第17話

「お、おはよう、ございます…」


「おはよう…」


 万理華の言う通り明日香は翌日となった今日の朝、いつも通りの位置で待って居た。


「昨日は…ごめんなさい…。それから模擬戦の時の事も…」


「いや、あれは俺が悪くて…その、ごめん…」


 いつも通りラギをソファーで待つ明日香は綺麗ではあった。しかし、綺麗さよりもラギ自身が感じていた気まずさ。そして明日香が漂わせていた暗いオーラが重苦しく胸を締め付ける様な思いをさせる風景だった。


 実際に面と向かってのお互いの会話もどこかぎこちない。

 朝の電話もラギからはする勇気がなく、しなかった事もこのぎこちなさに拍車をかけているのだろう。実に重苦しい雰囲気だった。


 明日香を呼び捨てにする様になった今では信じられない重苦しさ。初対面の時以上に気まずい雰囲気が、二人の体と声を縛り付けていた。


「…万理華さんが、あと少しで来る事になってます、ので…」


「わ、わかりました」


 二人の気まずさとは関係なく時間は進む。

 万理華の訪問は昨日の夜、自身の進退の話と共に知らされていた。少しの失敗もしてなるものかと朝一番に気合を入れたはずの明日香だったが、現状の雰囲気と会話は最悪と言える。

 しかし、最悪を超えた最悪である『予定をも伝えられない』という状況は流石にマズイ。非常に、マズイ。

 幸いにも視線は落ち着きなく彷徨っていたお陰か、明日香の視界に時計が目に入った事で自身が今置かれている立場、状況を今一度思い出し、意を決して予定を口にする事に成功。

 しかして、ラギからの返答は何故かの敬語。今更ながら距離を置かれている様に感じる敬語に傷を負う明日香だったが、傷を負う資格すらないとまた気持ちを落とした。


 それからの時間も実に気まずいものだった。

 気まずさに耐えかねてラギはコーヒーを淹れたが、毎度のことながらそんな短時間の逃避はあまり意味がなかった。万理華が来るまで、二人はただただ無言で過ごし、ただただ二人のコーヒーを啜る音だけが響く空間であった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「悪いね。ラギ君。わざわざ来てもらって」


 気まずい時間の最中。無音に近い空間に明日香の携帯から万理華からの着信を知らせる音が鳴り響いた。


 先ずは問題なくラギの元に居るのかどうかの確認から始まり、現状を聞かれた明日香は正直に気まずい事をラギには聞こえない様に離れてから伝えた。その事に情けないとため息を零した万理華だったが、正直に弱音を吐いた明日香に少しばかり安堵したのだった。明日香の性格を考えた場合、弱音を吐かないことが考えられた。この場合は嘘の報告をするか誤魔化すかのどちらか。これらを行った場合状況は更に悪くなるだろう。

 それを回避できそうであった明日香の回答に安堵したのだった。


 明日香の問題はひとまず及第点として話を進める。

 万理華の連絡は場所を変えて欲しいとの事だった。


 その万理華の要望を受け、ラギと明日香がやって来たのは【特殊生命体対策機関】の研究施設。最上階にあるラギの自宅からエレベーターに乗り、地下へと降りた先だった。そこには万理華、そして麒麟と水姫の姿も見られた。


「なんで地下?」


 とはラギの疑問。


 答えは単純。

『危険であるから』である。


「もし上の階で?ビルの周囲に被害が及び、一般市民に被害が出る事になる。一応ここは危険物を扱う場。セキュリティの面から見ても地下の方が色々と都合がいいんだよ。

 と言う訳で、地下であれば安全面を考えてもセキュリティの面を考えても優れている。だから地下なんだ」


 万理華の説明を受け納得は出来たラギだったが。セキュリティについては理解を得れなかった。

 それも勿論質問をする。分からない事は聞く。ラギの美点であり、この世界であっても好感が持てる点である。


「残念ながら危険物を盗もうと考える奴はいる。更に研究結果を金にしようとする輩も居る。外には【異形】が蔓延り、街中であっても完全に安全とは言い難いこんな世の中でも、ね…」


 苛立たし気に。そして悲し気に語る万理華の説明に明日香も暗い表情を沈痛な面持ちへと変え、頷いていた。これには麒麟も悲し気に、そして水姫は興味なさそうにしながらもどこか怒気を孕んでいた。


「地下ではない地上に研究室があると外へと出やすい。それこそ窓から飛び出せば済む話だ。でも、地下だと出入口は一つ。だから監視がしやすいし、もしそんな馬鹿な輩が居たとしても抑止力にもなるし、実際に現れても対処しやすい。って事さ」


ラギの元の考えでは外に窓から飛び出すのは危険である。しかし、この世界では人間の身体能力は驚くほど高い。どれだけ高い階に研究室を設置してもある程度の簡単な対策をすれば窓から逃げ出されてしまう。

身体能力が高ければ地下であろうとも逃がしてしまう可能性はあるものの、逃走ルートを一つに出来るのは大きな利点。それ故この世界では重要の施設、危険が伴うものは地下に配置される事が多い。


因みに、男性の居住地も地下にするべきとする考えはあるのだが、地下では窓が無く、窮屈であると多くの男性が拒否している為、自然と最上階。若しくは高層での住居が一般的となっていたりする。


「暗い話はここまで。

 さ!楽しい楽しい夢のある未来の話をしよう!」


 万理華の案内の先。ある程度の広さを持った一室があった。

 そこには既にスタッフが集結しており・・・。


「ああ!ダーリン!待ってたわ!!」


 その中でも群を抜いての魔性とも言える美貌を持った一人の女性・・・美雪が両の手を広げながらラギへと全速力で向かってきた。

 全速力とは言うものの、ラギ達一行から見れば遅い。ラギの元の世界で考えれば異常に早く、この世界でも遅いとまでは言えない速度での接近だったが。残念と言うべきか?この場にやって来た面々は異常に高い身体能力を有している一行である。

 美雪の急接近は難なく阻まれた。


「ちょっと!ワタシより先に婚約者になっているからって…邪魔しないでよ!」


「急に近づいちゃダメです!」

「危険でしょう」

「それに旦那様って…なんです?」


 麒麟、水姫、明日香の順に思い思いの言葉をぶつける。

 そして三人目である明日香の言葉。その質問に答えたのは何故か三人の背後に居るはずの万理華の間抜けな声だった。


「…あ」

「「「え?」」」


「ダーリンはダーリンよ?婚約したんだから未来の夫をそう呼んでも良いでしょう?」


「…え?美雪さんも婚約したんですか!?」


「「「…?」」」


「あ~。忘れてた…」


 美雪と明日香の会話が嚙み合わず。最終的にラギも含めた麒麟、水姫の三人で首を傾げる。

 万理華は額に手を当て天井を仰ぎ、美雪はまさかと万理華へと顔を向けていた。


「万理華!?どういう事!?」


「いや、まあ、うん。ごめん?」


 憤怒の形相へと変え、万理華に凄む美雪。それを多少悪いとは感じつつもあっけらかんと謝る万理華の態度に美雪の怒りは上昇していく。


「話すって言ってたじゃない!?」


「うん。まあ。そうね。うん。ごめんね?」


「そんな…軽く…」


 みるみるうちに美雪の怒りは頂点にまで達した。怒り狂うかと思われたその矢先。怒りは悲しみへと変換され、急にポロポロと涙を流し始める美雪。万理華へと最後に弱弱しく言葉を投げ、俯き、膝から崩れ、静かにただ泣くだけになってしまった。


「え~っと…総隊長…説明お願いします」


「あ~。うん。ゴマとクマの婚約の話の時にミユキも居合わせててな。そこでミユキの反応が可哀そうになって、な?ウチからミユキにも婚約の話を持ち掛けたんだ。後でラギ君に相談しようと思っていたんだけど…」


「大事、重要な物事の報告連絡を怠るなど…何を考えているのやら…」


「流石に可哀そう…です」


 明日香からの質問に答えた万理華の言葉に理解不能とばかりに水姫がため息を一つ。麒麟も美雪に同情の視線を向けていた。

 悪気のなさそうな万理華との会話を打ち切り、明日香はラギへと問いかける。


「それで、ラギさん。…どうしますか?」


 万理華と麒麟は美雪に寄り添い、慰め始めた傍ら。多少声音がぎこちないものだったが、明日香からラギへと質問がなされた。水姫はそんなぎこちのない明日香を値踏みする様に見つめる。

 明日香としてはこの話題で少しでも会話をする事でぎこちなさを解消しようという腹積もり。しかし、この世界の感覚が完璧には身に付いてはいないラギにとってはこの話題はどちらかと言えば距離を置かれているかの様に感じるものだった。


「いや、明日香、たち…は嫌じゃないの?」


「…?」


 明日香からしてみれば何故自分たちに質問してくるのか分からないでいた。

 ラギからしてみれば何故そこで不思議そうに首を傾げるのか意味が分からなかった。


 すれ違い…とはまた少し違うが、気持ちが上手くかみ合っていない状態。

 ラギとしては話題が話題だけに落ち着きが次第に無くなっていく。

 そうして最終的には明日香が自分と別れる準備をし始めているのではないかと邪推までし始めた。そして、明日香に気持ちを傾けている現状。それは回避したい出来事。脳内は明日香の思惑、気持ちとは違う別の方向へと走って行く。


「お、俺、明日香とは別れたくない!」


「…へ?」


 世にも珍しい男からの告白の様な言葉。分かりやすい別れを拒む言葉ではあったが、残念ながら女性である明日香はイマイチ言葉の意味を理解できなかった。

 告白、プロポーズ、引き留めの言葉、どれも女性から男性にするものであって男性が女性に贈る言葉ではなかった。


そんな世界では無かった。


 変な方向に妄想を膨らませ、何とか明日香を引き留めようと空回りするラギ。

 ラギの言わんとする事、その意味。理解が及ばず当惑する明日香。

 明日香の言動を監視していたはずの水姫もラギの言葉と様子に当惑。

 泣き崩れている美雪と、それをなだめる万理華と麒麟。


 場はカオスと化し、この場に居る研究職の面々は初の男性邂逅の有頂天から一変。

 どうしたらいいものかと頭を抱えるのであった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「と、言う訳で婚約おめでとう」


「何をサラッと流しているのよ!?」


 慰めていたとは言え、無事に婚約と相成った事とは言え、万理華への不満は未だ無くならない美雪は赤く腫らした眼で吠える。ふざけるな、と。


「本当に良かったのですか?ラギさん」


「えっと…俺としては、その~、まあ、問題ないかなっ…てね」


 むしろ嬉しい。っと、誤解が解かれ、今一度本音を聞かれ承諾したラギは、本音が丸っとわかりやすい態度を取っている。が、この世界ではその様な感情を持つなどあり得ない。この場に居る数人はいくらかラギの事を理解し始めているが、流石に常識からかけ離れている考えは早々生まれてはこないし、予想するのは難しい。精々が「嫌ではない」とわかっている程度であった。


「だいたい貴女はいっつもそう!約束した事をすぐに忘れて!」


「だから悪かったって言ってるじゃないか」


 怒り収まらぬ美雪の事は無視を決め込む事をそろそろ視野に入れるべきか?

 ラギ達…主にラギとの会話、接触を今か今かと待ちわびている職員たちは出世を果たし、上司となった美雪の排除を真剣に検討し始めていた。

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