第13話
「信じられないわね…」
「ホンットそれ…」
ラギと明日香に声を掛けた水姫は、再び訓練と言う名の模擬戦を始めた二人を眺めながらぽつりと零す。
その感想に未だ眼を覚まさない美雪を床に放り出した麒麟が賛同する。
二人が眺める先には全身全霊。初めから手加減無しとなった明日香が果敢に攻める姿が映っている。そして信じられないのがそんな全力の明日香の相手をしているのが男性であり、その男性が明日香の猛攻を軽くあしらっている姿だ。
「でも…何故かしら…?この胸の高鳴りは…」
「…ホンットそれ」
初めて目にし、経験する男性の『強さ』。
女性である自分たちよりも強いと感じさせるその姿に体の奥底に熱が宿り、その熱は体全体を熱くさせていた。
暫く模擬戦は続き、その間に水姫と麒麟は模擬戦を行う二人を労うべく飲み物とタオルを準備。
模擬戦は二人が予想していた結果通り。そして、予想していたよりも綺麗に終わった。
「「お疲れ様です」」
「あ、ありがとうございます」
明日香とラギの模擬戦はその後30分弱程続けられ、終始ラギが受け身で明日香が攻め。そして変わらずラギは涼し気な顔で明日香の攻めを受けきった。
決着はラギのカウンター。
明日香の縦横無尽な全方向からの攻撃。その合間に放った回避と攻撃の攻防同時のカウンターが決まった。
とは言え女性に対して変に気遣いをするラギは明日香に直接攻撃は当てなかった。しかし、所謂寸止めのカウンターは明日香の首を的確に捉えており、真剣でなくとも、もし当てていれば致命傷となりえる攻撃を防げなかった事で終了となった。
スタミナに絶対の自信を持つ明日香だったが、攻撃が決まらない事への焦り、男性が自分より強い事でプライドが傷つき、普段よりも力んだ行動も合わさって肩を息をするまでに消耗。
そして、何よりも。
妻として守るべき存在にも関わらず、夫であるラギに敵わない自分の不甲斐なさが彼女の心を疲弊させ、追い込んだ。
今は先程よりも更に悔し気に、そして悲壮な顔つきで沈み込んでいる。
そんな見るからに落ち込む明日香になんと声を掛けてよいものか?
模擬戦が終わってから漸く明日香の表情が先程より更に落ち込んでいる事に気が付き、途方に暮れていたラギに水姫と麒麟がそれぞれタオルと飲み物を持ち渡しながら声を掛けて来た。
それに答えつつもラギの意識は明日香へと向けられている。
この世界の男性は決して女性を気遣いはしない。と言うよりも出来ないが、この世界の常識が無く、そして明日香よりも強者であるラギはそれが出来てしまう。何よりも女性だろうが男性だろうが男女隔たり無く気遣うべきであると言う、ここではラギの中にしかない常識があり、どうにか明日香を気遣うべく行動を起こさんとしていた。
そしてこの場に居る女性三人はそれを敏感に感じてしまっていた。
「…ありがとうございました。
……申し訳ないですけど九馬さん、護真さん、ラギさんの傍をお願いします」
気を使われる本人である明日香はその空気とそしてこれからラギが起こすかもしれない言動を想像してこの場を離れる選択をする。
この世界では女性は強者であり、守護者である。そんな女性としては男性に弱者として気遣われる事はどうしようもなく耐えられない。別にプライドが高いとか傲慢であるなどの話ではない。ただただ当たり前の話である。
例えば、ラギの知る現代日本に話を置き換える。この世界に居る女性全員がスポーツ選手だと置き換えてみよう。逆に男性はただの一般人として考える。ラギも当然ただの一般人だ。
ある日一般人であるラギとスポーツ選手として活躍している女性が競ったとする。結果は、普段何も鍛えていないはずのラギの勝利。その時女性はどう思うか?
多少感情は違えど、同程度のショックは受けるだろう。
「何故負ける?」っと。
しかし、今の現状ではラギの存在が特殊であると頭では理解できている明日香。だけど、例えどんな世界であろうとも、どんな力を得ようとも、人間とは感情が、そしてプライドが思考と理性の邪魔をする生き物。抑えようとしてもなかなか難しい場面が多く存在する。
辛うじて理性が勝った明日香の行動。
これは称賛される物であった。
少なくともこの場に居た残りの明日香と同性である水姫と麒麟は心の中で褒め称えていた。
しかし、そんな女性の機微が元の世界でも読める事が少なかったラギが、別世界の女性である明日香の機微を想像できるはずもなく。明日香が想像した通りの言動を起こそうとする。
が、間一髪。
水姫と麒麟。二人の静止の意味合いを持たせた声掛けが明日香の退避を助けた。
「ラギ様。
改めまして【九馬 水姫】と申します。本日よりどうぞよろしくお願いいたしますわ」
「アタシは【護真 麒麟】です!
今日からよろしくお願いします!!」
「あ、えっと…よろしくお願いします…」
声を掛けそこなったラギは明日香の事を気にしつつも二人の会話に応じる。僅かに気がそれた隙間を狙い明日香はラギの元から退散。変に慌てる事無くごく自然に離れ、素早くフロアを出て行った。
「ラギ様。
柊明日香へのお気遣い、彼女に変わりお礼申し上げます。
ですが、今はどうかそっとして置いてください」
「…それでいいんでしょうか?」
「はい」
落ち込む明日香の姿。
その姿はラギに強烈な後悔を芽生えさせた。
明日香は自分の攻撃の一切が通じない事に焦りと苛立ちが積もっていた。そしてプライドを傷つける事になった。
そんな明日香とは逆に、ラギは楽しかった。
思い通りに動く体。
自由自在に操れる刀。
まるでスローモーションかの様に移る視界。
どこまでも把握できる視野の広さ。
視界外でも把握してしまう気配察知。
憧れのゲームや漫画のキャラになったようで、そして今の自分はなんでも出来るかのようで…所謂『全能感』に酔いしれ、楽しんでいた。
それはそれは楽しかった。今まで感じた事のない種類の楽しさだった。
だから夢中になった。
明日香本人から「手加減無用」を言い渡された事を言い訳に、夢中に、無邪気に明日香を追い込んだ。追い込んでしまった…。
そんな自分が恥ずかしく、そして申し訳なかった。
だからこそ何か気の利いた言葉を…と思ったが、そんな気の利く言葉を思いつく前に明日香は逃げに動き、そして二人に遮られた。遮った二人の存在、その行動に怒りを感じたラギだったが、そもそも自分の行動が生んだ結果だと、そう自分を言い聞かせて苛立ちを抑え込み、改めて二人へと意識を向ける。
水姫は言う。
『ありがとう』と。
ラギには理解できない感謝。
自分は明日香を傷つけ。更にその後の対応すら覚束ない状態だった。男として、一人の人間として、自分自身に落第点しか付けれないでいた。
「本当に変わった殿方ですね…」
そんな自分で自分を蔑むラギを見て、優し気に笑む水姫。
まるで子供をあやすかの様な姿に恥ずかしさを、それと同時に感じている苛立ちを隠す為、まるで子供の様にラギはフロアの出口へと足早に向かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そんなやり取りの後。
ラギは自室へと引き込み、出て来ず。付いて行った水姫と麒麟はいつもラギ達が会談の場としているソファーに着座。まだ目覚めない…うわ言で幸せそうにする美雪を横の床に放置したまま、今後の護衛兼婚約者としての行動・配置に着いて話し合い、可能な限り今後起こりうる可能性がある事を予想をたて、その予想が現実となった際の行動指針を話し合った。
本来であれば隊長である明日香を主軸に考えるべき事であり、護衛対象であり、一応隊員でもあるラギも加えての話し合いが理想であるのだが…。今は仕方なし。何もしていないよりも今しておいた方が、後々に話をする際に多少なりともスムーズに話が進む事だろう。そんな言い訳と、性格上この話し合いは早々にしておきたい水姫の考えの元、二人の話し合いは続けられた。
その間、隊長である明日香はと言えば…。
このビル内に用意されている各隊員の個人用の部屋。
ラギが今現在使っている部屋とは雲泥の差とも言える質素で簡素な部屋で一人項垂れ、自身の行い、そして不甲斐なさを嘆く明日香はベッドに倒れ込み、無気力な瞳で天井を眺めていた。
「…情けない」
本当に情けなかった。
明日香の心中はその一色だった。
何が情けなかったのか?
ラギに模擬戦で勝てなかった事?
…否。
ラギに負けた後の対応?
……否。
そもそも再び模擬戦を誘った事?
………否。
「浮かれていた…」
明日香はここ最近の自身の行動、そして感情を振り返る。
明日香は昔から【異形】を憎んでいた。
幼い頃に襲われ、父を守ろうとする母が目の前で殺されてしまった事で、【異形】に対して常人以上の憎しみを持っていた。
成長するにつれ憎しみは薄れはした。しかし、【異形】を根絶やしにする夢は少しも変わらずに彼女の中に存在していた。
幸い【覚醒者】として強い力をもっており、武芸の才能にも恵まれていた。
そしてそれらに驕らずに努力を重ね、見事に夢の第一歩となる【特殊生命体対策機関】への入隊を果たした。
才能故に道が開けた彼女であったが、【特殊生命体対策機関】に入ってからはその才能が逆に仇となり彼女の道を暗がりにさせていた最中。ラギと出会った。
まるで夢を見ている様だったと感じる。
それまでの人生では関心の薄かった筈の男性。にも関わらず、女性の本能なのかラギを初めて目の前にしてからというもの、明日香の生活の主軸はラギになっていた。
何故関心を寄せる事になったのか?
女性の本能がそうさせたのか?異性への関心をただ我慢していただけだったのか?それとも、ラギが魅力的だったからなのか?
それは明日香本人にもわからない。
【異形】を狩るのが目的の人生。
それがいつの間にかラギと共に歩む人生に置き換わっていた。
なぜこんな短い期間で変わってしまったのか?
「私が、弱いから…」
もっと強ければこうはならなかったはずだ。
ラギが目の前に現れたとしても目的は変わることなく、こうして落ち込むことなく。今も【異形】を相手にしていただろう。訓練を積んでいた事だろう。
そんなもしもを考える。
でも、だけど・・・。
ラギの事は今も変わらずに大切だ。何故かは理由を問われても「婚約者だから」や「男性だから」と一般的な理由しか出てこない。明日香の中にある筈の本当の理由は明日香自身にも分からない。出てこない。
それでも大切だと言える。
だからこそ今ここでうじうじしている事がとても不愉快であり、ラギにも申し訳なかった。
頭の中はぐちゃぐちゃだ。
負の感情で溢れている。
それでも、いや、だからだろうか?
明日香の思考は止まり、意識を手放し、深い深い眠りに落ちて行ったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ラギはラギで落ち込んでいた。
つい先程まで子供かの如くはしゃいでいたはずなのに、今のラギにはその面影は微塵も無かった。そのはしゃぎが原因でもある為、至極真っ当な反応とも言えなくはないが、彼の気分を表すなら『ジェットコースター』などの所謂絶叫マシーンの様に気分は激しく上下していた。
そもそもの原因として突如として身に付いた『謎の力』が原因である。
ラギが長年プレイして来た【天上への塔】のキャラと同じ動きが可能。しかもキャラに無かった動きも可能になっていて。今のラギであれば不可能だと断じて来た【天上への塔】とは無関係のはずの他の漫画やアニメ、その他創作物で見て来たアクションを現実のものとして再現可能だ。
本来ならこの力の詳細を調べる事が有意義な時間の過ごし方なのは理解しつつ、落ち込んだ気分のままベッドに倒れ込み、意味もなくスマホをポチポチといじる。
通話も出来ない。通信自体出来ない。そもそもオフラインで起動可能な機能自体がほぼないスマホ。
世界が異なる為、充電する術が現状存在しない事が分かっている為、今までは肌身離さず持って居てはいたが電源を落としていたスマホ。
いくら電源を落としてはいたとしてもバッテリーは消耗していくもの。
それであるにも関わらず、何故か問題なく稼働するスマホに気も止めれないくらいにラギは落ち込んでいた。
「(ガキみたいにはしゃぎすぎ…絶対嫌われたわ)」
舞い込んだ幸運。
世界を渡ると言う訳の分からない現象に遭遇しながらも、元の世界では相手にもされないだろう美少女とのお付き合い。しかも婚約まで出来てしまった幸運。
そんな幸運を棒に振る行為だったと大きな後悔の真っ最中。
思い返せば気が付けるタイミングはいくらでもあった。
途中途中で見せていた明日香の表情で気が付けた。
思い返せば思い返すほど明日香の辛そうな顔が頭をちらつく。
本人は気が付いてはいないが、かなり明日香に傾倒している。
明日香への想いはラギ本人としてはそれほど強くはないと思っている。ただ明日香が美少女であるから浮かれているだけ。欲情しているだけのものだと思っている。
しかし、実際はその時期は通り過ぎている。
確かに始まりはただ明日香の容姿に惹かれ、欲情していただけであった。
しかし、明日香が『婚約』ではなく『結婚』を目指し、あれこれとラギに心を砕き、行動していた結果。その姿に見事にころりと恋に落とされていた。
それに気が付かず、明日香を傷つけた事。明日香に嫌われただろうと思う事で、ラギの気分は深く深く落ちて行った。
「……んん??」
そんな気分のままでいじっていたスマホ。
目的があって操作していた訳では無いスマホは、今までしてきた操作を反射で行っていた。
「…なんで問題なく起動するんだ?」
そしてふと気が付く。
何故か問題なく起動するアプリに。
【天上への塔】。
これまでのゲーム人生でこれほどのめり込んだゲームは無いと言い切れる程に入れ込んだゲーム。
課金要素がある事が嫌いだったはずにも関わらず、毛嫌いしていた課金をも躊躇なく出来る程に愛したゲーム。
流石に生活を犠牲にしてまで注ぎ込んでいた訳ではないが、それでも今までに注ぎ込んできた金額は相応の金額になっているゲームだ。このゲームのデータがあったからこそ万理華にスマホを預けるのを躊躇した程にラギの一部とも言えるもの。
そして、蓋を開けてみれば、文字通り、この【天上への塔】はラギの一部になっていた。
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