第11話 魔女には一人の付き人を設ける


「……できるわけがない。そんなことが、たった一人の人間にできるはずない」


 アリスの話があまりにも荒唐無稽過ぎて、思わずアルディウスが失笑してしまう。

 それが魔女であるアリスに対する無礼だと知りながらも、彼は笑うしかなった。


「それってアンタの常識? そんなの私に押し付けないでほしいんだけど?」


 失笑するアルディウスに、アリスも同じように失笑を返す。

 彼女の態度に、堪らずアルディウスは表情を強張らせた。


「私だけの常識ではありません。あなたも魔法使いの一人なら理解されているはずです。新たな魔法を作るということが、とても困難であることを」


 大魔女から魔女の役目を請け負ったアリスなら理解していないはずがない。

 新しい魔法を作る。それを実現することがどれほど困難なことなのか、魔法使いなら誰もが知っていることだった。


「魔法の発動には、当然ながら術式が必要です。それを一から作る労力は並大抵のことではありません。本来、事象を魔力を使用して現実に起こす術式は、有識の魔法使い達が総力をあげて作るものです。構築された術式に一切の不備もなく、その術式に使用される適正な魔力量を模索し、何度も試行錯誤と実験を繰り返して初めて完成するのです。それをたった一人でできると聞かされても……到底信じられるわけがありません」


 アルディウスのその認識は、決して間違いではなかった。

 魔法を使用するには、どんな発動方法を用いたとしても必ず術式を必要とする。


 今現在、数多く存在している魔法使い達が扱う魔法の術式は、過去の魔法使い達が作り上げたものだ。

 ただの魔法使い達ではない。特に秀でた魔法の知識を持った有識の魔法使い達によって、それらの術式は作られた。

 術式を介して当人の魔力を消費し、事象を発現させる魔法。それを可能とする術式を作ることは、決して簡単なことではない。


 発現させる事象を決め、それを現実に起こす術式を構築し、実際に発現させるために必要な魔力量を模索し、そして幾度となく繰り返される実験の末に魔法は完成するのだ。


 その過程の末に作られる魔法を一人の魔法使いだけでできるなど言われても、その苦難の過程の知っていれば――到底信じられない話だった。


「別にアンタが信じられなくても私にはどうでも良いわよ。勝手にそう思ってれば良いんじゃない?」

「いえ、良くありません。魔女様、どうか我々を信じさせてください」


 溜息を吐き出すアリスに、アルディウスが頭を下げて懇願する。

 しかし彼に頼まれても、アリスは面倒そうに顔を顰めるだけだった。


「……なんでわざわざそんなことしないといけないのよ? そこで座ってるアンタ達の王様が良いって言ってるんだから良いでしょ?」

「たとえ我らの王が許しても、我々が納得できなければ意味がありません。新しく魔法障壁を組み直すということは、今ある魔法障壁を壊すこと。今より優れたモノが作られる保証が我々にはないのです。それに対する不安を我々が抱くのは当然のことです」


 優れたモノが作られる確信がない。もしかすれば、今よりも格段に劣ったモノが作られるかもしれない。その不安がアルディウス達の中に生まれるのは、当然のことだった。


「魔女の私が作るからで勝手に納得すれば良いでしょ?」

「魔女様のお力は私も十分に理解しています。この国の総力を以ってしても、魔女様には決して敵わないでしょう。しかし、魔法の創造となると話は変わります」


 もし性能が劣った魔法障壁がアリスによって作られれば、この国の魔物の被害が今よりも増えることになる。それをアルディウス達が許すほど、この国の抱える問題は優しいものではないのだ。

 ひとつ間違えれば、国の存亡にも関わること。それをアリスが魔女だからという理由で了承するわけにもいかなかった。


「……それで納得できないの?」

「できません。魔法使いの戦闘における実力と魔法を創造する技術は全くの別物です。混沌の魔女たるあなた様なら、ここまでお伝えすれば理解して頂けるはずかと……」


 そのアルディウスの言い分は、当然だがアリスも理解していた。

 確かに魔法を上手く使って戦うことに長けている人間と魔法を生み出す人間とでは、求められる能力が違う。

 戦闘者と研究者は、そもそもの立ち位置が違う。戦闘に長けているからと言って、その人間が魔法の創造に長けているわけではない。その逆も然りだ。


「別に私の仕事ができればアンタ達の信頼なんて要らないんだけど?」


 しかし、だからと言ってアリスがアルディウス達を納得させる理由にはならなかった。


 アリスが魔女として請け負った仕事は、担当するシャルンティエ王国を守護することだ。他国と戦争が起きないよう他国を牽制して未然に防ぎ、管理している国の抱えている問題を解消すること。それが彼女の仕事である。


 つまり、アリスにとって魔女の仕事が問題なくできていれば、周りの人間にどう思われても関係ないことだった。


「いえ、その認識は間違いです。我々の信頼こそ、魔女様には必要でしょう」


 間髪入れずに、アルディウスがアリスの考えを否定する。

 そんな彼を見て、アリスは怪訝に眉を顰めた。


「……私にそんなのが必要ですって?」

「はい。必ず必要となるでしょう。それが魔女まであるなら尚更」

「なんで必要か言ってみなさいな?」


 思いもしないアルディウスの即答に、アリスは眉を寄せながらも彼の言い分に少しだけ興味を持った。ただの気まぐれだった。

 アリスが素直に話を聞いてくれると察して、アルディウスは頭を垂れたまま続けた。


「混沌の魔女であるアリス様は、これから後に国の象徴となる存在になるでしょう。その象徴たる方が、周囲の人間達から信頼を得ていないのは大きな問題です」

「そんなの別に必要ないでしょ? 私がどう思われようとも、アンタの国が他の国と戦争しないで、それで魔物の心配も不要になるなら気にする必要ある?」

「あります」

「ふーん?」


 再度即答するアルディウスに対して、アリスが腕を組みながら相槌を打つ。

 そして彼女から続きを話せと無言の催促を受け、アルディウスは即座に口を開いた。


「あなた様は国王とは違う形で、この国の象徴たる方となる。それはつまり、王族である我々を含めた国民全員から認知される存在となります。そのような方が国民から信頼を得なければ、後に国が崩壊することになるでしょう」


 アルディウスの話を聞き、顎に指を添えたアリスが目を細める。

 少しの間を空けて、彼女は頷きながらアルディウスに訊いていた。


「……ある程度は予想はできる話ね。どうしてそうなるか、アンタは答えられるの?」

「国王にも同じことが言えますが、国を守護する魔女様が信頼できなければ、いずれ民は国から離れることでしょう。民があっての国、民がいなければ国が成り立ちません。それは今この場にいる人間も同じです。あなたという強大な存在が本当に我々の国を守って頂けるのか皆不安を抱いているのです」

「私、この国の人間にどう思われても気にしないんだけど? この私を納得させられる?」


 アリスは必要としていない周りの信頼。それをアルディウスは必要と語る。

 結果として国の安全を作れているのなら、その中核となる魔女がどう思われようと構わないのがアリスの考えである。

 そう思うアリスに、頷いたアルディウスは真っ向から彼女の考えを否定した。


「人の負の感情は積み重なれば、それはいずれ敵意となる。魔女様に対する敵意を抱いてしまえば、魔女様と我々の内乱にも発展しかねません」

「私と戦争ですって? 勝てないのに?」

「当然、我々はその未来を望んでない。そして魔女様も、それを望んでないと私は思っています」


 ゆっくりとアリスの眉が吊り上がった。

 それはまるで自分が負けることのない国と戦うことを恐れていると言っているように聞こえた。

 アリスの手に、仄かに光が灯っていく。それは紛れもなく、魔法が発現する予兆の光だった。


「今ここで、この国と戦っても良いわよ?」


 アリスが戦闘態勢に入ったことで、周囲の人間達が慌てて杖を構えた。

 しかしアルディウスは頭を垂れたまま、背筋に冷や汗を流しながら構わずに続けた。


「先程の魔女様の話を聞いて、私は確信しています。あなた様は大魔女様と争うことを避けている。この国の崩壊は大魔女様の望むことではないでしょう。原因が魔女様の不信から生まれたものなら、きっと大魔女様はお怒りになられる」

「……だから私に信頼を得ろって? 脅してるの?」


 アリスの手に灯った光が、更に強くなる。

 余計にアリスの怒りを買ったことで、更に周囲の人間達が彼女に杖を向ける。

 今にも戦闘が始まりそうにも関わらず、王座に座るアルバルトは静観して二人を見つめていた。

 その中でも、アルディウスは淡々と口を動かした。


「そのようなことを私は微塵も思っていません。この度、大魔女から提案して頂いた魔女機関。その一人である混沌の魔女様を我々は歓迎しています」


 果たして、今の状況を見て歓迎されているも思えるのか?

 周囲を見ながら、思わずアリスは苦笑してしまった。


「……全然歓迎されてるとは思えないけど?」

「それは今までの魔女様の立ち振る舞いの所為です。我々は魔女様を信頼したいのです。魔女という存在は、我々の国を更により良いものとする存在です。ですから……以上の話を以ってして、魔女様が新たな魔法障壁をどのように作るか、この場でご説明ください。そうして頂けなければ我々はあなた様を信用できません。どうか、お願いです。我々を信じさせてください」


 そう締め括って、アルディウスは深々と頭を下げた。

 戦闘の意思を見せるアリスに抵抗する意思すら見せず、アルディウスが跪き、頭を垂れる。

 今から殺されるかもしれない。その状況にも関わらず、言い切ったと観念する様子のアルディウスにアリスは僅かに目を細めた。


 先程までのアルディウスの話を、アリスが反芻する。

 そして彼を初めて見た時のことを思い出して、少しの間、アリスは思考した。


 そうしてしばらくの沈黙の後――アリスは、自身の手の光を霧散させた。


 急に戦闘の意思を見せなくなったアリスに周囲の人間達が困惑する。

 そんな中で、アリスは溜息を吐きながら、アルディウスに告げた。 


「そこまで強気に言うなら良いわ。説明しても」

「……ありがとうございます」


 アリスが承諾したことに、アルディウスが胸を撫で下ろす。

 これでようやく安心できると、彼が思った時だった。


「あ……あとその国民の信頼ってやつ。アンタが作って来てよ」


 しかしそれもつかの間、アリスから出た言葉にアルディウスは困惑した。

 咄嗟にアルディウスが顔を上げると、腕を組みながら面倒そうにアリスが眉間に皺を寄せていた。


「は……?」

「そこまで言ったんだから責任持ってやるでしょう?」

「私に、なにをしろと?」

「これからアンタが私について回って、勝手に見たことを国民に広めれば良いでしょ? アンタって王子なんでしょ? 王子の言葉なら国民も信じるんじゃない?」


 平然とアリスに告げられて、アルディウスが呆然とする。

 そして周りの人間達も呆けていると、ふとアルバルトの声が響いた。


「ふむ……アリス殿の話も一理ある。アルディウスよ。そこまで言うのなら、お前がその役目を担うと良い」


 突如告げられたアルバルトの話に、アルディウスは怪訝に顔を顰めた。


「どういうことですか?」

「前にお前にも話していたことだ。魔女と言えど、国のことで知らぬことは多い。そのため、魔女に付き人を一人設けると」

「……まさか⁉︎」


 アルディウスが目を見開く。そしてアルバルトは頷いて答えた。


「アルディウスよ。その役目、お前に任せる」

「私にも公務があることをお忘れですか!?」

「別に良い。なんとでもなる。それよりも魔女の付き人の方が重要な仕事であろう?」


 返す言葉もなく、アルディウスが言い淀む。

 そんな彼を横目に、アルバルトは小さく頷くアリスを一瞥した。

 彼女が了承している。そう判断して、アルバルトはアルディウスに告げた。


「アルディウスの言葉なら、周りの臣下達も信じるだろう。王の名を持って命じよう。我が息子、アルディウスよ。混沌の魔女の付き人になり、その活躍を皆に知らせよ」


 国王直々の命令。

 それをアルディウスが拒否するはずもなく。

 本人の予想を遥かに超えて、アルディウスは混沌の魔女の付き人となった。

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