似ているような気がした。
「まぁ、今はそんなことどうでも良いか。どうせ全部まとめて殺すだけだし……さて、っと」
その場で背伸びをしたアリスが指を鳴らすと、彼女の指先が一瞬だけ眩い光を放った。
その光が空を一瞬だけ輝かせ、そしてすぐに消える。
その瞬間、王都全体に大きな白い膜が現れた。
それも一枚ではなく、現れた膜を更に覆うように膜が出現し、次々と膜が現れていく。
そして気づけば、十枚の膜が次々と現れて王都を覆う光景に、思わずアリスは苦笑していた。
空にアリスが到着した時、彼女が合図を送ればシャーロットが魔法障壁を展開する手筈になっていた。
「この規模の魔法障壁を十枚も同時に展開するなんて……やっぱりあのババアも立派な化け物ね」
王都を覆う十枚の魔法障壁を眺めて、アリスが心底呆れて苦笑してしまう。
王都を覆える規模の魔法障壁を展開するには、当然だが膨大な量の魔力を必要とする。
並の魔法使いなら展開すらできない。数十人の魔法使いが集まって、ようやく展開できるかどうかと言ったところだろう。
その魔法障壁をシャーロットが十枚も展開している。間違いなく化け物と言えるほどの魔力量と、それを可能にした彼女の持つ高精度の魔力操作があってこその成せる技である。
こんな大規模な魔法を立て続けに使っても、まだシャーロットの魔力に余裕があるのを知っている身としては呆れるしかない。
決して、アリスもシャーロットと同じことができないわけではない。ただ自分も、彼女と同類の人間なのだと思うと溜息を吐きたくなる思いだった。
「わさわざ十枚も要らないでしょ」
おそらくシャーロットが展開している魔法障壁なら、その強度も尋常なものではないだろう。彼女の展開した魔法障壁なら余程のことがない限り、壊れない強度を持っているに違いない。
「意地でも私の魔法を守り切るつもりね。あのババアも負けず嫌いは相変わらずだわ」
本来なら数枚でも事足りるはずの魔法障壁を十枚も用意したシャーロットの意図を察して、アリスが眉を顰める。
ここまであのシャーロットがするということは、それだけ彼女の本気が伺える。
つまり、もしアリスがこれから使う魔法で仮に一枚もシャーロットの展開する魔法障壁が壊れなければ……どうなるのか?
そのことを想像したアリスが無意識にうんざりとした表情を浮かべていた。
もし一枚も壊れなければ、きっとシャーロットなら間違いなく憎たらしい微笑みを浮かべて小馬鹿にしてくるに違いない。
まだ親には勝てない、師匠に勝つには百年早いなど楽しそうに言ってくるのだろう。
想像するだけで腹が立つ。それだけは意地でもさせるわけにはいかない。
「一枚も割れないと後で絶対にからかって来そうだし……私も本気でやるとしますか」
どの道、シャーロットには守り切ってもらわなければ困るのだが……せめて半分くらいは壊しておきたい。
間違っても王都を消して更地にすることは避けなければ、シャーロットも一緒に殺してしまう。
あの化け物なら平然と生き残ってそうだが、彼女だけ生き残っても意味がない。
無事この仕事を果たした報酬である魔導書が全て消し炭になっては身も蓋もない。それもアリスにとって避けたい結果だった。
「良い感じに手加減しつつ、ほどほどに全力で……なら八割くらいで良さそうかしら?」
自身の保有する魔力が全て戻っている状態から八割の魔力を使えば、おそらく丁度良いところだろうとアリスが目測を立てる。
常に自分の工房たる家に保有する魔力の半分を供給していた術式も今はない。その家も今はシャーロットの元に預けているのだから、間違えて王都を消してしまうと家も消し炭になるだろう。
魔法の発動が問題なく行えて、なおかつ効果範囲と威力を上げる為に必要な魔力量はある程度把握している。
あとは頭の中で構築した想定通りに術式を使用すれば良い。
そう思ってアリスが魔力を両手に集めようとした時だった。
「アリス様ッ⁉︎ この状況はどうにかなりませんか⁉︎」
ふと、アリスの下から大きな叫び声が響いていた。
その声にアリスが眉を寄せると、不快だと言いたげに声の主を見下ろしていた。
「別にそこで良いでしょ? なにか困ることある?」
「あるから言ってるんです! なんで私を《リステクションチェーン》で縛ったままにしてるんですか!」
「私が楽だからだけど? それ以外ある?」
「もう少し気遣ってくれると助かるんですが⁉︎」
アリスの足から伸びている一本の光る鎖の先で、アルディウスは必死に叫んでいた。
一本しかない鎖で身体を縛られたまま、風が吹けば吹くままにアルディウスの身体が揺れる。
一度揺れれば止まることなく揺れ続け、更に風が吹く度に揺れる勢いが増していく。
アルディウスが下を見れば、小さい王都の街並みが見える。落ちれば間違いなく即死だろう。光る鎖に縛られたままでは杖も取り出せない。
もし落ちても、アリスが助けてくれる保証すらない。
とにかく今の状況は、アルディウスにとって気が気ではない状況だった。
「落ちないから安心しなさい。ちょっと揺れるくらいでしょ?」
「ちょっと⁉︎ この揺れを見て本当に少しだけと思うんですが⁉︎」
また風が吹いてアルディウスの身体が大きく揺れる。
前後左右に大きく揺れ動き、円を描くように揺れていく内に不思議とアルディウスの気分が悪くなっていく。
次第に口の奥から何かが出てきそうな感覚が彼を襲っていた。
「この体勢! かなり気分が悪いのでどうにかしてもらえませんか⁉︎」
「少しくらい我慢しなさいよ」
「少し吐きそうなんです!」
「……なら吐けば? 楽になるわよ?」
確かにアルディウスの身体の揺れ方を見る限り、吐き気も催すだろう。
三半規管が揺れまくり、船酔いと似た症状が起きているのだとアリスは察していた。
だからと言って、わざわざアリスが何かをするつもりもなかった。
「こんな空の上で吐けるわけないでしょう! 王族が自分の国の空で嘔吐なんてすれば生涯語り継がれるほどの失態になるに決まってます! だからアリス様がなんとかしてください!」
「それなら意地でも我慢すれば良いだけでしょ?」
「できそうにないからお願いしてるんです! お願いですから私にもアリス様が使ってる魔法陣を展開してください!」
「うるさいわね……やっぱり魔法、解かない方が良かったわね」
空の上で激しく揺れながら叫ぶアルディウスに、アリスが深い溜息を吐き出した。
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