第10話お嬢様の軌跡  〜sideジャミール



 護衛の私は先に馬車から降りて周囲を確認しなければならない。

 いつお嬢様を狙ったハエどもが湧くか分からないからだ。

 現に外には既に3匹のハエが沸いているが、その他にも2つほど嫌な視線を感じる。


「お嬢様、ハエ…いえ、公爵様達がお待ちのようですが、如何なさいますか?追い払う事も可能ですが」


 追払いましょう。是非そうして頂きたい。今すぐ仰って頂きたい。

 が、きっとお優しいお嬢様は彼らに慈悲をお与えになられる。


「そうですね、ご挨拶しなければですわ」


「…はい」


 やはり、お嬢様は優しすぎる。あんなの無視しても宜しいのに。


 先に馬車から降り、公爵親子を置いておいて嫌な視線の先を一瞥する。そうしておく事で向こうは出て来づらいだろう、と踏んでだ。

 次に降りてこられたお嬢様の手を引く。足元に視線を向けてはならないので私の手が頼りだ。

 優しく伏せられた瞳、それを覆うような長いまつ毛、風に靡いて柔らかな桃色の毛が顔にかかる。

 息を呑むほどの美しさ。その洗練された美しさは言葉には到底出来ない。


「お久しぶりで御座います、公爵様、公子様」


「久しぶりだね、ミリアーナ嬢。また更に美しくなられた」


 完璧なカーテシーを披露したお嬢様はそのまま前で指を組み、伏目がちで微笑まれる。

 さっきのユーリの話で公子様を気遣った結果なのだろう。憐れまれてるとも知らずにこの親子は。


「ミリー、久しぶり。とても会いたかったよ。その、こんな事を聞くのは恥ずかしいのだが、僕の招待状に返事をくれないのはどうしてだろうか」


「…?招待状…」


 まずい。お嬢様は招待状の存在を知らない。社交界に出るまでは何処にも参加させない、と明言された伯爵のお陰で12歳になるまではお嬢様宛の招待状は来てない事になっている。

 しかし、12歳になってからはその効力が失われ、ウジのように湧いて湧いて仕方がない程に大量に送られてきている。

 それもこれも全て社交界デビューしたあの日のせいだ。

 国王命令の封蝋まで持ち出して、王族の権限を全て使って無理矢理引っ張り出した国王のせいだ。

 お嬢様が#アンナ__・__#事を言ってしまったのもきっと国王のせいなんだ!……全部国王のせい…なのだ。


「ごめんね、手違いで届いていなかったのかもしれない。もう一度送るから返事をくれるかい?入学前の顔合わせのような軽いお茶会なんだ」


「まぁ!素敵ですわね!わたくし、少し不安でしたの。でも先に…っ。申し訳ありませんわ。わたしったらはしゃぎ過ぎました。お返事は必ずお書きしますのでお許しくださいませ」


 コイツ、上手いな。

 お嬢様が繊細なお人だと分かっていて、不安の矛先を上手く利用している。珍しく興奮したお嬢様が対面を保つ為に返事を書くと約束してしまった手前、我々にはもう招待状を隠す手立ても無い。


「良かった。ミリーも仕立てるのだろう?一緒に行こう」


「はい、ご一緒させて頂きますわ」


 そしてすかさずエスコート。どれだけ仕込んだんだ、この腹黒公爵め。

 子供同士だからと愛称で呼ばせるのも上手い。一気に親近感が湧くだろう。ただでさえお嬢様にはお友達が少ない。それは我々が囲っているから。

 でも、お嬢様は特別なお方。

 元々簡単に近づけるような相手はいないのだ。


 お仕立ての最中も腹黒公爵はお二人を見て相変わらずの耳障りな発言をしてくる。


「いやー、お似合いだね。私の倅とお嬢様は」


「いえ、全く。お嬢様のお美しさに敵うものなどこの世には存在しません」


「…一つ君たちの耳に入れておきたい事がある」


 だから、公爵がこんな事を言うのは初めてだった。彼からは想像し得ない緊迫感のある表情に思わず眉間に皺を寄せる。


「…」


「どうやら、外の連中は…あぁ尾行には気付いていたかね?」


「勿論です」


 何を馬鹿な事を、とその挑発に乗らず鼻で笑ってみせる。


「あぁ、そうか。なら良い。聞きなさい…お嬢様の偉業を掠め取ろうとしている輩がいる」


「掠め取る?そんな馬鹿な」


「いや、これは確かな情報筋からの情報だ。辺境の寂れた男爵家の娘らしいんだが、お嬢様が作った物は私が全て先に考えていたと妄言を吐いてるらしい。ただ…本当に先に出してる物もあるんだ」


「「…」」


「あぁ、チョコレートだよ」


 そう、あれはお嬢様の“お願い”の完成間近の話だった。

 チョコと言う可愛らしい名前のお菓子は名前に反して茶色く黒光していて、余り見た目の良い物ではなかった。ただやはり信じられない程の美味しさ。誰もが感動して、市場に売り出す手前まで来ていた。

 そんな矢先に、とある男爵家の伝統お菓子としてチョコレートが売り出されて瞬く間に広まった。

 見た目は此方の方が上だが、味は申し分ない出来で、此方は手を引くしか無かったのだ。


「此方でも調べてみます」


「頼んだよ。ヘルサーチ辺りなら簡単に調べられるだろう」


「旦那様からお礼を…」


「辞めてくれ。貸しとも思ってない。あの子を苦しめる奴は排除する。…当たり前の事だろ?」


 コイツ。ウチの陰の事まで知っているとは。本当に食えない男だ。

 ただこの情報には感謝せざるを得ない。お嬢様の御心を煩わす者は全力で排除する。それだけだ。













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