第8話 法など、圧倒的な力で無意味になる


 アルディウスの告げていた通り、三十分で王都から増援が来た。

 王都から即席で駆け付けた三百人の軍勢が、今から始まる戦闘に身構えながら到着するが――その光景を見て、彼等は絶句していた。


「――なにが起きたんだ?」


 軍勢の先頭に立っていた指揮官が、怪訝に眉を顰めた。


 彼が事前に聞いていた情報では、この平原には数百を超える魔物の大群を少数で足止めしている先遣隊がいるはずだった。

 先遣隊全員が無事だと思うわけもなく、彼等を治療するために治癒魔法の魔法使いも連れてきた。

 大きな戦いになることも容易に想像できることから、急いで実力の伴う騎士や魔法使いも集めてきた。

 この戦いに勝てなければ、間違いなく王国が崩壊する一大事の戦闘になる。だから今から始まる戦闘に誰もが決死の覚悟で臨んでいたはずのに……


 その魔物達が無残に殺し尽くされた光景は――彼等の理解を超えていた。


 見渡す限りの平原にあるのは、魔物の死体の山だった。

 身体を切り刻まれ、焼かれ、なにかで貫かれた魔物の死体が地面を転がる。

 その数は数体や十数体ではない。数百を超える魔物の死体が視界に広がる平原を埋め尽くしていた。

 それは指揮官にも、なにが起きたかすら想像できない光景だった。


「……あれは?」


 周りを見渡すと、指揮官の視線の先に不思議な光の膜に囲まれた人間の集団がいた。何故かその頭上に光の球体に包まれた木造の家を浮かばせて。

 指揮官が駆け足でその場に駆け寄ると、彼等を見た瞬間――彼は慌てた様子で声を掛けていた。


「アルディウス様!? なぜあなたがこんなところにおられるんですかッ⁉」

「あぁ……あなたは」


 茫然と平原を眺めていたアルディウスが、声を掛けられて指揮官と向き合う。

 王都で何度か面識があった指揮官を見ても、アルディウスは特になにも言うことはなかった。

 そんな彼に、思わず指揮官は眉を寄せた。明らかに様子がおかしいと。

 アルディウスから視線を外して、指揮官がその場にいた全員を見渡す。立ちすくむ者、座り込んで顔を強張らせる者達が、彼の目に映った。

 茫然と平原を見つめる彼等の顔は、まるでなにかに怯えているような表情だった。


「……なにがあったんです?」


 そんな彼等を見て、指揮官は本来この場にいるはずのないアルディウスを責めるよりも、先に今の状況を聞くことを最優先した。

 この場にいる先遣隊を構成する彼等は、王都でも実力のある者達だった。それが揃って怯えているという奇妙な状況を指揮官が不思議に思わないわけがなかった。


「説明しても、信じてくれるとは思えない」

「状況を話してください。今は魔物がいなくとも、遅れて来る可能性だってあります。早い状況把握が戦況を変えるのはアルディウス様も理解されているでしょう?」


 言い淀むアルディウスに、指揮官が催促する。

 国の有事の時、王子であるアルディウスが慌てることは少ない。それを過去の経験から知っていた指揮官だからこそ、彼の様子から余程のことが起きたのだと予想していた。

 指揮官に促され、顔を強張らせたアルディウスが少しの間を空けると――ゆっくりと口を開いた。


「魔女が来た」

「……魔女? それは王都で噂になっていた“あの魔女”ですか?」


 魔女。その言葉を聞いて、指揮官は目を大きくした。

 少し前に王都内で噂になっていた話。大魔女によって新設された魔女機関という組織から各国に魔女という存在が近日派遣される話を、彼は思い出した。

 聞いていた魔女に関する情報を思い出して、指揮官はあり得ないと表情を強張らせた。


「アルディウス様? 冗談ですよね?」

「本当のことだ。我が国にも、遂に現れた」


 アルディウスがハッキリと告げて、指揮官が再度平原を見渡す。


「……もしや、これをその魔女が?」

「あぁ……彼女が、たった一人で全て殺し尽くした」


 そうしてアルディウスは、ゆっくりと語り始めた。

 災害と呼べる魔物の大群を、たった一人の魔法使いが圧倒した話を。

 人間の脅威となるはずの凶悪な魔物を殺し続けるアリスの姿は、まさしく蹂躙と呼ぶのに相応しい光景だったと。

 呆然と眺めるアルディウス達が瞬きをするだけで驚異的な速さで魔物の数が減っていき、そして半刻も経たずに全ての魔物を殺し尽くしたことを。


「本当に……これを、たったの一人で?」


 アルディウスの話を聞いて、指揮官が声を震わせた。

 アルディウスが嘘を言うとは思えない。つまり、彼の話は全て本当のことだと信じさせられた。

 この平原の惨状を、たった一人の魔女が作った。

 その事実は、戦いを知る者にとってどれだけの偉業となるか考えるまでもなかった。


「単独で国と対等に戦える人間が大魔女様以外にもいるなんて俄かに信じられませんでしたが……本当なのですね?」


 指揮官の言葉に、アルディウスが頷く。


「魔女機関に属する混沌の魔女。我が国を守護する彼女は、言葉を選ばないのなら……化け物だ」

「化け物とは随分と失礼な男ね。とても女に向けて言う言葉じゃないわ」


 その場に居たアルディウス達の背筋が凍った。

 全員が揃って声の方に向くと、そこには先程と変わらない姿のアリスが立っていた。

 気怠そうに歩きながらアリスが指を鳴らすと、アルディウス達を包んでいた光の膜が霧散する。

 アルディウスはアリスを見た瞬間、即座に頭を下げていた。


「失礼しました……混沌の魔女様」

「そこまで気にしてないわ。ほんの少しだけ腹が立ったけど」

「先程の失言、心から謝罪致します」

「……私が魔女ってアンタは分かったのね」

「あなた様のお力を拝見して、確信致しました。あなた様が偉大なる大魔女様から我々の国を守る守護者の役目を授かった方だと」


 深々と頭を下げるアルディウスに、アリスが嫌そうに顔を歪めた。


「そういうの、鬱陶しいからやめなさい。仰々しく扱われるなんて気持ち悪くて仕方ないわ」

「……以後、気を付けます」


 溜息交じりにアリスが肩を落とす。

 しかしアルディウスからすれば、先程の戦闘もとい蹂躙を見せつけられてしまっては彼女に下手な態度を見せるわけにはいかなかった。

 この場にいる人間など、アリスの気分ひとつで虫を殺す程度に容易いとアルディウスは確信していた。

 明らかに怯えが見えるアルディウスの表情を見て、アリスは失笑していた。


「別に怖がる必要なんてないわ。殺さないわよ。私も人殺しする気なんてないわ」

「魔女様の寛大な言葉、感謝致します」

「私の話、ちゃんと聞いてた? その過度な態度、やめろと言ったわよ?」


 アリスの目が細くなる。その表情の変化をアルディウスは見逃せなかった。


「失礼、気を付けます」

「本当にちゃんと聞いてるんだか」


 呆れつつ、アリスが肩を竦める。

 そんな時だった。恐る恐ると指揮官が、アリスに声を掛けていた。


「混沌の魔女様、この場にいた魔物達はどのように?」


 指揮官に話し掛けられて、アリスが一瞥する。

 彼と、その背後に大勢いる人間達。それを見て、彼女は彼等が増援なのだと察した。


「全部殺して来たわよ。奥にいた魔物も」

「なんという……ありがとうございます」


 深々と指揮官が頭を下げる。そして周りから聞こえた悲鳴にも似た吐息。

 どう考えても、今の自分は恐れられているとアリスが感じるのは当然のことだった。

 別に彼女にとって気にすることではないが、ただ気色悪いと思うのが正直な感想だった。


「死体の処理は任せても良いかしら? 一応、素材として使える魔物もいたからその辺りの魔物は丁寧に殺しておいたけど?」

「ご配慮、感謝します。後始末は我々で」

「そう、なら任せるわ」


 アリスがそう答えるなり、逃げるように指揮官が立ち去る。

 その後ろ姿を呆れた表情で見つめるアリスだったが、すぐに彼女はアルディウスに向いていた。


「で? これから私はどうすれば良いのよ?」

「は……?」


 唐突にアリスから言葉を掛けられて、アルディウスは反応に困った。

 呆けるアルディウスに、アリスは僅かに眉を吊り上げていた。


「他の人間の態度を見れば、アンタが王族だって分かるわよ。アンタと一緒に国に行けば、面倒なことにならなくて済むわ」

「面倒な、ことですか?」

「国外の人間が平然と王都に入れるわけないでしょ? その辺りの面倒な手続き、面倒だからアンタがやりさないよ?」

「えっと……私がですか?」

「王族ならそれくらい簡単にできるでしょ? だから私を早く王都まで案内しなさいな?」


 王族と知りながらも平然と敬意を見せずに話すアリスの姿は、周りからすれば恐ろしいことだった。

 不敬罪に問われてもおかしくない。しかし仮に彼女を不敬罪にしても、それは無意味だと周りの人間達は思い知らされた。

 法など、圧倒的な力で無意味になる。それを体現した人間が目の前にいれば、そう思うしかなかった。


 アリスに催促されて、渋々とアルディウスが王都までの案内を受けることとなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る