第16話 自殺願望者を助ける理由はない


 もしその話が本当に事実なら、アルディウスもアリスの言い分を少なからず理解できた。


 基本的に魔法使いが自身の所有する工房に見知らぬ他人を入れることなどあり得ない。

 工房の中には、その人間が長い時間を掛けて作り上げた研究の成果が詰まっている。それを無闇に他人に晒すような愚行を犯す魔法使いなどいるはずもなかった。


 工房を持つ魔法使いは、その理由は様々だが魔法を研究する人間しかいない。


 独自に考えた魔法の作成。現存する魔法の更なる改良など、その理由を言い出せばキリがない。工房を持つ魔法使いの数だけ、その理由は多彩に存在する。


 そんな彼等が魔法を研究するのは――ごく稀に例外もいるが、魔法使いとしての地位を得るためだ。

 自身の研究によって作られた魔法を発表し、それが有用な魔法と国に認められれば、それに見合った地位と報酬が国から与えられる。

 それが魔法使いにとっての名誉となり、その報酬で生計を立てている魔法使いも当然だが存在している。


 つまり彼等にとって、自身の研究の成果とは自分の命と言っても過言ではない代物なのだ。


 もしそんな代物が詰まった工房に見知らぬ他人を入れれば、その研究の成果が盗まれる可能性もある。むしろ、そう考えるのが自然な思考だった。


 そのため工房を持つ魔法使い達は、揃って自身の工房に他人を決して入れないというのが――一般的な魔法使い達の常識だった。


 だからアリスも、自身の工房に他人を入れようとしなかった。


 わざわざ魔法を使う手間を掛けて自身の工房を王都に持ち込み、周囲の人間達に何度も忠告していたのだ。その結果が、今の惨状だった。


 もし無闇に工房に近づけば、アリスによって作られた魔法が発動し、その人間を排除すると。


 きっと普通の人間なら、それは明らかに常軌を逸している行動だと思うだろう。

 しかし工房を持つ魔法使いにとって、自身の研究はそれだけのことをする価値のあるモノだった。


 それは工房を持たないアルディウスでも、理解していることだった。


 だがそれを理解していても、死人が出ることだけは――見逃せるはずもなかった。


「アリス様が自身の工房を守るために魔法を使われていたことは、その御言葉で納得できました……ですが、あのまま彼を死なすことだけは見逃せません」


 そう告げたアルディウスがその場で跪く。

 彼は深々と頭を下げると、アリスに懇願していた。


「アリス様、お願いします。どうかあの者を救ってください」

「……はぁ?」


 思いもしない言葉を向けられて、アリスは唖然と声を漏らした。

 そしてアルディウスの要望を聞いた途端、彼女の表情は不快そうに歪んでいた。


「なんで私がそんなことしないといけないのよ?」

「確かにあの者はアリス様の工房に触れようとしたのでしょう。アリス様の防御魔法が発動したのが、その証明です。工房を持つ魔法使いにとって、それがどれほど価値があるものかは承知しています。ですが、命を奪うことだけはお許しください」


 再度、アルディウスが懇願する。

 しかしアリスの表情は変わらないままだった。


「なんで私が自殺願望の人間を助けないといけないのよ? 私、アレに触ったら死ぬって言ったのよ? それでも強引に触ったってことはあの人間、死にたかったんでしょ? ならさっさと死なせれば良いじゃない?」


 死ぬと分かっていてその行動をしたということは、アリスにとってその人間は自殺願望があるとしか思えなかった。


 アリス自身も、好き好んで人を殺す気など微塵もない。


 彼女自身も死ぬことを最も恐れている人間である以上、他人の命を奪うことは彼女も好まない。

 しかし彼女のそれは死にたくないと思う人間だけに向けられるモノで、死にたがりの人間は別だった。

 自ら大切な命を絶とうとする人間に、アリスが向ける特別な感情などなかった。ただ死にたいのなら勝手に死ねば良いと彼女は思うだけだった。


「それは私にも分かりかねます。もしかすれば事情があったかもしれません」

「そんな馬鹿な話あるわけないでしょ? わざわざ魔女が触るなって忠告したモノを軽はずみに触る人間がいるわけないでしょ?」

「それを確かめるためにも、あの者から話を聞く必要があります。今後、あの者に続く人間が現れる可能性もあり得ます。もしまた次の者が現れれば、アリス様にとって迷惑となるでしょう。それを未然に防ぐためにも、どうかあの者を救ってください」


 アルディウスにそう語られて、アリスはムッと口を尖らせた。

 確かに、僅かだがその可能性もあった。わざわざ触るなと言ったモノに平気で触る馬鹿な人間が本当に王城の中にいれば、それが一人だけとは限らない。

 これから二人目、三人目も現れ、毎回人が死ねば騒ぎにもなる。その度に余計な面倒が自分に降り注ぐと思えば、頑なに断るのもアリスにとって悪手となるだろう。

 その可能性が今後無くなるのなら、アルディウスの話に頷くのも悪くはない話だった。


「……もしただの悪ふざけで触ってたら?」

「当然、罰を与えます。今回の行いを罪として、必ず我々が罰します。そして二度と同じことが起きないよう新しく法を作りますので、どうか何卒」


 死にかけの人間を助けるだけで、結果的にどう転んでもアリスにメリットがある。後々を考えれば、彼女の選ぶ選択はひとつだった。

 それを理解して、アリスは渋々と頷いていた。


「はぁ……そこまで言うなら、分かったわよ。やれば良いんでしょ、やれば」

「アリス様の寛大なご判断に心から感謝致します」

「上っ面の言葉なんて要らないわよ」


 深く頭を下げるアルディウスから視線を外すと、アリスは溜息を吐きながら歩き出した。


 今も騒ぎになっている庭園。その騒ぎの中心にある血だらけの男に向かってアリスは足を動かしていた。


「まったく……面倒くさい」


 不満を漏らしながら、心底嫌そうにアリスが顔を顰める。

 しかし歩き始めてすぐにアリスは倒れている男の元まで辿り着いていた。


 アリスが近づいても、彼女のことに意識を向ける余裕すらないのか全員が各々の作業に没頭している。

 そんな彼等にアリスは呆れて肩を落とすと、淡々と自身の要望を伝えることにした。

 

「アンタ達、邪魔」


 小さい声だったのにも関わらず、不思議と彼女の声が庭園内に響く。

 突如響いたその言葉に、その場にいた全員の視線がアリスに向けられる。

 全員が呆然とする様を見て、アリスは腰に手を添えながら煩わしそうに続けた。


「聞いてた? 邪魔だって言ってるんだけど?」


 どこか小馬鹿にした表情でアリスが告げる。

 その声を聞いた途端、全員の目が揃って吊り上がった。

 その言葉は、今も命を助けようとする人間達に向ける言葉とは到底思えなかった。

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