異世界転生して働きたくないから最強の魔法使いとなって自堕落な日々を過ごしていたら、なぜか国の守護者になってしまった〜楽して生きるために奮闘する自堕落魔女の物語〜

青葉久

序章 にーと、仕事を強要される

第1話 音もなく、我が家に死神が来た


「久しぶりね、元気にしてた?」


 突然の来訪者が、音もなく我が家に訪れた。

 聞きたくもなかった声が突如聞こえて、反射的にアリス・フラルエヴァンが振り向くと――あり得ないと彼女の目が大きく見開かれた。


「……シャーロット?」

「ええ、そうよ。あなたの大好きなお母さんよ。会いたかったでしょう?」


 どうにか言葉を紡いだアリスに、シャーロットが嬉しそうに微笑む。

 まるでそこにいたのが当然のように。ソファで寝転がって本を読んでいたアリスの対面に置かれたソファに、本来そこに居るはずのないシャーロットが足を組んで座り、長い黒髪を揺らしていた。

 幻覚ではない。今も目の前で座っているシャーロットは本物だと、アリスの目が確信させる。彼女から感じる異質な魔力は、紛れもなく彼女のモノだった。


「……なんでアンタがここにいるの?」


 思わず、アリスが顔を顰める。

 そんな彼女に、シャーロットはあっけらかんと答えた。

 

「なんでって? 普通に来ただけよ?」

「冗談じゃないわ……なんで私の魔法を無視してアンタが私の家に入れるのよ?」


 頬を引き攣らせたアリスが苦笑する。

 間違いなく、先程までこの家には自分しか居なかった。そもそも、この家に来客が来ることすらおかしい。誰も来ることがないようにと、その為にわざわざ辺境の地に住んでいたというのに。

 それなのにどうして自分以外の人間が我が家の中に平然と居るのか、アリスには全く理解できなかった。間違っても人間が来ないように、誰も家に近づけないように様々な細工をしていたはずなのに。


「えっ?」


 アリスの疑問に、シャーロットは首を傾げる。

 しかしすぐに彼女は察したのかクスクスと楽しそうに笑っていた。


「あぁ……もしかして頭が悪いくらい家の周りに設置してた術式のことを言ってるの?」


 さらりと自分の使っていた魔法を小馬鹿にされたような気がして、アリスが目を細めた。


「そうよ。私の魔力を感知されないように感知阻害だってしてたし、人払いの術式だって何重にも展開してるの。それなのにどうしてアンタがここに座ってるのよ。それもこの私に認識すらさせないで」

「それは私があなたのお母さんだからよ。それにあなたの師匠がこの程度のことができなくてどうするの?」


 随分と適当なことを言ってはぐらかすシャーロットに、無意識にアリスは舌を小さく鳴らした。

 過去の経験からアリスも分かっていた。この手の話でシャーロットは種明かしを絶対にしない。本来ならこの場にいることすらあり得ないことを可能にした方法を追及しても、決して答えを言わない。つまるところ、自分で考えろということだ。


「……化け物め」

「私と同類のあなたに言われたくないけど、それにしても化け物とは失礼ね。私だってか弱い女の子なのよ?」

「初めて会った時から外見が全然変わってないアンタに言われる筋合いないわよ」


 初めて幼い頃に出会ってから全く姿が変わってないシャーロットを見ながら、アリスが失笑する。

 シャーロットのトレードマークとも言える黒いローブと簡易なドレスも昔から変わっていない。黒い長髪は手入れが行き届いていて、顔立ちも老いすら感じさせない美しさである。

 20歳になったアリスの年齢から計算しても、おそらくシャーロットの年齢は軽く40歳を超えているはずだ。

 それなのに自分と同年代にしか見えないのだから、普通に理解の範疇を超えている。一体、どんな魔法を使ってるのやら……アリスには見当もつかなかった。


「いつだって女は綺麗でいたいのよ」

「……是非とも、その術式を教えてもらいたいものね」

「あら? アリスもそういうことを思うの?」

「違うわよ。そういうことじゃない」


 不満げにアリスが鼻を鳴らす。別に若い外見が未来永劫欲しいなどという陳腐な理由ではない。もっと別の、違う理由だ。

 シャーロットがしばらく不貞腐れるアリスを見つめると、彼女はなにかを察して呆れたように肩を落とした。


「もしかして、まだ諦めてないの?」


 そう言ったシャーロットの言葉の意味を、すぐにアリスが理解する。

 適当な相槌を返して、アリスは頷いていた。


「……諦めるわけないでしょ」


 ふと、おもむろにアリスが視界の隅にある鏡に視線を向けた。

 切ることすら面倒で雑に伸びた銀髪。自分でも感心するくらい整った顔。やせ細ってはいるが、出ているところは出ている日焼けもしていない白く綺麗な身体。

 とは、大違いだ。自分でも驚くほど綺麗な人間だとアリスは鏡に映る自身を見ながら、しみじみと思う。

 鏡を一瞥していたアリスに、シャーロットは小さく笑っていた。そこはどこか、哀れだと言ってるような笑いにも聞こえた。


「……生まれ変わるのが怖いのかしら?」


 そう言われて、アリスは鬱陶しそうに舌を鳴らした。


「えぇ、嫌に決まってるわ。前の人生は散々嫌な思いしてきたの。今が気楽で幸せなんだから、死んだら次はロクでもない人生になるかもしれない。そう思ったら……死にたくないって思うでしょう?」


 わざとらしくおちゃらけたようにアリスが語る。

 そんなアリスに、シャーロットは小さな溜息を漏らした。


「生まれ変わり。あなたの前の世界の言葉で言うなら、輪廻転生だったかしら?」

「人の記憶を勝手に見たアンタに言われると……なぜか心底腹が立つわね」

「仕方ないでしょう? あなたを拾った時に何が起きたか調べたら見ちゃったんだから?」

「疑問形で言わないでくれない? ムカつくんだけど?」


 シャーロットに拾われた時のことを思い出して、アリスが眉を吊り上げる。

 幼い頃の記憶だが、今でもアリスはハッキリと覚えていた。シャーロットが自分の頭に手を乗せた後、心底驚いた表情を見せていた時のことを。


「私も知らなかったのよ? 普通、前世なんてモノが本当にあるなんて信じられるわけないでしょう?」

「……でしょうね」


 確かに、それもそうだろう。単に事実確認をするために見た記憶の中に、あり得ない世界の記憶があれば驚くに決まっている。


「あの時は私も良い勉強になったわ。単なる記憶を見る魔法は、その人間が認識してるなら前世の記憶すら見れるって知れたのは……今思えば貴重な経験だわ」

「一応言っておくけど、誰にも言ってないでしょうね?」

「たとえ私が周りに言ったところで、誰も信じないわよ。あなたの記憶を直接見ない限り、誰も信じないに決まってるわ」


 呆れて眉を吊り上げるアリスに、シャーロットが肩を竦めて見せる。


「それに、その記憶……誰にも見せる気ないでしょう?」

「あるわけないでしょ。魔法で厳重に守ってるわ」

「私達で決めたことだものね。まぁ、それはそうした方が良さそうね」

「当然。誰にも私の記憶なんて見せないわよ」


 そう言って、アリスは自分の頭を人差し指で突いた。

 アリスは自身の記憶を厳重に魔法を使用して守っている。他者に記憶を見られないように守る理由は数多くあるが、その最も重大な理由は前世の記憶を見られないようにすることだ。

 前世の記憶を見られれば、この世界には生まれ変わることが認知されるかもしれない。そうなれば生まれ変わる為の魔法を探し出す人間も現れるだろう。

 もし生まれ変わる魔法が作られでもすれば、ロクなことにならないに決まっている。

 それを危惧して、アリスはシャーロットと決めて記憶を見られないために厳重に魔法で記憶を守ることにしたのだ。


「そもそも次も生まれ変わる可能性なんて分からないでしょう? 気にし過ぎよ。人間は死ぬときは死ぬの。だって生き物なんだから」

「分からないから死にたくないのよ」


 溜息交じりにアリスは答えた。

 もし今の自分が死んで、また生まれ変われば辛い人生を歩むかもしれないと考えただけで……死ぬのが怖いと思ってしまう。

 生まれ変わっても前世の記憶を思い出さなければ良いだけの話だが、今の時点で前世の記憶を思い出している時点で次も思い出さない確証なんてどこにもない。


「あんな人生、もうごめんよ」

「確か、あなたの前の名前って……ユウヅキ・アカリだったかしら?」

「やめて、その名前は聞きたくもない」


 脳裏に過ぎった前世の記憶を思い出して、頭を抱えたアリスが頬を引き攣らせた。

 日本という国に生まれ、両親の愛情も与えれずに育ち、異常な両親から生き方を決められてしまった人間。それがアリスの前世だった。

 子供の頃から友達と遊ぶことすら許されず、趣味すら持つことを許してもらえず、勉学だけしか許されなかった。青春や恋愛などと無縁な生き方だった。

 そして大人になって社会人となった後、傲慢な上司達の圧を受けながら働き、給料を両親に搾取され続け、そして過労でぽっくりと死んだ。それだけのつまらない人生。


 それがユウヅキ・アカリという25年しか生きなかった人間の人生だった。


 今思い出してもおぞましい。あんな人生が次も来るかもしれないと思うだけで、アリスはゾッとする想いだった。


「悪いことを言ったわね、もう言わないわ」

「そうして、二度と聞きたくない」


 深く、ゆっくりと深呼吸をしてアリスが気持ちを整える。前世の記憶を思い出すと、どうにも気分が悪くなるのはいつものことだった。

 そうして気持ちを整えたところで、アリスは今も当然のように目の前に座るシャーロットに話し掛けていた。


「……それで? 急に私の家に来て何の用よ?」

「そうだった。話してて忘れるところだったわ」


 アリスにそう言われて、シャーロットが胸の前でポンッと両手を叩いた。

 どうせならそのまま忘れて帰って欲しかった。

 そう思いながら気怠そうな表情でアリスがシャーロットを眺めていると――


「アリス、良い機会ができたから働きなさい」


 とんでもないことを彼女は口走っていた。


「……働くわけないでしょ?」

「あなたのような働かないで生きる若い子を、って言うらしいわよ?」

「だから! 私の前世の言葉を使わないでって言ってるでしょ!?」


 この世界で聞きたくもない前世の単語を聞くとは、アリスも思わなかった。

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