第14話 誰かが、勝手に家に入ろうとした


 王都の街中を隙間なく走り、アリス達を乗せる馬車は王城に戻ってきた。


 もう空は太陽が沈みかけ、夜になりかけている。朝から王都の中を一周して夜になるということは、それだけ王都の規模が大きいと思い知らさせる。


 そんな夕暮れの空を横目に、アルディウスは止まった馬車から降りていた。


 揺れる馬車の中で座り続けていた所為なのか、身体中が痛い。そしてアリスの暇つぶしに付き合わされたことで神経も擦り減っている。

 馬車から降りて早々、思い切り身体を伸ばしたい衝動に駆られるが……どうにかアルディウスは我慢した。

 王族として、王子として、周囲の人間達にだらしない姿を見るわけにはいかない。それに魔女の前で、そのような姿を見せることなど彼にできるはずもなかった。


「……無理難題を言わないでくださいね?」


 先に馬車から降りたアルディウスが、振り向いて馬車の中にいるアリスへと不満げに告げる。

 しかし不満を言いつつも、そっとアルディウスは右手を差し出し、馬車から降りるアリスへのエスコートを忘れなかった。

 たとえアリスがこの国で誰も敵わない魔女であろうとも、彼女が女性であることには変わらない。男性として女性を気遣うことは、アルディウスには当然のことだった。

 馬車に乗っていたアリスが差し出されたアルディウスの手を見て、怪訝に眉を寄せる。しかしすぐにその意図を察して、彼女は面倒そうに彼の手を取った。


「それはその時の私の気分次第ね。期待して待ってなさい」

「そのお願い、今ではないのですね」

「別に今は頼むこともないし、そのうち思いついたら言うわ」

「……あまり程度の過ぎた要望は叶えられませんよ?」

「文句はその時の私に言いなさい」


 アルディウスのエスコートを受けて、アリスが馬車から降りる。

 そして馬車から降りるなり、彼女は思い切り身体を伸ばしていた。


「んんっ……流石に身体が痛いわ」


 首や背中の骨から小さな音を鳴らして、アリスが大きな欠伸を漏らす。

 思う存分に身体を伸ばす彼女に少しばかりの羨望の目を向けながら、アルディウスは溜息を吐き出した。


「あまりだらしのない姿を周りに見えるのは控えてください」


 全く周りの目を気にしていないアリスの行動に、思わずアルディウスが指摘する。

 しかし彼からそう言われても、アリスは悪びれもしない飄々とした表情で失笑を返していた。


「なんでアンタに指図されないといけないのよ? そんなの私の勝手でしょ?」


 アルディウスの話を聞いて、わざとらしく肩を竦めたアリスが呆れる。

 そんな彼女に、アルディウスは頭を抱えていた。


「アリス様は我が国を守護する混沌の魔女様です。この国の象徴となる方がそのような姿を見せるのは国の民に示しがつきません」


 シャルンティエ王国を守護する混沌の魔女。それはいずれ、この国の象徴となる人間になる。

 その人間が礼節のない態度を周囲に見せるのは、とてもではないがアルディウスには見逃せなかった。


「……なに言ってるんだか、そんな上辺だけの外面がないと崩れる国なんて滅んだ方が良いんじゃないの?」

「なにを仰るかと思えば……国の上に立つ魔女様が不遜な態度などを見せるのは良くありません。先程お伝えしたことにもなりますが、不信が募れば国が崩壊することだってあり得るのですから」


 国民の魔女に対する不信感が大きくなればなるほど、国が崩壊する可能性もある。

 小さな不信も、その数が多くなれば巨大な不信となる。たとえその可能性が低くても、国を治める王族の人間なら決してアリスの態度は許せるはずもなかった。

 しかし、どう言われようともアリスに変わる気など微塵もないのだが……


「私は私の思うままに生きるのよ。それだけは絶対に曲げるつもりなんてないわ」

「……頑固ですね」

「頑固で結構。私の態度で国が滅ぶなら勝手に滅べば良いわ」


 魔女として、その発言は度を過ぎていた。

 何度目か分からない溜息を吐き出しながら、アルディウスは肩を落としていた。


「態度を改めるだけでその可能性が無くなるのなら、正した方が良いかと思いますが?」

「誰かに媚びるなんて虫唾が走るわ。そんな生き方するくらいなら死んだ方がマシよ」

「……そこまで意思を曲げないのは、過去に何かあったんですか?」

「そんなんじゃないわ。それが私の生き方ってだけよ」


 不満そうにアリスが鼻を鳴らす。

 決して自分の過去の所為ではないと、彼女の態度が語る。


 しかしアルディウスには、不思議とそれが違うように見えた。

 アリスの過去は知らない。ただの直感だが、彼女が頑なに態度を改めない理由には過去に何かあったのだとアルディウスには思えた。


 だがそれを仮に訊いても、アリスが答えることなどないだろう。それを察して、アルディウスはその件に触れずに彼女を説得することにした。


「我が国が滅べば、大魔女様と争うことになりますよ? それはアリス様も望んでないことでしょう?」

「もし本当にそうなったらあのババアと思いっ切り喧嘩でもなんでもしてやるわよ。でも、そうならないようにアンタが頑張ってくれるんでしょ?」


 あっけらかんと話すアリスに、アルディウスの顔が強張った。

 確かに、この国の王であるアルベルトの命令によってアルディウスはアリスの付き人となった。

 その役目は、魔女の補佐として付き添うこと。そして国民全員からアリスの信用を得ることだ。


「私でも限度があります。どれだけ私が努力してもあなた様の態度ひとつで全て変わるのです。なのでアリス様が少しでも態度を改めてください」

「絶対に嫌よ。そんなのアンタが頑張りなさい」

「……どうしても駄目ですか?」

「何度も言わせないで。絶対に嫌よ」

「はぁ……」


 頑なに意思を曲げないアリスに、思わずアルディウスは辟易してしまう。


 この魔女が民から愛される人間になるとは、到底思えなかった。それを変えるのは、間違いなく容易なことではないだろう。


 王城に住む王族達は、アリスの態度に難色を示している。これから彼等の信用を得ていくには、彼女の活躍を知らせていかないといけない。知らせても変わるかどうか分からないのが懸念されるが、今のところそれしか方法がない。


 そして今はアリスの人柄を知らない国民達も、彼女のことを知っていけば不信感が募ることだろう。

 それを回避することが自分の役目だとアルディウスも理解しているが……そもそもの話、彼女が態度を改めなければ話にならなかった。

 どれだけ彼女が活躍しても、態度ひとつでその印象は大きく変わる。それが国の上に立つ人間であるのなら、そうなるのも自然なことだった。


 どうにかしてアリスの意識を変えないといけない。そう思ってアルディウスが口を開いた時だった。


「ですが――」

「もうこの話はおしまいよ。これ以上話しても時間の無駄。だからもうその話を私にしないで、わかった?」


 遮るようにアリスから告げられて、アルディウスは口籠った。

 嫌そうにアリスが眉を寄せる。もし強引に同じ話をすれば、きっと彼女は怒るだろう。

 彼女を怒らせるとどうなるか想像もできない。ハッキリとアルディウスに分かるのは、絶対に面倒なことになることだけだ。


 彼女の態度を変えるには、どうすれば良いのだろうか?


 唸りながらアルディウスが考えていると、またアリスが大きな欠伸をしていた。


「ふわぁ……流石に限界ね。寝るわ」

「えっ? ちょっと待ってください!」


 そう言って歩き出すアリスを、慌ててアルディウスが追い掛ける。

 まだ王城の中を案内していないのに関わらず、我が物顔でアリスが歩いていく。

 彼女がどこに向かっているのか見当もつかないアルディウスは、慌てた様子で彼女に話し掛けていた。


「アリス様が王城で過ごされる部屋は用意しています。私が案内しますので――」

「要らない。私の家で寝る」


 どうやらアリスは自分の持っていた家に行こうとしているらしい。

 あの浮かんだ木造の家に向かっているのなら王城の中を知らない彼女が見知った顔で歩いている理由も頷けた。


「そのようなことは仰らずに、是非」

「別に良いわよ。私、使い慣れた寝具じゃないと寝れないの」

「そこをなんとか……」


 だがアルディウスにも、折角用意した部屋を使ってもらいたい気持ちがあった。


 これから混沌の魔女としてシャルンティエ王国を守護する彼女には、それ相応の待遇でこの国で過ごしてもらわなくてはならない。


 そのために部屋も用意した。魔女の専属となる使用人も用意している。それが国を守護してもらう魔女に対する礼儀となり、国民に国に対する好感を持たせる対応となる。


 むしろそうしなければならないのに、アリスが自分の家で寝泊まりしていると国民に知られれば、国に対する評判が下がる可能性もあるのだ。


 シャルンティエ王国は、混沌の魔女を持て成さなかった。それは国民から見ても、他国から見ても、明らかに自国の評判を下げることになるのは明白だった。


「ん……?」


 そう思って何度かアルディウスが懇願していると、ふとアリスが足を止めていた。


「……どうされました?」


 突然、アリスが足を止めたことに、アルディウスが首を傾げる。

 立ち止まったアリスの眉間に皺が寄る。それはどう見ても、不快な表情に見えた。


「今、誰か私の家に触ろうとしたわ」

「……はい?」


 そして返ってきたアリスの言葉を聞いて、アルディウスは呆けた声を出していた。


「なんで分かるんですか?」

「そういう術式を使ってたのよ。じゃないと私の家をここに置いていかないわよ」


 そう言って、アリスが頭を乱雑に掻く。

 そして不快だと言いたげなアリスの表情が変わり、目を吊り上げて怒りの表情に変わっていく。


「なによ、もう……面倒くさい。早く寝たいのに」 


 そう呟いて、アリスは早足で歩き出した。

 そんな彼女の後ろ姿を見ながら怪訝に眉を寄せるアルディウスだったが、すぐに先を行く彼女を追い掛けることにした。

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