第2話 魔女機関と魔女


 シャーロットはアリスと二人の時だけ、アリスの前世の言葉を使う時がある。

 実にアリスにとって良い迷惑だった。忘れたい前世の記憶を呼び覚ますような単語を面白がって使うのだから……その類の単語を聞くだけで頭が痛くなる。


「何年も生活してたら飽きない?」

「私が好きでやってるんだから飽きるわけないでしょ? あとその耳障りな単語使わないでくれない?」

「あら? って分かりやすくて良い言葉じゃない?」


 朗らかに笑うシャーロットを見て、アリスは頭の血管が切れそうになった。

 こういう時の彼女は、大抵自分をからかっている。久々に会った所為なのか、思う存分楽しんでいるらしい。

 最後にアリスがシャーロットと会ったのは二年ほど前になる。ここ最近会ってなかった反動なのか、心なしか彼女が生き生きとしているのは絶対にアリスの気のせいではないだろう。

 アリスは深い溜息を吐き出すと、じっとシャーロットを睨んでいた。


「次、またそれ言ったら本気で追い出すから」

「ふーん? この私にそんなことができると思ってるの?」

「……やれるか、今ここで試しても良いわよ?」


 わざとらしく首を傾げるシャーロットに、アリスは右手を突き出した。

 シャーロットに向けられたアリスの右手に赤い光がほのかかに灯っていく。それは魔法が発動する予兆だった。

 明らかな戦闘の意思を見せるアリスだったが、しかし対するシャーロットは特別な反応をすることもなく、平然とソファに座ったまま顎に指を添えて唸るだけだった。


「うーん、久々にアリスと親子喧嘩も捨てがたいわね……でも今のあなたと喧嘩するとここ一帯が更地になりそうだから流石にやめておくわ。別の機会があったらやりましょう?」

「なんでわざわざ私が親と殺し合う約束しないといけないのよ……」

「殺し合い? なにを言ってるの? じゃれあいの間違いでしょ?」

「アンタとやり合うのがじゃれあいなら……戦争はネズミの喧嘩ね」

「ふふっ、面白いこと言うわね。あながち間違ってない言葉だわ」


 この女がそう言うと全く冗談に聞こえない。

 そう思いながら、アリスは渋々と突き出していた右手を引っ込めた。彼女の手から淡い光が霧散する。

 その光景を見ながらクスクスと笑うシャーロットに、アリスは舌打ちを鳴らしていた。


 もし仮にシャーロットとアリスが本気で喧嘩をすれば、果たしてどちらが勝つのか?


 アリスも魔法に関してはかなりの自信を持っているが、体術を含む話になると少し事情が変わる。魔法に加えて体術も使う喧嘩となれば、シャーロットに勝てる確率は良くて五分五分、もしくは七割の確率で負けるかもしれない。


 おそらくアリスが一番苦戦する人間は誰かと訊かれれば、間違いなくシャーロットと答えるだろう。


 世界で最も優れた魔法使いを示す“大魔女”の称号を持っている『シャーロット・マクスウェル』に勝てる人間は極めて稀な存在である。


 それこそ、アリスが彼女に勝つなら決死の思いで戦いに臨まなければならない。この場で戦えば、間違いなく今いる家は消し炭になる。それはアリスの望むところではなかった。


「まぁ、私とアリスの親子喧嘩は今後にして……今はあなたの大事なお仕事の話をしましょう」

「なんで話を戻すのよ……」

「だってその話をするために来たんだもの」


 折角話が逸れたのだから、どうせなら忘れて帰って欲しかった。

 しかしシャーロットが話を戻してしまい、否応なくアリスは話を聞かざるを得なくなった。

 ソファの上で頬杖を突いたアリスが早く話せと目で訴える。それを察して、シャーロットは楽しそうに話し始めた。


「あなたの仕事の話をする前に、少し世情の説明が必要ね。世間に全く興味のないあなたは知らないでしょうけど、最近ようやく六国戦争が終結したのよ」

「へぇ……意外ね」

「……あまり驚かないのね」

「別に、大して興味もないし」


 アリスの反応に、シャーロットがつまらなそうに口を尖らせる。


 今現在、アリスが生活しているユースティア大陸には、六つの大きな国が存在している。その各国が昔から様々な理由で小競り合いの戦争を繰り返していた。


 それが巷で六国戦争と呼ばれているものだった。


「その理由、気にならない?」

「全然気にならないけど、話したいなら話して良いわよ?」


 欠伸が出そうになるのを我慢しながらアリスが答えると、シャーロットは不貞腐れながらも話し始めた。


「数年前のことだけど、実は別大陸からこのユースティア大陸に向けて圧力が掛けられてたの。簡単に言えば、こっちの命令に従えみたいな話ね。今は各国の総意で拒否してるけど、もしかしたら大陸同士の戦争になりかねない状況なのよ。そんな時に大陸内で小さな戦争してるのって馬鹿馬鹿しい話じゃない?」


 確かにシャーロットの言う通りだろう。他の大陸からそんな一方的なことを言われて、了承するわけもない。相手の目的などアリスは全く知らないが、拒否するのも当然のことだ。


 しかし拒否をすれば敵対行為と見なされて大陸同士の戦いになるのも十分にあり得る。そんな中で大陸内で身内の小競り合いの戦争をしているのも馬鹿みたいな話だと思えた。


「そこでこの大きな問題を抱えた六つの国がこれからどうするか決める為に各国の代表者が集まって話し合う場が設けられたってわけ。まぁ、私もそこに行ったんだけどね」

「……シャーロットが? なんでわざわざ?」

「今まで散々しょうもない喧嘩を続けてきた国のお偉いさん達が集まって、まともな話ができると思う?」


 できない。そう口から出てきそうな言葉をアリスは我慢した。

 それと同時に、なぜその場にシャーロットが出向いたのかもアリスはおおよその予想ができていた。


 大魔女であるシャーロット・マクスウェルは、どの国にも属さない自由奔放な人間である。ユースティア大陸が誇る最強の魔法使いである故に、その全ての行動を許される唯一の人間だ。


 彼女がやろうと思えば、大陸を全て焼き払うことすら可能だろう。しかしそうならないのは彼女の人柄がそうしていた。


 それはシャーロットの信念なのか長年の付き合いがあるアリスでも知る由もないが、彼女は善意の塊のような人間だ。悪を許さず、善を貫く。そういう類稀な人間である。


 そんな人間がどこかの国に肩入れするとも思えない。それ故に、六つの国の人間が集まる場に中立の立場として居合わせることになったのはアリスも容易に想像できた。


「それで私の立ち合いで話し合いが始まったんだけど……」


 苦笑するシャーロットを見て、アリスは察した。


「話が進まなかったのね」

「そうなのよ。ああでもないこうでもないって言い合うばっかり……だからもう面倒になって私から提案することにしたのよ」


 小さな溜息を吐きながら、その時のことを思い出したのかシャーロットが肩を落とす。


 きっとまたロクでもないことを言ったのだろう。


 そう思ってアリスが待っていると、シャーロットの口が開いた。


「――私が全部管理してあげるって」

「……冗談でしょ?」


 反応が遅れて、アリスは唖然と声を漏らしていた。

 まさか六つの国を全て管理するなんて無謀なことをシャーロットが言い出すとは夢にも思わなかった。

 子供の面倒を見るのと訳が違う。大勢の人間が住む国を人間一人が六個も管理するなんて普通に考えてできるわけがなかった。

 各国同士の関係性が良好なら、まだ話は分かる。しかし実際は多少なりとも険悪な関係である以上、それを可能にするのは現実的に不可能だ。


「当然だけど私一人じゃ限界があるわ」

「でしょうね。流石にそこまでアンタが馬鹿だとは私も思わなかったわ」

「だから、それを可能にするために……私は組織を作ることにしたの」


 そう誇らしげにシャーロットが告げた途端、アリスの背筋にぞわりと寒気が走った。

 いまだかつてないほどの予感。それは間違いなく今から自分に良くないことが起きるとアリスに直感させるモノだった。


「……聞きたくないわ。嫌な予感しかしない」

「良いから聞きなさい。大事な話よ」


 顔を強張らせるアリスを頬を膨らませたシャーロットが黙らせる。

 渋々とアリスが黙る姿を見て、シャーロットは満足そうに頷くと、そのまま続けて口を開いた。


「私がこれから新しく作る組織。その名は“魔女機関”よ」


 魔女機関。どうにもアリスには嫌な予感のする名前にしか聞こえなかった。


「国同士の力関係を調律し、争いを未然に防ぐ守護者として私が決めた六人の魔法使いを各国に配置するの。そしてこの六人が私の代理人として担当する国の管理をする。勿論、ちゃんと私も定期的に見に行くけどね」

「ちょっと待って、まさか……」

「えぇ、だからアリスには“混沌”の称号を与えて、これから“混沌の魔女”としてシャルンティエ王国を任せるわ」


 アリスの身体に、おぞましい寒気がした。きっと全身の鳥肌が立ったに違いない。

 シャーロットの話を聞いた瞬間、アリスは大きく目を見開いていた。

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