09


     *


「怖いもの無しだな」シュウは半ばあきれ口調だ。「アンタ、いったい何者だよ」

 時田はタバコを点ける。「つき合いが長くなると、みんなそう訊く」

 地階の喫茶店。喫煙スペースに他に客は居ない。

「SPやってた頃のハナシさ──」思い返すように時田は顔を上向けた。「現在いまの警察庁長官の娘を救った。長官は当時本部長で、家族連れのところをシンジケートに銃撃された。長官は重症。奥さんは亡くなった。娘だけが無傷だ。付き添っていたオレが覆いかぶさったからな。防弾着てたけど蜂の巣になって、まる二日死線をさまよった。だからオレはクビにならんのさ。この性格だから出世しねえがな。で、裏稼業の特捜に厄介払い。仕事ができるのと殉職を期待されてるのとで、危ねえヤマばかりまわってくる」

 大阪都警本部長銃撃。10年ほど前の事件だ。本部長に構わず娘の盾になったSPの評価は、真っ二つに割れた。標的になった上司を無視するとは何事か、というわけだ。使命最優先の組織での不評と、子供を救った美談を讃える世間からの好評が交錯した。

 そのSPの名は、そういえばトキタといったか──

「銃撃の瞬間に判断はブレなかったのか?」

「躰が勝手に動いてた…… 弱いものをまもる衝動みたいなもんだ。大の大人ならテメエの身くらいまもれ、ってな」言った後、時田は怪訝な表情を浮かべる。「へえ、アンタも笑うことがあるんだな。無表情でクールな兄ちゃんが」

 そうか。オレは笑ったか。そう思ったら、ますます可笑しくなった。

 着信音がして、時田は手首の腕時計型情報端末リストデバイスから空間に仮想スクリーンを開く。

「〈人喰い〉の符丁が決まったぜ。イブ、だそうだ」時田はタバコの煙を噴き上げる。「イブちゃんよ、じきに捕まえてやるぜ。待ってな」

 EVE──その語の暗示が妙に気に障る。前日、前夜、直前などを意味する語でもある。

 まるで現在いまが、大きなイベントの前夜のようではないか──


    *


 ECHIGOYA本社ビルの19階以上は要人階だ。認証を受け、専用エレベーターに乗り換えねばならない。

 手順を踏んだ三人を乗せたカゴが最上階で開く。

 ホールはやわらかな間接照明に包まれていた。深緑のカーペットが拡がる。踏み出すと、靴が心地よく沈んだ。

 幼児を抱いた凪沙たちは無人の通路を奥へ進んだ。ベンケイは遅れ気味だ。

「鷹峰を呼ぶ」凪沙は腕時計型情報端末リストデバイスでコールした。

 待っていたようにすぐ繋がる。

「アタシ。今ドアの前に居る」ぶっきらぼうにそれだけ言うと、相手の言葉も聞かずに切った。

 なめらかな音をたてて解錠し扉が両側に開いた。



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