第4話 使いたくなかった奥の手


 つまるところ、各国の戦争が起きたキッカケはとても簡単なことだった。

 自国が抱えている問題を解決するために他の国を頼った。それが争いの始まりだった。


 片方が要望を出し、それをもう片方が受ける。その契約の上で必要になることは、当然ながら対価だろう。国という大きな組織同士の契約ともなれば、それは明確に示されるものである。

 だからこそ、交渉というものがある。本来なら互いに話し合い、両者が納得し合える報酬を決定し、契約が交わされるのだが……決して全てがそうなるわけではない。


 契約の対価となる報酬に両者が納得できない場合がある。頼み事をする以上、依頼している側が立場として弱くなるのは当然のことだ。ゆえに、それを利用して依頼を受ける側が報酬の内容を吊り上げることは――よくある話だった。


 両者の立場を公正にして契約を成立させる場合も当然あるが、それは極めて稀なことだ。それが国であれば、自国の利益を求めて多くの報酬を求めるのは当たり前のことだろう。

 だから互いに納得ができず、交渉が決裂する。そして互いの関係は悪くなり、そんなことを繰り返していくうちに互いにいがみ合う関係になっていく。


 結局のところ、アリスが聞いていたシャーロットの話はそういうことだった。


「だから私達にその問題を解決しろって?」

「そういうこと。別に面倒なことでもないでしょう?」


 今までの彼女の話を聞いて、果たしてそれが面倒なことではないと思える人間が一体どこにいるのだろうか?

 少しの間を空けて、眉間に皺を寄せたアリスは無意識に失笑していた。


「馬鹿じゃないの? どう考えても面倒なことでしょ?」

「普通の人から見れば、ね。だけど私の自慢のアリス達ならそれくらい大した問題じゃないでしょ?」

「いや、アンタがどう思おうが面倒なものは面倒よ」


 手間が掛かる掛からない関係なく、アリスにとって面倒なことは面倒なのである。

 国同士が争わないために各国を管理する魔女の仕事すら面倒なのに、加えてその管理する国が抱えている問題を解決するなど誰が聞いても面倒だと思うに決まっていた。


「そんな話、誰でも嫌がるに決まってるでしょ? 他の子達にも断られなかったの?」


 だから思わず、アリスはシャーロットに訊いていた。

 誰が聞いても面倒だと思えることを自分以外の姉妹が思わないわけがないと思って。


「他の子達? ちゃんとみんな受けてくれたわよ?」

「は……?」


 予想外の返答に、アリスは呆気に取られた。


「だから、後はアリスだけなのよ。あなたが頷いてくれたら、私の魔女機関は無事完成するわ」


 まさか自分以外の全員がシャーロットの話を受けるとは思ってもいなかった。


「まさかアンタ……魔法で無理矢理頷かせたんじゃないでしょうね?」

「あの子達に魅了の魔法なんて使わないわよ。それに仮に使っても、あの子達の実力なら即座に無効化されるわ。勿論、アリスを含めてね」


 相手の意識を主従させる魅了の魔法を使っていないのなら、本人の意思で承諾したことになる。

 自分の知る姉妹達がシャーロットの話に頷くとは全く思えず、信じられないとアリスは怪訝に目を大きくしていた。


「……あの子達が素直に受けた?」

「えぇ、みんな喜んで受けてくれたわ」

「喜んで、ねぇ……一体、あの子達を頷かせるのにどんな対価を差し出したのよ?」

「人聞きの悪いこと言わないでほしいわ。ちゃんと真っ当な交渉で頷いてもらったのに」

「信じられるわけないでしょ」


 魔法で強制せずに自分の姉妹達がシャーロットの話に素直に頷くとは、今でもアリスは信じられなかった。


 自分を含めて姉妹全員は悪く言えば自分勝手、良く言えば自分に正直な人間の集まりだ。そんな彼女達がシャーロットの話に簡単に頷くはずがない。


 もし本当に頷いたとするのなら、彼女達が頷くに値する対価をシャーロットが差し出したとしか考えられなかった。


「言っておくけど、私はなにも差し出してないわよ」

「冗談言ってんじゃないわよ。それならあの子達が頷くわけないでしょ?」

「それが意外と頷いちゃったのよねぇ。アクアリアも夢が叶うって喜んでたわ」

「あの子が……?」


 姉妹の中で一番頷きそうもない子が素直に頷いたと知って、アリスの表情が歪んだ。

 あの“アクアリア”の夢が叶う。たった今、シャーロットから出てきた言葉をアリスが頭の中で反芻する。

 そして少し昔の記憶を辿って、アリスがアクアリアの夢を思い出した時、彼女は頬を引き攣らせながら納得していた。


「そういうことね。魔女の仕事と国の抱える問題の解決……それならアクアリアにうってつけの国があるわ」


 アリスの頭の中に、ひとつの国が思い浮かんだ。

 六国のひとつ、とある国が慢性的に抱えている国家の問題。それを昔、魔法学校の座学で学んでいたアリスは苦笑ながら頷いていた。


「ようやく理解してくれたみたいね。みんな、そう言うことよ」

「自分の医療施設を作りたいって言ってた子に、医療技術に乏しい国を担当させるなんて……アンタも良い性格してるわ」

「そんなに褒めないでよ、照れちゃうじゃない」

「全然褒めてないわよ……なるほどね、なら他の子達にも似たような国を担当させたってわけね」

「そういうこと」


 シャーロットの子供達ことアリスの姉妹達は、それぞれが叶えたい夢を持っている。

 つまり、シャーロットは自分の子供達が自分の夢が叶えられる国を担当にさせたということだった。


 確かに、それなら喜んで彼女達が頷く理由も納得ができた。自分の夢が叶えられる場所を紹介してくれるのなら、誰だって喜んで受けるだろう。

 もしアリスも自分の叶ってない夢があれば、シャーロットの話を受けていたかもしれない。自分に叶ってない夢があればの話だが――


「五人も頷かせられたのは良かったわね。でも残念。私の願望が叶う国なんてないの。だって……もう私の夢は叶ってるんだから」


 誇らしげにアリスが小馬鹿にした笑みを浮かべていた。


 アリスが暮らしている今の生活。なにも縛られることもない、自由な生活を彼女はずっと望んでいたのだ。

 この自由で自堕落に生きていける生活を手に入れるために、途方もない努力を長年積み重ねてきた。その結果が、今の生活だった。


 つまり、すでにアリスの夢は叶っていた。


 だからアリスはシャーロットの話を受ける理由などない。そもそも、受ける必要すらないのだから。


「えぇ、あなたならそう言うと思ってたわ。だから最初はお願いだけで頼んでたのよ。奥の手を使いたくなかったから」

「……奥の手?」

「私だって穏便に話を進めたかったのよ。でも、話してて分かったわ。やっぱり、面倒くさがりなアリスにはこの方法しかないのね」


 シャーロットから聞かされた不穏な言葉に、怪訝にアリスが眉を寄せる。

 そんな彼女にシャーロットが優しく微笑んだ――その時だった。



「――アリス。御託は良いから、黙って、私の言う通り、魔女の仕事をしなさい」



 シャーロットが言葉を発した瞬間、アリスの身体に強烈な魔力の圧が押し寄せた。


「ちょっ――」


 咄嗟の判断でアリスが防御魔法を展開していた。

 先のシャーロットの行動は、術式を使用した魔法ではない。ただ身体に内包している魔力を無意味に放出しただけなのに、それを攻撃と判断してしまうほどの膨大な魔力がアリスの身体に襲い掛かった。

 それは明らかに、シャーロットからアリスに向けた敵対の意思だった。


「従わないから力ずく? 私がこんな脅しで従うと思ってるの?」

「もし頷かないのなら、その首根っこを引っ張ってでも連れてくわよ?」


 もし本当にシャーロットがそうするのなら、アリスは即座にこの場から逃げるつもりだった。

 シャーロットと戦って勝つのはかなりの手間になる。ならば今のアリスが優先するのは、どんな手段を使ってでも逃げるのが最善だった。

 それができれば、後は見つからないように雲隠れすれば良いだけだとアリスが安直に思った時だった。


「言っておくけど、私から逃げても無駄よ? どこに逃げても地の果てまで追い掛けて、絶対に捕まえてシャルンティエ王国に連れていくからね?」

「……この私を捕まえられると思ってるの?」

「逆に聞くわ。この私があなたを捕まえられないと本気で思ってるの?」


 そんなことは分かりきっている。


 きっとシャーロットなら逃げたアリスを一週間も経たずに見つけるだろう。そしてまた逃げても、すぐに見つかり、それを何度も繰り返すことになる。

 もし今ここでアリスが逃げれば、これからずっとシャーロットから逃げる逃亡生活が始まることだろう。

 それは今のアリスが送っている平穏な生活が失われると言っているようなものだった。


 逃亡生活と労働生活。その二つの選択肢を強制的に選ばされたアリスは、心底嫌そうに顔を歪めて選ぶしかなかった。


 どちらが気が楽かなんて、分かりきってきた。


 あの化け物から逃げる日々を過ごすくらいなら、まだ労働をする方が……アリスには気が楽だった。






―――――――――――――――――


これから魔女となるアリスの物語が始まります。

本作を面白い、続きを読みたいと思って頂けたならフォローやレビュー、コメントを頂けると単純な作者の執筆の励みになりますので良ければお願いします。

もし頂けたら執筆、頑張っちゃいます!


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