第39話 さっさと早く立ちなさい


 王都全体に展開されていた魔法障壁が突如消失した。


 その事実が王都に住む国民達に知れ渡ったのは、アリスとアウレリオの決闘が終わる間際の出来事だった。


 アウレリオによって放たれた上級魔法シルフィードブレスが魔法競技場の観客席を襲い、咄嗟の判断でアリスが防いでいる最中――それは起こっていた。


 空を見上げれば必ずあるはずだった魔法障壁が突如消失し、それとほぼ同時に王都の外を警備巡回していた騎士団から王都に魔物の大群が向かって来ているという報告がアルバルトの元に届いていた。


 接近する魔物の数は多数。その数は昨日に混沌の魔女が殲滅した数と同等か、もしくはそれ以上。


 アルバルトが各方面を警備巡回する騎士団から一斉に受けたその報告を全てまとめれば、何故か王都を中心に東西南北の全ての方向から魔物の大群が接近していることになっていた。


 王都内に魔物の侵入を防ぐ魔法障壁の消失と全方位から接近する魔物の大群。


 本来なら決して起こり得ないことが続いて起きている。この突如起きた二つの出来事にアルバルトが困惑するのも束の間、更に運の悪いことが王都内で起きていた。


 魔法障壁が消えて王都内が騒然とする最中、偶然にも王都の外にいた国民達が王都に魔物の大群が接近していることを王都内に広めてしまった。


 王都を守る魔法障壁がない。それはつまり、王都内に魔物の侵入を防ぐ術が全くないことになる。

 そのことを理解していれば、今の王都の状況が極めて良くないと国民達が思うのは当然のことだった。


 このまま魔物が王都に来てしまえば、間違いなく王都は魔物の大群に襲われてしまう。

 たとえ王都内にいる騎士団や魔法使い達の総力を集めても、全方位から接近する魔物の大群を防ぐのは困難だろう。


 ならば戦う力のない国民達はどう思うのか?


 時間が経てば、自分達は成す術もなく確実に死ぬ。その事実を唐突に突き付けられた国民達がどうするかなど分かりきっていた。


 迫る事実に耐えきれなくなり、戦う力のない国民達は揃って混乱し、王都内は恐慌状態となっていた。


 その王都内が混乱している中で、アルバルト達は総出で事態の対応に追われていた。


「今すぐ各隊の隊長達は騎士団員達を半数に分けよ! 半数は迫る魔物達の対応に向かえッ! 残りの全員は王都にいる民達を王城に避難させよ! まだ魔物達が王都に来るまで時間に猶予はある! 皆、総力を上げて民を守れッ!」


 王たるアルバルトの怒声が王都内の東側にある広場に響く。


 その声に、集まっていた騎士団員達が一斉に動き出した。


 大勢の鎧を着た騎士達が入り乱れる広場の光景をアルバルトが眉間に皺を寄せて見つめていると、アルディウスが恐る恐ると彼に声を掛けていた。


「父上、私も接近している魔物の対応に向かいます」

「アルディウス。お前は民達の避難に向かえ」


 淡々と告げたアルバルトの言葉に、アルディウスの表情が驚愕に染まった。


「何故です! 私もこの国の魔法使いの一人ですッ! 魔物に対抗する戦力は一人でも多い方が良い! それは父上も理解されているはずではッ⁉︎」

「王族のお前が前線に出る必要はない。今はとにかく民達を非難させることが最優先だ」

「王族⁉︎ 今は立場など関係ありません! 戦える者ならば一人でも戦力が多くて損はありません‼︎」


 王族という立場ゆえに前線に向かうことを許さないアルバルトに、アルディウスが掴み掛かる勢いで怒声をあげる。

 しかし彼が懇願しても、アルバルトは一貫して淡々と口を開いていた。


「アルディウスよ。我々には、この国を守る混沌の魔女たるアリス殿もいるのだ。戦力として見れば、彼女の持つ力は非常に心強い。だが彼女一人だけでは、全ての方角を守るのは流石に難しいだろう。先の決闘でアリス殿もかなりの魔力を消費しているはずだ。幸いにもこの王都には騎士団に加えて、魔法使い達も大勢いる。今は王都の守備をアリス殿と彼等に任せるのが最善だろう。当然、後々のことを考えれば戦える私達も魔物の対応に向かうことになるが……それでも我々が最前線に立つことはない」

「父上! なにを仰って――」

「国を統べる我を始め、その次を継いでいくお前達が先に死ねば、残された騎士団の皆や民達はどうなる? 状況を判断し、指示を出す者がいなくなれば一瞬で国が崩壊してしまう。戦場で指揮官が先に死ぬことと同じように……我々が誰よりも先に死ぬことは何があっても許されない」


 告げられたアルバルトの話に、アルディウスの言葉が詰まる。


 国王たるアルバルト、その息子であるアルディウスを始め、王族は国の民達を束ね、彼等を守り、そして導く存在である。


 その人間達がいなくなれば、まとまりを失った民達は瞬く間に集団としての力を失う。指導者のいない集団が今の状況に対峙してしまえば、どうなるかなど考えるまでもなかった。


「ですが――」

「どちらも大切だが、まずは王都の心配よりも第一に国の民を優先させる。それをお前が分からないはずがないだろう?」


 確かにアルバルトの言う通り、今の状況は国民の安全を優先させるべきだろう。


 何よりも先に守る存在となる国民を決して安全ではないが一箇所に集める。その方が民を守るという点で手間が掛からない。バラバラに散った民を守るよりも格段に守りやすい。


 そのために混乱する民達を王城に集めている。それはすでに今も大勢の騎士団員達が現在進行形で行なっている。


 同時に王都の守備強化も、他の騎士団員達が進めている。


 それらの先を見据えてアルバルトが指示を出している内容に、アルディウスも反論が出せなかった。


 彼の言う通り自分も王族の一人である以上、アルディウスも戦場の最前線で間違えても死ぬわけにはいかない。

 そうなれば、彼自身が今からすることなど決まっていた。


「……騎士団の指示を出している各隊長達に避難の進捗を確認して来ます。状況が分かり次第、すぐに報告を」

「うむ。ならば状況の確認と伝達はアルディウスに任せる。頼んだぞ?」


 アルバルトの承諾を受け、アルディウスが頷く。

 そしてすぐに彼がその場から走り出そうとした時だった。


「ちょっと今アンタに行かれると私が困るのよ。勝手にどこかに行こうとしない」


 走り出したアルディウスの後ろ襟を、どこからともなく現れたアリスが唐突に掴んでいた。

 急に後ろ襟を掴まれて走る勢いを止められず、アルディウスの身体が後ろに倒れる。

 前触れもなくアリスに首を絞められて、思わず彼の口から悲鳴のような声が漏れていた。


「ごっ……!」

「アンタも男でしょ? これくらいで倒れてるんじゃないわよ?」

「ちょ……くびがしまっ……!」

「ほら、さっさと早く立ちなさい」


 呆れたと溜息を漏らすアリスに強引に襟首を持ち上げられて、首を絞められるアルディウスが慌ててその場から立ち上がる。

 そして立ち上がるなりアルディウスが咳き込むと、アリスは早々と彼の後ろ襟から手を離していた。


「ごほっ……! アリス様ッ⁉︎ 私を殺す気ですかッ⁉︎」


 思う存分咳き込んだ後、堪らずアルディウスが叫ぶ。

 目を吊り上げて怒りを露わにする彼に、アリスは悪びれもせず平然としていた。


「これくらいのことで人間は死なないわよ。意外と人間の身体って丈夫にできてるから心配する必要もないでしょ?」

「そう言う問題ではありません! いきなり人の襟首を掴むなんて危ないことを――」

「毎回アンタは文句ばっかりでうるさいわね。文句は後で聞いてあげるから今は少し黙ってなさい」


 叫ぶアルディウスにアリスが眉間に皺を寄せると、その場で彼女が指を鳴らした。


 パチンと乾いた音が鳴る。


 その瞬間、アルディウスの口が何かに縛られたように閉じられていた。


「ッ――⁉︎」


 口を動かそうとしても全く動かない。言葉を発することすらできなくなったことにアルディウスが困惑してると、アリスは不満そうに鼻を鳴らしていた。


「そこの王様と私が話し終わるまでアンタはそこで大人しくじっとしてる。わかったなら頷く。言っておくけど頷かないとその魔法解かないから」


 背筋の凍るようなことをアリスに告げられて、アルディウスの顔が固まった。

 黙らないとアリスに使われた魔法が解かれない。口を塞がれた魔法がどんな魔法かすら分からないアルディウスにとって、それはあまりにも恐ろしい言葉だった。


 一瞬でアルディウスが静かになり、大人しくその場で頷くとアリスは満足そうに頷いていた。


「やればできるじゃない」

「アリス殿、あまり私の息子をいじめ過ぎないでもらいたい」

「いじめてなんかないわよ。ちょっと静かにさせただけじゃない?」

「いや、どう見てもそれは……」


 口を塞がれ、その場で立ち尽くすアルディウスに、頬を引き攣らせたアルバルトが思わずアリスを窘める。

 しかしアリスも、一貫して反省する素振りを見せることはなかった。


「すぐに魔法は解くから安心しなさい。とにかく、アンタは今の状況を私に全部教えなさい」

「まさかアリス殿が自ら進んで我々に協力してくれると?」

「嫌々に決まってるでしょ。あのクソババアにアンタ達と合流するように言われただけよ。死ぬほど面倒だけど、やらないと私の大事な家壊されそうだからやる。それだけの話よ」


 驚くアルバルトにそう言って、アリスは腕を組むとうんざりとした表情を見せていた。

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