第29話 どうか私を殺してください


「残念。でも良い線は言ってたわ。普通の魔法使いなら今ので倒せてたかもね」


 背後から攻撃されたにも関わらず、アウレリオに振り向くこともせず、アリスは朗らかな笑みを浮かべていた。

 腕を組んだまま、その場から動く様子もないアリスの姿にアウレリオの眉間に皺が寄る。

 まるで相手にしていないと物語るアリスに、アウレリオは即座に動き出した。


 アリスの背後にいたアウレリオの姿が突如消える。


 その場からアウレリオの姿が消えた瞬間、唐突にアリスの右側面から彼の剣が薙ぎ払われた。


 しかしその剣も、また見えない壁によって防がれていた。アウレリオの眉間に、より一層深い皺が寄る。


 攻撃を防がれて、再度アウレリオの姿が消える。


 そして今度は、アリスの左側からアウレリオ身体が横に一回転しながら遠心力を乗せた一撃を放っていた。

 しかしその一撃も、アリスの前に存在する見えない壁によって防がれていた。


「ッ――‼︎」


 どれだけ力を込めても全く壊れない見えない壁にアウレリオが目を見開く。

 その姿を一瞥して、アリスは退屈だと言いだけに失笑していた。


「うーん、やっぱりその普通の剣だと私の≪プロテクション≫は壊せないみたいね」


 アリスが右側に視線を向けて、見えない壁に防がれたアウレリオの剣を一瞥する。

 変哲もない鉄製の剣。アリスの見る限り、魔法の付与もされていない鉄の剣など脅威にすらならなかった。


「プロテクション……だと?」


 アリスの呟きに、攻撃を防がれたアウレリオの口から声が漏れる。

 彼が怪訝に表情を歪める姿を見て、アリスは少しだけ驚いた表情を見せた。


「驚いたわ。まさか今のアンタが話せるなんて思わなかったわ」


 アリスの想定では、今のアウレリオに自我はないと判断していた。

 確認するまでもなく、目の前にいる青年は正常ではない。昨日の彼を知っていれば、今の彼は何かしらの魔法の影響を受けているとしか考えられなかった。


 やはり安易に考えられるのは、アウレリオの父であるファザード卿から受けた魔法の影響だろう。


 魔法によって対象者の意思を捻じ曲げて、その人間を魔法の使用者の思いのままに動かす方法はいくつか存在する。


 それらの魔法の影響を受けた人間は、意思を封じられてしまい自発的に話すことが困難になる。


 その効果が最も強い魔法が、禁忌とされている服従の魔法である。その魔法はその対象者の意思を封じ、魔法を使用した者の思うままに対象者を動かすことを可能とする。

 よって服従の魔法を使われれば、自我を失い、その人間の操り人形となってしまう。そのため、自由に話すことなどできない。


 それにも関わらずアウレリオが話したことに、アリスが怪訝に顔を顰めてしまう。

 しかし僅かな時間でアリスは思考すると、淡々とアウレリオに声を掛けていた。


「一応訊かせてもらうけど、アンタって大事な人とかいる? 例えば恋人とか? 私が王様達に聞いた限りだと、アンタにはそういう人間はいないって聞いてたけど?」

「……」


 答えないアウレリオに、アリスがムッと口を尖らせた。


「もしアンタにそういう人間がいるって言うのなら、あのクソジジイも随分と下衆なことするわね。でも、もしも私の思いついた別の方法なら……もっと悪趣味ね」


 そう言って、その場でアリスが指を弾いて鳴らす。

 その瞬間、アリスとアウレリオを覆うように透明な膜が展開されていた。

 アリスから魔法を使用されて、アウレリオが身構える。

 そんな彼に、アリスは肩を落としながら溜息を吐いていた。


「音を遮断する結界の魔法を使ったわ。簡単に壊れる術式だけど、この中なら私達の声は外に漏れない。もしアンタに意思があって、話を聞かれたくなくて喋れないって言うなら今だけは話せるから好きに喋りなさい」


 アリスに促されて、アウレリオの表情が歪んだ。

 唐突に彼の表情が苦悶の色に染まる光景に、アリスが眉を寄せる。

 まるで何かに抗うようなアウレリオが視線だけで周囲を見渡した後、その口を小さく開いた。


「……アリス様、どうか私を殺してください」


 どうにか絞り出した彼の声を、確かにアリスは聞いていた。

 そしてアリスが訊くよりも先に、アウレリオは続けていた。


「今の私は、父に服従の魔法を使われてします。どうにか今は抗っていますが……それも時間の問題です。今の私がこの魔法に抗えると知られれば、父が何をするか分かりません。ですから、今すぐに私を殺して、どうかこの国をお救いください」


 服従の魔法の影響を受けているのにも関わらず、アウレリオが自身の意思で話している。

 その事実に、アリスは心底驚いたと目を大きくしていた。


「……アンタ、凄いわね。精神干渉の類の魔法で最も効果の強い服従の魔法に抗ってるなんて」

「それは父の使った魔法が特殊だからです。今も私の中にいる父の意思が、出てこようとしています」

「……意思ですって?」


 苦しみながら告げるアウレリオの話に、アリスの眉が少し上がった。

 アリスが競技場内を見渡して、ファザード卿が座る場所に視線を向ける。


 アリスの視線の先には、楽しそうに微笑みながら自分達を見つめるファザード卿の姿があった。


「アリス様、今から伝えることは事実です。私の父は、自身の意思の一部を魔法の効果によって私の中に植え付けています。今も私達を見ている父も本物であり、私の中にいる父の意思も本物なのです」

「あぁ、やっぱりそういうこと」


 アウレリオの話を聞いて、アリスが小さく頷いた。

 どうやらアウレリオの中には、ファザード卿の意思があるらしい。

 それを可能とした服従の魔法の改変した術式は不明だが、その魔法でアウレリオは身体の自由をファザード卿の意思に奪われている。

 それを今だけ抑え込んでいるアウレリオには、アリスも素直に驚くばかりだった。


「可能性として考えてたけど、それもしても意思の分割ねぇ……よくそんな下賤で危ないことできるわ。下手をしたら使用者の精神が壊れるわよ?」

「その可能性を考慮しても、それをするだけの覚悟が私の父にはあったようです」

「ふーん? なに企んでるか言える?」

「それは――」


 アリスの質問に答えようとした途端、突如アウレリオが胸を抑える。

 その姿にアリスが眉を寄せたのも束の間、苦しんでいたアウレリオが何事もなかったようにその場に立ち尽くしていた。

 力なく俯いて立つアウレリオをアリスが見つめていると、おもむろに彼は顔をあげていた。

 感情を失った真顔になったアウレリオがゆっくりと口を開いた。


「ふぅ……邪魔が入ったな。小娘」


 その声を聞いた瞬間、アリスは察してしまった。

 深い溜息の後、アリスは呆れたと言いたげに肩を落としていた。


「……随分と悪趣味なことするわね。クソジジイ」

「私の息子が邪魔をしてすまぬな。では続きと行こう」

「まださっきの質問の答え、聞いてないんだけど?」

「小娘程度の人間が知る必要などない」


 アウレリオがその場で剣を振るうと、二人を覆っていた結界の魔法が壊れる。

 そして崩れ落ちて消える魔法の残滓の中、アウレリオは剣を構えて駆けていた。


 


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