第38話 自分勝手にも程があるわ


 アリスの着ているドレスの中から今も悲鳴のような声が微かに聞こえる。


 衣服の中に入れているのにも関わらず、今も聞こえるその声にアリスがムッと不快に眉を寄せると、ドレスの小瓶を入れている部分に彼女はそっと指を添えていた。


 一瞬だけ白い光がアリスの指に淡く灯って消える。そうすると、いつの間にか微かに聞こえていた悲鳴はピタリと止まっていた。


「少しうるさいわよ。鬱陶しいからしばらく黙ってなさい」


 小瓶の中にいる魂に届かないと分かっていながらも、アリスが鼻を鳴らしながら呟く。

 耳をすませても、先程まで聞こえていた悲鳴が聞こえない。そのことにアリスが満足そうに頷いていると、唐突に彼女の背後で誰かがふわりと着地する小さな音が響いた。


 背後から感じる、馴染みのある魔力。


 それが誰のモノなのか考えるまでもなかったアリスは振り返ることもなく、その場で疲れたと言いたげに身体を伸ばしていた。

 両手を上に掲げて、アリスが背中を少しだけ後ろに逸らせる。背骨からポキポキと心地良い音が身体に響いた。


「アリス、お疲れ様。無事終わったみたいね」

「えぇ、少しだけ手間取ったけど問題なく終わったわ。というか、見てたアンタならそれくらい聞かなくても分かるでしょ?」


 シャーロットの声を聞きながら、身体を伸ばしたアリスが苦笑しながら振り返る。

 相変わらずなアリスの減らず口に、シャーロットは特に気にする様子もなく笑みを見せていた。


「一応確認よ。アリスが叩きのめしたアウレリオ君も心配だったしね。もう彼は大丈夫なのかしら?」

「あのクソジジイに分割した意識を身体に無理矢理入れられて操られてたみたいよ」


 アリスの返事を聞いた途端、ゆっくりとシャーロットの表情が強張った。


「……分割した意識? まさかとは思うけど自分の魂を切り分けたの? また随分と無茶な魔法を使って……魂の分割なんて最悪死んでもおかしくないわよ?」

「普通ならやらないわよね。まぁ一応、もうそこの男からクソジジイの魂は取り出したから安心して良いわよ」

「その魂、今はどこ?」

「小瓶に入れて服の中に入れてるわ。今は瓶の中で反省させてるところよ」


 そう言って、着ているドレスの一部をアリスが優しく手で叩く。

 その部分をシャーロットがしばらく凝視していると、その頬を引き攣らせていた。


「私が言うのもアレだけど、あなたも結構酷いことしてるわね。閉じ込めてる瓶に雷属性の魔法を付与させて魂をいじめ続けるのは流石に悪趣味よ。しかも声も魔法で聞こえないようにしてるのもかなり趣味が悪いわ」

「そこで寝てる男の身体を好き勝手に使った罰よ。人の努力を他人が勝手に使うのは度が過ぎてるわ。これくらいの罰、むしろ優しいものよ」


 アリスが顎で倒れているアウレリオを差す。

 呆れていたシャーロットだったが、彼女の話を聞くと意外そうに眉を僅かに上げていた。


「へぇ? アリスがそこまで言うのなら……この子、やっぱり強かったの?」

「アンタから見ても、多分強い方じゃない? 絶縁石で作ったあの剣は確かに厄介だったけど、それも別にって感じだったわ。でも身体の本当の持ち主が相手だったら、私も多少は手こずったかもね。だからと言って負けるつもりなんて微塵もなかったけど」

「相変わらずアリスは負けず嫌いねぇ」

「家族の中で一番負けず嫌いなアンタに言われたくないわよ」


 くすくすと笑うシャーロットに、アリスが目を吊り上げる。

 しかしすぐにアリスが肩を落とすと、彼女は溜息混じりに口を開いていた。


「それで? わざわざアンタが私のところに来たってことは何かあったの? 私も今から逃げてるあのクソジジイを捕まえに行かないといけないんだけど?」


 怪訝にアリスが眉を顰めて、シャーロットに訊く。


「あったと言われれば、あるわ。多分、あのファザード卿だと思うんだけど……彼、結構面倒なことしてくれたみたいなのよ」


 その問いにシャーロットが小さく頷くと、おもむろに彼女の人差し指が上を差していた。


 その指の動きに合わせて、アリスの視線が動く。


 アリスが見上げた空には、青い空が見えていた。


 そして競技場内を覆うシャーロットが展開した結界魔法と、本来なら王都全体を覆う結界魔法が見えるはずだった。

 必ず見えるはずの二つの結界魔法もとい魔法障壁。その内のひとつである王都を覆う結界魔法が、なぜか綺麗に無くなっていた。


 先程まであったはずのモノが無くなっている。その事実にアリスが気づいた瞬間、彼女の口から深い溜息が吐き出されていた。


「……アレが壊れた理由があのクソジジイですって?」

「多分ね。私もついさっきアルバルト君達から聞いた話だけど、何故かこの王都に魔物の大群が向かって来てるらしいわ。それも東西南北、全方向から揃って来てるみたい」

「……はぁ?」


 唐突なシャーロットの話に、思わずアリスが呆けた声を漏らした。


「王都を守る結界魔法が壊れたと同時に、魔物が王都に向かって来てる? そんなことが同時になんて普通あり得ないでしょ?」

「でしょう? だから多分、あのファザード卿が何かしたと思うのよ?」


 呆れた笑みを見せるシャーロットを見ながら、ふとアリスがあることを思い出していた。


「そう言えば……あのジジイ、確か王城にいたはずだわ」

「あら? 彼の魔力の痕跡を辿れたの?」

「さっきね。昨日、あのクソジジイの魔力は一度見てたから探るのは簡単だったわ」

「王城、ね。それなら話は早いわ」


 アリスの話を聞いたシャーロットが納得したと言いたげに頷く。

 その反応に、嫌な予感を感じたアリスの頬が引き攣った。


「まさかとは思うけど、あの壊れた結界魔法の術式って……」

「あの王城の中よ。一番厳重に管理されてる場所にあったはずだわ」


 苦笑いを見せるアリスに、シャーロットが肩を竦める。

 その話に、思わずアリスは頭を抱えたくなった。また彼女の口から深い溜息が漏れていた。


「やっぱり死ぬほど面倒なことになってるじゃない。なら王都の結界魔法が壊れたことも、もう王都に住む人達にも知られてるでしょ?」

「えぇ、もう魔物の大群が向かって来てることも知られてるわ。さっきの騒動に加えて、この騒動が相まって王都中が混乱してる。今はアルバルト君とアルディウス君達が総出で対処してる最中ね」


 たとえ国王が対処したところで、この騒動が簡単に収まるとも思えなかった。


 魔法競技場で起こった事故に加えて、王都を守る結界魔法が壊れ、魔物の大群が各方面から向かって来ている。


 ここまで一気に悪いことが起これば、普通なら王都内は慌てふためいているだろう。


 今頃、王都の中はどうなっているのか。想像するのもアリスは面倒だった。


「……あのクソジジイは?」

「私だと一度も見てないファザード卿の魔力は辿れないわ。アリスが見なさい」


 シャーロットに催促されて、アリスが渋々と魔法を発動させる。

 そしてすぐアリスはファザード卿の位置を探索し終えた。


「……王城から少し離れた王都の西側にいるわ」

「西側ね。そこなら私が行って捕まえてくるわ」

「いや、待ちなさいよ。どう考えても捕まえに行くのは私でしょ? アンタ、クソジジイの魔力分かんないでしょ?」


 今にも向かおうとするシャーロットに、アリスが待ったと声を掛ける。

 しかしシャーロットは悪びれもせず、アリスに答えていた。


「アリスの服の中にある魂を見たから大丈夫よ。近くに行けば彼の位置はちゃんと辿れるわ」

「それができるならわざわざ私が探知する必要なかったわよね⁉︎ 私に無意味な手間掛けさせるんじゃないわよ⁉︎」


 シャーロットがアリスの持っているファザード卿の魂の一部を見て、その本人を探知できるならアリスが探知魔法を使う必要はないだろう。


 わざわざ必要のない魔法を使わされたと不満を見せるアリスに、シャーロットはくすくすと楽しそうに笑うだけだった。


「ふふっ、ちょっとからかっただけよ。とにかく私はファザード卿を捕まえに行くわ。その間にアリスは今からアルバルト君達と合流して結界魔法と魔物の対応に向かいなさい」

「なんで私が……それもアンタがやりなさいよ」

「これも魔女の大事な仕事よ? ちゃんと働きなさい? またになるのは、お母さんが許さないわよ?」


 シャーロットの口から出た“ある単語”を聞いた瞬間、アリスの目が吊り上がった。


「だからその言葉を使うなって――」

「じゃあ先に行くわね〜!」


 アリスの言葉を遮ったと思えば、唐突にシャーロットが空に飛んで行った。


 彼女が飛び去った瞬間、風が周囲に舞う。


 その風を鬱陶しそうにアリスが受けた後、シャーロットが消えた空を彼女は呆然と見上げていた。


「……信じられない。あのクソババア、自分勝手にも程があるわ」


 引き攣った笑みを浮かべながら、空を見上げたアリスは何度目か分からない深い溜息を吐いていた。

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