第44話 適当に連れて行く


 原初の魔法――それは人間が初めて魔法という力を認知した始まりの魔法として、古い歴史の中に刻まれた最古の魔法だった。


 その魔法の詳細は、今では古い文献にしか残されていない。一説では今の魔法使い達が扱う魔法の術式を作り上げた根幹の魔法だとすら言われている。


 大昔に訪れた星の危機に精霊達が使った魔法だとも言われ、その威力は極めて絶大であると古くから語られている。


 これも古い文献に残された記述になるが“原初の魔法”の発動には、大規模な術式となる十節の詠唱と莫大な魔力を必要とし、更に精密な魔力操作があって初めて発動することができるらしいのだが……


 それを実現させようと過去の魔法使い達が試行錯誤を繰り返したが……全て尽く失敗し、大きな被害を各地に生み出した。


 詠唱を唱えても魔力が足りなくて術式が発動せず、また大人数を集めて魔力をかき集めても莫大な魔力を精密に操作することもできず、全てが失敗してしまう。


 その数え切れない失敗の末、この“原初の魔法”は人間では再現不可能の魔法として扱われてしまった。


 そもそもの話、本当に“原初の魔法”は存在するのか?


 その疑問に、様々な持論を提唱する魔法使いがいた。

 精霊にしか使えない術式だと提唱する人間もいれば、偽物の術式だと語る人間もいる。


 絶えることのない論争は、今現在も密かに続いている。


 結局のところ、原初の魔法は誰にも使えない魔法だと言うのが今を生きる魔法使い達の総意だった。


「……アリス殿、原初の魔法を発動させた経験はあるのか?」


 それらのことを知識として理解していたアルバルトが、無意識に震えた声で問う。

 その所為で自然と疑う形になる彼の質問は、更にアリスを不快するのには十分だったらしい。

 いまだに信用しない様子のアルバルトに、眉間に皺を寄せていたアリスから舌打ちが鳴った。


「本当にしつこいわね。そんなに疑うなら手伝うのやめるわよ?」

「す、すまぬ……だが、私が疑うのも無理もないであろう? あの原初の魔法を使うと言われて簡単に信じる方が妙だとアリス殿も思わぬのか?」


 謝罪の言葉に続いて、アルバルトが引き攣った笑みを浮かべながらアリスに問う。


 当然だが、アリスも原初の魔法についての知識は持っている。その為、彼女もアルバルトの抱く疑問は理解できなくもなかった。


 確かに彼の言う通り、冷静に考えれば素直に受け入れられる方が奇妙な反応だとも思えた。


 誰も使えない魔法を使うと言えば、信じられるはずもないだろう。シャーロットならともかく、有象無象の魔法使いには理解すらできない話だろう。


 自分の価値観と他の魔法使い達の価値観は違う。それをアリス自身も十分に理解しているつもりだったが……思いの外、頭に血が上っていたらしい。


 その判断が即座にできなかった自分に心底呆れて苛立ちながら、渋々とアリスはアルバルトの疑問に答えることにした。その選択を選んだ方が、どう考えても早く話が終わりそうなのは明白だった。


「……昔、一度だけ使ったわ。これで良い?」


 淡々とアリスが告げる。

 その返答を聞いたアルバルトは目を見開いた後、ゆっくりと頷いていた。


「そうか……今もにわかには信じられない部分はあるが、アリス殿を信じよう」

「次、また似たような質問したら本当に手伝うのやめるから」


 半信半疑だと神妙な表情を見せるアルバルトに、アリスが淡々とした口調で答える。

 明らかに苛立っていると分かるアリスの態度は、すぐにアルバルトも彼女の言葉が本気であると察せた。


「もう言わぬ。その魔法を使うと言うことは、当然王都に展開する魔法障壁も相応のものを展開するということだろう?」

「当然。そんな失敗を私がするわけないじゃない」


 失笑しながらアリスが肩を竦める。

 その反応を見れば、もうアルバルトに言えることはなかった。

 仮に下手なことを言えば、本当にアリスは手伝わなくなるだろう。それだけは絶対に避けなければならない。


「ならアリス殿に全て任せよう。我々はアリス殿の指示通り、王都の外に誰も出ないよう手筈を整える」


 どの道、今の王都の状況はアリスに頼らなければ助からない。それは決して変わらない。そう自身に言い聞かせて、アルバルトは何度も小さく頷いていた。


「そうして。下手に外に出られて私の魔法で勝手に死なれるのは気分が悪くなるわ」

「うむ。残された時間も少ない。急ぐとしよう」


 アリスから承諾を得たアルバルトが頷いた後、ゆっくりと立ち上がる。

 そして周囲の騎士団員達を見渡すと、即座にアルバルトは彼等に指示を出していた。


「皆! 我らが国を守護する混沌の魔女殿から直々の命である! 我々を含め誰一人も王都から外に出すな! 民を王城に避難させつつ、我々は王都内で待機せよ!」


 アルバルトの命令が響き渡り、少し遅れて周囲から承諾の声が響き渡る。

 アリスとアルバルトの対話で止まっていた彼等の足が再度忙しなく動き出す。

 その光景をアルバルトが安堵した表情で眺めながら、ふと彼の視線がアリスに向けられた。


「ところでアリス殿。そなたの考えは分かったのだが……」

「なによ? まだ文句あるわけ?」


 また鬱陶しいことをアルバルトに訊かれると思ったアリスが自然と目を吊り上げる。

 しかしアルバルトは小さく首を横に振るいながら、その視線を少しだけずらして別の人物に向けていた。

 その人間を見ながら、アルバルトはアリスに訊いていた。


「我が息子をどうするつもりなのだ?」


 口を塞がれたアルディウスを見つめながら、アルバルトが頬を引き攣らせる。

 彼に指摘されたアリスがおもむろにアルディウスに視線を向けると、少しの間を空けた後……彼女は小さな吐息を漏らしていた。


「あぁ、居たのね。喋らないからすっかり忘れてたわ」

「話せなくしたのはアリス殿であろう?」

「そうだったかしら?」


 アルバルトに再度指摘されたアリスが小首を傾げる。

 その反応に今まで黙っていたアルディウスが堪らず口を塞がれながらも反論するが、言葉にならない声しか聞こえなかった。


「なんか魔法解くとうるさそうね。もうしばらくあのままにしておくわ」

「ほどほどにしてくれると助かるのだが……まぁ良い。とりあえず話を戻そう。我が息子をどうするつもりなのだ?」


 必死に魔法を解いてほしいと懇願しているアルディウスを横目に、アルバルトが話を続ける。

 彼の質問に、アリスはアルディウスに一切視線を向けることなく答えた。


「別に大したことじゃないわよ。ただあの男が自分の役目をちゃんと果たす為に、私の側に置いておくだけよ」

「自分の役目?」


 怪訝にアルバルトが眉を寄せると、アリスは呆れたと肩を落としながらアルディウスを雑に指差した。


「あの男が私の信頼を集めてくれるんでしょ? なら私の側に置いておかないと意味ないじゃない?」

「なるほど……そういうことか。ではアルディウスもアリス殿と共に空に行くのか?」

「面倒だけど一緒に連れて行くわ。適当に魔法で縛って引き上げておけば勝手に見てるでしょ?」


 アリスの話を聞いたアルディウスが耳を疑った。


 この後、アリスが空から魔法を使うまでは理解できる。それに自分が連れて行かれるのも理解できた。

 しかしその方法が適当に魔法を使って、という部分にアルディウスは嫌な予感しかしなかった。


 短い付き合いでアルディウスは嫌と言うほど分かっていた。このアリスは、他者に気を使うことを知らない。その彼女が自分を適当に連れて行くと宣っている。


 絶対にまともな方法ではない。アルディウス自身すら想像できない方法で空に連れて行かれるなど冗談ではなかった。


 拒否しようと試みてアルディウスが必死に声を出そうとするが、口を塞がれている状態では声も出ない。


「ほら、まだ色々言いたがってる。どうせうるさい文句だから放って置いた方が気が楽だわ」


 全く違う。必死にアルディウスが訴えても、やはり口を塞がれていては伝わるはずもなかった。


「アルディウスよ。あまりアリス殿を困らせるでない」


 アルバルトにも勘違いされ、アルディウスが必死に首を横に振るう。

 そのアルディウスの態度に、アルバルトは深い溜息を漏らしていた。


「我が息子よ。自身の役目を果たす大事な時に無粋なことを言うものではない。我が国を救うアリス殿の活躍を、間近で見てくるのだ」


 自身の役目を果たすことに何ひとつ文句はない。そこに行き着くまでの方法がアルディウスにとって一番の問題だった。

 それを全く理解していないアルバルトに頭を抱えたい衝動に駆られながら、アルディウスが首を何度も横に振るう。

 言葉にならない声を叫び、アルディウスが懇願する。


 しかしそれも伝わるはずもなく……彼の行動は、ただアリスを苛つかせるだけだった。


「さっきからもごもごとうるさい! 良いからアンタはしばらく黙ってなさい! まだうるさくするなら声すら出せなくするわよ!」


 そして遂にアリスから釘を刺されて、アルディウスは黙るしかなくなった。

 魔法に長けたアリスなら本当に声すらも出せなくさせられるだろう。それだけは避けなければならない。


 まだアリスが魔法障壁を展開して空に飛び立つまで時間はある。それまでの間にどうにかして彼女に考えを伝えようとアルディウスは決意する。


 その為には、今は黙っていることが最善である。


 そう思い、アルディウスが静かに黙っているとアリスは満足そうに頷いていた。


「なによ、言えばできるじゃない。全く……できるならさっさとしなさいな」


 不機嫌だったアリスの表情が変わり、いつもの気だるそうな表情に戻っていく。


 その変化にアルディウスが安堵して胸を撫で下ろしていると、唐突にアリスが空を見上げていた。


 突如、空を見上げたアリスに、思わずアルバルトは怪訝に訊いていた。


「む? アリス殿? どうされたのだ?」

「あのクソババア、もう戻ってくるわ」

「シャーロット殿が? そう言われれば、彼女は何をされに行っていたのだ?」

「私に喧嘩売って逃げたクソジジイを捕まえに行ってるのよ。多分、捕まえてきたんでしょうね。私の魔力を追って来てるわ」

「消息が分からなくなったファザード卿を……流石としか言えぬ」

「あのクソババアの隠れた人間を見つける無駄な才能には本当呆れるわ」


 そう言って、次第に近くなるシャーロットの魔力を感じながら頬を引き攣らせたアリスは苦笑していた。

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