第36話 魔法使いでも拳のひとつくらい使うわよ


 術式の改変と本来よりも過剰に魔力を消費することよって強引に展開範囲の拡大化と強度を強化したアリスの《プロテクション》は、問題なく《シルフィードブレス》を防ぎ切っていた。


 強いてアリスがこの術式の問題点を挙げるとするのなら、咄嗟の判断で改変した所為で想定よりも魔力の消費が多いことだけだろう。


 もう少し、ほんの僅かな時間でも猶予があれば魔力消費の効率を数段良くできた。それだけがアリスの抱える唯一の不満だった。


「この私にこんな不恰好な術式を使わせるなんて……!」


 その不満のあまり、苛立ったアリスが眉間に皺を寄せる。


 アウレリオが好き勝手に《シルフィードブレス》を放つ方角を変えるのに合わせて、アリスも《プロテクション》を展開させながら動く。


 観客席に向けて上級魔法の《シルフィードブレス》が放たれ、身の危険を感じた観客達が競技場から慌てて逃げていく。

 各々が思うままに逃げている所為で競技場内が混乱している様を横目に、アリスの口から自然と舌打ちが鳴った。


「なんで私が守らないといけないのよ」


 《シルフィードブレス》を防ぎながら、アリスが不満を呟いてしまう。

 知らない人間が死んでもどうでも良いと思いながらも、咄嗟に行動してしまった自分に嫌気が差す。


 仮に今塞いでいる《シルフィードブレス》が観客席に衝突すれば、軽く数百人は死ぬだろう。


 指定した方角に巨大な風の渦を放つ《シルフィードブレス》は、その風自体に裂傷を与える力が備えている。


 広範囲を吹き飛ばしながら、その全てを切り刻む。それが七節詠唱によって発現した《シルフィードブレス》の能力である。


 この魔法の威力なら、競技場すらも貫いて王都内にも被害が出るだろう。最上級魔法は、それだけの力を秘めている。


 それを本当なら躱すだけで良いのに……わざわざ身を挺して守っているのだから、アリスは頭が痛くなる思いだった。


「全く……これもシャーロットが守れなんて余計なこと言うからよ」


 自分がこうなった原因たる彼女に向けて、アリスが不満を垂れる。

 シャーロットの言葉によって反射的に動いてしまった自分が憎たらしくて仕方ない。もしかすれば、先程の言葉に魔法でも仕掛けられていたのかと思いたくなる。


「まぁ良いわ。やってしまった過去を変える方法もないし、それに私の視界で人が死ぬのも気分が悪くなる。それにわざわざシャーロットがあんなこと言ったってことは――」


 競技場から観客席に向かって縦横無尽に動くアウレリオの《シルフィードブレス》をアリスが守っていると――突如、競技場と観客席を隔てるように薄い膜が展開されていた。


 競技場内に展開される膜。それが結界魔法だと判断してアリスが自然とある方向に視線を向ければ、観客席に座るシャーロットが人差し指を光らせて掲げている姿が見えた。


「アンタなら、当然そうするわよね。手間が省けたわ」


 シャーロットが結界魔法を展開させたことで、もうアウレリオの《シルフィードブレス》を防ぐ必要もなくなった。


「私もここまで好き勝手にされたら、一発はあの綺麗な顔を殴らないと私の気が済まないわ。いや、違うわね……一発で済ませるのも気分が悪いわ」


 失笑交じりに呟いて、アリスが展開していた《プロテクション》を少しだけ上に向ける。

 正面から防いでいたアリスの《プロテクション》が斜め上に向けられたことで、少しずつ《シルフィードブレス》の方向が上に変わっていく。


 シャーロットが展開する結界魔法なら、たとえ最上級魔法でも壊れるまでかなりの時間は掛かるだろう。


 その判断をして《シルフィードブレス》の射線から身体を逸らせたアリスが展開していた《プロテクション》を解除すると、即座に行動を開始した。


「折角なら、あの顔面ボコボコにするくらい殴らせてもらうわよ」


 そう呟いたアリスが《ソニックムーブ》で姿を消しながら前方に移動し、アウレリオの目の前に瞬時に現れる。

 突如、アリスの姿が眼前に現れて、《シルフィードブレス》を放っていたアウレリオが目を見開いた。


「私の《シルフィードブレス》を守らずに来ただと――!?」

「まずは一発、遠慮なく貰うわよ」


 アリスが右手を振りかぶった瞬間、彼女の右腕が消えた。

 そしてアウレリオの意思が反応するよりも先に、彼の身体は後方に吹き飛んでいた。


「ぐっ――!」


 左頬に鋭い衝撃。口内に広がる血の味を感じながら、攻撃を受けて展開していた《シルフィードブレス》が維持できなくなったアウレリオが僅かに遅れて殴られたと認識した。


「次、まだまだ私は満足してないわよ」

「魔法使いが武術など使いおってッ!」

「魔法使いでも拳のひとつくらい使うわよ」


 吹き飛ぶアウレリオの耳にアリスの声が聞こえた途端、彼の背中に鈍い痛みが走った。

 彼の視界に、既に右足を振り上げたアリスがいた。その姿で自身が蹴られたと理解する。

 身体に走る痛みは、とても華奢なアリスの身体から放たれたものとは思えなかった。


 彼女から放たれる全ての一撃が、身体の芯に響くほど重い。


 この卓越した身体ですら反応すらできない速さで撃ち込まれるアリスの攻撃を前に、思わずアウレリオの表情が歪んだ。


 空に吹き跳びながらアウレリオが絶剣を構える。これから来るアリスの攻撃に合わせて、反撃を試みる。


「この異様な速さでも、この身体なら」

「させるわけないでしょ。アンタが使ってる身体でも、もう反応させないわよ」


 アリスの声が聞こえたと思えば、アウレリオの身体に鈍い鈍痛が響いた。

 今度は脇腹と腹部に一撃ずつ。反応できなくても、アウレリオの目はアリスの動きを視認していた。


 空に吹き飛ぶアウレリオに合わせて飛びながら、彼の脇腹にアリスが左拳を撃ち込み、その場で縦に一回転して右足を振り下ろした。


 そのあまりにも速過ぎる彼女から撃ち込まれる攻撃に、アウレリオは理解する間もなく地面に叩き落とされた。

 絶剣を振るう隙すらない。どうにか受け身で地面に着地したアウレリオは苦悶の声を漏らした。


「ここまでの素早い攻撃が身体強化だけでできるはず――!」

「正解、これ使うと正直疲れるのよね」


 いつの間にかアウレリオの死角からアリスの声がする。


「身体強化の《フィジカルブースト》で強化した身体で攻撃を撃ち込む時、高速移動できる《ソニックムーブ》で拳の速度だけ強引に底上げしてるのよ」


 また顔面に拳を受けて、アウレリオの身体が後ろに仰け反る。


「それだけじゃないわよ? これだけだと威力が足りないわ。勿論、私の拳が当たる寸前に肘から《エアハンマー》を放出させて更に拳を加速させてるわ」


 アリスが楽しそうに語りながら、アウレリオに凄まじい速さで拳を叩き込む。


「そんな馬鹿げた魔法の使い方で身体が持つわけが――!」

「だから回復魔法も同時に使ってるのよ。こんな無茶な身体の使い方すれば、強化しても筋肉がズタボロになるわ。言っておくけど、これ使ってる時って滅茶苦茶痛いんだから」

「四つの術式を同時に発動だと⁉ 小娘がふざけたことを抜かすなッ⁉」


 身体強化、高速移動、風属性の魔法に加えて回復魔法。

 アリスの話が本当のことなら、彼女は四つの魔法を同時に使っていることになる。

 複数の術式を同時に使うことの難しさは、魔法使いなら誰もが理解していることだ。二つでも困難であるのに四つの術式を同時に発動させていると聞かされても、到底アウレリオには信じられない話だった。


「勝手にそう思ってなさい。信じられない時点でアンタの実力は程度が知れるわ。それにアンタ、好き勝手にやり過ぎたのよ」

「これしきッ――!」


 アウレリオが強引に絶剣を振るう。

 一度でも絶剣が当たれば、それだけでアリスには致命傷になる。

 しかし薙ぎ払われた絶剣を身を屈めて前に進むアリスの頭上を通り抜ける。

 無防備なアウレリオの眼前で、アリスが拳を構えた。


「その大層な剣も、使う人間が大したことないんじゃ宝の持ち腐れね。その身体の本当の持ち主なら、もっとまともに使えたかもしれないわよ」

「抜か――」

「だから遅い。もう本当にこれで終わりにするわ。かなり痛いけど、我慢しなさいな」


 両手に紫の光を灯らせて、アリスが拳を振り抜いた。

 アリスの両腕が消え、二人の周囲に小さな紫電が迸る。

 瞬時に数えきれない程の拳をアリスに撃ち込まれたアウレリオの身体が、その場で身動きひとつもできずに震える。


 そして数秒の後、アウレリオの身体は紫電を纏いながら地面に倒れていた。

 倒れた彼の身体が、小さく痙攣を繰り返す。


「ふぅ……かなり疲れたけど、満足したわ。それにしても、これを雷属性の魔法だけで使ってる“あの子”も大概化け物ね。私でも術式を五個使わないとできないわよ」


 その身体を満足げに見下ろしながら、アリスは顔を歪めながら自身の腕を擦っていた。

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