第19話

「(あれからどれくらいたった…?)」


 疲れと眠気と空腹と、そして何よりも恋焦がれる想いが彼女の思考を鈍らせ、それと同時に体を強制的に動かし続けた。


「(私は…私は…何故…?どうして…こんなに…)」


 切れる息。

 冷めた思考。

 荒ぶる熱。

 滝を再現する汗。


 明日香は漸く動きを止めた。

 現実世界では僅か数時間程度しか経過していない。だが、今明日香が身を置くこの世界では現実よりも100倍早く時間が経過する。


 この世界で明日香が動きを止めたのは、ぶりの事だった。


 スタミナに特化した【覚醒者】であり、そのお陰でスタミナには絶対の自信を持っていた明日香ではあるが、流石に5日間もの間動き続けるなど普通であるなら無理な話で合った。それを可能にしたのは彼女が抱いた決意と想い。そしてこれまでの恨みつらみ。そして、思い出であった。


 始まりは決意で動いていた。


 次第に疲れが募り、決意が吹き飛ばされそうになった時、想いが薪となり体を動かした。ラギを思っての決意。自身を顧みての決意。そしてラギへの想い。

 それらは長く燃え続け、明日香を動かしていた。


 しかし、終わりは見え始める。

 決して無くなった訳では無い。決意も想いも明日香の中で燃え続けていた。しかし、火力が足りなくなっていった。


 火力自体は変わらず、しかし体が求める火力が肥大していく。結果。動きは鈍り、息は切れ、足が止まりそうになる。更に火力を上げる必要があった。


『修業』とは言うが、ラギが持っていた【成長の秘術石】が作り出した異次元は甘くは無かった。命の危険が存在する世界だった。


 生み出された【】。

 明日香達の住む世界に存在する【異形】が何故かこの異次元に出現し、明日香を襲い続ける。【異形】は不死である。切り刻もうと炭に、灰に燃やし尽くそうと、驚異的な再生能力で復活を遂げる。明日香の取れる行動は【異形】を一時的に行動不能にすることだけ。


 100体の【異形】を相手に明日香は奮闘を続けた。


 火力を上げたのは忌み嫌い、憎悪する【異形】への恨みだった。


 火は黒く、そして赤く、そして強く明日香を燃やした。


 だけど、それもやがて終わる。ついに足を止める時がやって来た。


「(ああ…死ぬ…)」


 迫る【異形】。


 確実に自分を死に至らしめる存在を前に、明日香は意識を失った。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 研究室へと赴き、ラギが保有していたアイテムを渡した日から一月と少し。

 そして、明日香がラギの生活から消えてから本日で一月が経過した。


「万理華さん。明日香は大丈夫なんですよね?」


「ああ。心配するな。君に負けたからな。自分を鍛え直しているんだよ」


 心配するラギをよそに万理華はいちご大福を実に美味しそうに味わった。


「美味しい美味しい美味しい!」


「そうね。本当に美味しいわ。旦那様が手ずからお作りになったのだから当然とも言えるけれどね」


「いや普通に素材が良いだけだと思うけど…?」


 ここ一月。

 取り合えずラギが渡したアイテムの研究解明の結果が出るまでは待機と相成った。


 当初は街中での巡回を予定していた明日香の部隊であったが、アイテムの研究、そして明日香の修行の為予定を変更。ラギの戦闘能力のより詳しいデータ採取と本人が能力を把握する事に時間を割く事になった。


 明日香以外の隊員である水姫と麒麟はラギとの親密度を上げる為、そして連携能力を高める為殆どの時間をラギと共に過ごす。勿論護衛としての意味合いもあったが、二人にとってはこの上なく甘い月日であった。


 ラギとしては正直暇な時間だった。

 ラギの戦闘能力を測るにしても把握するにしても、丸一日それだけをしている訳にもいかない。

 データ採取には採取する研究職員が必要になった事で、その者の時間が全てラギの為に使われる訳では無い。

 自分の能力を把握するにも一人では限界があり、相手が必要となる。その場合はやはり研究職員と同じく相手をしてくれる者の都合がある。


 毎日水姫や麒麟にも相手して貰ってはいるが、長時間行うのは二人に悪いと思って切り上げる訳だが、そうすると暇になってしまう。


 そんな暇な時間を潰す為、ラギが始めたのは一時期趣味になっていた『料理』であった。


 久しぶりに料理を振舞えば、この世界で自分たちだけの特権だと宣うラギの身近な女性陣。水姫、麒麟の同部隊の隊員と上司である万理華。そして研究職員として忙しくしていながらもちょくちょくと顔を出し、ラギとの距離を詰めるべく勤しむ新たな婚約者である美雪達は幸せを感じていた。


 今日は趣向を変えて3時のおやつとして大福を作成。

 普通の大福よりもと思い、旬となったいちごを加えたいちご大福を振舞ったのだった。


 出来は上々。

 家庭で作る作り方は極々簡単なものであり、やはり本職の物とは比べられないくらいの不出来さではあったが、提供された素材がそもそも一級品で高級品。味は抜群に美味しいものとして出来上がっていた。


 明日香を心配して居るのはラギだけ。

 同じ隊員であるはずの水姫も麒麟も微塵も心配していない様であった。それはラギが口にした明日香の話題よりもいちご大福の方を大事にしている様を見れば容易に想像できたのであった。


「ダ~リ~ン!」


 多めに作ったはずのいちご大福の残りは後2つ。

 一人2つを想定していたが、それよりも多く作れてしまったのは素人故の結果だろう。出来上がった数は一人4つずつであった。それがもうあと2つ。しかも水姫、麒麟、そして万理華の皿は空であり、口の中にも存在していなかった。


 大皿に残った2つを誰が食べるのかと視線でもって牽制しあう三人だったが、大声で登場した未だ食べておらず、しかも想定通りの2つしか残っていないいちご大福の行方は当たり前だが決定した。


「大福!」


 大皿に残った大福を見るやまたも大きな声で反応する美雪へとラギは勧める。少し申し訳ない様にしているのはラギの責任ではないのだが・・・そんなラギの様子を不思議に思いながら美雪は大福を頬張った。


「「「…」」」


 悔し気に見つめる女性三人にも首を傾げる美雪だった。


「そうそう。万理華。漸く実用出来そうよ」


「何?本当か?」


 型眉を跳ね、美雪の話に食いついた万理華。


「ええ。と言っても戦闘には使えない脆弱なモノだけどね。もう少し研究が進めば戦闘用に転用できるとは思うけど…今は精々生活用品としてしか使えないわね」


「それでもすごい事だぞ。エネルギーを必要としない画期的な発見じゃないか」


「それは少し違うわよ」


 万理華の賛辞に美雪は肩を竦めて万理華の考えを否定する。


「正しくはワタシたちがエネルギーとして活用できなかったモノをエネルギーとして活用できるようになった。と言うだけよ」


「それにしてもすごい事には変わりないだろ?」


「そういう考え方も出来なくはないけれど…ワタシたちとしてはこの発見と成功はダーリンの功績だと思っているわ。まさかあんなものが存在しているなんて想像もしていなかったもの」


 あくまでも自分たちは誇れることはしていないとする美雪の反応に少しばかり思うところがある万理華だったが、これ以上功績のありかをこの場で問うたところで何もならない。

 何もならない。何もできない功績の所在は上の者たちに任せ、今この場では美雪達が発見・発明したその詳細を知る事こそが重要だろう。その考えの元話題を変えた。


「それで、具体的には何が出来る?」


「そうね…今すぐに、と言う意味では精々家庭用品の代替品が出来るくらいかしら?ただ資源を消費する必要がなくなるからその辺りはかなり楽になるんじゃない?」


 この世界の家庭に置かれている物は全て電化製品である。


 ラギの知る家庭にある電化製品とは形などが異なりはするが、使用方法などは変わりない為、ラギはこの世界に来た当初から特に不思議には思っていなかったのだが・・・。

 野には【異形】が跋扈しており、今現在人の生活圏は【異形】の生息域と比べると酷く小さい。故に『資源』はかなり貴重なものとなっており、あまり気にせずに使用出来るのは水力発電と太陽光発電によって得られる電気くらいしかない。


 その他の資源は命懸けの採取であったり、莫大な費用と人間を使って死守している地でしか手に入れる事が出来ない。

 それはラギにとってはあって当たり前。当たり前すぎて資源と認識できない様なものも含まれている。


 例えば木。そしてガス。石油などなど・・・。上げ出せば切りがない程に貴重な資源は数多存在している。


 ここで美雪達が発明したものを考える。


 精々が電化製品の代替品。しかし、資源を必要としない。

 電気は唯一現在の人類が消費を躊躇う事の無い物であるが、電気を得るために必要な人件や設備は貴重であると言える。それらがもし不要な物となったら・・・?


「十二分に大発見、大発明、だな」


「まー、そうね。ダーリン様様って感じね。それからもう少し研究は必要だけど、多分【異形避け】も代用できると思うわ」


「本当か!?」


「ビッ…クリしたわね。ええ。まだ可能性の段階ではあるけれど、ある程度目途も立ってるし、大丈夫なはずよ」


「そうか……そうか…!」


 電気を得る為に必要な物資や人員の削減。これによって他へと物資と人員を割ける様になることはとてもありがたい事である。万理華が生業とする【特殊生命体対策機関】とは直接的な関係はないものの、副次的に恩恵を得る事に繋がり、ひいては現在の人類の助けとなりえるものだ。


 それは万理華も分かっている。

 しかし、万理華の関心はそんな電気の話ではなく、次に美雪が話した【異形避け】と呼称されるものについてだった。


「【異形避け】?」


 当然ながらラギは知らない。

 この世界独自のものであり、ラギの知識外のものである。


 名前からある程度の予想は出来るものの、それだけだった。


「【異形避け】。正式名称【特殊生命体対策設置型装置】」


 凛とした芯のある声がラギの質問に返事を返した。


「わたくしたちの住むこの街が限りある有限の地である事は御承知でしょう。

 その限りある地を確立している物が【特殊生命体対策設置型装置】。通称【異形避け】ですわ。殿方には馴染みのない物でしょうが、ラギ様はこれから深く関わっていく事でしょう。

 …総隊長。これからの事を考えるとラギ様にはわたくしたちと同程度の知識が必要な事になると思うわ。教育を考えるべきでは?」


 ラギに一通り説明を終えた水姫は、ラギのこの先の話を万理華へと投げる。


 本当であるならば既にラギが所属する明日香の13番隊は市街地の警邏に当たっていた筈である。その傍ら実地で足りない知識を吸収してもらおうと腹積もりをしていた万理華であった。その為ラギの心配してしまう程の知識不足は解決したものだと勝手に頭の中で処理されており、別の手段を取る事がすっぽりと頭から抜けていた。


 明日香の精神安定の為、そして何よりも明日香を傍に居させようと、居て欲しいと願うラギの為に行われた明日香の修行。その期間を使って教育をしていればこの後に明日香が復帰して来た時にスムーズに話が進んだはず。


 もし、後数日で明日香が復帰した場合。この一月を無意味・・・とまでは言えないが、それなりの時間を無駄にしたと言える。

 その事に冷や汗をたらりと流しながら万理華が口を開いた。


「あ、明日から…うん。頼んだぞ、クマ」


「…はあ。わかったわ」


「本当に抜けてるわよね~。万理華って…」


「う、うるさい!」


 呆れる水姫と美雪の反応に万理華は頬を染めるのであった。

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