第26話 いかにもな魔女の正装
執務室に現れたアリスを見た瞬間、本当に彼女がアリス本人なのかとアルディウスは疑いたくなった。
そう思いたくなるほど、明らかにアリスの風貌は劇的に変わっていた。
全く整えることもせず、傷んで枝毛の目立っていたアリスの長髪が今では驚くほど綺麗に整えられていた。
無造作に跳ねていた毛先も切り整えられ、さらさらとした髪質へと変わった美しい銀髪に思わず目を奪われそうになる。
そして顔も、寝不足で少し荒れていた青白い肌が嘘のように綺麗になっていた。化粧をしているのか不明だが、肌艶の良くなった白い肌が彼女の翡翠色の目をより美しく際立たせている。
ここまで劇的に変われば、元々端正だった彼女の顔が相まって、まるで別人にしか見えなかった。
それは自身の立場上、綺麗な女性を見ることが多かったアルディウスでも無意識に息を呑むほどだった。
綺麗に整えれば誰もが見惚れる美しい女性になりそうだと思っていたが、まさかこれほどまで彼女が美しくなるとはアルディウスは思いもしなかった。
「綺麗になったわねぇ! お母さんは嬉しいわ!」
「それを私に強要したアンタに言われたくないわよ。もしそこの侍女に対抗したら私の家を叩き潰すとか言い出されたら嫌でも従うわよ……まったく」
喜ぶシャーロットに、アリスが頬を引き攣らせる。
そんな二人に、アリスの背後で控えていたブリジットが淡々と口を開いた。
「シャーロット様の指示通り、アリス様の身なりを整えさせて頂きました。こちらで問題はありませんか?」
「大満足よ! ここまで綺麗にしてくれるとは思わなかったわ!」
「いえ、私は特別なことはなにもしていません。シャーロット様がご用意した品があったからこそです。私も、ここまで劇的に短時間で変わるとは思いませんでした。これも全てシャーロット様がご用意した品が特に優れていたからこそです」
「謙遜しなくても良いわ。道具も使う人間が未熟なら大した結果は生み出せないの。ここまでアリスを仕上げたのは、あなたの実力よ。誇って良いわ」
「……大魔女様からのお褒めの言葉、誠に恐縮です。有り難く頂戴致します」
予想以上に褒め倒すシャーロットの言葉に、ブリジットは深々と頭を下げながら受け入れた。
普段のブリジットなら褒めても素直に受け入れない。それを知っているからこそ、密かにアルディウスは少し驚いた。
やはりブリジットも大魔女を相手には強く出られないのだろう。上げた頭から見えた彼女の表情は、とても納得してないと言いたげに強張っているような気がした。
「うむ。私もここまでアリス殿が変わるとは素直に驚いてしまった。シャーロット殿、一体なにを用意したのだ?」
「ふふっ、わざわざ手間を掛けて色々と用意したのよ」
驚くアルバルトに、シャーロットは楽しそうに微笑んで話し始めた。
アリスの綺麗にするために、大陸各地を巡って美容の品々を集めていたことを。
「アリスの髪と肌を綺麗にしたのは大陸各地から取れる貴重な植物を集めて作った薬品なのよ。調合が特に難しいから、その手のことに詳しいエルフの人に頼んで作ってもらった甲斐があったわ」
「はぁ? アンタ馬鹿じゃないの⁉︎ わざわざエルフに頼んだですって⁉︎ よく殺し合いにならなかったわね⁉︎」
何気なくそう告げたシャーロットの話を聞いた途端、アリスが目を大きく見開いた。同じく、執務室にいる全員が驚いた表情を見せていた。
エルフ。その言葉を知るものなら、アリスの驚き様は当然だった。
世界のどこかに隠れ住む人種。見つけることも、見ることも困難だと言われるエルフの一族は、他の種族に対して特に排他的だと言われている。
もし運良く出会えても、即座に敵対行動を取られ、最悪殺されることもある。エルフの戦闘能力は別格に優れていると言われている。
そんな存在にシャーロットが出会っていたと聞けば、流石のアリスも驚くしかなかった。
「そこは全然大丈夫よ。かなり昔のことだけど、たまたま出会った時に全員返り討ちにしてから彼女達とは仲良くさせてもらってるの」
「……それ、仲良くじゃなくて単に恐れられてるだけよ」
「そう? 私が探して出向いたらすっごい丁重に対応してくれるから、仲良くしてくれてると思うけど?」
呆れるアリスに、シャーロットが首を傾げる。
相変わらず呑気な彼女の一面を垣間見て、アリスは溜息を吐き出していた。
「私も結構前にエルフの調合品が欲しくて出向いたけどあるけど……よくもまぁ、そんな手間を掛けたわね」
「だってアリス達に綺麗になって欲しかったんだもの。勿論、他の娘達にも渡してるわ」
「それ売れば一生遊んで暮らせる金が集まるわよ? 普通に売った方が良かったんじゃない?」
エルフの調合品は、どんな効能でも市場では特に希少な品として扱われている。少量でも屋敷が建てられるほどの価値を付けられる。
アリスなら喜んで売る。だがしかし、シャーロットは小さく首を横に振っていた。
「お金より美容よ。女の子なら綺麗でないとダメなの。アリスも女の子なんだからちゃんとしなさい」
「別にどうでも良いわよ、そんなの」
シャーロットの小言に、アリスが失笑する。
そんな次元の違う会話をしている二人に、他の三人は唖然とした表情を見せていた。
その時、ふとシャーロットはアリスの着ている服を見ながら口を開いた。
「後ね、あなたが今着てる服もエルフが作った物なのよ」
「……だからこんな服でも無駄に着心地が良かったのね」
そう言ったアリスが頬を引き攣らせて、自身の着ている服を見下ろした。
灰色の大きなとんがり帽子とドレスに、肘まで伸びた灰色のドレスグローブと黒のストッキング。そして胸に、灰色の宝石があしらわれたネックレス。
しかしドレスと言っても、アリスが着ているのはとても簡素なものだった。
フリルなど派手な装飾は一切ないが、上質な生地が使用されたと一目で分かる質感。灰色を基調とした全体に黒い細やかな装飾が施されたそのドレスは、紛れもなく一級品にしか見えない代物だった。
そのドレスを着た者を魅せるために、アリスの肩と胸元が露わになっている。そこから見える肌艶のある白い肌が、彼女を見た者に妖艶な印象を与えるだろう。
「そのドレスはアリスがこれから着る魔女の正装よ。だから当然、生地も特別な物を使ってるわ。魔力が通しやすくなってるから術式を付与しても魔力効率が格段に良いの。アリスなら私の考えてる以上にその服を使いこなせると思うわ。あと、そのネックレスは私からのプレゼントよ。それに魔力を通せば、防御魔法を発動して私に危険を知らせる効果を付与してるから危ない時は使ってね?」
「いや、こんなの要らないんだけど?」
シャーロットから着ているドレスの説明を受けて、アリスは心底嫌そうに顔を強張らせていた。
確かにアリスも今着ているドレスを着た時から分かっていた。
このドレスは普通のモノではないと。着心地の良さもそうだが、この服は魔法使いにとって非常に使い勝手の良いモノだろう。
魔力の通りやすい物は、当然ながら魔法の付与が容易く行える。魔力が通らない物に魔法の付与を行うと、それに応じた分だけ魔力の消費が大きくなると同時に魔法の付与が難しくなる。
そのため武器然り、防具など魔法が付与された物は特別な素材で作られている。つまりそれに応じて、その物の価値が高くなる。ゆえにその手の物は、入手が特に難しい。
もしこれをアリスが作れと言われれば、かなりの労力を費やすだろう。素材集めもそうだが、素材を加工する手間が非常に掛かる。それを面倒事が嫌いなアリスが好き好んでやるはずがなかった。
それにこんな大層な服を渡されても、魔法を扱うことに長けている自分が魔法の道具――魔法具に頼ることなどない。そうアリスは思っていた。
「着ないとダメよ。それが魔女の正装なんだから、ちゃんと着なさい」
「……着るの嫌なんだけど、こんないかにもな服」
そしてなにより、この服のデザインにアリスは不満を抱いていた。
いかにもな服。そうアリスが告げても、彼女とシャーロット以外は怪訝に眉を寄せていた。
大きなとんがり帽子と簡素なドレス。それはアリスが持つ記憶の中に、間違いなく覚えのある服だった。
この世界ではない場所。そこで子供の頃に見たことのある空想の魔法使い達が着ている服。子供が憧れる夢の存在達が着ているそれにしかアリスは見えなかった。
「アンタ……私が分からないと思ってるの?」
その記憶が脳裏を過ぎって、アリスが目を細める。
しかしシャーロットは悪びれもせず、朗らかに笑うだけだった。
「なにを言ってるのよ? すごく可愛いじゃない? 女性のブリジットさんもそう思わない?」
「この私に感性のことを訊かれても困りますが……アリス様の着られている服は、非常にお似合いかと思います」
「ほら、ブリジットさんもそう言ってくれてるわ」
「侍女がアンタの言葉を否定できるわけないでしょ。馬鹿じゃないの?」
ブリジットの淡々とした返事に喜ぶシャーロットに、アリスが苦笑する。
そのアリスの反応に、不満そうにシャーロットは口を尖らせた。
「む、なら男性の二人はどう思う?」
「ふむ? 私か? 私はアリス殿の姿はとても美しいと思うぞ? アルディウスよ、お前はどうだ?」
「わ、私ですか?」
アルバルトに促され、アルディウスがアリスに視線を向ける。
無意識に彼の視線がアリスの姿を下から上までを眺める。
その視線に、アリスは呆れた表情を見せていた。
「……女の身体をそんなまじまじと見るんじゃないわよ」
「あっ! いえ! 決してそういうことではッ!」
アリスに指摘されて、アルディウスが慌てふためく。
流石に女性の身体を見続けるのは失礼過ぎた。そう思って深々とアルディウスが頭を下げると、アリスは失笑交じりに溜息を吐き出していた。
「別にどうでも良いわよ。こんな格好してる私が悪いし」
「いえ、大変お似合いの姿かと私も思います」
「アンタの世辞なんか要らないわよ」
ドレスの裾を指で摘まみながら、アリスが肩を落とす。
そしてまた一度、自分の着ている服を眺めたアリスが深い溜息を吐きながら頭を雑に搔いていた。
「はぁ……なんで朝から私がこんな酷い目に遭わないといけないのよ。朝っぱらに叩き起こされたと思ったらシャーロットがいたのも意味分かんなかったし、そこの侍女に好き勝手に身体触られたし、本当最悪だわ」
そう呟いたアリスが歩くと、ソファに座るシャーロットの隣に気だるそうに腰を下ろした。
アリスがソファに座るなり、その場で足を組み、ソファの肘置きで頬杖を突く。
例え綺麗になっても、アリスの行儀の悪さは相変わらずだった。
アリスのドレスの短い裾から覗く、彼女の組まれた足にアルディウスの視線が自然と向く。それは決して、彼の意識で向いたわけではなかった。
「もっと分かんないようにやりなさい。次はないわよ」
「……えっ?」
アリスにそう言われて、アルディウスが呆ける。
まるで意識していないと言いたげに答えた彼の顔を見て、アリスは頬杖を突きながら小さく鼻を鳴らしていた。
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