第7話 化け物と呼ぶのが相応しい
己の欲望のままに、魔物達が早朝の平原を駆ける。
自身の力の源たる魔力を求めて、最も魔力が集まる場所――王都シャルナへと。
大群の先頭を黒い狼――ダークウルフが牙を剥き出しにして涎を撒き散らしながら平原を走る。
その先頭から少し遅れて、粘液状の物体――スライムが素早く地面を這う。更に奥には醜悪な小人――ゴブリンが走りながら棍棒を振り回していた。
ミノタウロスやオーガ、そしてゴーレムなど走る魔物の名前をあげればキリがない。先頭から奥に視線を動かすだけで、多種多様な魔物達が平原を駆けていた。
いまだかつてないほどの魔物の大群。それはもはや災害と呼ぶに相応しい光景だった。もしこの大群が王都シャルナに襲い掛かれば、間違いなく王都は崩壊することになるだろう。
魔物の数が一匹や数匹ならば優秀な魔法使いを有するシャルンティエ王国ならば容易く対処できる。しかしその数が数百にまで増えれば、その話は大きく変わるのは当然のことだった。
たとえ仮に苦戦の末、全ての魔物を撃退できたとしても……それによって王国が受ける被害が甚大なものとなるのは容易に想像できた。
決して、単独で対処できる数ではない。その光景を一目見れば、誰もがそう思う光景だった。
「ふぁぁ……眠い。やっぱり徹夜で来るんじゃなかったわ」
その迫る大群を前にして、眠そうにアリスが大きな欠伸を漏らしながらゆっくりと歩く。
アリスが欠伸をしたのもつかの間、瞬く間に大群の先頭を走っていたダークウルフが彼女の眼前に迫っていた。
あと数秒も経たぬうちに、ダークウルフの牙がアリスの身体を貫く。早々と彼女の存在は魔物の餌と変わるだろう。
悠々と歩く彼女が、なにもしなければ……
「吠えてうるさいわね、邪魔」
そう呟いて、アリスが右手を払う。
瞬間、唐突にダークウルフの身体が後方に吹き飛んだ。
それだけではない。彼女の右手から発せられた突風が周囲の魔物達を強制的に後方へと吹き飛ばしていた。
それによって、アリスと魔物達の間に大きな距離が開く。
一瞬でも勢いづいた魔物の大群が足を止めた。
その僅かな隙を、決してアリスは見逃さなかった。
「とりあえず、さくっと減らしますか」
アリスが右手を突き出すと、その手が赤く光った。
一瞬にして、彼女の右手が眩く光る。
その瞬間――それは起こった。
爆音と共に、アリスの手から巨大な炎が吹き荒れた。
アリスの生み出した炎が地面を駆ける。瞬く間に、その炎が魔物達に襲い掛かった。
悲鳴のような叫び声をあげて炎に身を焼かれながら魔物達が地面を転がる。そして時間が経っていくと、次第に魔物達は動かなくなっていた。
「……あんまり減らないわね。やっぱり詠唱と杖なしだと威力が落ちるのは仕方ないか」
自身の魔法で生み出した結果に、アリスが不満そうに顔を顰める。
彼女の炎に焼かれて、五十の魔物達が絶命した。
その結果をアリス自身は不満に思うが、他者から見ればどう思うかは……その光景を見ていた人間を見れば一目瞭然だった。
「なんだ……今のは?」
アルディウス達の誰かが、そう呟いた。
今起きた光景に、アルディウス達は絶句していた。
「あり得ない……詠唱と杖なしであんな威力、出るわけない」
一人の魔法使いが、震えて声を漏らす。
その言葉を聞いて、隊長が顔を強張らせた。
「アルディウス様、アレは一体……?」
「今の魔法は……おそらく中級魔法だと思います」
「おそらく……?」
アルディウスの返事に、隊長が眉を顰める。
魔法使いのアルディウスから魔法のことを聞いて、おそらくという単語が出てくるとは思いもしなかった。
そんな彼に、アルディウスは声を震わせながら答えていた。
「……あなたもご存知とは思いますが、本来魔法を使うには術式となる呪文の詠唱が必要です」
「それは知ってますが――」
アルディウスの話を聞いて、ふと隊長は先程の光景を思い出した。
魔法を使うには、呪文を唱える詠唱が必要。しかしたった今アリスが魔法を使った時、はたして彼女は詠唱をしていたか?
その疑問の答えは、言うまでもなかった。
「それに今の彼女を見る限り、あの人は杖を持ってない」
「……アルディウス様? 魔法は杖を持たないと使えないはずでは?」
その程度の知識は、魔法使いではない隊長でも知っていた。
だが、アルディウスは首を横に振って答えた。
「杖を持たないで魔法を使うことを“杖なし”と我々魔法使いは呼んでいます。かなり難しいことですが、魔法の修練を積めば誰でもできる技術なのですが……」
「なにかおかしなことでも?」
「あり得ないのです。杖を介した魔力の制御補助なしで、しかも詠唱をしない魔法の発動ができるのは低出力の初級魔法だけです。中級以上の魔法は術式が複雑過ぎて詠唱がなければ発動すらできないはずなのに、あの人は中級魔法を杖と詠唱なしで使った……しかも本来の威力を維持したまま、これがあり得ないと思わない方がおかしい」
声を震わせるアルディウスの話を聞いて、ようやく隊長は理解した。先程、アリスが行った異常な行動を。
魔法を使うために必要な杖と詠唱を省いて使用できる魔法は限定され、その威力は本来以下のものとなる。
そのはずなのにアリスが使った中級魔法は……通常の方法で使われる魔法と一切変わらない性能で発動していた。
それは魔法を知る者なら、誰もが言葉を失う光景だった。
「……あの女、一体何者なんですか?」
ふと、隊長がアルディウスに問う。
その問いに、アルディウスは答えられるわけがなかった。
彼の知る限り、今の起こった異常な行動ができる人間など……一人しかいない。
ユースティア大陸で最も偉大な魔法使いとして名高い大魔女の称号を持つシャーロット・マクスウェルだけだ。
しかし今、目の前で戦っているアリスをアルディウスは知らない。
シャーロットと並ぶ実力を持つ魔法使いがいると思うわけがないと、アルディウスが思った時だった。
唐突に、彼はひとつの話を思い出していた。
一ヶ月ほど前に、王である父から奇妙な話を聞かされたことを。
「……まさか、あの人が」
自身の視線の先で戦うアリスをアルディウスが見つめる。
魔物の大群に襲われているのにも関わらず、一切近寄らせることなくアリスが次々と魔法を放っている。
火の魔法を放ったと思えば、風の魔法で近づく魔物を切り刻み、アリスを横切ろうとする魔物がいれば土の魔法で奥へと弾き飛ばす。
魔物に魔法を使われても即座に防御魔法を発動して対応し、雷の魔法で射抜く。
「あの女、化け物よ……一体、何種類の属性が使えるの?」
魔法使いの一人の呟きをアルディウスが聞く。
たった一人なのにも関わらず、衣服を汚すことなく数百の魔物達を圧倒して戦っているアリスの姿は、見る者達に圧倒的な恐怖を植え付けていた。
アレは戦いなどではない。今見せつけられている光景は、ただの蹂躙だった。
間違いなく、言葉を選ばなければ……彼女はまさしく化け物と呼ぶのが相応しいとアルディウスは思った。
魔法に存在する属性。各々の人間に必ず使える属性の適正があるのにも関わらず、アリスは当然のように多彩な魔法を使って戦っていた。
多彩な魔法を無詠唱と杖を使わずに使う彼女の姿を見て、アルディウスはひとつの答えを導き出した。
「アレが……あの魔女?」
魔女。それは大魔女が新設した組織――魔女機関に属する六人の魔法使い。
ユースティア大陸に存在する六つの国の力関係を調律し、各々の国を外敵から守り、争いを根絶をすることで大陸統一を目的とする組織。
「魔女機関。あの人が……混沌の魔女、アリス・フラルエヴァンなのか?」
無意識に、アルディウスは呟いた。
たった一人で、一国と対等に戦える魔法使い。
魔女の称号を授かった六人のうちの一人。
そしてシャルンティエ王国を外敵から守る守護者の役目を請け負った混沌の魔女。
話に聞いていただけの存在が本当に目の前にいるとは夢にも思わず、アルディウスは俄かに信じられなかった。
今も魔物を殺し続けるアリスを、アルディウス達は恐怖に震えながら見つめるだけだった。
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