第37話 小瓶に、紫色の光が迸った


 倒れるアウレリオを見下ろしていたアリスが何気なく周囲を見渡す。


 すでに競技場の中にいた観客達は慌てて避難したらしく、競技場の中にはほとんど人がいなかった。

 今だに二人の決闘の行く末を最後まで見届けていたのは、シャーロットの側にいるアルバルト達を含む一部の人間だけ。


 そのいつの間にか閑散とした競技場内を見渡して、自然とアリスは肩を落としていた。


「あれだけの大騒ぎにもなれば、こうなるのも当然ね」


 その場で身体を伸ばすアリスが気怠そうに呟く。

 別段、観客が居ても居なくてもアリスには心底どうでも良かった。むしろ先程のように守る手間などが起きない今の状況の方が彼女には都合が良かった。


「さてっ……と」


 まだ少しだけ痛む身体が今も発動させている回復魔法で治っていくのを感じつつ、おもむろにアリスが足を動かす。

 ゆったりとした足取りでアリスが歩き出すと、彼女は倒れているアウレリオの元に向かっていた。


「あり得ぬ……この身体で小娘に負けるなど、あって良いはずが……!」


 アリスが近づくと、必死にアウレリオが立ち上がろうとしていた。

 しかし身体を動かそうとしても思うように動かないらしい。彼の身体をよく見ると、肩と膝から先が不自然なほど全く動いていなかった。

 苦悶に表情を歪めるアウレリオを見下ろしながら、アリスは呆れたと言いたげに深い溜息を吐いていた。


「アンタの身体って本当に頑丈ね。あれだけ拳を叩き込んでも、まだ気を失ってないんだから」

「あの程度の攻撃で、この身体が負けるなどあり得ぬ。まだ、まだ私は……!」

「頑張っても無駄よ。もうアンタは動けないわ。さっきの攻撃で間違いなくアンタの肩と膝の関節は砕いた。撃ち込んだ私の拳にも骨を砕いた感触もあったし、流石にそのご自慢の大層な身体でも関節を壊されたら指先も動かせないでしょう?」

「ぐっ……!」


 必死に身体を動かそうとするが、身動きする度にアウレリオの顔が歪む。

 それは誰が見ても、痛みに耐えているようにしか見えない表情だった。


「その状態だと杖も握れないから高位の回復魔法も使えないでしょう? 杖なしと無詠唱でアンタが使える回復魔法の程度を考えても、骨の修復もかなり時間も掛かりそうねぇ?」


 どこか小馬鹿にした表情を見せて、アリスがクスクスと笑う。

 そんな彼女に、アウレリオは不満げに鼻を鳴らしながら失笑していた。


「まだ私は負けてなどいない。まだ勝負には、負けてない」

「その身体でよく言うわ。この国の王様が言ってたわよ? この決闘の勝敗はどちらかが負けを認めるか、もしくは戦闘不能と判断する怪我を負った場合、その者を敗者とするって……もう忘れたのかしら?」


 まだ負けを認めようとしないアウレリオに呆れて、アリスが肩を落とす。

 もうアウレリオに戦う力などない。それは彼の身体を見れば一目瞭然だった。

 身体の関節を砕かれて動けなくなった人間に戦う術があるはずもない。身体が動かないのだから剣も振れず、杖すらも握れない人間が戦えると思えるはずもなかった。


「認めなさい。アンタの負けよ。これで約束通り、アンタを牢屋にぶち込む。その身体を操ってたアンタの本体がどこに行ったか分かんないけど、逃げても必ず見つけてあげるわ。もうアンタの魔力は一度見たから覚えてる」


 アリスが見渡した時、人の居なくなった競技場内にアウレリオを操っていたファザード卿の姿はどこにもいなかった。

 おそらく先程の混乱に乗じて姿を消したのだろう。そう思いながら、アリスが人差し指を立てると楽しそうに笑っていた。


「魔法に詳しいアンタなら当然知ってるでしょ? 生物の持つ魔力は、その生物の数だけ些細な特徴がある。当然私達人間も同じように、同じ魔力を持つ人間はいないわ」


 アリスの立てた人差し指に、白い光が灯る。

 その光を見たアウレリオの口から小さな笑い声が漏れた。


「また馬鹿げたことを……魔力探知の魔法を使っても探知範囲などたかがしれている。王都全体を探知できるはずが――」

「それはやってみないと分からないわよ」


 そう言ったアリスの人差し指から小さな光が波紋のように広がっていく。

 ゆっくりと広がる光の波紋が大きくなり、消えていく。

 そして数回、その波紋が出ては消えると、アリスは小さく頷いていた。


「見つけたわ。アンタの本体、なんで逃げてないのか不思議だけど王城の辺りにいるみたいね」

「……」


 アリスの口から出た言葉に、アウレリオが息を飲む。

 その彼の反応を見て、思わずアリスの口角が上がっていた。


「当たりね。ならさっさと面倒なことされる前に捕まえに行くとするわ」


 そう告げて、アリスがアウレリオに背を向ける。

 もう用はないと振り返ることもしないアリスの背中に、アウレリオは失笑混じりに口を開いた。


「この身体が治った後、覚えておけ。必ず後悔させてやる」

「あぁ、そう言えばそうだったわ。本体を捕まえても、アンタの切り分けた意思はその身体の中にあったわね」


 アウレリオの話を聞いたアリスが思い出したように呟く。

 そのことを思い出したアリスが振り返ると、アウレリオの元に歩み寄る。

 次第に近づいてくるアリスを見つめながら、アウレリオがくつくつと笑っていた。


「ほぉ? もしや邪魔をされない為にこの身体を殺すか?」

「その身体の本当の持ち主がいるのに殺すわけないでしょ? 馬鹿なの?」


 首を傾げながらアリスが呆れる。

 その反応に、アウレリオは怪訝に眉を寄せていた。


「ならこの身体をどうするつもりだ? 魔法で拘束したところで、この身体なら容易に抜け出せるぞ?」

「別に、アンタの意思を引っこ抜くだけよ」

「は……?」


 アウレリオが反応するよりも先に、アリスの右手が彼の頭を掴んでいた。


「ただの服従の魔法だけだったら私も多少は手こずったけど、アンタが自分の意思の一部をその身体に入れてるだけなら話は別よ」

「一体、なにを……?」


 今からアリスが何をするのか見当もつかないアウレリオが困惑する。

 そんな彼に、アリスは肩を竦めながら口を開いた。


「意思の一部ってことは、言ってしまえば魂の一部ってことでしょう? それならその身体から魂を引っこ抜けば良いだけじゃない?」

「なっ――!」


 アウレリオの目が大きく見開かれる。

 今、アリスが告げた言葉の意味を理解して、アウレリオは動けない身体でも思わず声を荒げていた。


「魂を引き抜くだとッ⁉︎ そんな術式があるはずない⁉︎ 私が魂を植え付ける術式を作るのに何十年掛かったと思ってる⁉︎ 魔法を知ってたかが二十年程度しか生きてない小娘が抜かすなッ⁉︎」

「私にも、私なりの理由があったのよ。魂の在り方とか、そういうのは私も調べ尽くしてるの」

「なんだと……?」

「不老不死って、本当に素敵だと思わない?」


 驚愕するアウレリオに、アリスが満面な笑みを浮かべる。

 まるで子供のような、屈託のない彼女の笑みに、アウレリオは言葉を失った。


「まさか……小娘も、私と同じ――」

「話はおしまいよ。さっさと引っこ抜いて、魂を本体に返してあげる」


 アウレリオの話を遮ったアリスがそう告げた瞬間、彼の頭を掴んでいた彼女の右手が白く光る。


「言っておくけど、五体満足に戻れるなんて思わないでね? ちゃんと本体に戻るまで、私が罰を与えてあげるから」

「や、やめろ……小娘、私になにを」

「それは実際に見てからのお楽しみよ」


 そう言って、アリスが笑うと彼女の右手が眩く光った。

 眩い光がアウレリオを覆い、そしてすぐにその光が消えていく。

 そうしてアリスの右手から光が消えると、アウレリオは目を閉じて意識を失っていた。


 ゆっくりと、アリスの右手がアウレリオの頭から離れる。


 すると彼の頭から、何か白い塊のような物体がアリスの右手に張り付いていた。


「ひとつの身体の中に二つの魂があると結構難しいわね。間違えて本体の方を抜きそうだったわ」


 呟くアリスが右手に張り付いた白い物体を手の中でこねくり回す。


 なにか悲鳴のような声が白い物体から聞こえるが、アリスは気にせず右手を動かしていた。


 そして何度も彼女が右手を動かしていくうちに、白い物体が小さくなっていく。

 気づけば片手で握り潰せるくらいまで小さくなったソレを、アリスは空いた左手で片手間に魔法で作っていた小瓶の中に入れていた。


「あとは仕上げね」


 左手の小瓶をアリスが右手の人差し指で小さく突くと、紫色の光が迸った。


 小さな紫電を小瓶が纏う。そして僅かに聞こえる悲鳴のような声。


「しばらくは痛い目でも見てなさい」


 その声を鬱陶しそうに聞きながら、アリスはその小瓶をドレスの中にしまっていた。

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