第6話 死にたくないのなら
突如戦場に現れたアリスに、アルディウス達は驚きのあまり言葉を失っていた。
彼等が驚くのも無理もない。魔物と戦っている戦場の中に突然見知らぬ女が頭上に家を浮かせて現れれば、誰でも否応なしに驚くに決まっていた。
剣や鎧を身に付けている戦士であるわけでもなく、魔法使いなら誰でも持っている杖すら持っていない。二人の前にいる彼女は――どう見てもどこにでもいる平民のような姿だった。
そんな女が急に現れ、まるで人が死ぬことを気にも留めていないような発言をしている。
先程、アリスの告げた言葉をアルディウスが僅かに遅れて理解すると――その表情を強く歪めていた。
アリスの告げた先の言葉。それは間違いなく、この場で戦っている人間達を侮辱する言葉にしか聞こえなかった。
「――なんてことを言ってるんですか!? あなたはッ⁉」
反射的に、アルディウスが声を荒げていた。
しかし彼に怒りを向けられても、アリスは気にする素振りもなく退屈そうに戦場を眺めているだけ。
アリスに意識すら向けられていない。その事実を理解したアルディウスの目が更に鋭くなったのは至極当然のことだった。
「聞いてるんですかッ!?」
「はぁ……さっきからうるさいね、聞こえてるわよ」
「先程の言葉、訂正してください! 我々を侮辱したあなたの言葉は決して許せるものではないッ!」
心底嫌そうに顔を顰めたアリスに、アルディウスが叫ぶ。
だが怒りを露わにするアルディウスから非難の視線を受けてもアリスは平然とした表情で彼を一瞥して、そっと今も続いている戦場に視線を戻していた。
「なに怒ってるんだか……別に事実を言っただけじゃない? アンタ達が負け戦を無駄に頑張ってるって思うことが変なことなの?」
「怪我をしてる者もいる! 命を落としてしまった者もいるんだぞッ⁉ 彼等は国のために戦ったッ! それを無駄だと⁉」
アルディウスの隣に立つ隊長も思わず声を荒げていた。
無駄な努力。そう告げたアリスの言葉は、あまりにも彼等には聞き逃せない言葉だった。
怪我をして戦闘に参加できなくなった者達は、戦場から離れて後方に下がっている。それは全員ではない。もう数人、魔物に殺されていた。
この戦場で彼等は決死の覚悟で戦っていた。国を守るという誇りを胸に、国のためを思って。その勇敢たる行動を侮辱するなど、アルディウス達に許せるはずもなかった。
「もしかして後ろにいた怪我人のこと? あぁ……確かに居たわね、そんなの」
「そんなの……だと?」
何気なくアリスから告げられた言葉に、アルディウスの目が吊り上がった。
咄嗟に怒声をあげようとしたアルディウスだったが、それよりも先にアリスの口が動いていた。
「ふざけ――」
「あの人達ならもう治しておいたわよ。でも応急処置だから国に帰したらちゃんと専門の人間に診てもらうことね」
「……は?」
「一応使えるけど、私って治癒魔法の適性って高くないのよ。だから効果は多少劣るけど止血とかはしてるから安心なさい。生きてるなら死にはしないわ」
淡々と告げられたアリスの話に、アルディウスの表情が怪訝に歪んだ。
「……あの怪我人達を、全員治しただって? 国の治癒魔法が使える魔法使い達でも全員治すのに数日は掛かるはずだぞ?」
「そう? ならその国の魔法使いも大したことないのね」
眠そうに欠伸をしながらアリスが素っ気なく答える。
そんな彼女に、思わずアルディウスは続けて訊いていた。
「……あなたはこの国の人間ではないはすだ。どうしてわざわざそんなことを?」
先程までのアリスの言葉から、アルディウスは彼女がシャルンティエ王国の人間ではないと予想していた。
そして加えて、国のために必死に戦っていた人間に興味すら見せない彼女の姿は――あまりにも彼の知る国民の反応とは思えなかった。
「私の知らない人間が死のうが生きようが知ったことじゃないけど、私の通り道で死なれるのは気分が悪いのよ。それだけの話」
問うアルディウスに、興味もないと退屈そうにアリスが答える。
心の底から本当にそう思っていると、彼女の態度が物語っていた。
「ならあなたは我々の増援では……ないようだな」
アリスが治癒魔法を使える。つまり彼女が魔法使いだと察した隊長が残念そうに呟く。
もし国からの増援なら大勢の人間が来るはずだ。たった一人の人間だけ遅れて来るわけがない。
運良くアリスが現れたおかげで怪我人の治療はできたが、それだけで今の現状が変わることはない。結局、自分達は遅かれ早かれ魔物に殺されるだろう。
その事実に隊長が力なく肩を落とした時だった。
「え? アンタって死にたくないの?」
心底驚いたとアリスが目を大きくしていた。
「……当たり前だ。誰だって、死にたくないに決まってる」
「こんな負け戦してるのに? ここで戦っても死ぬだけでしょ?」
不思議そうにアリスが首を傾げる。
そんな彼女に隊長が目を吊り上げるが、少しの間を空けて、彼は口を開いていた。
「国を、家族を守るためだ。俺が死んでも家族が生きてくれるなら、それでも良い」
「それなら一緒に逃げれば良いじゃない。国だって別に無くなっても一から作り直せば良いだけなんだから……わざわざアンタが死ぬ必要なんてないでしょ?」
「それができれば苦労などしない。逃げても戦う力がなければ、避けられないこともある。戦う力のない者を力のある者が守る。俺が家族を守るように、国が民である俺達を守ってくれていた。だから俺も家族を守ってくれる国に報いるためには……たとえ死にたくないと思っても、命を捧げて戦うことしかできないから戦うんだ」
真剣な眼差しをアリスに向けて、隊長が語る。
その話に、密かにアルディウスは心を震わせていた。
「……あなたがそこまでの思いを持っているとは思いませんでした。王族の一人として、私はあなたに心から感謝を」
そんな尊い思いで国に尽くしている民がいる。その事実がアルディウスにはあまりにも喜ばしいことだった。
アルディウスから頭を下げられて、気恥ずかしそうに隊長が顔を歪める。
その光景を見ながら、アリスは意外だと言いたげに小さく頷いていた。
それは決して隊長の国や家族を想う行動に感心したわけではない。ただ彼女の琴線に触れたのは――別の言葉だった。
「ふーん。そう、死にたくないのね」
死にたくない。その言葉だけがアリスの意識を変えていた。
気だるそうにアリスが首の骨を小さく鳴らし、肩をゆっくりと回していく。
「それなら少し気が変わったわ。仕方ないから手伝ってあげる」
今から動くと言いたげに、その場でアリスが身体の筋肉を柔軟する。手首を回し、腰を回して身体中の関節を動かしていく。
そんなアリスの行動を見て、アルディウス達は揃って怪訝に眉を寄せていた。
「……一体、なにを言ってるんだ?」
「ん? アンタ、死にたくないんでしょ?」
「それはそうだが……」
「なら私が片付けてあげる。そうね、報酬は高めの酒でも頂戴。それで手を打ってあげる」
顔を顰める隊長に、アリスが素っ気ない返事をする。
いまだに理解できないアリスの言動に、アルディウスはあり得ないと頬を引き攣らせた。
「まさか……あなた一人だけでアレをどうにかすると?」
「さっきからそのつもりで話してたんだけど? もしかしてアンタってちゃんと言わないと理解できない人?」
アリスが鼻で笑う。それは明らかに馬鹿にしている表情だった。
当然だがアルディウスの眉間に皺が寄った。本来なら怒りを露わにしたいところだったが、今はそれよりも大事な話を彼は優先していた。
「ふざけた冗談を言わないでもらいたい! あの大群をあなたがたった一人でどうにかできるわけがない!」
「勝手にそう思ってなさい。先に言っておくけど、間違っても私の邪魔はしないことね。間違えて殺すかもしれないし」
「は……?」
自分が勝つことを疑いすらしていないアリスの返事に、アルディウスの口から呆けた声が漏れた。
今も続いている戦場には、数百体の大勢の魔物がいる。それをたった一人で戦って勝つなど不可能としか思えなかった。
「さて、準備運動はこんなものね。じゃあさっさと片付ける前に――そこのオッサン、邪魔だから前の人達下げて」
準備運動を終えたアリスが、戦場で戦う人間達に指を差す。
しかし隊長は困惑した表情を浮かべるだけだった。
「だから、アンタ、なにを言って――」
「御託は良いから早くして。あの人達を死なせたくないならさっさと下げなさい」
「できるわけないだろ! そんなことしたら前線が崩壊する!」
「はぁ……なら私が勝手に下げるわ」
「一体、アンタはなにを言って――」
隊長が声を掛けるより早く、アリスは動いていた。
「本当、話が通じない人って面倒ね」
アリスがそう呟いた瞬間だった。
突如、彼女の両手から無数の光の鎖が現れていた。
アリスが両手を突き出すと、勢いよく光の鎖が戦場に向けて飛んでいく。
それぞれの光の鎖が戦場を飛び、気づけばその鎖達は戦場で戦っている人間達に巻き付いていた。
その後、アリスが両手を引くと、その鎖が凄まじい速度で彼女の元へと戻っていく。
光の鎖によって、瞬く間に戦場で戦っていた人間達がアルディウス達の元に集まる。
そしてアリスがパチンと指を鳴らすと、瞬く間に集まった人間達を囲むように半球の光の膜が突如現れていた。
「はい。アンタ達はここで黙って待ってなさい。死にたくないのならそこから出ないことね。別に死にたいならご自由に出て良いわよ」
そう告げたアリスが歩き出そうとした瞬間、なぜかピタリと彼女が足を止めた。
彼女は何かを思い出したかのように自身の頭上を見ると、そこにあった球体を見るなり、溜息混じりに右手を払った。
アリスが手を動かすと、彼女の頭上にあった球体はふわふわと動くとアルディウス達の上に移動していた。
「それ、預かってなさい。勝手に触ったら殺すわよ」
「ちょっと!」
アルディウスが制止の声を出しても、アリスは聞く耳を持たなかった。
ゆっくりとした足取りで、アリスが歩いていく。
迫る魔物の大群を眺めながら、その足はとても穏やかに動いている。
まるで街中を歩くような気軽さで歩いているアリスをアルディウス達は困惑した表情で見つめていた。
その先に起こることをアルディウス達は予想すらしないだろう。
これから起こるのは――ただの蹂躙だった。
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