「死」その意味

 荷物を回収しきった後、馬車を解体して証拠を隠滅。それが終われば後は根城に戻るだけ。そして、戻れば戦利品収奪品を使っての馬鹿騒ぎが始まった。


「ワハハ!久しぶりの上等な酒はうめぇな!ほら!お前も飲めよ!」

「や、スレイさん俺は酒飲めないんですって」

「んー?護衛だからだったか?けどよ!レモン玲香様は“いねぇ”みてぇだしちょっとくれぇはいいんじゃねねぇか!?」

「はは、まぁでも辞めときますよ。戻ってきた時に怒られたくないんで」

「なぁんだ。ノリ悪りぃなぁ……おーいダンギルこれうめぇぞ!」


 あの蹂躙から5時間。夜になってから始まった宴という名の馬鹿騒ぎが始まって3時間強。ようやく弥々はスレイのうざ絡みから解放され、しばらく水をちびちび飲んだ後、置いてあった果物を、果実ナイフで剥き口に運ぶ。


「――ッ!」


 けれども、すぐに顔を顰めて足早に会場から遠ざかっていき、そして盗賊達の声が小さくなるくらいに離れた場所に辿り着くと、薄く照らされた地面に吐き出した。


「……はは、味がしねぇ。何食べても土食ってるみたいだ」


 どうしてもあれからずっと男の死に顔と、少女の“あの”顔が頭から離れないのだ。

 人が死ぬ。異世界に来て、盗賊団に入って覚悟していたはずだったのだが、実際にそれを経験すると、それは想像の何倍もの傷を弥々に残した。


「どう、しよっかな。あの子と、お母さん、助けたいんだけどなぁ……」


 場を離れたから今はもう聞こえない……いや、時間が経ったからから聞こえなくなった彼女達の悲鳴、悲泣の声が耳に残っていた。それと同時に男達の下卑た笑い声も。


 それを聞いて憤りを感じていても、今の自分には何も出来ない。もし行動を起こしたとしても多勢に無勢。結局助けることは出来ず自分が死ぬことになる。それが故の無力感を身に沁みて感じ、ただ場違いなほどに輝く満天の星空を眺めることしかできなかった。


「無力、だな」

「……本当にね」

「……玲香か。どこ行ってたんだよ。心配したんだぞ」

「ちょっと、ね。やる事をやってきたのよ」

「そか」


 ほぼ5時間ぶりに背中越しでその声を聞いた。


「……情報」

「ん」

「欲しかった情報は手に入ったわ。スレイもあれだけ飲めばまともな判断は出来なくなるみたい。ペラペラと要らないことまで喋ってくれたわ」

「そか」

「お金も、あの商人さんが持ってたモノをくすねて来たわ」

「すげぇな」


 気の抜けた返事。おそらくその事実を聞いただけでそれ以外何も考えていないだろう頭。けれども次の言葉を聞いて急稼働する。


「ええ。……だからもう、私達はこのまま逃げられるわ」

「それは――ッ!」


 弾かれた様に振り返った弥々が見たのは、数日ぶりに眼にする幼馴染みの――涙に濡れた顔だった。


「お、おい。どうしたん――」

「……ごめんなさい。本当にごめんなさい」

「ほ、本当にどうしたんだよ」

「わ、私が、盗賊になろうなんて言ったから、そんなバカなこと言ったから、ひ、弥々がこんなに苦しむことになって、だから、だから――」


 その口から吐き出されたのは、慚愧の、後悔の言葉。


「――ごめんなさい」

「っ……」


 何も出来ず目の前で人が殺され、自分とそう変わらない少女が陵辱される。その現実に苦しんでいたのは弥々だけではなかったのだ。

 いや、それ以上なのだろう。一歩間違えればあの男は弥々で、少女は自分だったかもしれない。自分に見えていたあまりにも浅い現実。そこから判断した指針によって“そう”なっていたかもしれないのだ。

 それに結果が全て、なんていう言葉が大人の世界にはあるが、その結果自分の幼馴染みが苦しんでいる――それら事実が玲香の心を責め立て、苦しめていた。


「……違う、違うよ玲香。玲香は悪くない。俺だって玲香の計画に賛同して、玲香に任せたんだ。なら俺にも責任がある。だから、泣かないでくれ」


 そして、それに気づいた弥々はただ、その小さな背を抱いて胸を貸すことしかできなかった。


 どれほどの時が経っただろうか。いつしか玲香は泣き止み、弥々もまたある程度の頭の整理が終わる。


「……ぅん。ごめんなさい。……ちょっと糸が切れてしまって」

「いや、本当なら俺が気づくべきだったんだ。気にしないで」

「………」

「なぁ、さっき言ってたやるべき事って、なんだ?」


 広がる沈黙。けれど、玲香の「軽蔑しない?」という問いに弥々が是と返したことで、玲香は話し始める。


「……弥々はあの二人を助けたい」

「ああ」

「そして私もあの二人を助けたいと思った」

「……ああ」

「でも、人を殺したこともない私たちじゃ多分無理だって思った」

「ああ」

「だけど、その時思い出したのよ――ペリオ草を乾燥させて持ってきてたこと」

「……まさか!?」


 ペリオ草。フーリ婆さんが二人に教えてくれた危険極まりない“毒草”。

 前世地球において、植物の自然毒ではそれほど危険なものはない……いや、危険なのだが、致死量になるまでにはかなりの量を必要とする。

 だが、この世界では違う。二人は警戒して旅をしたため未だそれらしい物には会ったことはないが、“魔獣”と呼ばれる生物が生息している。(弥々が兎だと思っていたのも魔獣である)

 その魔獣という存在は地球における生物とは文字通り格が違う。嘗て見た、ドラゴンをはじめとした規格外の生き物が存在するのだ。

 だからか、この世界における自然毒は異常に強力である。

 例えば地球に生息するトリカブト。毒草として有名だが人を殺すには一本まるまる必要とする。

 けれども、先述したペリオ草は人一人を殺すのに――“葉”が一枚あれば事足りてしまう。それほどまでに強力な毒を持っている植物なのだ。ペリオ草とは。

 そして――


「そのまさか、よ。念の為持っておいた分じゃ足りなさそうだったから、急いで集めてきたのよ」

「それで、あいつらを……?」

「うん……というより、もうやっちゃったの」

「ん?え?や、やっちゃった!?」


 コクリ。と頷いた玲香を見て、頭がついて行けず弥々は混乱する。


「ま、まずどうやって?」

「ペリオ草をすり潰して粉末を酒樽に入れたの。ほら、私たちはお酒を飲まないでしょ?それはあいつらも知ってるから、怪しまれないで済むと思ったのよ」

「な、なるほど……」


 確かに冴えたやり方だろう。もし匂いがあっても酒のアルコール臭で掻き消されるし、まともな明かりがない此処では、多少何かが混ざっていてもわからない。そして、自然毒とは総じて“遅効性”である。故に怪しまれることなく、全員に毒が行き渡らせることが出来る。


「こうすれば、私たちでもあの子とお母さんを助けられる」

「そしてこれ以上の被害者の増加を防げる、か」

「……そう」


 これこそが大人の世界を、汚れた現実を目にして、その世界に足を踏み入れた玲香の決断だった。


「宴が始まって4、5時間が経つ。そろそろ毒が効いてくるはず。……だから、その」


 そこで一度切られてしまう言葉。だから弥々はその言葉の続きを聞く前に自分の答えを出す。


「協力するよ。人を殺すという点は褒められたものじゃない。けどこの世界でそんな甘いことは言ってられないし、あいつらも今まで罪のない人々を殺してきたんだ。自分が殺されたって文句は言えない。だから――玲香の行動は“正しい”と俺は思う」

「……ありがとう」


 目が合い、見つめ合い、久しぶりに心からの笑みをこぼした二人は、奴らの様子を伺うために早速行動を起こすことにする。


 その後二人は直ぐに移動し、根城から程離れた場所で耳をそば立てていた。


「なぁ、かなり静かだな」

「ええ、馬鹿騒ぎの声は聞こえないわね」

「これってさ、うまく行ったってことだよな」


 先ほどまで嫌でも聞こえていたあの馬鹿騒ぎする男達の声。それが聞こえなくなっていた事に安堵する二人。だから――


「ああ、上手くやられたよ。ヒカミ、レモン」

「「なっ!?」」


 突然、横合いから聞こえてきた声を聞いて弾かれた様に身を翻し、そちらを見――そこにいた男の存在に驚愕した。


「……なんで動けてる?スレイ」

「いいや?動けてないぜ。今も手足に力が入らないし、全身激痛だしで結構一杯一杯だわ」

「質問を変えるわ。何故死んでないの?」

「んん?当然だろ?俺はぁあの中のNo.2だぞ?流石にこれは堪えるがぁ死ぬほどじゃ無ぇ」


 No.2。それは恐らく単純な序列を指してはいない。スレイはあの中で一目置かれていたとはいえ、副頭目は別にいた。故にこの言葉が指すであろう意味は一つ……“2番目に強い”だ。

 ようやく弥々もここで気付く。この世界の毒草の毒が強いのは、毒耐性が桁違いの魔獣から身を守り種を残すため。

 そしてこの世界の人間は、生物を殺す事で“強くなる”のだ。精神的ではなく物理的に。

 それが意味するのは、生物としての基本スペックの向上。つまり、毒に対する耐性も強さに応じて向上する、という事になるのだ。

 これこそが、スレイがまだ生きている事の理由。


「ヒヒっ。ようやくわかったみたいだなぁ」

「お前は、何をしにきたんだ」

「んなのお前らを殺しにきたに決まってるだろ?」

「そ、そんな体で私達を殺せると?」


 震えが混じった玲香の声。それを聞いたスレイはニタァと嫌な笑みを浮かべる。


「俺はぁよ、おかしいと思ってたんだぁ。お前らは明らかに“何か”が欠けてた。最初はガキだから、変人が多い錬金術師だからかと思ってた。だけどなぁ、今確信したぜぇ。お前らは温室育ちの坊ちゃんだろ?」

「っ……」

「ほら、当たりだぁ。なぁ?お前らよ。俺みたいな殺しに慣れた、殺人鬼によ、お前らみ、たいなぬるま湯、で生きてきた奴が、勝てる、と思うか?……んなわけ、がねぇ。俺は、お前らを、殺せる」


 そう言って殺気を放ってきたのを弥々は感じ、冷や汗を流した……が、途中からのスレイの喋りがおかしい事に気づき、内心ホッとする。何故なら――


「ど、どうなって、やがる?クソ、い、意識が、こ、殺せ、ない」


 最後にそう言い残してスレイは地に倒れ込んだ。


「助かった、のか……」


 おそらく持ち前の抵抗力の強さで毒の効きを抑えてはいたため、他の男達よりも長い間動く事ができていたが、毒が全身に周り発揮する効果に無毒化が追いつかなかったため時間差で倒れたのだろう。


 殺し合いにならずに済んだ。その事に安堵する弥々とは違い玲香は、生死確認のためスレイに近づき脈をとる。


「……まだ、生きてる」

「でも、倒れたし死ぬんじゃ…?」

「よく意識を失ったけど数日後に回復したっていう話を聞くでしょ。だから多分……死なないわ」


 確かに奇跡的に助かったーということは聞くし、おそらくこの男は耐性が強い為死なない可能性も高い。


「でも俺たちの目的は救出と脱出なんだかr――」

「それと、被害者を増やさない事」

「………」

「だから……“私”が殺るわ」

「それは」


 “それは”、その後の言葉が続かない。死という物の一端を知ってしまったから、あの目を見てしまったから、その続きを言うことができない。


 そんな弥々の横で、玲香は弥々が持っていた果実ナイフを持ち高く掲げるかの様に逆手で構える。


「私から始まった。だから、私がやるの」


 そして、心の臓目掛けて突き立てようとし――


「……なんで、止めるのよ」

「手、震えてた、から」

「そ、そんなのあたり前じゃない!人を、人を殺そうとしたんだから!」

「怖いならやらなくてもいいんだよ」

「でも、私が此処でやらないと、また誰かが殺されてしまうかもしれない」

「ああ。だから――」


 何故、止めたのか。いや、何故止められたのか。おそらくそれは、男のプライドであるのだろう。

 玲香の振り上げたその手が震えていたのを見て、唐突に思ったのだ。“背負わせる”のか、と。

 盗賊が当たり前の様に存在するこんな世界だ。余所者である二人はいつかは人を殺さなければならない時が来る。実際に今それが来ていて、玲香は毒という物を使ってそれを為した。為してしまった。

 だからこそ、このまま全てを背負わせるのか。自分が死が怖いから、恐ろしいからと言って、“死という重荷”をその細い体に、小さい背に背負わせるのか。そんなこと――


(――出来るわけがない)


 これはプライドである。男として、友として、何より多くの時を共有してきた幼馴染みとして、片方にだけ背をわせるなどという事を許せなかった。だから、


「――俺がやる」


 そう言って、弥々は玲香の手からナイフを奪い取り、玲香から見えない様に体を間に割り込ませ――


「フッ――!」


 突き刺した。


 そして万が一、命に危機で目を覚ます前に確実にとどめを刺すため、ナイフを90度捻り確実に心臓を抉り潰した。


「な、なんで」

「……こういう肉体労働は俺の役割だろ?それにほら、俺の方が“向いてる”と思うし」

「で、でも……」

「俺は、お前の弟にはなりたくないんだよ。それに、さ、協力するって言っただろ」


 後に玲香はこう語る。


 その時の彼の顔は返り血に濡れていて決していい物ではなかったけれど、どうしてか魅力的に見えたと、何故か数え切れないほど見てきた筈の笑みが、初めて見るかの様に見えた、とそう語った。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――


何故殺人の片棒を担いだ、そう感じただけであそこまで追い詰められた弥々が、今大丈夫なのか……理由は後々書きます。

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