13.第2日 徳寿宮(お堂と石造殿)
さて、気に入った『門の道』を堪能したボクたちアホバカ夫婦は(妻が『門の道』を堪能したのかは疑問ですが・・)、さらに『門の道』の奥に進みました。
『門の道』の奥には3つのお堂があります。
最初の近況ノートを見てください。URLはこちらです。
https://kakuyomu.jp/users/azuki-takuan/news/16817330661456196252
近況ノートの写真の一番上に地図を載せています。『門の道』の奥には、
さて、この3つのお堂の説明もインターネットから引用させてください。
えっ、今、皆様の中から「あんた、引用したインターネットのURLを載せなさいよう!」ってお声が掛かりましたね。ち、ちょっと、待ってください。こういったURLの中には、ボクのパソコンのセキュリティソフトが「このURLは安全でない可能性があります」といった表示を出すものがあります。それで、皆様にご迷惑が掛かってはいけないので、URLの表示は控えさせていただきたいのです。
以前、ボクの超駄作『ボクのよかったこと日記』の中にも、ボクの仕事先にウィルスメールが大量に送られてくるという騒動があったことを書きましたが、そのとき、仕事先から「絶対に信頼できるwebサイトを除いて、ネットのURLを人に紹介することは危険ですから控えてください」という注意がありました。・・・『6月13日(月) 貴女はお風呂でおしっこする?』 URLは以下です。てか、今、大阪の怖そうなお姉さまから「お前、URLを紹介しとるやんけ!」という声が上がりましたが、こちらはカクヨムのURLですから安全ですよね。
https://kakuyomu.jp/works/16816927862654115962/episodes/16817139555534717823
ということで、ボクがご紹介するネットの記事をもっと詳しく読みたいと思われる方は(そんな人はいないと思いますが(笑)・・・)、すみませんが、ご自分で調べてみてください。
さて、お話を戻しましょう。3つのお堂のインターネットの説明です。
『昔御堂(ソゴダン)
徳寿宮で唯一2階建ての建築物。1階は正面8間、側面3間、2階は正面6間、側面1間の規模で、八作屋根になっています。最初の創建年代は不明で、1904年の火災で焼失後、同じ年に他の全閣とともに改築されたよう。昔御堂は文禄・慶長の役の時に宣祖(ソンジョ)が避難先から還都し崩御するまでの16年間暮らした場所。昔御堂の名前もまた「昔、王がいらした家」を意味します。昔御堂のちょっと変わった点は、韓国では珍しく彩色が施されていない点と、2階建てでありながら飾りがない民間風の建築様式という点。2階へ行くには昔御堂内の西側にある階段を使います。』
『即祚堂(チュクチョダン)
昔御堂の後方、浚明堂(チュンミョンダン)とつながっている即祚堂は、光海君(クァンヘグン)と仁祖(インジョ・李朝第16代王)が王位即位式を行った歴史的な場所。1904年の火災で焼失しましたが、その年昔御堂、咸寧殿とともに復元再建され、現在の姿になりました。即祚堂という名前には「王が即位した所」という意味があり、昔御堂と同じように文禄・慶長の役という大変な時代に宣祖が暮らし、国を導いた場所であることから当時の人々にとても意味深い場所とされていました。宮の寝殿としては規模が大きくありませんが正面7間、側面4間、簡潔で体裁が素晴らしいのが特徴。 』
『浚明堂(チュンミョンダン)
創建年代は不明ですが、1897年に再建されたと推測される木造建築物。こちらは高宗(コジョン)が大臣と国政について論議した便殿でした。徳寿宮のほかの建物と同じく1904年の大火災で焼失しましたが、同年6月に再建されました。正面6間、側面4間の八作家屋で、即祚堂と廊下でつながっています。ちなみ浚明堂の名前の明は本来明るいの「明」ではなくてヌン=目とタル=月が合わさった文字。これは明るく見るという意味を持っているそう。 』
では、近況ノートの写真をご紹介しましょう。
左1段目は、徳寿宮で唯一の2階建ての建築物である
ボクたちが
右1段目は、
次の右2段目から右4段目までの3枚は
さて、3つのお堂からさらに奥に進むと、石造殿と呼ばれる建物が現れます。石造殿というのは、大韓帝国歴史館と国立現代美術館(徳寿宮館)のことです。
次の近況ノートを見てください。URLはこちらです。
https://kakuyomu.jp/users/azuki-takuan/news/16817330661456232652
左1段目と左2段目が大韓帝国歴史館です。左1段目には、説明板を一生懸命に読んでいるアホバカ妻が写っていますので、ボカシを入れておきました。
左3段目が大韓帝国歴史館の前から見た『石造殿前の庭園と噴水』です。
右1段目が国立現代美術館(徳寿宮館)です。右2段目は、美術館の前から見た『石造殿前の庭園と噴水』です。手前に写っているのは昔の日時計です。
ボクたちは、大韓帝国歴史館にも国立現代美術館(徳寿宮館)にも入りませんでした。外から写真を撮っただけです。
今日はここまでです。今日もボクたちのアホバカ旅にお付き合いいただき、ありがとうございました。
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