第9話

「さて、色々と状況が変わってしまってね…。どこから話したらいいものか…」


 毎度おなじみとなって来た【特殊生命体対策機関】が本拠地とするビルの最上階。

 本来はVIPを接待する場として用意されているこのフロアがラギの住処として貸し出されてから1週間が経った。


 そんなラギのお家と化した最上階の中央の部屋。

 エレベーターとバーカウンター、談笑用に置かれた二つの向かい合わせのソファーと間にあるテーブル。壁の一面ガラス張りとなった箇所からは日の光が外から入り込み、フロア全体を明るく照らす。


 そんなガラス張りの外の風景を背後にラギと明日香が座っていた。


「どう変わったんですか?」


「残念ながら私も聞いていないのでわからないんです…」


 説明するべきことが多く、その説明する順番も大事であろうと今一度自身が考えて来た事を思い返し、自分の世界へと入った万理華。黙ってしまった万理華の口が開くよりも先に我慢が出来なかったラギは明日香に事の次第を尋ねたが、明日香も知らない情報だったらしく申し訳なさそうに眉を寄せた。


「ヨシ。

 先ず最初に、君の状況が変化した話をしよう」


「「お願いします」」


 二人揃っての返事に少しばかり口角を上げてから万理華は御上からの通達を思い出しつつ、多少揉める事になるだろうと、軽く覚悟を決め話し始めた。


「ラギ君の身体能力を鑑みて、通常の男性とはカウントしない事が提案されている。具体的には普通の男性に適用されている義務を一部免除し、対価を渡す代わりに【異形】に関する対応業務に就いてもらう案が出ている」


「【異形】!?」


 声を荒げる明日香の反応は予想通り。


 それと言うのも、【異形】に関する対応業務が関係してくる。

 対応業務には大きく分けて二つの業務がある。


 一つ。

 明日香、そして他の隊員と同様に【異形】と直接相対して人類を守るべく戦う事。通称『現場業務』。


 もう一つ。

【異形】に関する民間からの相談や、直接相対する隊員たちを助ける為の研究、開発を行う『内勤業務』。


 今万理華が口にした『ラギの身体能力を鑑みて』との発言を考慮すればまず最初に思い付くのは…。


「まさかラギさんに戦えと言うんですか!?」


「落ち着け。と言っただろう。強制はしない。

 今から御上からの提案の詳細話す。この詳細と別の選択をした場合の話をした上で、今後ラギ君にどうするかを決めて貰う」


「…わかりました」


「ラギさん!【異形】に関係する話は断ってください!危険です!」


「ヒイラギ。落ち着けと言っているだろう。

 決めるのはラギ君本人だ。お前の意見は関係ない。それに、現場に出る事になってもそれほど危険な任務は与えられない。男が危険を冒す行為を早々許すはずないだろう。あくまでも提案であり、試験的な要素がある。なるべくリスクが少ない様配慮もさえる。まずは話を聞け」


「ですが!」


「ヒイラギ!」


「っ!」


「話の邪魔をするなら出て行け」


 荒ぶる明日香の態度をこれ以上放置すると話が進まないと判断した万理華は明日香を威圧した。


「っ!?」


「(…驚いた。まさか無反応とは…)」


 圧力。所謂殺気を放った万理華。明日香はその殺気に体温が幾分か下げられてしまった。実力的にはそう大きく離れてはいない明日香と万理華。これは二人ともに持っている共通認識であるのだが、人生経験としても、現場での経験も圧倒的に万理華の方が上である。更に、立場で培った胆力も圧力に『味』を加えており、万理華から言わせればまだまだ青い明日香を黙らせる事くらい可能であった。


 しかし、そんな圧力に全くの無反応なラギ。

 万理華は結果が予想できた明日香ではなく、ラギへと意識が割かれた。


「(気が付いていないだけのニブチンなのか…それともウチ程度では影響を与えられないのか…はてさてどっちかな?)」


「…し、失礼しました…」


「…さて、話を戻そう。

 さっきも言った通りラギ君には提案が出されている」


 万理華が話すのは一つの道だ。

 あくまでも提案であり、選択権はラギにある事を言い聞かせて話を続ける。


「御上の連中はウチが仕切るこの【特殊生命体対策機関】に所属して働く事を提案している。もしここで働く場合はこの最上階が住処として提供され、そうなれば当然ながら引っ越しの必要がなくなる。

 そして重要な業務内容だが、これもラギ君が選択する事になる。

 先ずはヒイラギや他の隊員が就いている現場仕事だ。【異形】を対処するのが主な仕事であるが、ラギ君には主に巡回と後方支援が仕事になるだろう。危険は無い、とは言えないが、【異形】の対処は他の隊員がやるからそれほど危険ではないと予想している。それに当然ながら護衛も置かれる事にもなるからな考えているよりも安全だろう。

 もう一つがこのビル内で働く事。

 『内勤』なんて呼ばれている。この場合は研究の為に協力をしてもらう事になる。主に男性では考えられない【覚醒】をしている事の原因解明だ。様々な方法で原因を探る事になるから少々窮屈な思いをしたりするだろう。他にも【異形】を殺す事を目的として研究、開発している武器なんかのテストを担ってもらう事も考えているそうだ。


 と、ここで働くのならこんな感じの内容になる」


 一通り仕事の内容を語り終えた万理華が口を閉じれば、次は明日香からの質問が飛ぶ。


「総隊長。まさかタダ働き、なんてことはないですよね?」


「当り前だ。

 ヒイラギは気にしないだろうし、婚約者だから問題ないと思うからこの場で伝えるが、給料として毎月60万が固定で与えられる」


「はぁ!?たっか!?」


「いえ、どちらかと言えば安いです。

 まさか男性であるラギさんに危険を冒させたり、人類にとって有益となる研究の手伝いをさせておいてその程度…じゃありませんよね?」


「えぇえ~…」


 ラギとしては途轍もなく高い給料である。

 彼が元の世界で働いていた時に得ていた給料は毎月20万と少し。そこから諸々差っ引かれて手取りで14万前後だった。

 そう考えると手取りではなく総支給とは言え、60万の給料は破格の金額である。


 しかし、逆に考えれると…。


「えっと、高すぎて逆に不安なんですけど…?」


 ラギにしてみれば大喜びの高い高い給料である。しかし、ラギが知る限り破格の給料を貰えるという事はつまり、それだけ大変であったり、危険であったり、若しくは犯罪を犯すような危ない仕事だったりするのが世の常。心配が先に来るのは致し方ないと言える。


「そうか?ヒイラギも言った通りこれだけではどちらかと言えば安い。

 女であればまぁ、そこそこ、か?だけど、君は男だ。馴染みが無いとは思うが、男は優遇されるのは当たり前で、大切にされる。それ込みの給料だ。そしてここに様々な手当てが付く。それを合わせれば…ま~100は超えるな」


「100!?」


「ん~妥当…でしょうか?ギリギリ…」


「ギリギリ!?」


 毎月100万のお金を手に入れる術などラギには思い付きもしない。思い付いていたなら態々精神を壊されるまで働きはしない。そんな彼がいきなり100万円が貰える仕事を提案される。


 一頻り驚いた後はまるで夢を見ている様な心地になっていた。


「反応を見るに、今までの金銭感覚は捨てた方が身のためだと思うぞ?

 ここで働く場合は今提示した金額は最低限だ。まだまだ多くなる可能性の方が高い。それに、働かないと選択したとしても自由にできる金銭自体はかなり減るが、生活の質はそう変わりない。この世界に来た原因が分からない以上、帰り方などわかる筈もない。それはラギ君も分かっているだろう?なるべく早く受け入れる事をお勧めする」


「…わかり、ました…」


 正直ラギは『帰る事』は重視していない。

 元の世界で散々迷惑かけた家族や友人たちを想い考えた事はある。迷惑をかけているにも関わらず優しく接し、何かと気にかけてくれた大切だと思える心優しい人たち。

 しかし、いや、だからこそ帰りたいとは思えなかった。それは大切だと思えるからこそ。大切な人たちが情けない自分に時間を、そして心を割く事が心苦しい。


 ここまで考えれる程余裕が無かった引き籠り時代。だが、今の自分は何故か精神的に余裕を持っている。余裕がある状態である今、彼は『会わせる顔がない』との思いが強い。急に居なくなって心配をまたかける事になっているだろうが、出来れば自分の事など忘れて欲しい。

 そしてどうか幸せに暮らして欲しい。


 都合のいい想いであるのは重々承知はしているが、偽りなく、包み隠さずに心を開けばその想いが強いのである。

 と、言う訳で彼は帰れるとしても帰る気は無かった。話す事くらい出来れば心配をかける事もなくなるだろう。そしてここで暮らしていけば誰もがハッピーになれる。とそう信じて疑っていない。


 そんな彼が歯切れ悪く返事を返したのはただの心配だ。

 給料に見合うだけの働きを出来るのかの不安。出来ないのであれば、迷惑を掛けない様に働かない方が良いのではなかろうかと考えての歯切れの悪さだった。


 しかし、そんな彼の様子は『帰りたい』と見えたのがこの場に居る二人。

 万理華は当然な想いだろうと納得し、苦笑。明日香は目じりを下げ、ラギを心配している。しかし、帰って欲しくないとの想いも強くあったのだった。


「さて、どうする?

 働くか働かないか。まずはそれを決めて欲しい」


 ラギとしては働けるのなら働きたい。

 ただただ働かずぐうたらと過ごすのは気が引ける。ではあるし、と自分でツッコミたくなるがそう思う。それに、折角婚約者などと言う分不相応に思える存在が居るのだ。少しでもまともな人間としてありたいと思う。嫌われたくない男心である。


「働かせてもらえるのなら働きたいです。

 でも、俺に務まるでしょうか?それだけが、正直不安です」


「なるほど。

 先ずは働く事に賛同してくれた事に関して礼を言おう。ありがとう。

 そして、君が抱く不安に関してだが、無用な不安だとウチは声を大きくして言える」


 出来るか出来ないかで言えば、確かにラギの心配はただの杞憂だと言える。

 しかし、出来るから大丈夫、とはならないのが仕事であり、人間である。出来たとしても苦痛を感じ事もあるし、仕事仲間との不和もあり得る。それらが原因で最終的に【柊 飛鳥】の様に仕事が出来ない状態になってしまう可能性がある。

 ラギはそれが心配なのだ。


「もし、仕事を始めてから無理だと君が判断したのなら、職場の変更。若しくは仕事自体を辞める事も可能だ。安心していい」


「…わかりました」


 優しく言う万理華の言葉は嘘偽りなく本心であり、そこにラギへの負の感情は一切ない。だが、ラギは万理華の心情を想像で補い、自分を『情けない男』と評価。

 だからこそ、これから評価を高めようと努力を誓った。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「本当に良かったんですか?」


「…?あ~、仕事の事?」


「そうです」


 万理華が話を進めると言い残して去ってからの昼食時間。

 昼食を終えた今、食後のコーヒーを楽しんでいたラギと明日香。しかし、どうしてもイマイチ完全には納得できないでいた明日香は我慢の限界。世の女性としては情けなく、はしたない行動だと分かってはいても。

 男性であるラギの決定に疑問を口にしてしまったのだった。


「まあ、ね。さっきも言ったけど、不安はあるよ。情けない事にね。

 でも、働きたいって思ってるのも本当。働けば少しでもまともな男に成れるかな、てね」


「まともって…この世界では働きません。どちらかと言えば働いている男性はと認識されますよ」


「マジか…」


 正反対の評価…とまでは言わないが、想像していなかった評価に目を丸くしたラギ。だが、よくよく考えれば確かにそうなるかと納得も出来た。


「俺の世界での常識だとまともな男って頼れる男なんだよね。

 経済的にも精神的にも、そして肉体的にも頼れる男って憧れるんだ。今の俺はそのどれも出来てないから…柊さんに相応しい男になれたら、いいな、ってね…」


「んっ…」


 ラギが語る『まともな男』。これは明日香にも覚えがあった。


 今の時代『まともな女性』がまさにこれである。今はした考えで、大昔、【異形】が出現する前の時代は男性と女性の立場、力関係は真逆だった。

 歴史と知っている事で、もはや廃れた考え方だ。今の時代には実現は難しく、どう考えても時代に合っていない考えだ。


 それでも、何故だろうか…。

 明日香の心を、胸を甘く締め付けた。


「変に見えるかもしれない。でも、俺頑張ってみるよ。

 柊さんを守れる男になりたいんだ」


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