第17話 七節詠唱の回復魔法


 唐突に邪魔だと告げたアリスに、白衣を血に染めた女が怒りで顔を歪めるのは当然のことだった。


「急になにを――」

「待って」


 今にも怒声をあげそうになっていた女の声を、もう一人の白衣を着た女が遮った。

 思いもしない制止の声に怒声を遮られた女が困惑の表情を浮かべる。だがもう一人の女は、それに気にする素振りもなくアリスを凝視していた。

 そして僅かな時間、アリスを見つめていた彼女は何かに気づいたのか――次第にその表情を驚愕の色に染めていた。


「……もしやあなた様は、混沌の魔女様ですか?」


 ふと漏れたその声に、周囲の人間達が驚きの表情でアリスを見つめる。

 周囲が驚くなか、その言葉にアリスが小さく頷いた。


「えぇ、そうよ。その魔女がアンタ達を邪魔だって言ってるの。その意味、言わなくても分かるでしょ?」

「ッ……!」


 そう言ったアリスの言葉を聞いて、白衣の女が息を飲んだ。

 応急処置をしている自分達を邪魔だと言うアリスがなにをしようとしているのか、それは彼女が魔法を扱うことに特出した人間だと理解していれば、すぐに分かった。

 その答えを察して、白衣の女は思わずアリスに訊いていた。


「……救えますか?」

「わざわざ訊く必要ある?」


 即答するアリスに、白衣の女は確信した。

 倒れている男を一瞥して、もう一人の相方に目配せした後、白衣の女はゆっくりとその場から離れた。


「……どうか、お願いします」


 アリスの邪魔にならない位置まで数歩離れて、白衣の女が頭を下げる。

 それに反応を示すこともなく、アリスは倒れている男に近づくと、その場で跪いた。

 アリスの身体と衣服が血で汚れる。しかし彼女はそんなことを気にする様子もなく、倒れている男を見つめていた。


 か細い息を続けて、倒れている男は今も血を流している。本来なら、すぐに死んでもおかしくない出血だった。

 しかし、それでもどうにか命を繋ぎ止めていたのは、先程まで応急処置をしていた彼女達の努力があったからだろう。


 そんな彼を見ながら、アリスは視線を向けることなく側に居た白衣の女に訊いていた。


「コレ、まだ意識ある?」

「……おそらく、我々の声には少なからず反応しています」

「そう」


 その返事を聞いたアリスが小さく頷く。

 そしてなにを思ったのか、アリスは倒れている男の血だらけの右手に自身の左手を置くと、唐突もない質問を口にしていた。


「死に際のアンタに訊くわ。一度しか訊かないからちゃんと反応しなさい……アンタ、まだ生きたい?」


 急がなければならない状況で、淡々とした声がアリスから発せられる。

 周りが今にも死にそうな男を心配しているなか、アリスが倒れている男にそう訊いた瞬間――


 彼の手が、僅かに動いた。


 ほんの僅かな力だが、まるでアリスの言葉に頷くように彼女の手を彼の手が握る。

 その反応を左手に感じながら、アリスは満足そうに頷いた。


「そう。その切望があるのなら、ほんの少しだけ気が変わったわ。私の家に勝手に入ろうとした罰は後でちゃんと受けなさい」


 そう言って、アリスは空いている右手を倒れている男に向けていた。


 アリスの手に、青い光が仄かに灯る。


 その光は、魔法使いなら誰もが知っている魔法が発動する予兆だった。


「流石にこの傷だと詠唱がないと厳しそうね」


 アリスの右手に灯る青い光が次第に強くなっていく。

 その小さな光が瞬く間に眩い光となっていく中でアリスは深呼吸すると――ゆっくりと口を動かした。


 眩い青の光と共に、アリスによって紡がれる言葉。


 それは彼女の魔力を対価として精霊に叶えられる、奇跡の詠唱だった。



「――詠じる我に集え。慈愛たる水の精霊よ。今ここに生命の唄を。癒しの旋律を奏でよ。散りゆく生命に慈愛の息吹を。消えゆく灯に新たな焔を。我の血肉を糧に彼の者に癒しを授けよ」



 アリスが詠唱を終えた瞬間、彼女の右手から青い光が溢れ出た。

 とめどなく彼女の手から溢れる青い光が、倒れている男に降り注ぐ。


 その青い光を彼が浴び続けると――それは起こった。


 彼が負っていたおびただしいまでの傷が、恐ろしい速度で塞がっていた。

 ひとつ、またひとつと傷が瞬く間に塞がり、青白い顔色だった男の肌色が次第に元に戻っていく。


「たった一人で杖を使わずに……最上級の回復魔法のリザレクションを!?」

「七節詠唱の魔法を直に見れる日が来るなんて――」


 その光景を目の当たりした白衣を着た女達が感嘆の声を漏らす。


 傷跡すら残さず、全ての傷が瞬時に癒えていくその光景は、紛れもなく奇跡と言える光景だった。


 そして数秒も経たず彼の傷は全て治り、彼は穏やかな呼吸で眠っていた。

 その姿を確認して、アリスは満足そうに頷いた。


「これで大丈夫そうね」


 手から溢れ出ていた青い光が消え、魔法の発動時間が終わったことを確認したアリスが立ち上がる。


「しばらくは寝かせて起きなさい。たとえ身体が治っても、摩耗した精神はすぐには戻らないわ」


 そして全員が完治した倒れている男に注目している中で、アリスは白衣の女達に話し掛けていた。

 呆けていた白衣の女達がハッと気づいた途端、即座に二人はアリスに跪くと、揃って首を垂れていた。


「承知致しました。後の処置は私達に」

「魔女様の癒しの力、感服しました」


 首を垂れた二人がアリスに答える。

 そんな二人に、アリスは失笑を返していた。


「そんな世辞は要らないわよ」

「本心です」

「……よく言うわ」


 首を垂れる白衣の女達に、アリスが不満そうに鼻を鳴らす。

 そしていつまでも頭を下げる二人にアリスは早く倒れている男の介抱をしろと促すと、二人は慌ただしく動き出していた。


「はぁ……疲れた」


 その光景を見ながら、そう呟いたアリスが肩を落とす。

 そんな彼女に、後ろで控えていたアルディウスが恐る恐ると声を掛けていた。


「ありがとうございます。アリス様」

「約束、ちゃんと守りなさいよ?」


 アルディウスを一瞥したアリスが目を細める。

 彼女から疑いの視線を受けて、アルディウスは大きく頷いた。


「勿論です」

「……後で逃げられたとか言うんじゃないわよ?」

「あの者は我々で厳重に監視しますのでご安心を」


 もしこれで助けた男に逃げられでもすれば、働き損になる。

 それだけは避けてほしいと願いながら、アリスはアルディウスに念を押すことにした。


「信じられないから言ってるのよ。もし逃げられたらアンタの両腕、引き千切るから」

「え……冗談ですよね?」

「それはアンタの行動と結果次第よ」

「……肝に銘じておきます」


 たとえアリスにとって冗談半分の言葉でも、アルディウスには本気にしか聞こえなかった。


 後ほど部下達に厳しく指示を出そう。密かにアルディウスは決意した。

 もし本当に逃げられれば両腕が飛ぶ。冗談と思いたいが、魔女であるアリスならそれも容易いことだろう。


 そう思いながらアルディウスが何気なくアリスを見ると、ふと気づいた彼女の姿に思わず彼は顔を顰めた。


「アリス様、お召し物が……」


 アリスの服に、大量の血がついていた。手も足も、身体中に血が付着している彼女の姿は、人助けをしたのにも関わらず、不思議と恐ろしく見えた。


「ん? あぁ、別に洗えば取れるわ」


 アルディウスに指摘されて、アリスが自身の身体を見るが特に気にしてないと態度で示す。

 しかしアルディウスは、首を横に振っていた。


「血は簡単に落ちません。こちらで新しい物を用意しますので――」

「別に要らないわよ。大層な服なんか渡されても困るだけだし」

「……着替えはあるのですか?」

「あるわよ。コレと似たようなやつ」


 着ている服の首元を摘まみながら、アリスが平然と答えた。

 彼女が着ているのは、古びた灰色のワンピース。

 それと似たような物があると聞いて、アルディウスは眉間に皺を寄せていた。


「ちなみに伺いますが……アリス様、ドレスなどはお持ちですか?」

「そんなの私が持ってるわけないでしょ?」

「えっ……」


 平然と答えたアリスに、アルディウスが言葉を失った。

 ドレスを持っていない。つまりそれは、正装を持ってないと同義だった。


「あの……明日、アリス様の魔女の就任式があるんですが?」

「……そんなの出るわけないでしょ?」

「いや、流石にそれは……この国の皆にアリス様を紹介する場でもあるので出ないというのは無理かと」

「えぇ〜、死ぬほど嫌なんだけど」


 心底嫌そうにアリスが表情を歪める。

 また面倒なことが増えたと、アルディウスが頭を抱えた時だった。



「――おやおや? 混沌の魔女様が自作自演をされていると聞いてきましたが、どうやら本当のようですな?」



 アリス達がいる庭園に、老人のわざとらしい大声が響いた。

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