第25話 もっと高く、その先の果てに
「シャーロット様を、殺せる?」
あまりにも突拍子のないシャーロットの返答に、アルディウスは自身の耳を疑った。
シャーロット・マクスウェルが持つ大魔女の称号。それはこのユースティア大陸の誰もが彼女を最強の魔法使いだと認めたことによって、そう呼ばれるようになった。
膨大な魔力を保有し、存在する全ての属性に適性を持ち、誰よりも魔法の扱いに長けたシャーロット・マクスウェルに敵う人間などいない。
その畏怖と敬意を込めて、彼女を大魔女と誰もが呼び称えている。
その最強たる大魔女をアリスが殺せると聞かされて、アルディウスが驚かないはずがなかった。
「えぇ、アリスならできるわ。この私が全力で彼女と戦っても私の勝敗は七割……いえ、多分五割くらいかしら?」
そう楽しそうに語るシャーロットの表情は、まるで子供のような笑顔だった。
屈託のない満面な笑顔。それがとてつもなく恐ろしいと感じたのは、おそらくアルディウスの気のせいではないだろう。
その異様な彼女の笑顔に、思わずアルディウスは訊いていた。
「どうして、そのような物騒な話で……シャーロット様は笑えるんですか?」
「えっ?」
アルディウスに指摘されて、何気なくシャーロットは自身の顔を触っていた。
吊り上がっている口角に触れて、自分が笑っていると自覚したシャーロットが一瞬呆けた表情を見せる。
しかしすぐにシャーロットの表情が笑顔に戻ると、彼女は嬉しそうに口を開いていた。
「この私を殺せるってことは……その人間って私よりずっと強くて、私よりも魔法を極めてる人間ってことよね?」
「……あなたに勝てれば、そうなりますね」
確かにシャーロットの言う通り、大魔女のシャーロット・マクスウェルに勝てれば、その人間が彼女より魔法を使うことに優れている証明になる。
同意するアルディウスに、シャーロットは嬉しそうに何度も頷いた。
「でしょう? つまりそれって私が今よりも更に強くなれる証明にならない?」
「……はい?」
なにを言っているか意味が分からず、アルディウスが困惑する。
しかし怪訝に眉を寄せた彼に、シャーロットは気にする素振りもなく終始楽しそうに微笑んでいた。
「だってそうじゃない? もしこの世界に私よりも強い魔法使いがいるのなら、その人間に勝つには……私自身が今より強くならないといけないでしょう?」
自分より戦闘力が高い人間に勝つには、単純にその人間よりも強くならなければ勝つことはできない。
そんな当たり前の話をシャーロットからされても、アルディウスは困惑するだけだった。
それを最強の魔法使いであるはずの大魔女が自分事のように語るのだから。
「この私が今よりも強くなれる。それは私の歩む魔法の道にも、まだまだ先がある証明になるわ。世間から大魔女だなんて仰々しい名前で呼ばれて、もう進む先がないと思っていた私の魔法が今よりもっと高みに至れる。そう考えただけで、胸の奥が熱くなるわ。その相手が私の自慢の娘だなんて……とっても素敵」
「…………」
両頬に手を添えて身悶えるシャーロットに、アルディウスの口から何も言葉が出なかった。
おそらく、いや間違いなく、この人間は常軌を逸している。
そう確信させるほどのナニカを、彼女からアルディウスは感じていた。
自分を殺せる人間がいることを喜ぶなど、普通ではない。それが自分の娘であることが何よりも嬉しいと語れる人間が、まともであるはずがない。
最初は彼女と話していて普通の感性を持った人間だと思っていたが、それは間違いだった。
大魔女と呼ばれるまで魔法を極めた魔法使いが、まともな人間であるはずがなかった。
「きっとあの子なら、まだまだ今よりも高みに至れるわ。もっと高く、その先の果てにあの子が辿り着いた時……私はあの子の成長を心の底から喜べる。だって、あの子の親であり、あの子の師匠たる私が自分の娘に負けるなんて許されないもの。子供が道を間違えた時はちゃんと正してあげるのが親たる者の役目。その為にも、そして私自身の為にも、私は今よりも更に強くなれるわ」
やはり、あまりにも考え方が違い過ぎるシャーロットにアルディウスの背筋に寒気が走った。
シャーロットは夢中で気づいていないのだろう。無邪気に語るにつれて、彼女の身体から魔力が漏れているのを。
じわじわと彼女の身体から溢れている魔力が執務室の中に充満する。魔力だけでは何も効果がないのにも関わらず、少しずつアルディウスの呼吸が息苦しくなっていく。
魔法使いは、自身の感情によって保有する魔力が意図せず漏れることが稀にある。魔力の制御が未熟な魔法使いならよくあることだが、熟練の魔法使いなら全く起きない現象である。
しかし魔法の扱いに長けた魔法使いでも、起きることはある。感情が特に高まった時、稀に起こる。
それがシャーロットに起きているということは、余程のアリスの成長を楽しみにしているのだろう。それが一目で分かるほど、彼女から魔力が漏れていた。
「シャーロット殿は魔法のことになると目がないな。昔から全然変わってない」
息苦しい執務室の中、アルバルトが朗らかな笑みを浮かべる。
そんな彼に、シャーロットは誇らしそうに胸を張っていた。
「当然よ。だって魔法には、無限の可能性があるんだから。知れば知るほど、やっぱり魔法って奥が深くて楽しくて仕方ないわ」
「それはそうと、シャーロット殿。部屋中にあなたの魔力が漏れている。少し息苦しいのだが」
「……あら、いやだ。私ったら」
楽しそうに話すシャーロットがアルバルトに指摘された途端、頬を赤らめる。
彼に告げられて、ようやく部屋に充満する自身の魔力に気づいたシャーロットがおもむろに右手の人差し指を掲げる。
そうすると、部屋に充満していた魔力が瞬く間に彼女の掲げた指に集まっていった。
シャーロットの人差し指の先で、集まった魔力が眩い光の球体となる。それを彼女は何事もなく右手で握り潰すと、いつの間にか魔力の球体は消えていた。
「え……?」
平然と行われた見たこともない現象に、アルディウスは目を見開いた。
「あの、今のは魔法ですか?」
「ん? そうよ? これはアリスが作った術式。相手の魔力を奪う《マジックドレイン》から派生した周囲の魔力を取り込む魔法ってところかしら?」
そしてまた平然とシャーロットに答えられて、アルディウスは頬を引き攣らせていた。
「またとんでもない魔法を……その魔法、使い方を間違えたら実質無限に魔法を使えることになりませんか?」
周囲の魔力を取り込めるということは、自身の魔力が枯渇しても補給できることになる。それは戦闘面において非常に有効な魔法だと思われる。
「これが意外とそうはならないのよ。周囲の魔法を強引に取り込んでも、私達の周りにある大地の魔力って限りがあるから取り込み過ぎたら当然枯れるし、草木が朽ちる。戦場とかなら魔法の残滓を集められるけど、それでも使い過ぎたら自然破壊しかねない魔法だから多用は厳禁ね」
「その術式、我々に教えてはくれぬのか?」
魔法の説明をするシャーロットに、アルバルトが興味を示す。もしその術式が使えるようになれば、国の戦力がかなり大きくなると考えられた。
「だーめ、教えないわよ」
「む、そこをなんとか」
「もし教えたらアリスが怒るわ。私も機会があってこの術式を覚えただけだから、あの子って自分の作った術式は誰にも教えないの。だから駄目」
アルバルトが懇願しても、一貫してシャーロットが拒否する。
シャーロットの返答にアルバルトは納得できないと表情を歪めるが、粘っても彼女は教えないと察して渋々と諦めるしかなかった。
落胆して肩を落とすアルバルトの隣で、その話をアルディウスは怪訝に眉を寄せた。
「作った魔法を誰にも教えない? 魔法の研究者なら作った魔法を世間に発表して国から報酬を得るものかと思いますが?」
工房を持つ魔法使いは、自身の研究を国に差し出し、その研究の成果が認められれば対価として報酬を得る。それを生計にして暮らしている魔法使いもいる。
むしろそれが一般的なことのはずなのに、それをしていないアリスの行動にアルディウスは疑問を抱いた。
「その手の人間とアリスは違うのよ」
「……もしや秘匿魔法ですか?」
頭に浮かんだひとつの可能性をアルディウスが口にする。
魔法を研究する魔法使いの中には、一部違う者達がいる。
魔法使いの格を示すモノのひとつとして、一族が隠し持つ特殊な魔法が存在する。
その魔法の術式を隠し、実演して発表し、一族が特別な魔法を有していると世間に知らしめ、魔法使いとしての格を示す秘匿魔法というモノが存在する。
それをアリスが考えているではとアルディウスは予想する。
しかしその問いにも、シャーロットは首を横に振っていた。
「そんな大層なものでもないわ。あの子の魔法は、全部自分のためだけの魔法なのよ」
「自分のためだけ?」
「えぇ、アリスと多少なりとも接してるのなら分かると思うけど、あの子って極端に面倒くさがりな子なのよ。だから自分の生活が楽になるために色んな魔法を考えてるの」
今までのアリスとのやり取りを思い出せば、確かにシャーロットの言う通り、アリスは色んなことを面倒がる。
それはアルディウスも嫌と言うほど実感していた。
「そう言えば、確かにアリス様が仰ってました。自分の家は自由気ままに暮らすために魔法で作り上げた努力の結晶たる家だと」
「そういうこと。アルディウス君の言う通り、その家はアリスの作った魔法で作り上げられた家なのよ。入ったらビックリするわよ。本当にあの家だけで衣食住の生活の全てが成り立ってるんだもの。自堕落に生きるために誰よりも勤勉になった結果ね」
そう言って、シャーロットが呆れた笑みを浮かべる。
実に気になる話だった。あの王城の空に浮遊している家だけで衣食住の全てが成り立つと聞かされれば、興味のひとつも湧く。
それが魔法だけで行われているのなら、魔法使いなら尚更惹かれるものがあった。
しかし簡単には入れないだろう。アリスに誰も家に入れる気がないことは、以前の会話を思い出してアルディウスも察していた。
「なるほど。だからアリス殿は魔法の創造に長けているのか……初めて彼女と会った時、妙な術式を使っていたな」
「……凄いじゃない。アルバルト君、アリスのあの術式に気づいたの?」
驚いたとシャーロットが目を大きくする。
そんな彼女に、アルバルトは小さく肩を竦めていた。
「彼女から妙に感じる魔力が乏しいと思ってな。もしやと思って聞いただけだ」
「あの子、相当悔しがらなかった?」
「うむ、そう言われればそうだったな」
「ふふっ、今度それでからかってあげないと」
「ほどほどにしておけ。それに混沌と言う名にも不満を持っていたぞ?」
「でも良い名前だってアルバルト君も思わない?」
「アリス殿を知れば、間違いなく一番似合っている名だと私も思う」
「でしょ?」
アルバルトとシャーロットが互いにしか分からない話をする。
また自分に分からない話をされてアルディウスが不満そうに眉を寄せる。
それに気になる話でもあった。だからアルディウスが訊こうと口を開いた時、それよりも先にアルバルトの声がそれを遮った。
「そう言えばだが、その件のアリス殿はどうしたのだ? 寝過ごしていると二人から聞いたが……今は彼女はどこに?」
先に話を切り出されて、アルディウスが言い淀む。
訊けなかったことに不満の表情を浮かべる彼を他所に、アルバルトの話にシャーロットがクスクスと笑っていた。
「あの子、言われないと身なりを整えないのよ。そろそろ来るんじゃないかしら?」
そんなことをシャーロットが言った時だった。
執務室のドアを、優しくノックする音が響いた。
「ブリジットです。アリス殿をお連れしました」
「む? ブリジットがアリス殿を……構わぬ、入って良いぞ?」
「承知しました」
アルバルトの許可を得て、執務室のドアが開かれる。
執務室の中にいた三人の視線がドアの方に向くと、ブリジットに促されて、一人の女が部屋の中に足を踏み入れた。
綺麗に整った銀髪を揺らして、執務室の中に入るなり、アリスは顔を顰めていた。
「本当最悪……なによ、これ」
「まぁまぁ! 可愛いじゃない!」
ブリジットに促されて執務室に入ってきたアリスを見て、シャーロットが満面の笑みを浮かべて喜んだ。
それと同時にアリスを見たアルディウスは、思わず目を奪われていた。
彼の視線の先には――灰色の簡素な綺麗なドレスに身を包んだ、見違えるほど綺麗になったアリスが表情を顰めて、そこに立っていた。
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