第23話 魔法の無駄遣い


 アリスとファザード卿が決闘の約束を交わした翌日。

 小鳥達がさえずる心地の良い朝を迎えた王城の一室で、アルディウスは使用人達と共に頭を抱えていた。


「アルディウス様……申し訳ありません」


 アルディウスの側に控えていた使用人の一人が深々と頭を下げながら謝罪する。

 その姿を一瞥して、アルディウスは小さく頭を振っていた。


「その謝罪は不要だ。ブリジット、これはお前が悪いわけではない」

「いえ、これはシャルンティエ王国に仕える名誉を授かった使用人であるのにも関わらず、私達一同の力不足によって起きた失態です。この度の失態、私達一同はいかなる処分もお受け致します」


 頭を下げていた使用人――ブリジットがアルディウスに再度謝罪の言葉を告げる。

 頑なに頭を上げようとしない彼女の綺麗に結われた茶髪を見ながら、アルディウスは呆れたと肩を落とした。


「そのようなことを私がする理由はない。もしお前達に何かあれば、王や王妃は勿論のこと私も当然悲しむ。むしろ、冷静に私を呼ぶ判断をしたお前達の行動は賞賛に値する行いだ。恥じることなどない」

「使用人である私達に……そのような慈悲は必要ありません。どうか私達に厳正な処分を」


 その声を聞いて、呆れたアルディウスの目がゆっくりと吊り上がった。


「ブリジット。お前達が必要以上に自分達を卑下するのは、それと同じくお前達を大切に思っている王達すら卑下することになる。ここまで言えば、賢いお前なら分かるな?」


 淡々と告げられたアルディウスの声に、ブリジットの肩が僅かに揺れる。

 その意図を察して、ブリジットは静かに頷いた。


「承知致しました。以後、留意致します」

「分かれば良い。だからもう頭を下げる必要などない」

「……かしこまりました」


 声色が柔らかくなったアルディウスに促されてブリジットが頭を上げると、それに続いて四人の女の使用人達も頭を上げていく。


 心なしかブリジットの後ろに控える使用人達から安堵の表情が垣間見える。

 しかしブリジットだけは毅然とした表情で、その場で誰よりも姿勢良く立っていた。


 相変わらずの使用人達の模範であろうとするブリジットの態度に、思わずアルディウスが溜息を漏らしたくなった。


 没落した貴族の出身から周囲に蔑まれることが多かったブリジットがこの王城で屈指の使用人として上り詰めるまでの経緯を知っている身としては、その成長は誇らしい限りだが……昔から随分と変わってしまった彼女に少しだけ呆れてしまう。


 たまには気を緩めても良いのにと思うが、今の彼女にそれを伝えても聞く耳を持たないことは過去に何度もアルディウスは見て理解している。

 ゆえに、ここでブリジットにその話をしても無駄だと察して、アルディウスは彼女から視線を今回の原因へと向けていた。


「……ブリジット、それで彼女に声を掛けてどれぐらい経つ?」

「予定から一刻以上は経っています」


 一刻――つまり一時間と告げられて、アルディウスは頭を抱えたくなった。


 この部屋にいる全員が見つめる先――部屋のベッドでアリスは心地の良い寝息を静かに立てていた。


 ベッドの上でネグリジェ姿で丸くなり、幸せそうな表情を浮かべて眠るアリスの姿は、まるで小さな子供のようにすら見えた。

 それだけ見れば、あの自分勝手なアリスが可愛く見えるのだから不思議なものだとアルディウスは頬を引き攣らせた。


「この方、全然起きません」


 寝ているアリスを見ながら、ブリジットが淡々と告げる。

 今もアルディウス達が平然と話していても、起きる気配すらアリスは見せなかった。

 そんな彼女を見つめながら、アルディウスは昨日アリスから伝えられていたことを思い出していた。


「自分は一度寝るとなかなか起きないとアリス様から聞いていたが……まさかこれほどまでとは」

「私達が何度も声を掛けても、全く反応がありません。まるで私達の声が聞こえてないのかと思うくらいです」


 そうブリジットに言われて、アルディウスは嫌な予感がした。


 昨日、アリスがファザード卿と決闘の約束を交わした後、彼女は睡魔の限界だと言って眠ろうとした。

 最初、彼女は自身の家で眠ろうとしたのだが、それをアルディウスは控えるように伝えていた。


 今回の決闘が起きるキッカケとなった出来事の原因である王城の空に浮遊しているアリスの家は、王城の中で危険物として認識されている。

 そんな建物に魔女が帰って寝ると言うのは、今のアリスの状況では周囲の人間に更なる悪印象を与えることになりかねない。

 そのため、懇切丁寧にアルディウスがそのことについて説明し、どうにかアリスに王城の部屋で眠ることを承諾してもらったのだが……


 アリスを部屋に案内した時、彼女が妙なことを話していたのをアルディウスは思い出していた。


『二つ、警告するわ。私の寝ている部屋に入るのは勝手だけど、絶対に寝てる私の身体に誰も触らないこと。それとこの部屋で魔法の使用もしないこと。もし破って何か起きても私、責任取らないから』


 そう言って、アリスは着替えた後、早々に眠っていた。

 その結果が、今の現状だった。


「本来なら強引にでも身体を揺すって起こすのですが……この方の場合、それをすると私達がどうなるか想像すらできません」


 ブリジットが苦悶に顔を歪める。

 アリスに触るなと厳重にアルディウスから忠告を受けている以上、彼女の身体に触れることができない状態で彼女を起こすには、声を掛けるしか方法がない。

 もしアリスの忠告を無視すれば、どうなるか。思い出されるのは、近づくなと言われた彼女の家に入ろうとした人間が全身を切り刻まれた時の光景だった。


 ブリジットの話を聞いて、あの時の光景を思い出したアルディウスの中に更に嫌な予感が大きくなった。


 寝ているアリスを起こすには、声を掛けるしかない。それは今も寝ている彼女も理解しているだろう。

 この部屋で寝れば、自分は間違いなく誰かに起こされる。二日も徹夜していた自分勝手な彼女なら睡眠を邪魔されるのを間違いなく嫌がる。


 そんな彼女が自分が起こされないために、なにをするか?


 触らせない。近づかせない。そして起こされない。これをアリスなら間違いなく全部するだろうとアルディウスは思った。


「おそらく……私達が声を掛けても、今のアリス様には聞こえないかもしれない」

「……どういうことです?」

「アリス様なら魔法を使って周囲の声を聞こえなくしてる可能性がある」

「はい……?」


 アルディウスにそう告げられて、ブリジットが呆けた声を漏らした。

 そして怪訝に眉を寄せながら、ブリジットはあり得ないと頬を引き攣らせた。


「わざわざ魔法を……?」

「アリス様ならやりかねない。身体に触らせず、魔法も使わせない忠告を彼女は私達にした。間違いなく起こされないためだけに、ならば声を掛けられることも彼女なら想定しているだろう」


 今までのアリスとのやり取りから、アルディウスは彼女の賢さを察していた。

 魔法の知識も当然だが、今までの会話の端々にアリスの地頭の良さが見えた。そんな彼女が全ての選択肢を潰してると考えるのは、当然のことだろう。


「……そこまでします?」

「魔法を自在に扱えるアリス様なら、あるいは」


 苦悶に表情を歪めるアルディウスに、ブリジットは唖然と頬を引き攣らせた。


「このままではアリス様は起きません。二日も徹夜されれば、おそらく昼以降まで眠られるでしょう。そうなれば、本日行われる決闘に間に合わなくなります」


 ブリジットの話に、アルディウスは深い溜息を吐いた。

 アリスがファザード卿と交わした決闘は、昼過ぎに王都内にある魔法競技場で行われる。

 そのために準備を進めなければならないのに、当のアリスが起きなければ何もできない。


 もしこのまま彼女が寝過ごしでもすれば、笑い話にもならないほどの失態である。

 そうなればファザード卿の要望通り、アリスはこの国から去ることになるだろう。それだけは避けなければならない。


 しかし起こそうにも、起こす方法がない。寝ているアリスが運良く起きてくれることを祈るしかできない。


「……どうしたものか」


 どうにかアリスを起こす方法をアルディウスが考える。

 治癒魔法が使える魔法使いをこの場に集め、死ぬ覚悟でアリスに自分が触れるべきか。

 または離れた場所から、何かで彼女の身体に触れるべきか。彼女の使ってる魔法が不明な以上、それでも死に掛ける可能性もある。


 どの道、アリスに触れた者は瀕死になる。どこの世界に寝ている人を起こして死に掛けなければならないのか?


 そう思いながら、アルディウスが頭を抱えた時だった。


「なんか騒がしいと思ったら、そういうことね。良いわよ。無理矢理にでも起こしちゃいなさい。あの子が発動させてる術式は私でどうにかするわ」

「……え?」


 突如聞こえた聞き慣れない声に、アルディウスから呆けた声が漏れた。

 その場にいた人間達が、揃って聞こえた声の方に振り向く。

 そして全員が部屋の入口に目を向けると――そこに居た人間を見て、アルディウスは目を見開いた。


「まさかあなた様は……シャーロット様ッ⁉︎」


 黒いローブと簡素なドレス。そして黒い長髪を揺らしながら、シャーロット・マクスウェルは朗らかに笑っていた。


「みんな、おはよう。さっさとそこの寝坊助を起こすわよ」


 そう言って、シャーロットが人差し指を掲げる。

 そして彼女の指に仄かに魔力が灯った時、部屋の中に膨大な魔力が吹き荒れた。


「よくもまぁ、ここまでの術式を……魔法の無駄遣いは相変わらずね。君達、私があの子の魔法を全部防ぐから意地でも彼女を起こしなさい」

「え?」

「早くしなさい。来るわよ」

「なにが……?」


 アルディウスが訊き返した途端、突然彼に向けて風の刃が降り注いだ。

 しかしアルディウスの身体は傷つくことなく、突如現れた光の膜が彼を守っていた。


 どこからともなく、次々と風の刃がアルディウス達に襲い掛かる。

 その全てをシャーロットが魔法で防いでいく。

 その光景を全員が眺めていると、シャーロットが催促の声を漏らしていた。


「多分、時間が経つにつれて攻撃が激しくなるようになってるわ。私でも防ぎ切れないまで数が増えると厄介だから早くしなさい」


 シャーロットに促され、アルディウス達が顔を見合わせる。

 そして全員が頷くと、一斉に彼等はアリスの元へと向かっていた。


「ちょ! なにッ⁉︎ なんでアンタ達、私に触れてるのよッ⁉︎」


 そして激闘の末――その部屋に、アリスから驚愕の叫び声が響いた。

 全員に身体を揺すられて、状況が理解できないアリスはわけもわからずベッドの上で目を回していた。

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