第一章 混沌の魔女は自堕落に働く
第5話 混沌の魔女が現れた日
ユースティア大陸の南部に位置するシャルンティエ王国・王都シャルナ。
その北部にあるフェルメルト森林から魔物の大群が王都に向かって来ているという警備隊から得た情報は、早朝にも関わらず王都全体を大騒ぎにするほどの出来事だった。
王都シャルナがある地域は、多くの魔力が満ちている土地としてユースティア大陸内で非常に有名な地域だった。星が生成する魔力が通る地脈が多くある地域であることから、どこの国よりも魔法が栄えた国として大陸全体にその名を馳せている。
魔法を研究する学者達がより良い研究場所を求めて集い、そして優秀な魔法使いを育成する魔法学校を運営していることから大陸内にある六つの国の中でも比較的強い力を持つ国として認識されている。
その国の中心部である王都シャルナは、当然のようにその地域内で最も地脈が通る場所に作られていた。
魔物という存在は古くからいる存在だ。どこからともなく現れ、彼等の力の根幹である魔力を求めて世界を彷徨う生物とされている。
そのため、魔物は魔力が多くある場所へと自然と集まるのは当然のことだった。
つまり、このシャルンティエ王国の王都シャルナは常日頃魔物の襲撃を受けている場所としても有名な地域であった。
小型の魔物が現れた程度なら日常茶飯事。
大型の強力な魔物が現れれば、王都内で多少の騒ぎになる程度。
それが彼等の日常だった。
本来なら、今回の魔物の襲撃も驚くことのないことだと思うだろう。
だがしかし今回だけは、そうではなかった。今回、王都シャルナの北部から向かって来ているのは、小型から大型に至るまで大勢の魔物達が一斉に王都に向かっていた。
なぜ魔物が大量に現れたのか、その原因は不明。王都周辺を巡回する警備隊から連絡を受け、先遣隊が総出で足止めをしている最中であった。
フェルメルト森林から少し南にある早朝の平原。そこで彼等は戦っていた。
「なんとしてでも足止めしろッ! 絶対に一匹足りともこの先に通すなッ!」
先遣隊を指揮する隊長が怒声をあげる。それに呼応して足止めしている隊員達が士気をあげていた。
彼等の目的は、倒すことではない。ただ今は王都から来る増援の時間稼ぎだけで良い。
即座に王都から出発できたのは五十人程度だった。少しの戦闘で負傷者が出始めている。このままでは全滅も時間の問題だろう。
全体を見据えて指揮する隊長から見ても、今のままなら持って十数分が良いところだった。殺すことではなく、ただ近寄らせないだけなら魔法使い達の扱う魔法である程度はできたが……今作れている均衡も、崩れるのは時間の問題だった。
隊長の視界に広がる魔物の群れ。小型の魔物と大型の魔物が軽く数えて優に百以上入り乱れている戦場を優秀と言えど、たったの五十人程度の人間で抑えるのも無理な話だった。
こうして戦闘中でも、視界の奥から魔物達が向かって来る。これよりもまだ増えるという事実に隊長の顔から冷や汗が流れた。
「すまない! 遅れたッ!」
その時、隊長に一人の青年が慌てた様子で駆け寄った。
声を掛けられた隊員が怪訝に眉を寄せる。自分の管理している先遣隊に、若い青年はいないはずだった。
そう思い振り返ると――思わず、彼は目の前の人間に声を荒げていた。
「――アルディウス・ヴァン・シャルンティエ様ッ⁉ なぜあなたがここにいるんですかッ⁉」
「国の一大事に何もしないでいられるわけないでしょう! 私も戦います!」
隊長の前に現れたのは、簡素な鎧を身に纏った青年だった。
シャルンティエ。それが示すのは、彼が王族の一人である証明だった。彼こそシャルンティエ王国の第一王子であるアルディウス・ヴァン・シャルンティエであった。
まさか王族が先遣隊の戦闘に参加するなど夢にも思わず、隊長の顔が苦悶に歪んだ。
「馬鹿なことを仰らないでください! アルディウス様は早くここから逃げてくださいッ! 死にたいんですか!?」
「増援の準備に時間が掛かってるんです! あのままでは増援が来るまで半刻は掛かりますッ‼」
「……は、半刻だと?」
半刻。つまり、今からこの場に増援が来るまで三十分掛かる。
それは今の先遣隊では、絶対に足止めできない時間であった。
「冗談でしょう!? 国の一大事ですよ!? なぜそんなに時間が掛かるんですかッ!?」
「大勢の人間を動かすなら時間も掛かります! ですから先にそれを早く伝えるために私達も来ました!」
そう叫んだアルディウスの背後に、鎧を纏った十人の人間が並ぶ。
彼が連れてきたのは、近接戦闘を主にする王都を守る騎士団の人間であった。
「彼等は私の抱える騎士達です! 接近戦の人員は多くて困ることはないでしょう! 私も魔法使いの端くれ、多少なりとも力になれます!」
「ッ……!」
アルディウスが叫ぶ内容に、無意識に隊長が歯を噛み締めた。
今の現状が崩壊するのも時間の問題である。正直なところ、今はどんな増援でも欲しいくらいだった。
「あなたがこの場にいることを王は知ってるんですか!?」
「そんなこと言えるわけないでしょう! 後からなにを言われても知ったことではありません!」
そう叫んだアルディウスに、隊長が唖然としてしまう。
王国のために死すら恐れない彼の行動には感心してしまうが、今の現状では必ず死ぬだろう。それなのに、彼が平然とこの場に現れたことが今でも隊長には信じられなかった。
しかしアルディウスという人間が国の為に尽力する人間だと知っていれば、彼の行動にも納得ができてしまう。
隊長は苦悩の末、ひとつの答えを出していた。
「絶対に死なないように立ち回ってください! できますか!」
「努力はしましょう!」
「今は立場を考えずに指示を出します! 無礼をお許しください!」
「そんなこと言ってられる状況ではありません!」
その返事を聞いて、即座に隊長はアルディウスと十人の騎士に指示を出した。
多少でも増援があるとないのとでは、状況は大きく変わる。彼等のお陰で劣勢ではあるが、時間稼ぎが少しだけ楽になったのは事実だった。
しかしそれでも――結果は変わらなかった。
魔物の叫び声と人間の怒声が交じり合う。
魔物に炸裂する魔法。振るう剣が魔物を裂く。
魔物の爪が人間を切り、彼等の牙が肉を噛む。
負傷者が増える。魔物の数も増えていく。
一人。また一人と戦える者が減っていく。
増援に来たアルディウスも、その身体に多くの傷を作っていた。
負傷した者達を撤退させても、すでに命を失ってしまった者も当然いた。
戦場というモノを多少知っていたアルディウスでも、目の前で起きていることはあまりにも惨い光景だった。
これがシャルンティエ王国の抱えている問題。魔物が起こす被害のひとつだと再確認して、アルディウスは身体を震わせていた。
アルディウス達が来てから数分しか経っていない。まだ増援が来るまで時間が掛かる。
この魔物の大群が王都に押し寄せれば、間違いなく王都は大きな被害を受けるだろう。
民が死ぬ。国が死ぬ。そう思うだけでアルディウスは吐きそうになった。
「まずい……このままでは」
「やはり、時間稼ぎもここまでか」
呟くアルディウスに、隊長が強張った表情を見せる。
このままでは間違いなく全滅する。もし仮に逃げても、あの大勢の魔物の前では逃げることすらできないだろう。
「今からでも遅くありません。アルディウス様、逃げてください」
「逃げても無駄です。それに国を見捨てるなど、私はできない」
元よりアルディウスは逃げるつもりなどなかった。そんな選択を選ぶ理由などあるはずもなかった。
「……アルディウス様」
アルディウスの言葉に、隊長は目の前の王子に心から敬服した。
命を顧みず、率先して王族が戦場に向かうことは決して褒められることではない。しかし彼の志は、間違いなく王たる資質だと思い知らされた。
「もしこの場から生き残れたら……今一度、この私はあなたに心から忠誠を誓います。あなたこそ、次の王に相応わしい」
「……嬉しいことを言ってくれますね。あなたのような人間に慕われるのは、私も嬉しい」
嬉しそうに笑うアルディウスに、隊長も自然と笑みを浮かべた。
アルディウスが杖を構え、隊長は剣を構える。互いに頷き合い、目の前の戦場を見据える。
そして二人が駈け出そうした。その時だった。
「このまま放置したら勝手に国が滅んでくれそうね……放っておくのもひとつの手かしら?」
ふと、この場に似つかわしくない綺麗な声が響いた。
「は……?」
アルディウスが振り向くと――そこには奇妙な女が立っていた。
古びたローブと、着古した灰色のワンピース。切ることすら面倒だと言っているような伸びきった銀髪に、随分と端正な顔立ちの女だった。
戦場に来たとは思えない姿と、更におかしな点があるとすれば……なぜか彼女の頭上に家が浮かんでいた。
まるで地面からごっそりと抉り取ったように、不思議な球体に包まれた木造の家が女の頭上で浮いていた。
「後ろから来てるのも数えると……ざっと数は三、四百ってところかしら。それにしても一生懸命戦って、大変そうねぇ」
そう言って、アリス・フラルエヴァンは興味もなさそうに大きな欠伸を漏らしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます