第73話 代償を払う

「グギャオオオオオオオッ!」

「くたばれッ!」


 俺は目の前まで飛びかかってきたオーガ種モンスターの身体に、当身をあてて地面に叩きつける。そのままオーガの首にククリを突き立てて、喉笛をかっさばいた。


 ほとばしる返り血。俺はそれを全身に浴びながらククリを引き抜くと、次のターゲットに目を向けた。


「くッ……!」


 ドクンッと脈が打つように眼底に鋭い痛みが走った。思わずこめかみに手を当ててフラついてしまう。


 眼球の奥から伝わってくるジンジンと突き刺すような痛みだった。その痛みは時間が経つにつれて強まっている気がした。


「まだまだ……」


 俺がそう口ずさんだとき、ガザッと耳元にノイズが走り、続いてヨル社長の声が届いた。


『クロウ! 作戦は中止だ! すぐにフロアゲートまで走れ! キミならきっと抜けられる!』

「社長……? どういうことですか?」


「ユカリが先日実施したキミのスキルに関する調査結果が出たんだ! キミの《魔眼バロル》には制限時間があるッ!」

「制限時間……」


 続けて、インカムの向こうでユカリさんの切羽詰まった声が響く。


『クロウ氏! 細かい説明はボクが後でするから! とにかく時間がないんだ! ボクの試算に基づくとキミに残された時間はあと三分も残ってない! 速やかにそこから撤退してスキルを解除してくれよ! はやく!』


 いつも飄々としている彼女らしからぬ、余裕のない声音だった。どうやら俺の身体になにかとんでもないことが起きつつあるらしい。


 だけど……


「すいません、その命令は聞けません」

『なんだと!?』


 俺はククリナイフをギュッと握りしめて、次の獲物に飛びかかった。


 首元めがけて一閃。血しぶきを舞わせて敵の首と身体が泣き別れた。


「ここで俺が脱出したら、アサトを取り逃すことになります。ヤツに仕掛けた罠は二度は使えない。この機を逃せばヤツを倒す術を失う」


『クロウさん! 何言ってるんですか!?』


 今度はリンネさんの悲痛な叫びが聞こえてきた。


『アサトのことなんてどうだっていいでしょ!? クロウさんが今ここで倒れたら元も子もない! 分かってるんですか!?』


 優しい彼女に心配をかけてしまっているのは本当に心苦しい。


 けれど。それでも。

 自分の意志を曲げるわけにはいかなかった。


「ゴメンなさいリンネさん。やっぱり俺は、俺の落とし前をつけたいんです」

『落とし前って……!』


「アサトの不正に目をつぶってきたせいで、多くの人がアサトに傷つけられました。ブラックカラーに所属していた一員として、そのツケは払わないといけない」


『だから! 何度も言ってるのに! なんで分かってくれないの!? クロウさんは、クロウさんは悪くないって――!』


「ありがとう、アナタのその優しさに、俺は救われています」

『――っ!』


「リンネさん、大丈夫。ちょっと無茶はするかもですけど、絶対に生きて帰りますから」

『クロウさ――』


 そう告げたところで俺はインカムを耳から外した。


「――だから、見守っていてくださいね。リンネさん」


 そうひとりごちて、俺は次の獲物へと飛びかかっていった。


***


「わたし! クロウさんのところへ行きます!」


 クロウに通話を切られてしまったリンネは、居ても立っても居られないといった様子で叫んだ。


「まてリンネ! 単独行動は危険だ!」

「イヤだ! クロウさんがいなくなっちゃうかもしれないのに、ここで待っているだけなんてできない!」


 リンネはヨルの言葉を振り切って、部屋を飛び出して行ってしまった。


 ヨルはそんなリンネを慌てて追いかけようとしたが、すぐに思い直したように足を止めて懐から携帯電話を取り出した。


「私だ、ああ、悪いが緊急に救助班を派遣してくれ。場所は六本木ダンジョンの第十三層。座標コードはすぐ送るから確認してくれ。それと我が社の掛水リンネが先行して現場へ急行している。至急ダンジョンドローンを手配してサポートをするんだ。それから――」


 ヨルは手早く現在地と救助班の出動要請を済ませてから、メインモニターへ向き直る。

 そんなヨルに、ユカリがいたわるような調子で声をかけた。


「さすが社長、冷静な対応ですね」

「本心はリンネと一緒さ。今すぐにでもクロウの元へ駆けつけたい。だがそれは私の役割ではない。それだけの話しだ」


 ヨルはそう言って大きなため息をつく。


「ユカリ、残り時間は?」

「あと二分ほどです」


 ヨルは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて、モニターに映るクロウの姿を見つめた。


「ユカリ、さっきキミが語ったことに間違いはないのか?」

「残念ながらボクの仮説に基づくと。そもそも下級技能ロースキルと総称されるスキルの原理は共通していましてですね、体内に取り込んだ魔素を電気信号インパルスに変えて、人間の神経伝達速度を加速させることで身体能力を強化するという仕組みになります。クロウ氏の《魔眼バロル》、視力を強化するというスキルを具体例にとって説明すると――」


 ユカリは自分の瞳を指差してから言葉を継ぐ。


「人が外から入った光は角膜を通ります。虹彩・瞳孔で目の中に入る光の量を調整し、水晶体を通ってピントを合わせ、網膜に到達します。光は網膜で電気信号に変えられ、視神経を通って脳に伝えられる。そこで、初めて私たちがモノを映像として認識することができます。クロウ氏はスキルの力でこの『モノを見る』という一連の動作速度を跳ね上げているんです」


「それは、普通の下級技能ロースキルと同じじゃないのか?」


「原理としては一緒です。ただクロウ氏の場合、その強化幅が大きすぎるんです。それに彼は視力だけを強化するといっていますけど、そんなことありません。ダンジョンでの彼の運動能力の上昇具合を見るに、全身の運動神経が軒並み強化されていると考えるべきです」

「……つまり、それだけの負荷が身体にかかり続けるということか」


 ヨルの言葉にユカリはこくりと頷いた。


「特に負荷がかかっているのが脳です。クロウ氏がスキルを発動している間ずっと、彼の脳はオーバーヒートし続けます。だからスキルを長時間発動していると脳は熱暴走を起こし、最悪の場合……」


 ユカリはその先の言葉を言いよどんで、唇を噛んだ。


「ユカリ、残り時間はあとどれくらいだ……?」

「あと、二十秒です」


 ユカリの告げた言葉を聞いて、ヨルは深いため息をついた。


「信じよう。クロウの力を、可能性を。わたし達にできるのはそれだけだ」

「はい」


 ユカリは神妙な顔で頷く。そして手元の時計に目をやった。


「残り時間――十、九、八、七、六」


 ユカリがカウントダウンを始めると、ヨルは祈るように両手を組んだ。


「五、四、三、二、一――」


 タイムリミット経過、ユカリがそう口にした瞬間――



 モニターの中のクロウの姿に変化が起こった。



「なんだ……あれは……?」


 ヨルは自身の目に映るモノに理解が及ばず、唖然とそう呟いた。


 クロウの全身から、真っ赤な蒸気がもうもうと立ち上っている。

 ヨルはユカリに振り返ってクロウの身に起こった異変を問う。


「あの赤い蒸気は一体なんだユカリ? あれがキミの言う限界を超えたということなのか!?」


 ユカリはしばらく食い入るようにモニター画面を見つめる。


「あれは……魔素? でも……クロウ氏の体内から出ているように見える……スキルの副作用サイドエフェクトってこと……? でも……そんなことって、前例が……」


 まるで独り言のようにぽつぽつとそうつぶやいてから、視線をモニターから外してヨルの方へ向き直った。


「詳しいことはわかりません……ボクにも、クロウ氏の身になにが起きているのか……ただ……一つだけ言えることがあります」

「なんだユカリ? 言ってくれ」


 ユカリは瞳を少し揺らした後、意を決したように口を開く。


「クロウ氏は活動限界時間を超えてなお戦いを継続している。つまりは人としての限界を超えた、ということです」

「あ、ああ……さすがクロウだな。常人には到底考えられないことを涼しい顔をしてやってのける男だ」

「……社長、ボクが言いたいのはそういう生易しいことじゃないんですよ」

「どういうことだ?」


 ユカリの真意を図りかねて、ヨルは訝しげに眉根を寄せた。


「ボクの計算は間違っていません。クロウ氏のスキル効果を踏まえて、人間が耐えられる活動限界は十九分。それは間違いない。だけどクロウ氏はそれを超えてなお活動しています」


 そこまで言ってユカリは再びモニターに視線を移す。モニターの向こうでクロウは超人的な動きを見せ続けていた。


「社長……それって逆説的にこうなりませんか。ということに」











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