第19話 証拠がなければ、罪を証明できない


「アンタ達って本当に馬鹿じゃない? なんでそんな危ない人間を近くに置いてるのよ?」


 あまりにも馬鹿げたアルディウスの話に、アリスは呆れ果てた。

 国家転覆。おそらくそれは数多くある罪の中で最も重く罰せられる罪のひとつになるだろう。国に対する反逆行為が簡単に許されるはずもない。


 その重犯罪となる国家転覆を目論む人間を平然と国内に置いているなど、普通に考えてあり得ない。


 火のない場所に煙は立たない。その噂がある時点で、それを目論む人間がいる可能性があるのなら相応の対応をするべきである。

 そう思いながら苦笑するアリスに、アルディウスは小さく首を振っていた。


「なにも証拠がないのです。国や組織の上に立つ者ならば良からぬ噂のひとつやふたつ、いつの間にか出回ってるなどよくある話です。証拠がない以上、ただの噂を鵜呑みにすることはできません」


 その言い分も、アリスも分からなくはなかった。

 国や組織などの上に立つ者が、そこに属する人間全員に好かれるはずもない。

 方針や規則など、決められた事柄に納得できない者達は必ず存在する。そんな人間達が上に立つ者達に対して影で悪い噂話を捏造していると言われれば、多少なりとも理解できる。

 だが、それでも彼から聞いた今回の噂の内容を思い返せば、安易に放置できる内容とは全く思えなかった。


「いや、証拠がないって……軽い犯罪とかと訳が違うでしょ? 国家転覆よ? そんな馬鹿げた噂なんて普通出てくるわけないでしょ?」


 噂話で国の一部の人間が国家転覆を考えているなど、普通なら出回ることなどないだろう。

 汚職や軽犯罪と一緒に扱って良いものではない。その噂を聞いた時点で、何かしらの対処を取るべきである。


「……まさかずっと放置してたの?」


 堪らず、アリスは頬を引き攣らせた。

 自身に関係のないことだと思っていても、あまりにも馬鹿げた話にアリスが失笑してしまう。


「そんなはずありません。当然、我々も秘密裏に調べました。ですが……なにも証拠になるモノがなにも見つからなかったんです。罪を証明する証拠がなければ罰することもできません」


 疑いがあっても、それを証明するモノがなければ、それはただの言い掛かりにしかならない。

 肩を落とすアルディウスに、アリスは呆れたと小さな溜息を漏らしていた。


「そんな悠長なこと言ってられる話でもないでしょう? 噂の人間がそこら辺の適当な人間ならまだしも、偉い人間がそうだって言うのなら適当な罪でも吹っかけて牢屋にでもぶち込んでおけば良いじゃない?」


 とても安直な考えだが、自分が国の王ならそうするだろうとアリスは思った。

 自分の国を崩壊させるような人間が国内にいるなら、そうするのが最善だろう。

 たとえ勘違いだとしても、その可能性を潰せるのなら妥当な方法だと思える。それによって起こる不利益を一切考えなければの話だが……


「……できるはずないでしょう。仮にそれをして冤罪だと証明されてしまえば国を治める我々の立場が悪くなります。もしそうなれば彼等に隙を見せる可能性もある以上、確かな証拠がなければ無理です」


 アルディウスの考える心配も、当然のことだった。

 噂の真偽がどうであれ一度捕まえた人間が冤罪だったと証明されてしまえば、国は間違えて罪のない人間を捕まえたことになる。

 捕まえた人間が冤罪だった場合、どんな場合でも捕まえた国側に国民からの批判が向けられる。もしその人間が権力者なら、その批判は更に大きくなるのは必然だろう。

 そうなれば国側は都合が悪くなる。そして本当に国家転覆を目論む人間がいれば、彼等にとってこれほど都合の良いことはない。

 今の国に対する批判が大きくなれば、その分だけ国家転覆を実行し易くなる。もし本当に彼等が国家転覆を目論んでいるのなら、それだけは絶対に避けなければならない。

 となれば――やはり罪を証明できる証拠がない限り、安易に捕まえるのは得策ではないだろう。


 その考えも理解できるアリスだったが、やはり馬鹿げた話だと思えて仕方なかった。


「わざわざ隠れて証拠を探したってことは、少なからずアンタにとってアイツは疑える人間ってことなんじゃないの?」

「それは……」

「本当に疑えない人間なら噂も出回らないし、それにアンタも疑わないでしょ?」


 言い淀むアルディウスに、アリスが溜息混じりにそう告げた。

 手間を掛けて証拠探しをした時点でアルディウスを含む国側の人間達は、あのファザード卿を疑ったことになる。

 もし本当に疑えない人間なら、逆に無実を証明する選択をする。それをしない時点で、アルディウスはファザード卿を疑っていると公言している。

 それができるのなら、やはり安直に牢屋に入れるのが最善だとアリスは思えた。

 アリスの言いたいことを理解したアルディウスが顔を歪めると、渋々とその口を開いた。


「……少し前からファザード卿は魔法使いを過度に優遇する傾向が目立っていました」


 おもむろに話し始めたアルディウスの話に、アリスの眉が僅かに動く。

 その手の話には、彼女も心当たりがあった。

 

「あぁ、まだあるのね。その差別意識」

「はい……悲しいことですが、まだあります。魔法を使えない者を冷遇し、魔法を使える者だけを優遇しようとするファザード卿を含めた一部の思想を私の父……王から控えるようにと再三に渡って注意を受けていたのは、この王城の中で有名な話です」


 魔法を特別視する思想は、過去にアリスも耳にしたことがあった。

 魔法という存在を神聖化し、それを使える人間を特別な存在として扱い、対して使えない人間を劣悪な存在とする考えが一部の人間にある。


 実に頭の悪い思想だとアリスは思っていた。


 魔法が使えることを特別だと考えるのは勝手だが、それを他人に押し付けるのは頭の悪い行動としか思えなかった。

 術式に示された魔法を自身の魔力を対価に精霊の力を借りて発動する。これができるだけで特別な人間になれるわけがない。

 アリスに言わせれば、所詮魔法も手順の決まった技術のひとつでしかない。公式がなければ解けない数学と考えは同じなのだ。


 そんな馬鹿げた思想が今でも残っている事実に呆れつつ、ふとアリスは気になったことを訊いていた。


「控えるように、ですって? ならアンタ達はその考えには否定的なの?」

「当然です。たとえ魔法が使えても使えなくても、皆が人であることには変わりない。魔法以外にも専門的な技術を持つ人間は勿論います。実際、魔法でできることにも限界があります。医療、建築、農業などに優れた人間達が協力して国は成り立つと王と私達は考えています」

「へぇ……」


 予想以上だったアルディウスの話に、アリスが呆気に取られた。


 まさかここまで芯のある返事が彼から返ってくるとは思いもしなかった。

 魔法でできないことはある。全てのことが魔法で解決できるわけではない。それは魔法を扱う人間なら当然理解していなければならないことだ。

 アリス自身も、それを十分理解しているからこそ魔法の研究を日々続けているのだ。


 自身の考えと似たような考えが聞けて、思いのほか気分を良くしたアリスは自然と頬を緩ませた。


「……良い考えね。その考え、変わらないままでいる方が幸せよ」

「はい? 急にどうされました?」

「別に気にしなくても良いことよ」


 訊き返されたアリスがわざとらしく肩を竦める。

 その様子にアルディウスが眉を顰めるが、アリスは気にする素振りも見せずに話を続けた。


「それで? その差別思想を持った人間をなんでアンタ達は排除しなかったのよ? 王様とそれだけ考えが違えば、排除する立派な理由になるでしょ?」


 怪訝そうにアリスを見つめるアルディウスだったが、彼女からそう訊かれると渋々ながらも答えることにした。


「……ファザード卿は我が国の魔法技術の発展に大きく貢献した功労者の一人です。我が国の王もその思想には否定的ですが、過去の実績と長い交流を経て築いた関係を信用している。そんな人間を安易に捕まえることもできないのが現状です」


 国に貢献した人間を無碍に扱えず、王と少なからず仲の良い人間である以上は下手なこともできない。


 つまるところ、それがアルディウスの言いたいことだった。


 そうなれば特別なことが起きない限り、ファザード卿に何もできないだろう。

 特別なこと。その言葉が頭を過ったアリスは、自然と右手の人差し指をある方へと向けていた。


「ならアレで牢屋にでもぶち込みなさいよ。あのジジイ、まだ色々言ってるわよ?」


 アルディウスがアリスの指の先を目で追うと、そこには今だにファザード卿が大声でアリスを貶める発言をしていた。


「確かにできなくもないですが……」

「まだなにかあるわけ?」

「こんな私にとって都合の良いことをファザード卿がするとは思えなくて……なにか意図があるとしか」

「……分からなくもないわ」


 ファザード卿を見つめるアルディウスの不可解だと告げる言葉に、アリスも失笑しながら頷いていた。

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