第12話 揺れる馬車と変わる景色
揺れる馬車の中でぼんやりと外を眺めるだけというのは、仕方のないことだと理解していても――アリスには非常に退屈だった。
気を抜くと眠ってしまいそうになる。昔から徹夜することはよくあるが、いまだにこの襲い掛かって来る睡魔に慣れそうにない。
強引に魔法で睡魔を抑えることもできるが……それをすれば、間違いなく自分は死ぬだろう。もし眠気が無くなれば、きっと死ぬまで起きている自信がアリスにはあった。
人間は睡眠と取らないと死ぬ生き物だ。だから徹夜した自分への戒めとして、睡魔に抗うことにする。どうしようもなく、家のソファが恋しくなった。
「ふぁぁ……眠い」
頬杖を突いていたアリスが自宅のソファに恋焦がれながら、大きな欠伸を漏らして、目尻に浮かんだ涙を優しく親指で拭う。
そんなアリスの様子に、彼女の対面に座っていたアルディウスは小さく首を傾けた。
「先程から何度も欠伸をされていますね? 寝不足ですか?」
「えぇ……そうよ。二日くらい寝てないわ」
アルディウスの方に向くことなく、気だるそうに外を眺めるアリスが答える。
思いもしないその返事に、アルディウスの表情が強張った。
「……どうして寝てないのですか?」
「前に住んでた場所からここまで遠かったのよ」
その理由のどこに眠らない理由があるのだろうか?
アルディウスは全く理解できないと言いたげに、思わず眉間に皺を寄せていた。
「あの……答えになってませんよ? アリス様が以前に住まれていた場所は知りませんが、わざわざ眠らないで王都まで来る理由にならないかと?」
本来、長距離の移動をするなら必ずどこかで休息を取るだろう。移動途中に野営するなり、街の宿で休むのが普通である。
それを意図的にしなかったアリスの行動が、アルディウスにはいまいち理解できなかった。
怪訝に顔を顰めるアルディウスに、アリスは深い溜息を吐き出した。それは心底呆れたような溜息にも聞こえた。
「アレを連れ歩いて街に入れるわけないでしょ?」
「アレ?」
「……アレよ。王城に置いてきたアレ」
聞き返したアルディウスに、アリスがある方向へと指を指す。
その方向にアルディウスが視線を向けると、彼は納得したと頷いていた。
王都の中心にある王城。その付近に浮遊する奇妙な球体に包まれた木造の家。それはここに来るまでのアリスが連れていたモノだった。
確かに、あんなモノを浮かせて街に入れば絶対に目立つ。むしろ場所によっては不審物と判断されて街に入ることすら許されないだろう。
「ずっと訊けませんでしたが……アレは一体何ですか?」
「なにって……そんなの私の家に決まってるでしょ?」
「なんでわざわざ住んでいた家を持ってきたんですか……⁉︎」
まるで当然のように答えたアリスに、アルディウスがあり得ないと驚愕した。
わざわざ移り住むからと言って住んでいた家をそのまま持ってくる人間など聞いたことがない。
そう思ってアルディウスが驚いていると、アリスは肩を落としていた。
「あの家は私の全てなの。あの家を作るのに何年掛かったと思ってるのよ。手放すなんて死んでも嫌よ」
「普通の家にしか見えませんが、もしやアリス様は建築が趣味なのですか?」
もし本当にあの浮かぶ奇妙な家がアリス自身が手間を掛けて作った家だとすれば、わざわざ持ってきたのも理解できなくもない。余程、自作の家を気に入っているのだと、アルディウスも強引に納得することもできた。
「そんなわけないでしょ? 馬鹿なの?」
鼻で笑うアリスのその反応は、明らかに馬鹿にしている表情だった。
無意識にアルディウスの眉間に皺が寄る。募る苛立ちを抑え込みながら、彼は自身の眉間を指で強く揉んでいた。
「……それでしたら作るという言葉を使わないで頂きたい」
「魔法使いが家を持ってくる理由なんて想像できるでしょ?」
「全く見当もつきません」
「……察しの悪い男ね」
明らかに苛立っている様子のアルディウスを横目に、アリスは溜息交じりに答えるとにした。
「あの家は私の工房よ。そう言えば流石のアンタでも分かるでしょ?」
「工房、ですか?」
その言葉は、アルディウスも当然知っていた。
工房。また他にアトリエなどと呼ぶ人間もいる。
魔法使いにとって工房とは、魔法の研究や自作の魔法を作る場所として扱われている。
そのため、一般的な魔法使いは工房を持たない。単に魔法を使うだけの魔法使いは、研究に使う工房を必要としないからだ。
その工房をアリスが持っている。つまりそれは、彼女が魔法の研究をしていると言っているようなものだった。
「えぇ、あの家には私の研究の全てがあるの。あの家の周りも、家の中も、この私が自由気ままに暮らすために魔法で作り上げた努力の結晶たる家なのよ」
誇らしそうに語るアリスに、密かにアルディウスは困惑していた。
自由気ままという言葉が、どうにも気になった。
本来、工房とは研究成果を保管する場所としても使われる。もし移り住むなら、その研究成果だけを持ち運べば良いだけだ。
それをあえてしないで家ごと運ぶ理由が自由気ままに暮らすため、というのが彼には不可解だった。
「あの家にはなにがあるんですか?」
「言わないわよ。工房の中身を話す魔法使いがいるわけないでしょ?」
それもそうである。そう納得するアルディウスだったが、しかし気になるのも本音だった。
「でしたら今度、機会があれば私にもお見せください」
「女の家に入りたいなんてアンタも男ね」
「そういうことではありません。魔女様の工房と聞けば、魔法使いなら興味も湧きます」
国と一人で対等に戦える魔法使い――魔女の工房。
そう聞けば当然、魔法使いなら興味が湧くに決まっていた。
彼の返事を予想していたのか、アリスは失笑交じりに鼻を鳴らしていた。
「入れる日が来ると良いわね。私の付き人なら、そんな日も来るかもね」
アリスの反応も当然だった。簡単に魔女の工房に入れるとは、流石のアルディウスも思っていない。
そう締めくくったアリスの声色は、決してそんな日が来ることはないと言っているようだった。
「ふわぁ……」
そしてもう話は終わりだと言いたげに、欠伸を漏らしたアリスは外に視線を向けていた。長く話すと、無性に疲れてしまった。
沈黙が訪れた馬車の中で、眠気に抗うアリスが街並みを眺める。
昼頃にもなれば街も活気に溢れていた。流石は王都というだけはある。
街に住む人、商人、警備兵など様々な人間達が街中を騒がしくしている。
たまに来る分には良いが、住むとなると心底嫌になりそうだとアリスが思った時だった。
「なぜ、私を付き人に?」
流れる沈黙の中、ふとアルディウスがそう言っていた。
間違いなく彼の独り言ではないだろう。アリスに答える気は起きなかったが、今の質問に答えなければ妙な誤解をされるような気がした。
面倒だと思いながら、アリスは口を動かした。
「別に誰でも良かったわよ。アンタが一番まともそうだったから、それだけ。変な人間に付き纏われるのも鬱陶しいだけよ」
魔女には付き人を一人付けなければならない。
それをシャーロットから以前聞いていたアリスは、正直どうするか今まで悩んでいた。拒否することもできたが、シャーロットに知られれば面倒なことになるのは明白だった。
そこに丁度良い人間が現れたから、選んだだけ。それだけの話だった。
「……それは私を信頼して頂いてると思っても?」
「さぁ? どうかしら? あの場にいた人間の中であの王様の次に信用できるとは思ったけど……私の気の所為かもしれないわよ?」
遠回しに今後の態度で変わるとアリスに告げられて、アルディウスは肩を落とした。
実際のところ、アリスがこの街で見た人間の中で最も目に留まったのはアルディウスだった。
自分を誰よりも恐れているはずなのに、その人間に国のためを思って殺される覚悟で発言した彼の行動は、並大抵の覚悟ではできないだろう。
それができるのは、余程の大馬鹿者である。そういう馬鹿な人間が、アリスは嫌いではなかった。
そして、また沈黙が訪れる。
揺れる馬車と、変わる景色。
つまらないと思いながら、アリスに凄まじい眠気が襲い掛かった時だった。
「街を見る必要があると言われて馬車を用意しましたが、なにをされるんですか?」
またアルディウスが話し掛けてきた。
どうやら沈黙が嫌で仕方ないらしい。気まずいのだろう。
話すのも面倒だったが、眠気覚ましには良いだろう。
そう思って、アリスは淡々に答えることにした。
「これで良いのよ。私のお願いした通り、街にある全部の道を走ってくれれば良いの」
「どうしてですか……?」
「新しい魔法障壁を作るのに、一度街全体を直接見ないと行けなかったから頼んだだけよ。自分の足で歩くのも死ぬほど面倒だったし」
そう言って、アリスは淡々と暇つぶしに説明することにした。
その話をしても、きっとアルディウスは理解できないだろうと思いながら。
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