第24話 私を殺せる数少ない魔法使い


 アリスの寝坊事件が起きた後、アルディウスは突如現れたシャーロットと共に自身の父であるアルバルトの執務室に来ていた。

 彼の執務室に備えられたソファにシャーロットが座り、その対面にアルディウスとアルバルトが座る形で三人が向かい合う。

 そんな三人の間に置かれたテーブルに音もなく現れた使用人が三つのカップを置く。そのカップには、淹れたてだと一目で分かる小さな湯気が昇っていた。


「良い香りね。絶対美味しいって、この香りだけで分かるわ。流石は王様の住む王城に仕える使用人ね」

「大魔女様からのお言葉、恐れ入ります。おかわりが必要な際はお呼びください」

「是非そうされてもらうわ。ありがとう」


 シャーロットに礼を告げられた使用人が一礼して、執務室から音もなく立ち去る。

 足音も立てず、物音すら立てずに執務室から立ち去る使用人を見送りながら、シャーロットは小さく肩を落とした。


「ここの使用人達は紅茶が淹れるのが得意なのだ。私の自慢の使用人達が淹れた紅茶は美味であるぞ?」

「それだけじゃないでしょう? 前から思ってたけど……ここの使用人達の身体の動かし方、やっぱり普通じゃないわよ?」


 誇らしそうに語るアルバルトに、シャーロットがそう言って紅茶の入ったカップを手に取る。そのカップから香る紅茶の甘い匂いは、それだけで一級品だと分かるほどの香りだった。


「ふむ? そうだろうか?」

「相変わらず、アルバルト君はズレてるわねぇ……わざわざ使用人達に戦闘訓練させてるのはあなたの国だけよ?」


 たった今、執務室から立ち去った使用人の後ろ姿を思い出したながらシャーロットは紅茶を一口飲んだ。

 王の住む王城で働く使用人なら気配を消す術を会得していても不思議ではない。それが当たり前にできる優秀な人材と思えば、それだけで納得はできる。


 しかしシャーロットから見て、この王城にいる使用人達は明らかにその域から逸脱していた。


 歩き方を一目見ただけで分かった。この王城にいるほとんどの使用人達は、何かしらの戦闘技術を会得している。並の人間では彼等と戦っても歯が立たないだろう。

 わざわざそこまで使用人達を鍛え上げたアルバルトの方針に、シャーロットは呆れ混じりの失笑を漏らした。


「何が起こるか分からない世の中だ。それに我が国は魔物の被害が他国と比べて特に多い。皆が抗う力を持つことに越したことはないだろう?」


 シャルンティエ王国は、他国と比べて魔法技術が特に高い国として有名である。加えて、国が有する戦闘力が高い国としても名を馳せている。


 その一つの要因が、先程アルバルトが告げる話だった。


 魔物の被害が多い国として、優劣があろうとも国民が戦う力を持つことを推奨するのは自然な考えだろう。そうしなければならなかった国だと思えば、シャーロットも多少ながら納得できた。

 ゆえに、そこから起こる弊害もアルバルトは間違いなく理解しているのだろう。

 ならば必要以上に語ることもシャーロットにはなかった。それが王の示す国の道ならば仕方ない。それは、どの国も同じだった。


「まぁ、それもそうね」


 どの国も、どこかしら歪みがある。その歪みを魔女達が正してくれることを祈りながら、シャーロットはまた紅茶を一口飲んでいた。

 そう密かに思いながらシャーロットが優雅に紅茶を飲んでいると、その姿を見たアルバルトは朗らかな笑みを浮かべていた。


「それにしても、まさかシャーロット殿がこんなにも早く来られるとは思わなかった。夕方に来ると聞いていたが、予定より早く来たのにはなにか特別な理由でも?」

「私の大事な娘の晴れ舞台が楽しみで仕方なかっただけよ。子を持つ親なら、その気持ちくらいアルバルト君も分かるでしょう?」

「ははっ、それもそうだ。だが、シャーロット殿がそこまで子想いだとは思わなかった」

「むっ……それ、どういう意味?」

「褒めているだけだ。なにも悪い意味ではない」


 ムッと眉を寄せるシャーロットに、アルバルトが楽しそうに微笑む。

 そんな二人の会話をアルディウスは呆けた顔で聞いていた。


「む? どうした? アルディウスよ?」


 普段と違う様子のアルディウスを見て、アルバルトが怪訝に問う。

 なにも特別なことはないと言いたげなアルバルトに、アルディウスは表情を固くしていた。


「いえ、なんと言いますか……随分とお二人は仲がよろしいなと少し驚いただけです」


 どう見ても旧知の仲と見えるアルバルトとシャーロットの会話を聞いて、アルディウスはそう感じていた。

 自身の父があの大魔女と親しいとアルディウスは一度も聞いたことがない。それなのにも関わらず、二人が親しそうに話していれば驚くのも当然だった。

 アルディウスの話に、アルバルトは納得したと小さく頷いた。


「シャーロット殿とは昔からの仲だ。かなり昔に我が国の窮地を救ってくれた時から、彼女には友人として関わらせてもらっている」

「もう、恥ずかしい話はやめて。かなり昔の話よ。今はアルバルト君とは茶飲み友達ってだけよ。勿論、王妃ともね……そう言えばそのセシルさんは来てないけど、どうしたの?」

「ここ数日、体調を崩して休んでいるのだ」

「あら、大変ね。後で私が診てあげるわ」

「それはありがたい、是非ともお願いしたい」


 意外な話を二人から聞いて、アルバルトは反応に困った。

 今までこの国で生きていて、シャーロットと自身の両親が親しくしている場面など一度も見たことはなかった。


「どうして私にも秘密に?」

「……おそらく他の国も同じだが、自由奔放なシャーロット殿と私の交友が深いと周知されれば、彼女の力を利用しようと考える輩も現れる可能性もあり得る。上手く私達が誘導して、彼女の力を利用できないかとな」


 言いづらそうにアルバルトが答える。

 それはシャーロットと交友があることを公言できないのを悔やんでいると言いたげな表情だった。


「だからシャーロット殿には心苦しいことだが、この国を訪れた時は内密にこの場まで来てもらっていたのだ。誰にも認知されずに私と妻の元にな。彼女の力なら、その程度は容易い」


 大魔女と深い関わりがあると知られれば、誰が喜ぶか?

 その疑問にアルディウスは確かな答えがあった。

 魔法協会。この国で魔法に関する組織を統括する彼等なら、大魔女の持つ偉大な力はその一端でも喉から手が出るほど欲しいだろう。

 必ずしも全員がそう思うわけではない。しかし国も、組織も、多くの人間がいる場所は決して一枚岩ではないことを理解していれば、そう考えるのは当然だった。


「……私には教えてほしかったです」

「それができなかったのは、お前も分かるだろう?」


 息子である自分には教えてほしかったとアルディウスは思うが、それもできないことだとすぐに察していた。

 秘密とは知る人間が多くなるほど、露呈する可能性が大きくなる。ならば知る人間は最小限に抑えるべきだろう。

 しかし理解しても納得はいかない、というのがアルディウスの細やかな不満だった。


「まぁ窮屈だったのは確かだけど、それも私の新設した魔女機関のおかげで解消されるわ」


 その時、ふと紅茶を飲むシャーロットが嬉しそうに話していた。

 彼女の話に、満足そうにアルバルトが頷く。

 その様子にアルディウスが怪訝に首を傾げるが、すぐにその意味を察した。


「なるほど。魔女機関の創設でシャーロット様は大手を振って各国に出入りできる。そうなれば今までのように隠れる必要もないと」

「正解。そういうこと」


 アルディウスの話に、シャーロットが楽しそうに頷いた。


「私も前より自由になるし、各国も私と魔女となった私の娘達の力でより良い国になっていく。それで最後には六国が手を取り合ってくれれば良いんだけど……」


 そう語っていくシャーロットの表情が暗くなっていくのをアルディウスは見逃さなかった。

 力なく肩を落として落ち込む様子を見せるシャーロットに、思わずアルディウスは訊いていた。


「……なにか悪いことでも?」

「どこの国も似たような話があったのよ。アルディウス君がさっき教えてくれた話みたいなことがね」


 シャーロットの返事を聞いて、アルディウスの顔が強張った。

 彼がシャーロットに伝えた話。それはファザード卿がこの国から混沌の魔女を追い出そうとしている件についてだった。

 この国に彼女は相応しくないと宣い、周囲のアリスの印象を一方的に貶めた昨日の一件は、既にアルディウスからシャーロットに伝わっていた。

 それは当然、国王であるアルバルトにも伝わっている話だった。


「国も一枚岩じゃないのは分かっていたけど、ここまで全部で反発があると考えものね。もう解決した国もあるけど……アリスの場合、特に酷い話になってるわ」


 苦笑しながらシャーロットが語る。

 呆れる彼女に、アルバルトも力なく首を横に振っていた。


「私も息子から聞いた時は信じられなかった。まさかファザード卿がそのようなことをするとは夢にも思わなかった」

「件のファザード卿の噂は父上も耳にしていたと思いますが?」

「無論、私も知っていた。だが、彼は私の友。世間の噂を鵜呑みにするはずもなかろう。調べても、その証拠すらなかったのだ。それは調べていたお前も分かってるだろう?」


 当然のようにアルバルトに告げられて、アルディウスは目を大きくした。


「私がファザード卿を探っていたこと……知っていたんですか?」

「当然だ。お前の考えも理解できたからな。国家転覆などという大罪を目論んでいると噂があれば、お前がなにもしないはずもない」

「そこまで分かっていたのなら、なぜなにも対処されないのです!?」


 予想通りだった父の返答に、アルディウスの声が僅かに強くなる。

 しかしアルバルトは苦笑しながら、眉を寄せるだけだった。


「この国を私と共に支えてきた一人である彼を疑いたくはなかった。苦楽を共にしてきた彼が、そんなことをすると誰が思えるか。歳を重ね、会うことは少なくなろうとも、友である彼を信じられずにいられなかったのだ」


 それは信じたかったというアルバルトの本心だった。

 しかしその思いも、崩れ落ちた。そう語る彼の表情に、無意識にアルディウスは口を噤んでいた。


「人間、生きてれば変わるものよ。少しも変わらない人間なんていないもの。それが善であっても、悪であろうともね」


 口論する親子二人に、シャーロットが淡々と告げる。

 不思議と納得してしまう彼女の言葉は、どことなく経験談のような気がした。

 失笑するアルバルトを横目に、アルディウスは訊いていた。


「ファザード卿の場合、それは悪だと?」

「さぁ? 他人から見れば悪でも、本人にとって善となることもある。私達から見て魔女を排除しようとする件のファザード卿は悪でも、誰かには善に見える可能性もあるわ。善と悪なんて時代と共に変わるんだから当然ね」


 人の善悪の話をすれば、終わりがない。

 そう語るシャーロットの話に、アルディウスも理解しながら頷くしかなった。

 暗い雰囲気が執務室に漂う。しかしその中でシャーロットは持っていたカップをテーブルに置くと、彼女は胸の前で小さな音を立てて手を叩き合わせていた。


「別に二人が気に病むことじゃないわ。単に今回の話はファザード卿が悪いってだけよ。わざわざ色々と手間を掛けてアリスと決闘する話にされたけど、根本的に結果は変わらないんだから」

「シャーロット殿? 結果が変わらないとは?」

「私の自慢の娘のアリスが負けるはずないでしょう?」


 アルバルトにそう答えるシャーロットの表情は、平然としたものだった。

 予想している決闘の結果を疑いすらしていないと彼女の態度が告げていた。

 確かにアリスなら負けるとは夢にもアルディウスは思わなかった。


「やはりシャーロット様から見ても、アリス様の実力は高いと?」

「当然よ。だって私のアリスは――この私を殺せる数少ない魔法使いだもの」

「……は?」


 突然の言葉に、アルディウスは言葉を失った。

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