第2話

「さて、色々と聞きたい事があります。

 先ずはお名前を教えていただけますか?」


『ここは安全である』。そう説明を受け、潜った壁の中。壁に設置された壁とは不釣り合いに小さな出入口として機能しているゲート。その場で何やら手続きを済ませた少女の案内の元、青年にとっては全く馴染みのない街並みの中を進んだ先。


 一つの馬鹿にデカいビルへと場所を移した。


 ビルの最上階は50階。

 その中の22階にエレベーターで移動した階にあった一室で少女と面と向かった。不思議なのは街中には普通に人が居たにも関わらず、このビルには受付も警備もおらず、閑散としている事。まるで今このビル内には、面と向かっている青年と少女の二人しかいないかの様に静まり返っている。


「えっと、【ひいらぎ 飛鳥あすか】です」


 大きなビル。

 案内された先の豪華とは言えなくともスマートで綺麗な一室。豪華絢爛な様ではなくともそれなりに高級な品々で揃えられた一室で、いやに街中で注目を浴びていた事に疑問と羞恥を感じつつの回答を口にする。雰囲気に呑まれたからなのか、彼の背筋は綺麗に伸びている。


「ひいらぎ、あすか…?……本当に?」


「?うん。そう、だけど…なんか変かな?」


 青年、飛鳥の回答。それはこれまでの人生で飽きるくらいには口にしてきたただの自身の名前である。多少珍しくはあるかもしれないが、特段変に思われた事のない名前。だが、少女は眉を寄せ、記録の為にPCの画面へ向けていた視線を飛鳥へと向けた。


「冗談…?もしかして私をからかっていますか?」


僅かに怒気が籠ったような冷ややかな声音。

先程まで冷ややかでありながらも優しさを感じるものではない。それに僅かに怯みながらも飛鳥は口を開く。


「い、いやいや。そんな事してないよ?ただの自己紹介だし…」


「では、本当に貴方のお名前は【ひいらぎ あすか】である、と?」


 わたわたと否定を両の手で現し、焦りと困惑の表情を浮かべる飛鳥を一層睨みつける様にしてその真意を確かめんとする少女。だが、どこからどう見ても飛鳥が嘘をついている様には見えない。

 その結果は少女に安心を与えず、ただ困惑を強める結果となった。


「私は【柊 明日香】です」


「あ、はい。




 …え?……は??」


 眉間に寄せた眉と頭に浮かぶ困惑をそのままに、少女、明日香が口にしたのは飛鳥と同じ名前。


「え…っと。もしかして同じ名前?」


「貴方が嘘をついていないのなら、そうなります」


 お人形の様に美しく、艶やかな黒髪を靡かせる少女と、多少見目は整っているもののジャージ姿の男。そんな二人の名前が一致している事は、どこか妙な違和感を与える。

 しかし、本人たちからすれば、名前の一致と言うのは『違和感』どころの騒ぎではなかった。


 困惑。

 喜び。

 疑念。


 そして謎に恥ずかしさ。


 一つに纏まらない感情が二人の頭に渦を巻く。


「私は【ひいらぎ 明日香あすか】。【特殊生命体対策機関】所属。【第13部隊】の就任しています。よろしくお願いします…。


 初めて男性と…」


 妙に強調した部分のある自己紹介を済ませた少女、明日香。言い終えた筈の口が僅かに動き、本人以外には聞こえていない声量で何かしらを呟いていた。先程発した怒気は何処へ?そこにはまた優し気な声音と雰囲気が戻っていた。


「本当に一緒、なんだ…」


「…ん゛。…はい。本当に私は【柊 明日香】です。お兄さんも本当に【柊 飛鳥】と言うんですね?」


「まあ、そだね」


「「…」」


 二人の間に流れる空気は『微妙』。

 二人の頭の中に渦巻く感情はついに溢れ、空気にまで浸食してしまったようである。照れ隠しであるかのような若干落ち着きのない言動で名前の漢字を聞き取り、流石に漢字まで完全に一致していない事に飛鳥は「そりゃそうか」と納得と言った風。だが、明日香の方は僅かに気落ちした様子を見せ、その様子に飛鳥は僅かに首を傾げた。


「わかりました。

 では、次です」


 仕切り直し。

 とばかりに『次』を言葉にして発し、また気落ちした心に張りを戻し、PCの画面を睨みつける様に集中。それと同時に事情聴取を進めるべく口を開いた明日香だった。


 続いた質問は『年齢』『性別』と基本的な事に続き、『住所』でまた明日香の眉間にしわが寄った。


「□□町?…その様な地名は存在しません。…やはり、嘘をついているのですか?」


「いやいや!嘘じゃないって!本当に□□町なんだって!調べればすぐ…」


『わかる』。そう言葉を続けようとした際に飛鳥の脳裏に様々な光景が過り、「今更かよ」と自分でツッコミと共にある一つの仮定が頭に浮かんだ。そうした仮定を前提にして考えると今まで感じて来たいくつかの疑問の辻褄が合う。


「どうしましたか?」


「…えっと、ちょっと信じられない考えが、だな」


「?」


 言葉を途中で途切れさせて、口ごもった飛鳥。そんな様子に明日香は首を傾げる。


「俺は、ここには本来居ない、居てはいけない類の人間、なんだと思う…」


「はい?」


 飛鳥本人も半信半疑。


 自分の頭に浮かんだ仮説は到底信じられるものではなく、ただそれ以外の可能性よりも説明が色々とついてしまう事でそれ以外の考えが浮かばない状態であった。


「『ココ』と言うのはこの街の事ですか?それともこの場所?」


「いや、そうじゃなくて…多分、俺はこの世界の人間じゃない、んだと思う…」


「えっと…それは、どういう事でしょうか?」


「よくある創作の物語の話どおり、って事なんだろうな…」


 飛鳥の頭に浮かぶのは数多にあるライトノベル、小説、アニメ、映画、ゲームの物語。ある日突然に本来生きていた世界とは違う世界へと旅立つお話。

 理由は数多、展開も数多のその手のお話にもある程度共通点がいくつかあったりする。そして、そのいくつかの中の一つ、世界を渡る事によって、才能が目覚めたのか、はたまた神様なる存在の慈悲か。理由は定かではないが特別な力を手に入れる事がある。

 そして、これは飛鳥にも適用されていると考えられた。それがあの走るときに感じた異様なスピードと体力であるのだろうと、飛鳥は考えたのだった。


「よくある…物語?」


「あ~、知らない、か。まあ知らなさそうではあるけど…」


 飛鳥から見た明日香は、真面目そうであり、自分が趣味としているゲームや、それに類似性のあるサブカルチャーには微塵も興味を引かれなさそうな感じを受ける。知らなくても仕方ないか、とすんなり納得できる容姿、言動をしているのであった。

 そんな明日香に事細かに説明をしようと口を開いた飛鳥。


「…あ~簡単に言うとだな…」


 しかし、事細かに説明したとしても理解してくれるではないかと思い止まり、簡潔に、簡単に自身が有する知識を口にし、説明を行った。


「…なるほど…。ですが、それはあくまでも創作上の物語。今お話を聞いているのは貴方のの話です。話しづらい事もあるかもしれません。しかし、私も職務上話を聞かない訳にはいきません。正直に話してください。もっとも、あんな危険地帯に男性が居るなんて…それも誰かしら護衛が居るのなら話も少しは分かりますが…見たところ一人だったようですし、職務でなくとも聞かなくてはいけない事です…」


「…?」


 明日香が口にした言い分は御尤もである、と納得できるものであったが、後半部分については首を傾げざる負えない。

『職務上』と言う言葉にも少しは引っ掛かるものの、『怪物と戦っていた事』『自分を助けてくれたこと』その点から警察、若しくはそれに類似した民間人を助け、守る仕事をしている事は予想できた。軍服に見えなくもない身なりもその予想を助長している。何よりも先程自己紹介で【特殊生命体対策機関】に所属している事を口にしていた。

 飛鳥にとっては初めて聞くものではあるが、何となく目的、内容は理解できるので、『職務上』と口にした事はよくよく考えれば不思議に思わない。

 もっとも、明日香の様に年若く、見目も整った女性が務める様な職業なのかは疑問が残るが。


 それはさておき。

 一番飛鳥が気になったのは『男性が危険地帯に居る事』と言う部分。


 飛鳥の感性からすればそんな危険地帯に女性である明日香が居る方が問題と言える。しかし、彼女の口ぶりでは飛鳥の意見とは真逆の意見だ。


「男があそこに居るのは問題なのか?」


「あの地は【特殊生命体生息区域】です。ですからな事に【特別危険地帯】に指定されています。…って、まさかとは思いますが、『知らない』なんて言いませんよね?」


「いや、知りませんでした。はい」


「……」


 明日香にとって、この世界のこの地に住む人間としては至極当然な『常識』である。それこそ幼子であっても具体的な危険が何かは知らずとも『危ない場所』である事は知っている程に常識である。もっと言うならば例え遠く離れた地に住んでいた者であったとしても、あの地の風景を見れば一目瞭然。分からない方がおかしい。


『知らない』なんて事は信じられないし、通じない。


 だが、少女は信じる事にした。


 それは飛鳥の言動に困惑から来る慌てる様子は見受けられたが、嘘をついていると確信を持てる様な言動が無かったこと。

 そして、何よりも。


 飛鳥が『男』である事で明日香の見当が


「(まさか、私がここまで…。これでは同級生たちを馬鹿には出来ませんね…)」


 自傷の言葉を心の中で呟く明日香の頭に浮かんだのは数年前まで一緒に勉学に励んでいた同級生たちだった。


 何かにつけて「会ってみたい」だの「かっこいい」だの正反対に「かわいい」だの「夢」だのと語っていた同級生たち。

 年相応に異性に対して興味は勿論ながらあった明日香だったが、周りに比べると『冷めている』と言える程度の興味しか持ち合わせていなかった。


 しかし、実際に男性を目の前にした今、言動は多少繕えているものの、彼女の脳内では蔑んでいたはずの同級生と同レベル。もしかしたらもっと酷いレベルで狼狽していたのだった。


「お~い。ヒイラギ~ここか~?」


「「っ!?」」


 そんな脳内で同級生たちに謝罪をする明日香と、世界を渡った事実と黙り込んだ目の前の少女を気にするのに必死だった飛鳥は、突如としてドアを開け放つ音と声に体をびくつかせた。


「総隊長!」


「ん?客?こんなところに…」


「こんなところって…。まあ、間違い、とは言えませんが……を保護、したので、話を…」


「保護????」


 突如として部屋に入って来たのは高身長の女性。黒い髪を肩口で切り揃えた美女。

 明日香はあくまでも『美少女』であるが、この女性は『美女』。色香を溢れさせていた。


 しかし…


「(折角の美女の顔に…)」


 飛鳥が大好きな大人の美女の顔には、左側の額から目を超え、顎までざっくりと縦に古い傷痕が残っていた。


 右側の口元にあるほくろと雰囲気が妙な色香を生み、左の傷痕の所為かその色香が余計に嫌悪感を感じさせる。正直に述べれば、色香や美人と感じるよりも『恐怖』を芽生えさせるのだった。


 そんな女傑は飛鳥を改めて、と認識した。


「…?お、男ぉ!?」


 盛大に大声を上げ、離れているにも関わらず、更に離れんと驚異的な速度で飛び退き、これまた驚異的な距離を飛んでいった。


 その結果。


「いったぁあぁぁぁ~い!!!」


 部屋から退出。

 すぐにある廊下の壁に後頭部を打ち据え、床を転げまわるのだった。


「…へ?」

「…はぁ」


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