第6話

「まさか拒否しない、とはね…」


「俺に決定権があるとかマジであり得ない…」


「本当に私が…?………え?夢?」


 三者三様の想いで言葉を吐く。

 結局ゆっくりゆっくりと進んだ話し合い。主に価値観のズレの所為でラギが困惑し、自身もお嫁候補となっている事が信じられずに恥じらう明日香。この二人の頭の整理と会話速度が原因となり、終盤を迎えた今は既に昼を過ぎていた。


「じゃあホントにイイんだね?」


「いや、それ俺聞きたいです。本当に良いんですか?」


 最終的な話としては、まず『身体能力テスト』は問題なくラギの承諾が得られ、近日中に実施予定となった。実施日はこれから調整されるが、早ければ一日二日待つ程度で行われる事が万理華の口から伝えられた。

スマホの受け渡しは終始申し訳ない様にしていたラギが拒否を貫き通した。と言っても万理華もそれほど強く要求はしなかった。これはスマホを渡されたところで、ラギが異世界からの来た事を証明する確かな証拠となるには弱い事と思われているからである。万理華もそして御上も同じ考えが故、強くは求めていない。


 そんなスマホに感心は薄く、リスクが無くデータとして有益だが証拠としてはこれまた弱い身体能力テストよりも関心が強く、そして今現在抱えている社会問題への対処。異世界人である事の証拠としても強力なものと成りえる三つ目の提案。

大本命であり、何としても実現してほしいのが『複数人の妻を娶る』事。


 万理華、そしてこの世界の女性からしてみれば可能であるのならば今すぐにでも結婚し、夫婦の営みを行って欲しいのが本心である。やはりラギが元々持ち合わせている価値観がそれを良しとは出来ず、まずは『婚約』と言う形をとる事となった。

 ラギとしては真面目に交際、そして結婚をするべきであると言う考えからお互いの『準備期間』を設けた形である。

 この婚約と言う準備期間でもってお互いを知り、信頼関係を築き上げた後に結婚とするのが良いだろうと折り合いを付けた形としたのだ。万理華としては、今回の正解は上々と言えるものであろう。加えるならば、別途子種の提供もして欲しいのが本心であるのだが、それはまた追々話していくことにすると自制。急いては事を仕損じるだろうと慎重な行動を選択した。

 

 今日の成果としては先ず一人。【柊 明日香】。

 彼女とラギとの婚約が確定した。ほぼであるのは建前であるが、一応明日香の親にも報告と許可を取るべきであると言うラギの主張を考慮したからである。

 明日香としても万理華としても今この場で婚約としても何の問題も無い。それどころかさっさと何かしらの形にしたい思いであるが、そこは我慢。ラギを立てた形である。


 更に条件に『複数』とある為、後日女性の紹介がなされる事となった。

 所謂『お見合い』だが、これも近日中に開催予定となった。

本来ならば最初万理華が口にした『今日中に』となる話であるのだが、ラギの心の準備が必要だと必死に訴える様を見て、これまたラギに配慮した形である。万理華としてはラギ本人が複数人の妻を娶ること自体は了承した事で御上を納得させる事が出来るだろうと判断した結果である。


 そうして漸く少し遅くなった昼食の時間となった。


 その昼食を『妻であるから』っと、率先していち早く動き、準備しにその場を辞した明日香。残されたラギは同じく残された万理華に疑問をぶつけていくのであった。


「あの…」


「ん?どうした?」


「実はちょっと相談、というかなんと言えば良いのか…」


「…」


 少しだけ躊躇する様に何も言わずにそっと息を殺し、待ちの姿勢を取る万理華。そんな彼女の優しさ、気遣いを受け、落ち着きを意識しながらも若干自身を急かしつつ思考をまとめ上げていく。


「俺、あの場所、というかこの世界で目が覚めるまで問題を抱えてたんです」


「問題?」


「はい」


 はて、なんであろうか?予想が出来ずにいる万理華であるが、それは仕方のない事であろう。

 正直この世界に来てからのラギは色々と可笑しい。しかし、それは元のラギを知っていれば気が付ける可笑しさであり、元々知り合いですらない万理華では予想も立てようが無かった。


「俺、職場で問題があって、仕事辞めちゃって、それから仕事もしないし、家族とも顔合わせない。所謂引き籠りになってたんです」


「ふむ…。それの何が問題…って、働いていたのか…」


 この世界の男性は基本的に働かない。働く必要が無い。

 そもそも働きたくても色々と問題もあり、なかなか実現すること自体困難である。特にラギの様に家から離れ、出勤する様な形で働く事はほぼ不可能と言っても良いくらいに難しい。

 これも世界が違うが為の価値観のズレ、そして法律上の問題があった。


「俺が居た世界だと逆に働かない男は見下される風潮があるんで」


「ああ…そうか。男女比が問題ないのならそうなる、か…?」



 少しばかり想像が難しい『もし』を想像する万理華。この世界の人間にとっては想像が難しいが、歴史的には男性が働き、女性が家を守っていた時代もあった。昔の価値観がそのまま現代に残っていると考えればあり得なくはないかと一応納得出来た万理華は話の続きへともう一度集中する。


「そうですね。

 それで、職場で問題があった後、俺引き籠りになってて、精神的にもヤバい感じになってたんです」


「ほお?」


 今の姿、言動を見る限りラギは健常である。

 しかし、真実、ラギは精神を患っていた。


 人との会話もおぼつかなかったラギ。それが、今では問題なく会話が出来ている。しかも、女性との会話自体が人生全体で少なく、慣れていないはずの女性相手に会話をしている。


 ラギからしてみれば異常も異常。これ以上ない異常事態であった。


「それが、この世界に来てから治った?感じで…なんでだろうって…」


「ん~…。…そうだな…。ウチが考えれる可能性としては二つ、だな」


「わかるんですか!?」


「いや、あくまでも予想だ。ウチは【異形】を相手にする組織をまとめる立場で、逆に言えばそれだけだ。実際に【異形】を対処する事も出来なくはないが、それくらいしか出来ん。だから、ウチが言うのが絶対正解、って事は無い。残念だけどね。それでも良いなら予想を話すか?」


「お願いします」


 背筋を伸ばして聞きの姿勢を取ったラギを正面に、万理華は男性に対して初めて好印象を抱いている事に今更ながら気が付き、苦笑を漏らす。


「まず一つ目。

 今はまだ状況が落ち着いてないからな、酷く精神が混乱しており、普段の君が隠れてしまっている。危機的な状況に陥った際、人間とは普段とは違う行動に出るものだ。そんな感じで今は元々の君として活動出来ているのかもしれない」


「なるほど」


 万理華の言う通りとてもではないが『落ち着いた状態』とは現段階では言えない。

 元の世界に戻れるのか?元の世界では自分はどうなっているのか?この世界の情勢が受け入れがたいものだったり戸惑いも多い。

 と、悩み事は実に様々。

 そんな中で普通や普段と言って良いかはわからないが、昨日まで過ごしていた精神を患った状態で居る事が果たして可能なのか?

 ラギとしては『わからない』。


「もう一つは超常現象的な理由からかな」


「超常現象…ていうと、俺がこの世界に来た事ですか?」


「ああ。『世界を渡る』なんて普通に考えればあり得ないだろう?

 だけど、その普通に考えればあり得ない事が起きたんだ。何があっても可笑しくない。例えば、君の精神が変化したとしてもあり得なくはない。とウチは思う」


「確かに…」


 世界を渡る際にラギ自身の身が何がどうなっていたのか一切がわからない。


 もしかしたらラギは『死んでいる』。その可能性すらある。

 死んだことで転生と言う現状が起きたのか?はたまた地球で死した後の世界がここで、所謂『天国』『地獄』と言うものと同じような概念である『死後の世界』なのかもしれない。

 どうであろうと、この場合ラギは『死』というモノを経験したことになる。


『死』の経験とは『強烈な経験』と言って差し支えないだろう。

 例えその死した時の記憶がラギ自身に無かろうとも、深層意識には影響があっても可笑しくない程の強烈な経験のはずである。

 その『死』と言う『強烈な経験』がラギの精神構造を変化させたとしても可笑しくはない。


『死』以外では、物語上で見掛ける設定である『転移』したという可能性もあり得る。これにしても転移と言うものがどういうものなのか疑問が湧く。


『転移』とは、人、あるいは物体を遠く離れた場所へと瞬時に送り届ける事を指す。ラギの場合は違う世界へと送られた訳だが、この際にラギ自身の体、あるいはあるのかどうか定かではないが魂などがどうなっているのか?


 一度分解され、送り先で再構築されているのであれば、分解再構築の際に何かしらの影響があり、精神が変化したとしても納得できなくはない。


 どちらにしても万理華の語る可能性はラギを十分に納得させたのだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「今日の予定は以上となります」


「え?終わり?」


「はい」


「んじゃ、ウチは行くけど、ヒイラギはどうする?」


 明日香が持って来た食事を各々が取り、その最中にも会話が途切れる事もなく花を咲かせていた。


 ラギも自身にあったしこりの様な悩みに一応の納得できる答えを得る事が出来た事で、心の底から食事を楽しみ、会話もまた楽しむことが出来た。


 会話の内容は極々ありふれた世間話。

 こんな任務があったと話す万理華と明日香。明日香の普段の様子を面白おかしく話す万理華を何とかやめさせようとしどろもどろになる明日香。ラギの普段の生活の様子も二人は興味津々で聞き、ちょこちょこと質問をしてはラギについての理解を深めていった。


 そんな楽しい食事はゆっくりと進み、実に30分以上の時間をかけてのものであった。


 しかし、昼を超えはしたが、午前の話し合いしかしていない現状。まだまだ今日の予定は終了していないとばかり思っていたラギは、明日香の突然の終了宣言に驚きの様子を見せていた。


「私はもう少し…その、親睦を…」


「ハハッ。そうだな。そうしたらいい。しばらくはこちらの任務も免除しよう。ラギ君に付いてあげてくれ。護衛兼婚約者としてな」


「りょ、了解しました!」


 淡々と滞りなく話は進み、万理華は去って行った。


「…えっと、良い、のかな?」


「?」


 ラギが訊ねている内容が何を指しているのか分からず、少しばかり首を傾げる明日香だったが、持ち前の聡明さで僅かの間で察する。


「任務の事ですか?問題ないと思います。そもそも私に与えられていた任務はそれほど重要ではないので」


「そう、なの?」


「はい。

 私の任務は基本的に見回りだけです。時折他の隊に助力する事はありますが、それも本当に極稀な事なので。見回りもわざわざ総隊長が用意してくれたなので」


「無くても良い…?」


 何か聞いてはいけない様に感じる明日香が話す内容。しかし、当の本人である明日香はラギに対して頬を染めながら微笑むだけ。とても言い辛い事、悪い話をしている雰囲気ではない。そんな雰囲気は微塵も感じない様子であった。


「えっと、それで、どうする?」


「私としてはもっとお話をしたいところです。お互いの事もっと知るべきかと思いまして…。ダメ、でしょうか?」


「いやいや、全然。問題ないですはい。




 …でも、何を話せば…?」


「そうですね…。まずは好きな事とか話しませんか?趣味とか」


「わ、わかった」


 まるでお見合いの様な会話がスタート。


 初めは急に決まった妻になるかもしれない異性と二人きりでの空間に緊張していたラギであったが、次第に緊張は解け、明日香との会話に花を咲かせるのであった。


 逆に明日香と言えば、勿論緊張していた。


 しかし、生真面目な性格故か、婚約者となった今、ラギに負担を掛けまいと自身を叱咤し精神を無理矢理に正常に留めさせていた。また婚約者の前で無様な姿は見せまいとするプライドもあって、見事にラギの緊張を解く事に成功したのだった。


 多くの女性が夢見る男性との結婚。


 まさか自分自身にそんな奇跡が舞い込むとは思ってもみなかった明日香は、時々夢想をしては現実に戻ってと多少の無様をさらしていたが、ラギからすればそれは自身に対して好意的な反応として映っており、その姿、様子に気分を高揚させていた。


 二人の距離は、今日、確かに縮まった。


 各々が各々のベッドでそれを実感しつつ、今日が終わる。

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