第45話 常にアリスが発動している術式


 アリスが話していた通り、すぐにシャーロットは彼女達の前に姿を見せた。


 ふわりと魔法を使って王都の空から当然のように着地したシャーロットに続いて、何かが鈍い音を大きく立てて地面に落ちる。


 その音が響いた瞬間、忘れてたと言いたげにシャーロットから「あっ……」と声が漏れた。


「いやだわ、私ったらもう……でも意外と大丈夫そうね」


 落ちた何かに視線を向けてシャーロットが呟く。自然とアリス達の視線が向くと――それは光る鎖で拘束されたファザード卿だった。


 彼女の手から伸びている光る鎖の先で、拘束されたファザード卿が力なく倒れている。


 たった今、空から地面に叩きつけられたことで気絶しているのか、それとも初めから気を失っていたのか……アリス達には知りようがない。


 地面に叩きつけられたファザード卿が身動きひとつもしない。あの乱暴な落ち方を見れば、見ようによっては死んでるのではないかと思ってしまう。


 それは思わずアルバルトが彼の安否をシャーロットに訊くほどだった。


「シャーロット殿? まさかとは思うが……死んでないだろうな?」

「私もちょっとだけ心配したけど、ちゃんと生きてるわ。大丈夫よ、人間って意外と丈夫にできるから簡単に死なないわよ」

「かなり酷い音が鳴ったと思うのだが……」


 シャーロットと共に降り、地面に落ちたファザード卿から聞こえた音は、誰が聞いても生死を心配する音だった。


「意識がないのは初めからよ。彼、私と会うなり結構頑固に抵抗して来たから……少しだけ痛めつけて静かにしてもらっただけよ」

「少し……?」


 何気なくアルバルトが倒れているファザード卿を見れば、見えている彼の身体中に殴られたような痣が無数にあった。


 果たして、これで少しだと言えるのだろうか?


 そう思いながらアルバルトがファザード卿を眺めていると、彼の視線に気づいたシャーロットがわざとらしく肩を竦めていた。


「ちょっとしたお仕置きよ。悪いことしたんだから、少しくらい痛い目を見ないと」

「死んでないなら良いんじゃない? とりあえずそのままにしておけば?」


 シャーロットの返答に頬を引き攣らせるアルバルトだったが、アリスは特に気にする素振りも見せず気絶しているファザード卿に冷ややかな視線を送っていた。


 シャーロットが拘束しているのなら、たとえファザード卿が意識を取り戻しても彼女から逃げることは不可能だろう。

 平凡な魔法使いでは大魔女のシャーロットが扱う拘束の魔法から逃げる手はない。

 気絶している彼を問い詰めて聞きたいことは多くある。しかしそれも後で良いだろう。今は彼よりも先に優先させることがある。


 そう判断して、アリスは倒れているファザード卿から視線を外していた。


「ところでシャーロット。今のアンタ、魔力に余裕はある?」

「あら? この私にアリスがそんな分かりきったことを訊くなんて……随分と珍しいわね?」

「一応確認しただけよ。アンタが魔力切れなんてするはずない。あり余ってることくらい私も分かってるわ」

「分かってるのにわざわざ訊いたの? もしかしてお母さんをからかってるつもりかしら?」

「別にからかってないわよ。今から私が空で魔法を使うから、アンタに魔法障壁を張ってもらいたいだけよ。王都を覆う規模の魔法障壁を張りながらだと疲れるし、面倒。だからアンタが張ってくれると楽なのよ」

「アリスが……空から魔法? 私に王都を覆える規模の魔法障壁を展開しろですって?」


 アリスから告げられた言葉に、シャーロットが呆けた表情を見せる。

 そして怪訝に眉を寄せながら、シャーロットはアリスに訊いていた。


「アリス? もしかしてあなた……全方位から来てる魔物達をまとめて一掃するつもり?」

「そこまで分かってるなら私の言いたいこと、アンタならもう分かるんじゃない?」

「まぁ……!」


 その返答でアリスの意図に気づいたのか、シャーロットは目を輝かせると満面な笑みを見せていた。


「王都全体を攻撃できる魔法なんて……あの魔法しかないわ! 私のアリスがあの魔法を使えるなんて……!」


 嬉しくて仕方ないと言いたげに、まるで幼い子供のようにシャーロットが笑う。

 その笑顔に、アリスはうんざりとした表情を浮かべていた。


「勝手に喜んでなさい。それで? アンタは魔法障壁を展開してくれるの?」

「当然じゃない! 私の可愛い娘のアリスが使うあの魔法を直に防げるなんて……とっても素敵!」


 頬に両手を添えて、恍惚の表情をシャーロットが見せる。


 その表情に、思わずアルバルトとアルディウスは絶句していた。


 アリスがこれから使う魔法を、すでにシャーロットも察しているだろう。

 原初の魔法。大規模な術式を用いて使われる絶大な威力を持つ魔法をアリスが使おうとしている。


 その魔法を防げることを歓喜しているシャーロットは、どう見ても異様にしか見えなかった。


 アリスの成長は、同時に自身の成長になるとシャーロットは確信している。その娘が原初の魔法を使えると知って、おそらく彼女は喜んでいるのだろう。

 その魔法を直に防げる。それが自分にとって幸せなことだと思って笑っているシャーロットの表情は、アルバルト達に得体の知れない狂気を感じさせるものだった。


「間違っても防げなかったなんて言うんじゃないわよ? 私が魔法を使った後、王都が無くなってたなんて洒落にならないわよ?」

「そんなこと私がするわけないでしょう? 私の全身全霊を込めて防がせてもらうわ! だからアリスもちゃんと全力でやりなさいな!」

「言われなくてもそうするわよ。アンタが魔法障壁を展開してくれるなら手加減もしなくて良いし……私も術式を解くわ」

「まぁまぁ……! 良いじゃない! アリスの全力を防げるのならお母さんも頑張っちゃうわ!」


 アリスの話を聞いたシャーロットが楽しそうにはしゃぐ。

 年甲斐もなくはしゃいでいる自身の親にアリスが冷ややかな視線を送ると、彼女は肩を落としながら空に向けて右手を掲げていた。


「私の家、ちゃんと守ってくれるんでしょうね?」

「任せなさい。それぐらい手間でもないわ」

「そう、なら呼ぶわ」


 シャーロットの返事を聞いて、アリスが掲げた手を動かすと――すぐにそれは現れた。


 空からアリスの頭上に、彼女が所有する家が現れた。


 透明な球体に包まれた家がアリスの頭上に浮遊している。

 それに向けてアリスが手を僅かに動かすと、浮かんでいた彼女の家はシャーロットの頭上へと移動していた。


「……間違っても壊すんじゃないわよ」

「分かってるわよ。だから早く術式を解きなさい」


 アリスの家が移動した後、アリスとシャーロットが互いにしか分からない話を交わす。

 その光景と二人の会話を聞いていたアルバルトは、思わず二人に訊いていた。


「一体、二人はなにをするつもりなのだ?」

「ん?」


 アルバルトに訊かれて、アリスが視線だけを彼に向ける。

 怪訝にアリスの家を見上げているアルバルトに、アリスは首を傾げていた。


「あれ? アンタって初めて会った時、私の術式に気づいたんじゃないの?」

「む?」


 アリスに問われて、アルバルトが困惑する。

 アリスと初めて会った時。その時のことをアルバルトが思い出すと、ふと思い出したことがあった。


「……あの奇妙な術式のことか?」


 アルバルトが初めてアリスを見た時、彼女の身体に何かの術式が発動している痕跡があった。

 見たこともない術式の気配。それをアリスが独自に作った術式ということしかアルバルトには分からなかった。


「私も見たこともない術式から発動する魔法は分からぬ……アリス殿の身体にあった術式がどんな魔法なのか、私には検討もつかぬ」

「……そういうこと」


 アルバルトの返答に、アリスが納得する。

 そしてアリスは自身の家を指差しながら、彼に説明していた。


「私の家、たくさん魔法を使ってるから魔力の消費が激しいのよ。だから常に私が術式を使って魔力を半分供給してるの。その術式を解くだけよ」


 常に魔力を供給している。

 アリスから聞かされたことが本当なら今の彼女は――


「つまり……今までのアリス殿は」


 アルバルトが目を見開く。

 そしてアルディウスも、驚愕のあまり目を見開いていた。


 一度だけアルディウスが見たアリスの膨大な魔力。あれが半分ということは――


「アリスは常に半分の魔力しか持ってないのよ」


 苦笑するシャーロットから告げられた事実に、アルバルトとアルディウスは顔を見合わせながら困惑していた。

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